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第1話:推しという存在
しおりを挟む私には推しがいる。
"好きな人"ではなく"推し"である。そこは勘違いしないでいただきたい。
「チェルナー騎士団の凱旋だ!」
「西の森に棲みついた魔獣を討伐したらしい」
「クリスト侯爵のご令息が団長になってから、素晴らしい業績だな」
その推しが今、魔獣討伐の凱旋で私の目前を通ってくれた。
(はあ……眼福……)
私は凱旋が始まる2時間前から場所を確保し、最前列で推しの姿を拝んだ。
ラドミール・クリスト。皇室直属のチェルナー騎士団の団長である。無口でクールなイケメンとして女性からの人気も高い。
彼を知ったのは7年前の10歳の時。一つ上の兄が初めて剣術大会に出場するとなって、家族みんなで応援に行った日だった。
私は兄そっちのけで彼に釘付けになった。あの頃の彼はそこまで注目されている騎士というわけではなかったし優勝したわけでもない。
それでも私は、しなやかに、そしてまっすぐ剣を振るう彼を見て、10歳ながらに感銘を受けたのを今でも覚えている。
「モニカ、行くわよ」
「もうちょっと余韻に浸りたい……」
「早くしないとローヤンのタルトが売り切れちゃうじゃない!」
騎士団が通り過ぎた後もその場を動こうとしない私を、友人のターニャが引っ張った。
もう少し彼と同じ空気を吸っていたかったけど仕方ない。今日は元々ターニャとケーキを食べに行く約束をしていたのだ。
***
「はあ……かっこよかった……」
「もうやめたら? 追っかけ」
「追っかけじゃなくて推し活と言って」
「またわけのわからないことを」
「あはは……」
私には前世の記憶がある。
今の私はモニカ・シュレフタ、17歳。商人から貴族に成り上がったシュレフタ子爵の次女だ。
前世の私は日本の大学生だった。そこそこいい大学に入ったけれど、正直勉強よりも"ある事"に時間を費やしていた。それは……"推し活"だ。
その時の私の推しは5人組の男性アイドルグループだった。特に推していたのはグループ内末っ子の天然系男子。
コンサートに行き、グッズを集め、ファンクラブの会費を払うこと3年……ついに念願の握手会に当選した。念入りに手を洗って臨んだ握手会だったけど、私は会場に辿り着く前に交通事故に遭って死んでしまった。
その後私はこの世界に転生し、物心がつく2歳半くらいの時に前世の記憶を自覚した。
中世ヨーロッパ風のこの世界にはテレビもスマホもない。魔法や魔獣の存在は新鮮ではあるけど、21世紀の日本を生きてきた私はとにかく娯楽に飢えていた。
「どこがいいの? 顔?」
「顔はもちろんだけど……うーん……雰囲気?」
「ふーん」
そんな私の人生に光を与えてくれたのはやっぱり"推し"の存在だった。
クリスト騎士団長は、正直前世の私の好みとは正反対のタイプだ。私が好きだったのは末っ子天然キャラ。しかし彼は無口なクールキャラ。それでも私は彼に惹かれた。転生したら好みも変わるんだろうか。
「モニカのお父様だったらなんとかしてくれそうじやない?」
「なんとかって?」
「婚約者に、とか」
「それはダメ!!」
「??」
これは"推し活"であって恋愛感情ではない。何度も説明しているけど、この世界に"推す"という概念は浸透していないようでなかなか理解してもらえない。
確かに私の父は商人から貴族に成り上がっただけあって、世渡り上手で計算高い人だ。そして私を大切に思ってくれている。
ターニャの言う通り、私がクリスト騎士団長のことを好きだと聞いたらどうにか接点をつくって婚約者という立場まで手に入れてしまうかもしれない。出世欲の大きい父にとって、侯爵家の次男との結婚は願ったり叶ったりだろうし。
それは絶対ダメだ。私は彼と結婚したいわけじゃない。
「じゃあ他の令嬢とクリスト騎士団長が結婚しても平気なの?」
「うん。推しの幸せを祝福してこそガチファンなの」
「……理解できないわ」
推しとはある程度の距離を保ちたい。これもまた、ターニャには理解してもらえなかった。
***
この世界での私の"推し活"について、もう少し詳しく説明しよう。
この世界のメディアは新聞のみ。魔法のおかげで写真を撮るカメラのような器具はある。しかしそれは各新聞会社が独占していて、平民はもちろん下級貴族ではとても手が出ない代物だった。
写真集やDVDは残念ながら望めない。そこで私は、クリスト騎士団長の写真が載っている新聞を切り抜き、箱の中に保管することにした。本当はラミネートして飾りたいところだけど、この世界にそこまでの技術はないから諦めた。
それから、できる限りクリスト騎士団長をこの目で拝めるイベントに出向いた。先日のように、魔獣の討伐など大きな成果を挙げた時に行われるパレードもその一つだ。あとは皇室の主催する式典やパーティーも狙い目である。
「ラウラ・ホルヴァート皇女殿下とラドミール・クリスト騎士団長のご入場です」
今日はラウラ皇女の12歳の誕生日パーティー。クリスト騎士団長は皇女様が幼い頃専属の護衛騎士を務めていた。そして皇女様がクリスト騎士団長に懐いているのは有名な話だった。
(少女をエスコートする推しが尊い……!!)
