上 下
28 / 39
第16話 願い、そして奇跡

27 苦闘

しおりを挟む

 丁寧にお辞儀レヴェランスをしてみせた少女は、さっとドレスを翻して邪神騎に歩み寄った。

「リュード。始めましょう、この世界を滅ぼす為の序章を。仲間も、理解する人も、やっぱりいなかったけどもういいの。私達ふたりだけで……」

 砕けた肩を見上げ、彼女はささやいた。

「痛かったでしょう? でも、すぐにその報いを受けさせるわ。さぁ、私を受肉させて」

 少女は詩でもつぶやくように小さな声で呪文を唱えた。
 するとその身体が崩れ、蝋のようにドロドロと溶け始めた。あたかもその美しかった容姿が仮初めのものでしかなかった、とでもいうように。
 檻に囚われたアリスティアは、その様子を見て思わず「ひっ」と声を漏らし、魔物達も息を呑んだ。少女がチート勇者とは全く異質な、闇の眷属として取り込まれた存在であることを目の当たりにしたのだ。
 最後に少女はとうとう不気味に蠢く肉塊と化してしまった。邪神騎は鋭い爪の生えた手で、それを愛おしいもののように包み込む。
 八八ミリ砲の直撃で砕けた肩に優しく撫で付けると、肉塊は意思を持った存在のように肩の欠けた部位に貼り付き、融合を始めた。それまで千切れ落ちそうに見えた肩が、新しい肉片を与えられてたちまち復元してゆく。
 最後に肩に浮き出た血管から不気味な突起が脈を打ち、それが頭部に達すると真っ赤な単眼がぎらりと光った。融合し一体化した少女の意識が邪神騎の頭脳に宿ったのだ。緩慢にのたうっていた邪神騎が一転、蛇のような下半身をくねらせ敏捷に動き始める。
 対峙するティーガーは、異様な邪神騎を警戒しながら距離を詰めるべくゆっくりと前進を始めた。少年は這いずるようにして何とか車内へ乗り込み、ハッチが閉じられた。

(よかった。少なくともティーガーの中にいれば……)

 アリスティアはほっと胸を撫で下ろしたが、少女のおぞましい変貌と合体を目にして戦慄した後だけに、不安を拭い切れなかった。
 今まで出会ったチート勇者と違って、今度の敵は余りにも異質で不気味だった。恐ろしい力を秘めているように思える。
 そして、それは杞憂ではなかった。

「お待たせしました勇者様。それでは拙い技ですが、絢爛舞踏を始めさせていただきます……」

 意識と化した少女が「浮遊……」とつぶやくと、邪神騎の周囲に転がっていた巨岩が魔力によって次々と地面から引き抜かれ、空中に浮きあがった。

「投擲……」

 弾かれたように岩石が飛んで行く。ティーガーは急制動を掛けて回避しようとしたが、少女が「震盪刃しんとうは……」とつぶやくと、邪神騎がその半身をのけ反らせるようにして大きく振りかぶり、大鎌を横に薙ぎ払った。
 弦を弾くような音と共に、衝撃波が岩石を砕く。それらは散弾となってティーガーを襲った。砕けてドラム缶大になった硬い岩石が幾つもティーガーの正面装甲に叩きつけられ、さしもの王虎も重い車体を揺らしてよろめいた。

(ふふ、思った通りだわ……)

 魔法攻撃を一切受け付けないティーガーも物理的な影響までは無効に出来まい、と少女は踏んでいたのだ。
 ティーガーも反撃の砲火を再び浴びせようと砲身を向けるが、邪神騎はアリスティアのいる檻の後ろへ素早く下がってしまった。
 そうすると人質を突き出されたようなもので八八ミリ砲は沈黙するしかない。
 砲撃出来ないティーガーは焦れたように全速で走り出した。砲塔を右へ旋回しながら邪神騎の左へ左へと回り込み、王姫の檻を射線から外して邪神騎を捕捉しようと試みる。
 だが、邪神騎も檻を軸に左へ動き、攻撃するチャンスを与えない。両者の動きには大きな差があった。重装甲で鈍重なティーガーは不整地では全速でも二〇キロほどのスピードしか出ないのだ。機敏さでは到底及ばない。
 こうして、邪神騎はアリスティアや魔物達の囚われた檻を盾にした位置からティーガーへ次々と岩石を叩きつけてゆく。
 卑劣にして狡猾な戦い方だった。
 射線上から檻が外れたタイミングを見つけてはティーガーの八八ミリ砲も火を吹くが、移動しながら僅かな隙を狙った砲撃ではさすがに正確な照準など望めるはずもない。砲弾は邪神騎から離れた空間を虚しく通き抜けてゆくだけだった。

「ああ……」

 檻の中から戦況を見守るアリスティアと魔物達は、苦戦するティーガーを目の前にして泣き出さんばかりだった。
 自分達を人質にされているばかりに、鋼鉄の王虎は一方的に嬲られるような戦いを強いられているのである。分厚いティーガーの装甲も幾度も叩きつけられる打撃に傷つき、次第に歪み始めた。
 それでも魔物達を救い出す為、鋼鉄の王虎は一歩も後ろへ引かない。
 蘇生したばかりの弱り切った身体で、あの少年がティーガーの中でどれほどの苦痛に耐えているのか思うと、胸が張り裂けそうだった。

「撃って! 私達に構わず撃って!」

 思わずアリスティアは叫んだ。
 だが、ティーガーの八八ミリ砲は邪神騎への射線上に檻がある時は頑なに沈黙を守り、撃とうとしない。それをいいことに、邪神騎の攻撃はますます一方的で熾烈なものになってゆく。
 鎧われた装甲の中で痛めつけられ、それでもなお戦い続ける少年を同じように思い浮かべた邪神騎の中の少女は悪魔のような笑みを浮かべ、思わず舌なめずりした。

(足掻け……足掻け……それだけ楽しくなる)



 激しい打撃を受けたショックで、ティーガーのエンジンが息を切らせたように止まってしまった。力なくスターターが唸り、しばらくして喘ぐようにエンジンがかかる。

(このままではティーガーが……テツオが……!)

