聖霊の祝福をあなたに

itoma

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「号外! 号外ー!!」

 新聞社の売り子が石畳の道を駆け巡る。
 10リルと引き換えにその新聞を手にした国民達は皆、感嘆と祝福の言葉を口にした。

「王家の血は途絶えていなかったんだ……!」
「奇跡だわ……!」

 新聞には王宮の写真とともに、新たな王位継承者である青年についての記事が掲載されている。

「ルイス・ウェルズリー様……」
「明日アカデミーを卒業されるそうよ」
「早くお目にかかりたいなあ!」

 過去に2人の王子が立て続けに不審な死を遂げてから不安な気持ちを抱いてきた国民たちは、新聞に落としていた視線を上げて、アカデミーにいるという新たな王太子に思いを馳せる。その瞳は希望の光に満ちていた。
 
 ――その日、ロイヤー新聞社は過去最高の売上を記録した。


***


 ロイフォード王国が誇るイメンスアカデミーは首都の外れにある。100年以上の歴史を持つこの名門校は、国内のみならず国外からの志願者も多い。
 今朝の号外新聞の件は、構内に瞬く間に広まっていった。正午、生徒達が集まる食堂ではその話題で持ちきりだった。

「ルイスって……あのルイスか……!?」
「お前アイツのこといじめてたよな……」
「だ、だって、没落貴族の養子だと思ってたから……!」

 テーブルの上に並んだ食事には手をつけず、同級生達は忙しなく口を動かす。
 渦中の人物ルイス・ウェルズリーは、"ブローン伯爵家の養子"と身分を偽ってこのアカデミーに在籍していた。

「今からでも謝罪した方がいいんじゃ……」
「処刑されたらどうしよう!?」
(足引っ掛けられたくらいで殺さねーよ)
「私、彼のこと前からかっこいいって思ってたのよ」
「まあアリサ! 王妃の座を狙ってるのね」
(俺のこと『根暗でダサい』って言ってたくせに)

 食堂裏の木陰で寝転んでいたルイスは、意図せずその会話を耳にしていた。没落貴族の養子が王太子だとわかった瞬間に掌を返す同級生達に対して、特に心を乱されてはいないようだ。

「……うるさくなってきたな」

 ルイスはめんどくさそうに呟いて立ち上がり、服や頭に付いた葉っぱを払い落とした。
 午前中のこの場所は人気も少なく、うたた寝するには絶好のスポットだった。この騒ぎの中ルイスが誰にも見つかっていないのは、アカデミー構内の穴場を知り尽くしていたからだ。

 食堂裏からまっすぐ外壁の方に向かうと、裏門の手前に清掃員の小屋がある。
 清掃員達は教室の清掃に取り掛かっている時間だ。そのためここには誰もいないはずだが、ルイスは見知った人影を見つけて口角を上げた。

「フィオナ」

 フィオナと呼ばれた女子生徒は、扉のすぐ近くにある小さなベンチに座って本を読んでいた。
 ラベンダーやライラックのような薄紫色の瞳をルイスに向けると、彼女は静かに本を閉じた。

「ルイス……朝からあなたの話で持ちきりだよ」

 耳に掛けられた亜麻色の長い髪が、風に乗ってサラサラと流れる。その不規則な動きを目で追いつつ、ルイスはフィオナのすぐ隣に立った。

「フィオナはあまり驚いてないんだな」
「……驚いてるよ。顔に出ないだけ」

 ルイスの本当の身分を知ったにしては、フィオナはあまりにもいつも通りに見えた。
 フィオナは感情表現が豊かな方ではない。しかし、彼女が伏目がちにものを言う時は嘘をついていることが多い。その事実を、友人であるルイスは知っていた。

