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第16話:フィルムンド王国
しおりを挟むフィルムンド王国へは、私とティナとサムエル兄さん、そして護衛騎士4名と皇室の侍従3名で向かうことになった。
「お気を付けて」
「はい」
出発の日。朝早い時間だというのに、ラドミールはわざわざ見送りに来てくれた。
馬車に乗るためのエスコートだと思って差し出された手に自分の手を重ねるとぎゅっと握られて、その場で動けなくなった。
「受け取ってほしいものがあります」
「……!」
ラドミールが懐から取り出したのは小さな宝石があしらわれた指輪だった。
その指輪を、とても丁寧な手つきで私の指にはめてくれた。左手の薬指……この世界でもこの指にはめる指輪は特別な意味を持つ。
「ありがとうございます」
「結婚式の時はもっとちゃんとしたものを用意します」
いわゆる婚約指輪というものだろうか。
前世を含めて指輪はあまりする機会がなかったから新鮮だ。
「常に着けていてください。向こうで変な虫が付かないか心配なんです」
「ふふ、心配性ですね。私はラドミール一筋なのに」
「……」
そんな心配は杞憂に終わる。私はラドミール以外の男性に目を奪われることさえないのだから。
そう伝えると、手を引かれてぎゅうっと抱きしめられた。見送りに来た他の人の目もあるのに。少し恥ずかしかったけど、これから1ヶ月間この温もりを感じられないのかと思うと名残惜しくて、私もラドミールの背中に手をまわした。
「あの、私もラドミールに渡したいものが……」
「何ですか?」
「大したものじゃないですけど……」
こんな素敵な指輪の後じゃあ霞んでしまうけれど、せっかく用意したんだから渡しておきたい。
「すごい……さすがです」
「あはは……」
渡したハンカチを広げて、その角にチェルナー騎士団の紋章の刺繍を見つけるとラドミールはキラキラと目を輝かせた。気に入ってもらえたようでよかった。
推し活の一環でこの紋章を何度も刺繍してきたという事実は、多分一生伝えることはないだろう。
「……」
「く、臭いですか?」
何を思ったのか、ラドミールがハンカチを鼻に押し当ててくんくんとにおいを嗅いだ。どうしよう、臭かったのかな。香水で香り付けくらいしておけばよかった。
「いえ。モニカの匂いがします。毎晩このハンカチを抱きしめて眠るでしょう」
「なっ……」
「ありがとうございます」
それはつまりこのハンカチを私だと思って毎晩抱きしめて寝るということだろうか。そんなことわざわざ宣言しないでほしい。
「では、行ってきます」
「……なるべく早く帰ってきてください」
「はい」
この取引が終わったら、ラドミールとの将来に向き合うことになる。大丈夫、もう覚悟は決めてある。私の幸せが誰かの幸せになるなんて、これ以上嬉しいことはない。
馬車に乗った瞬間、もうラドミールが恋しくなってしまった。
***
ラドミール・クリスト様
お返事ありがとうございます。
フィルムンドの方達はみんな優しいし、ごはんも美味しいので楽しく過ごしています。
毎日猫ちゃん達に囲まれてとても平和な職場です。
ラドミールの言う「悪い虫」は付く気配が全くないのでどうかご安心ください。
フィルムンド王国は魔力が高かったり扱い方が上手い者程モテるようで、魔力ほぼゼロの私は見向きもされません。
ティナの方がモテてしまってサムエル兄さんが苦労しています。
猫マッサージの指導は順調です。このペースなら1週間後にはそちらに戻れると思います。
お会いできるのを楽しみにしています。
モニカより
「……よし」
「モニカ遊ぼうぜ!!」
「わ!?」
手紙に封をしたところで扉がバンッと勢いよく開いた。
入ってきたのはフィルムンド王国、第四王子のイスト王子、8歳。
フィルムンド王国には王子と王女が合わせて8人いると聞いた時は驚いた。成人を迎えたら男女関係なく国家事業を一つ任され、その業績や企画を評価されて次期国王が決まるらしい。
「イスト王子殿下、部屋に入る時はノックをしましょうね」
「わかった! 遊ぼうぜ!」
イスト王子は私に懐いてくれている。魔力のほぼない私が珍しいらしく、得意げに自分の魔法を見せてくれるのだ。多分自慢できる相手が少ないからなんだと思う。
「今からモットーラ卿のところに行きたいんですけど……」
「モニカはあんな陰気臭い奴が好きなのか?」
「陰気臭くてすみませんね」
「げ!!」
モットーラ卿の研究室に行こうと思っていたけど、本人が私の部屋まで来てくれた。
8歳の子どもにまで「陰気臭い」と思われているモットーラ卿……いったい今までどんな顔で仕事をしてきたんだろう。
マッサージと十分な睡眠のおかげか、初めて会った時より目の下の隈がとれて顔色も随分よくなったと思う。
健康的な彼の姿はなかなか好印象のようで、この前お城の侍女達が「最近モットーラ卿かっこよくなったね」と話しているのを盗み聞きしてしまった。
「俺に用?」
「あ、はい。近いうちにマッサージ師達の試験を行なっていただきたいです」
「もういけんの?」
「はい。二人ともとても優秀ですよ」
「……わかった。じゃあ4日後の昼に時間をとる」
「ありがとうございます」