 血が滲みそうなくらい鉄格子を握りしめ、アリスティアはくるめく思いに慟哭し、苦悶した。
 愛する人が自分達の為に窮地に陥りながら、それでも阿修羅のように戦っている。なのに何の力にもなれないのだ。悔しくてならなかった。
 自分はこうして無力なまま泣くことしか出来ないのか、この燃え滾るような心を何か力に変えることが出来たなら!
 振り仰いだ空の彼方へ、彼女は訴えずにいられなかった。

(お願い……一度だけ、一度だけでいい。私の願いを……奇跡をここに!)

 そう思ったとき、ふいに――アリスティアの様子が変わった。
 嘔吐きにも似た震撼が喉元へ込み上げる。
 次の瞬間、その叫びは彼女自身も知らない言葉となって迸り出た。

「Hore meine Worte, oh Schopfer dieser Weltordnung!」
(この世界の理を司るものよ、我が言葉を聞け!)

 それはアリスティアの中に流れる高貴な血が呼び覚ました、未知の召喚魔法だった。
 チート勇者が神話の世界から魔獣や武器を召喚する際のいかなる詠唱とも異なる神秘の言語。炎立つような熱を帯び、その言葉はこの世界の創造者へ訴えかける。

「Sieh den Stolz der Tapferen, die die Schwachen beschutzen. Du musst ihm die Macht geben, das Bose zu vernichten!」
(弱者を守らんとする者の心を見よ。心あらば、邪悪を打ち砕く力を彼の者に与えよ!)

「Ich will keine machtige Kraft. Disziplinieren Sie diejenigen, die die Welt zerstoren und Frieden in dieser Welt suchen!」
(我は力のみの御業を求めず。ただ世界を滅ぼす者を戒め、この世界に平和をもたらす奇跡を欲す!)

「Ich hoffe, diese Welt wird mit Licht, Leben und Liebe erfullt sein」
(我らがこの世界に求むるは、光、生命、そして愛のみなり……)

 アリスティアが詠唱を叫び終えたとき、それまで薄雲を一つまみ置いただけの青空が一瞬にして夜のように暗転した。突如として日食が訪れたのだ。

 (これは一体……?)

 人智を越える超常現象を目の当たりにして、邪神騎を操る少女もさすがに驚愕した。顔色を失い、何が起きたのかと周囲を見回す。
 と、この世の終わりのような轟音が空気を震わせた。雷鳴と共に白熱した光が地表を覆い、巨大な落雷に大地が激しく震えた。
 何者かが、この異世界へ召喚されたのだ。
 衝撃でティーガーのエンジンは再び停止し、邪神騎もその巨体をどうと横ざまに倒した。

「Wir wollen mit Hoffnung in dieser Welt leben」
(生命に光の輝きを信じる世界にぞ、我等は帰依する……)

 アリスティアの唇から未知の詠唱を締めくくる言葉が紡がれる。
 召喚者となった彼女は、そこでようやく意識を取り戻した。

(私の中から未知の言葉が……今の魔法は一体?)

 魔族の王姫は、己の起こした奇跡が一体何だったのか理解出来ないまま、砲身を下げて沈黙しているティーガーを見つめて少年の身を案じた。
しおりを挟む
感想 58

あなたにおすすめの小説

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

鉄錆の女王機兵

荻原数馬
SF
戦車と一体化した四肢無き女王と、荒野に生きる鉄騎士の物語。 荒廃した世界。 暴走したDNA、ミュータントの跳梁跋扈する荒野。 恐るべき異形の化け物の前に、命は無残に散る。 ミュータントに攫われた少女は 闇の中で、赤く光る無数の目に囲まれ 絶望の中で食われ死ぬ定めにあった。 奇跡か、あるいはさらなる絶望の罠か。 死に場所を求めた男によって助け出されたが 美しき四肢は無残に食いちぎられた後である。 慈悲無き世界で二人に迫る、甘美なる死の誘惑。 その先に求めた生、災厄の箱に残ったものは 戦車と一体化し、戦い続ける宿命。 愛だけが、か細い未来を照らし出す。

勇者と魔王~2人で始める国創り~

黒猫庵
恋愛
高校1年の春、詩月 夜宵は異世界に召喚された。 …伝説の勇者として。 それから2年、魔王を討ち果たした夜宵は仲間に殺されてしまった。 魔王!私と復讐してくれない!? ノリの軽い創世の神に授けられた復活のスキルで、魔王と一緒に最強種族に転生☆ 人間、魔族、亜人に神々、世界中を巻き込んで、最強の元勇者と元魔王が人生やり直し! さあ、元々神々の住む島だったらしい魔王の領地の大改造をしようじゃないか! 復讐から始まる元勇者と元魔王の常識ガン無視の国作り、まぁ~ったりと始まります。 なろうでも連載中です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜

駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。 しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった─── そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。 前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける! 完結まで毎日投稿!

ブルー・クレセンツ・ノート

キクイチ
ファンタジー
創世記楽園創造系ダーク(?)ファンタジー。 生命は創世記から抜け出せず、暫定状態にある不安定な世界を生き続けている。 理不尽な世界に翻弄され続ける彼らは、何を想い、悩み、どんな選択をしてゆくのか?

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...