「……」
「どうかした?」

 ふと、伏せられた視線がルイスの奥に向けられた。

「ううん……服に葉っぱがついてたけど、風でとれた」

 ルイスはフィオナの澄んだ薄紫色の瞳に見つめられるのが好きだった。だからこそ、その瞳が時々自分には見えない"何か"を追っていることに気付いていた。

「フィオナ……何が視えているんだ?」
「……」

 ルイスに訊かれて、フィオナは口を噤んでしまった。

(まだ教えてもらえないか……)
「……そろそろ教室に戻らなきゃ」

 友人として3年間一緒に過ごしてきた今なら答えてもらえるんじゃないか。そんなルイスの淡い期待は、昼休みの終わりを予告するチャイムの音にかき消されていった。

「フィオナー?」
「!」

 第三者の声を耳にして、ルイスはフィオナの手を引いた。反対の手ですぐ背後にあった小屋の取手に手をかけ、フィオナと一緒にその中に身を隠す。

「レナルドよ」
「……だからだよ」

 フィオナを捜していたのはレナルド・ベアトリクス。フィオナにとっては10年来の友人であり、ルイスにとっても数少ない学友の一人だ。
 学校生活で一緒に過ごすことの多かった彼をこの場面で避ける理由が、フィオナにはわからなかった。

「は、離して……」
「アイツがどっか行ったらな」

 ルイスに抱き寄せられたフィオナは慌てて距離を取ろうとする。しかし腰にまわされた腕は思いの外力強く、密着した体勢は変わらなかった。
 掃除用具を保管するスペースと、休憩用に古びたソファとテーブルが置いてあるだけの空間は、成人した男女二人にとっては少し窮屈に感じられた。
 
「ひゃっ」
「おっと」

 一歩下がったフィオナの足が、転がっていた箒の柄を踏んでしまった。バランスを崩したフィオナは衝撃に備えて目をぎゅっと瞑る。
 しかし、ルイスが腰を支えてくれたおかげで大した衝撃は受けず、ゆっくりと背後にあったソファに倒れ込むだけで済んだ。

「ル、ルイス……」
「ん?」
「どいて」

 年季の入ったソファは少し硬く、二人分の体重によってギシリと怪しい音をたてた。
 もしこの場面を誰かが目撃したら、ルイスがフィオナを押し倒しているように思うだろう。
 いくら色恋沙汰に疎いフィオナでも、この状況は恥ずかしいようだ。顔を赤くしてルイスの胸板を控えめに押したものの、彼は全く動こうとしなかった。

「俺のこと好きなくせに」
「……!?」

 ルイスは好戦的に笑った。
 フィオナの乱れた前髪を整える手つきはとても優しく、困惑したフィオナを見下ろす表情は慈愛に満ちていた。

「初めて会った時は燃えるような赤だったんだ」
「赤……?」
「それが最近、たまにピンク色が混じるようになった」
「ピンク??」

 彼女の髪も瞳も、赤やピンクではない。
 ルイスの意味のわからない発言に、フィオナはさらに困惑したようだ。しかしその発言の真意を問うことは、彼の核心に触れることになる。そう予感したのか、彼女はそれ以上何も聞かなかった。

「フィオナ……ロイフォードに残ってよ」

 フィオナを起き上がらせてから、ルイスは出来る限りの甘い声で懇願した。
 フィオナはルゼオン帝国からの留学生で、明日の卒業式が終われば帰国することになる。王子という身分を公表した以上、今後気軽に会いに行くことは難しくなるだろう。
 
「王宮で雇ってくれるってこと? 給料と住む場所は?」
「……」

 ルイスにしては頑張って"そういう雰囲気"を醸し出したつもりだったが、フィオナには1ミリも伝わらなかったようだ。

(これが"惚れた弱み"ってやつか……)

 そんな冷静な反応でさえも可愛いと思えてしまった自分に対して、ルイスは嘲笑を浮かべた。

「あ、でもダメ。最初は皇宮で働いて学費の半分を返さなきゃなの」
「うん……まあ、今はこっちもバタバタしてるし……その時期じゃないのは俺もわかってる」

 フィオナを傍に置くためにはまだまだ力が足りないことを、ルイスは自覚していた。
 正統な王位継承者として認知されたからには、これから危険に晒されることも増えるだろう。王室のゴタゴタにフィオナを巻き込むわけにはいかなかった。

「必ず迎えに行くから」

 ルイスがどれ程の覚悟を持ってこの約束を口にしたかを、フィオナは2年後に思い知らされることになるのだった。

 
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