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第8話:ユーリ・クリスト
しおりを挟む「ありがとうございました~」
分厚い図鑑を抱えて本屋さんを後にする。
本来、今日はターニャとケーキを食べに行く予定だった。準備をバッチリ終えてさあ出掛けるぞ、というところでターニャの侍従から風邪で行けなくなったことを聞かされた。連絡が遅れてしまうのはスマホのない時代だから仕方のないことだ。
せっかく侍女のフランカが綺麗に着飾ってくれたから、今日は一人で本屋に行くことにした。皇女様の刺繍の参考になるような画集を探していたところ、見つけたのがこの『猛獣図鑑』。絵本のような動物のイラストより、こっちの方が喜ぶと思って買ってしまった。
「……はあ」
可愛らしい皇女様との刺繍の授業は楽しい。しかしここ最近、皇宮に行くのが億劫に感じてしまうのは……クリスト騎士団長が原因だ。
先生になると決まった時は、授業終わりにこっそり訓練の様子を見られたらいいな……なんてことを思っていた。
そう、こっそり見られたらそれでよかったのに……!皇女様の特等席に招待されたうえにクリスト騎士団長の方から来てくれるなんて何事か。
おそらくクリスト騎士団長は私のことを気にかけてくれている。鈍いわけじゃないから流石にわかる。
でも何で私なんだろう……。私は特別可愛いわけでも、家柄が良いわけでもないのに。
「レディ、重そうな物を持っているね」
「……」
「もし良かったらこのベン・スミットにエスコートさせていただけないだろうか」
どこの世界、いつの時代にもナンパというものは存在するらしい。
私に声をかけてきたのは見知らぬ貴族の男性。年は私と同じか少し下くらいだろうか。まあ、そういうお年頃なんだろう。
「私が見えるんですか……?」
「……エッ」
「嬉しい……声をかけてもらえたのは200年ぶりだわ……」
「ひぇ!?」
しかしナンパに付き合ってあげる時間も義理も私にはない。
「私ローヤンというところのケーキを食べてみたいわ……昔はお砂糖入りのデザートなんてなかったから……」
「あ、あれ~? なんだか今日は涼しいな~~~」
私の渾身の演技に騙されたナンパ男は、顔を真っ青にして後ずさっていった。やっぱりナンパされた時は幽霊のフリをするのが一番だ。
「ぷっ……あははは!」
「!」
背後から突然笑い声が聞こえて振り返ると、別の男性が立っていた。
「助けようと思ったんだけど、いらぬお節介だったみたいだね」
「!!」
その顔を見て、私は動けなくなった。
銀髪の髪に紺色の瞳を持つ目の前の彼は、初対面ながら既視感がありすぎた。そしてすぐに察した。彼はクリスト騎士団長のお兄様……ユーリ・クリスト様であることを。
小さい頃に何回か遠目に見たことはあったけど、こうやって間近で見るのは初めてだ。確かにクリスト騎士団長と同じDNAを感じる。
「そんなに見つめられると照れるなぁ」
「す、すみません。素敵なお顔だったので」
「はは、ありがとう」
顔が良すぎてついガン見してしまった。
眉を下げてにこやかに笑う彼は、無口でクールと言われているクリスト騎士団長とは真逆のタイプのようだ。柔らかくて爽やかな印象を受けた。
「面白いものを見せてもらったお礼にローヤンのケーキをご馳走様させてほしいな」
「い、いえそんな……!」
「砂糖入りのケーキを食べてみたいんでしょ?」
「それは……」
「さあ行こう!」
幽霊を演じていた時に適当に言ったことを引き合いに出されて怯んだその隙に、パッと手を取られてしまった。
***
「ここだね。僕もこのお店は気になっていたんだ」
あれよあれよと、結局ローヤンまで連れて来られてしまった。
本当にいいんだろうか……クリスト騎士団長のお兄さんとケーキを食べるなんて……。でも正直なところ、クリスト騎士団長の小さい頃の話を聞けたら嬉しいという邪念も少なからずある。
「……ん?」
「……!」
ふと、店の前でフードを被った人物がウロウロしているのが目に入った。ここは貴族令嬢が集まる場所だというのに、怪しすぎる……。
立ち止まって様子を見ていると、フードの中の紺色の瞳と視線が合った。その瞬間、私は彼の正体を察知した。