ラドミールへの手紙に書いた通り猫マッサージの指導は順調で、もう教えることはほぼない。教え子の二人が合格を貰えば私がここに留まる理由はないから、ティナ達よりも先に戻るつもりでいた。
「モットーラ卿はどうしてこちらに?」
「……疲れたから休みに来た」
「あ……」
わざわざ私の部屋まで来たということは、猫マッサージを受けたいということだ。
しかし猫に姿を変える魔法薬の存在はまだ機密事項とされている。今回の取引でリリヤ王女に知られ、現在一般化に向けて開発中らしい。
つまり、イスト王子の前でその魔法薬を使うわけにはいかないのだ。
「イスト王子殿下、モニカは俺と大事な話があるので出てってくれますか」
「だ、大事な話ってなんだよ! 俺がいちゃマズいのかよ!」
「はい」
「ぐぬぬ……!」
さすがモットーラ卿、王族相手にも遠慮しない物言いだ。
「申し訳ありませんイスト王子殿下。お仕事の話なんです」
「……」
「すぐ終わりますので、そしたら遊びましょう」
「絶対だぞ!?」
「はい」
「ニコにエロいことされたら俺を呼ぶんだぞ!」
「あはは、わかりました」
納得はしてなさそうだけど、なんとか聞き入れてもらえた。
頬を膨らませて怒る姿は、申し訳ないけど可愛らしいと思う。
「……よし。猫になっても大丈夫ですよ」
「……」
「?」
扉が閉まったのを確認してモットーラ卿に向き直ると、魔法薬を飲むそぶりもなくソファにどかっと座っていた。
「もし俺が合格を出さなかったら……お前はずっとここにいてくれんのかな」
独り言にしては私にもしっかり聞こえるくらいの声で呟いた。
私を帰したくないとも取れるそのセリフに胸がザワつく。私の返事を求めているかはわからないけど……
「合格が出なくても1ヶ月経ったら帰ります」
「……」
「それに絶対合格を出しますよ。とっても上手なんですから」
「……」
ここに1ヶ月以上滞在するつもりはない。待ってくれている人のために私ははっきりと答えた。
「あの……マッサージを受けに来たんじゃないんですか?」
「……魔法薬持ってくるの忘れた」
「じゃあ出てってください」
「失礼な奴だ」
「モットーラ卿に言われたくないです」
「はいはい出ていきますよ」
軽口を叩きながらも、内心ではいつもの調子に戻ったモットーラ卿に安堵した。
出ていくと立ち上がったモットーラ卿は眉を下げて笑っていた。その笑みの意味は、深く考えないようにした。
***
4日後。あんなことを言った割に、モットーラ卿はあっさりと二人に合格を言い渡した。
役目を終えた私は早速一足先に帰らせてもらいたいと相談したところ、ティナ達もリリヤ王女も快く承諾してくれた。
「明日の朝、出発しようと思います」
「寂しくなるわ」
「そう言っていただけて嬉しいです」
手紙では1週間後と書いてしまったから、予定よりも早く帰国できる。
早くラドミールに会いたい。油断してるところに私が現れたら驚くだろうなぁ。大きく見開かれる瞳を想像したら自然と頰が緩んだ。
「モニカ帰っちゃうの!?」
「恋人が待ってるんだもの。そりゃ早く帰りたいわよ」
こうやってリリヤ王女と庭園でお茶をするのも、イスト王子の元気な声を聞くのもこれで最後だと思うと少し寂しい。
「えー、俺のお嫁さんになってよ! 側室でもいいから!」
「なりません」
8歳の口から「側室」という単語が出てきたことにドン引きしつつも冷静に返答した。
フィルムンド王室の子どもの数は側室の多さに起因する。何でも、王様は3~5人の側室を迎えることが慣例化されているらしい。
イスト王子にとって側室をとるということは当たり前のことで、悪気のない発言だったんだろう。
「虫がついてるみたいですね」
「!?」
ふと、背後から声が聞こえた。この2週間恋焦がれた低い声に震えたのは、鼓膜だけじゃなかった。
「な、何で……」
「待ちきれなくて迎えに来ました」
今ラドミールがここにいるということは、私の手紙が届いてすぐこっちに向かってくれたんだろう。
騎士団の業務は大丈夫なのかな。一瞬皺寄せに苦しむアプソロン卿の姿が脳裏をよぎったけど、ラドミールの穏やかな表情を見たらすぐに吹っ飛んでいった。
「うぐぐ……俺だって……いっぱい食べてでっかくなるんだからな!!!」
ラドミールをジロジロ見た後、イスト王子はよくわからない捨て台詞を吐いて走り去ってしまった。
「ふふ、騎士団長様には敵わないと察したようね」
「誰にも負けるつもりはありませんので」
さっきラドミールが「虫がついてる」と言ったのはおそらくイスト王子のことだろう。
確かに「お嫁さんに」とは言われたけど、8歳の子どもが言うことを真に受ける必要はないのに。
「騎士団長様のお部屋を用意しなきゃね」
「急に申し訳ありません」
「いいのよ。仲睦まじいお二人が見られてお腹いっぱいだわ」
リリヤ王女は恋愛の話が大好物なようで、こうしたお茶会の度にラドミールとのことを根掘り葉掘り聞かれてきた。まあ、同年代の女の子との恋バナは普通に楽しいからいいんだけど。
「あ……お部屋は一緒の方がいいかしら?」
「そうで「ぜひ別のお部屋をお願いします!!」
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