予想通り、ラウラ皇女はクリスト騎士団長のエスコートを受けて華々しく登場した。
少女と並んで歩く推しの姿はとても尊かった。小さな歩幅に合わせて歩いているところが特に推せる。
私は瞬きさえ惜しんでしっかりとその姿を目に焼き付けた。そして思う……カメラが欲しい。頑張ってコツコツとお金を貯めたら、いつか私もカメラ一台くらいは買えるだろうか……。
「サムエル、モニカ。私達は挨拶にまわってくる」
「あなた達も同年代のご令息ご令嬢と交流を深めるのよ」
「「はい」」
皇族の誕生日ともなると帝国内のほぼ全ての上位貴族に招待状が届き、よっぽどの理由がない限り欠席することはない。シュレフタ子爵家は下位貴族ではあるものの、商人時代から現皇帝の目に留まって直接爵位を貰ったからか、皇室のパーティーには毎回呼んでもらえている。
両親は人脈を広げるチャンスだと、1ヶ月も前から張り切って参加貴族の下調べをしていた。こういうところは本当に尊敬する。
「さあモニカ、踊ろうか」
「はい、お兄様」
両親の背中をしっかり見送った後、私とサムエル兄さんはダンス広場へと向かった。
同年代の貴族との交流には私も兄さんも興味がなかった。特に大勢の男女が集まるこういう場では。
「だいぶ上手くなってきたな」
「サムエル兄さんのおかげよ」
ダンスは好きだ。前世では学校の必修科目だったし、推しグループの振り付けを動画を見ながら一生懸命覚えたりもした。
「いつ踏まれるかドキドキしたよ」
「ふふふ」
……といってもその経験が社交ダンスに活かされることはなかった。最初の頃は足を踏みまくっていた私も、最近では1回踏むか踏まないかくらいにまで成長した。
「シュレフタ卿、あの……」
私達が踊り終えるのを待ち構えていたかのように、一人の令嬢が寄ってきた。
頬を赤らめてサムエル兄さんを見つめる彼女。この後どんな言葉が続くかは簡単にわかった。
「すみません。妹が足を挫いてしまったようで……」
「痛いわお兄様……」
「可哀想に……あそこのソファ席で休もう」
「はい」
「あ……」
「では失礼します」
名残惜しそうにする令嬢に早々に背を向けて、私達はこの場を後にした。
そう、サムエル兄さんはそこそこ顔が良い。それに加えて業績好調の子爵家の長男。兄さんを狙う令嬢は少なくなかった。
「だいぶ演技に磨きがかかったな」
「サムエル兄さんのおかげよ」
もちろん本当に足を挫いたわけではない。私は女避けの口実だ。
兄さんのことは家族として普通に好きだけど、シスコンという程ではない。それでも兄さんに協力しているのは、私達がお互いの秘密を共有する同盟関係にあるからだ。
「最近ティナには会ってるの?」
「ああ。髪が短くなってた」
「へー。似合いそう」
「めちゃくちゃ可愛かった……」
兄さんには好きな人がいる。
お父さんが爵位を貰う前……一商人だった頃。隣の家にティナという女の子が住んでいた。両親が仕事で家を空けることが多かったため、私達は多くの時間をティナと一緒に過ごした。
一人っ子で姉と同い年だったティナは私達を本当の妹、弟のように可愛がってくれた。言わば幼馴染的存在だ。
ティナも兄さんのことを好意的に思っている。でも、彼女は平民。
お父さんは兄さんの気持ちを聞いた時、頭ごなしに否定さえしなかったけどあまりよくは思っていないようだった。
まあ……必死に貴族の爵位を掴み取ったからには、この地位を代々繁栄させていきたいはず。後継者の兄さんには貴族の令嬢と結婚してほしいんだろう。
「いざとなったらさ、私が後を継いでもいいよ」
「ははは、ありがとな」
兄さんは冗談半分に聞いたかもしれないけど、本当にそれでもいいと思っている。
大学では経済学を専攻してたから全くの無知というわけではない。前世は社会に出る前に死んでしまったから仕事をしたいという気持ちもある。
それに……私が当主になってお金をたくさん稼いだら、カメラだって買えちゃうかもしれない……!
「当主になったらもう少し近くで見られるかな……」
「モニカも飽きないな」
「推してるからね」
「はいはい」
兄さんは私がクリスト騎士団長を推していることを知っている。家族には内緒にしてたのに、3年前にこっそり集めていた新聞の切り抜きを見られてしまったのだ。
この時から私達の同盟関係は始まった。私は兄さんとティナの関係を応援し、兄さんは私の推し活を黙認する。長年語ってきたおかげで、兄さんは"推し"という概念を多少は理解してくれていた。
この席は皇女様の護衛につくクリスト騎士団長がよく見える位置なのだ。
(あ、皇女様と何か喋ってる)
貴婦人の高らかな笑い声も、キツすぎる香水のにおいも今は気にならない。
視覚のみを研ぎ澄まし、クリスト騎士団長の表情や動きを目に焼き付けることに専念した。
今日も私の推しはかっこいい……それだけで、私はまた明日も強く生きていけるのだ。
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