「わ、私急用を思い出したので……!」
「え? ちょっと……」
「ッ!」
ユーリ様のエスコートの手を放してこの場から逃げようとしたのに、私の手はまた別の誰かに捕まってしまった。
「は、放してください……!」
「それはできません」
そう……クリスト騎士団長に。
わざわざ変装までしてここで何をしていたのか。甘い物が好きだというデータはない。
ひとつ心当たりがあるとすれば、昨日皇女様に今日の予定をやけに詳しく聞かれたこと。
まさか、私が食事に応じないからここで待ち伏せていたんだろうか。
ていうかクリスト騎士団長の手が私に触れているこの状況……とてもやばい。かと言って推しの手を振り払うことなんてできない。
「まあまあ、女性が嫌がることをしてはいけないよ……ラド」
膠着状態に陥った私達の間に入ってくれたのはユーリ様だった。
***
「コーヒーセットを3つよろしく」
「かしこまりました」
2階の窓側の席。この席は外の景色がよく見えるから、ターニャが好んで選ぶ場所だった。
しかし今私の目の前にいるのはクリスト侯爵家のご令息二人。ユーリ様はにこにこと愛想の良い笑みを浮かべていて、クリスト騎士団長はこういう場所に慣れないのかそわそわしていらっしゃる。
注文を受けた店員さんの「この女は何者だ」という視線が痛い。他の客の視線を感じないのは、ユーリ様がクリスト侯爵家の金と権力にモノを言わせて2階を貸切にしたからだ。もうローヤン行けない……。
「で? 二人はどういう関係なんだい?」
にこにこ顔のユーリ様に聞かれた。
「わ、私が一方的にクリスト騎士団長のことを応援しているんです」
「応援?」
「はい!」
「うーん……具体的にはどういうこと?」
本人を前にして言うのは恥ずかしいけど……この際はっきりさせておくべきなのかもしれない。私がクリスト騎士団長を推しているということを。
「7年前……ソドレニアの剣術大会で、初めてクリスト騎士団長を拝見しました」
「「!」」
「クリスト騎士団長の剣の振り方が好きなんです。皇女様ともお話したんですけど、脇の締め具合とか攻撃の受け流し方とか……」
しかしやっぱりこの世界の人に"推し"という概念を伝えるのは難しい。つまりは「恋愛感情ではないですよ」ということを伝えたいんだけど、一歩間違えれば変態だと軽蔑されてしまうかもしれない。
「あと、馬に乗る前と降りた後に必ず馬を撫でるところとか……皇女様をエスコートする時に歩幅を合わせて歩くところも素敵だと思います」
「……」
「ええとつまりですね……クリスト騎士団長を見ると元気が出るんです!」
推しとは生きる糧。嫌なことがあった日も推しを見れば癒され、次の日も頑張ろうと思える。異世界での人生に挫けそうになった時、クリスト騎士団長の存在が何度も私を救ってくれたのだ。
少しは伝わったかな……?クリスト騎士団長をチラっと見てみると大きな手で口元を覆っていた。頬が赤く見えるのは私の気のせいだろうか。
「そんなに俺のことを見てくれていたんですね」
「あ……」
「とても嬉しいです」
「!」
どうやらドン引きはされていないみたいだ。それどころか、多分照れている。推しの照れ顔をこの距離で拝める日が来るなんて。
「俺も、あなたのことを知りたいと思っています」
「へ??」
「なので今度お食事に……」
「それはダメです。私はただのガチファンなので、推しのプライベートに関わるわけにはいきません!」
「「??」」
やっぱりあまり理解してもらえなかったみたいだ。
推しに認知されているというだけで恐縮なのに、ただの一ファンである私のことなんかをクリスト騎士団長が知る必要はない。お食事なんてもっての外だ。
「では……これからも応援よろしくお願いします」
「は、はい!」
推しからの公認を貰えるのはとても嬉しい。この際、私がこの世界で初めてのファンクラブを設立するのも悪くないのでは……
「結婚したいと思ってもらえるように精進するので、見ていてください」
「ええ!?」
「ラド……立派になって……!」
私は推したいだけなのに……何でこうなるの……!?
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