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第13話 空に歌、地には祈りを
24 別離の予感
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そして、少年が魔物達へ教えたのは歌だけではなかった。
ある晴れた日。
川を見つけ、一行がその傍で憩っていた時のことだった。
水を汲み、喉を潤していると、離れた場所でぱしゃんと水の撥ねる音がした。
「あっ、魚だ。魚がいるぞ!」
少年は顔を輝かせて「魚釣りをしよう!」と魔物達に呼びかけた。
「魚釣り?」
『歌』に続き、異世界の住人にとって未知の言葉が少年の口から飛び出した。
魔物達は顔を見合わせたが、その表情は困惑しながらも「何かまた素敵なことを教えてくれるのだろうか」と、どこかワクワクしている期待感が伺える。
それを知ってか知らずか、少年は「まぁ、釣りキチテツオの腕前を見ててくれよ!」と得意そうに胸を張った。
まず、丈夫な木の枝を用意して釣り竿にする。そこへ綻びた服の裾から縫い目がほどけかけた糸を取り、結び付けて釣り糸にした。浮き代わりの小枝を付け、更に錘代わりの小石も括り付ける。釣り針は自分の髪の毛を「し」の字に曲げた状態でメデューサ婆に睨んでもらい、硬化させて作った。
エサを探して平たい石で川岸の湿った土を掘る。するとミミズが出てきたので、少年は「異世界にもミミズがいるとはありがたいな」と、嬉しそうに釣り針へ刺した。かくして即席の釣り道具が完成した。
彼は早速、興味津々の魔物達が見守る中で釣り糸を水面に放つ。
しばらくは何も変わらなかったが、これから一体何が起きるのかと魔物達は少年の垂らした糸の先から目が離せない。
やがて、川の穏やかな流れの中に浮いていた小枝が突然ピクピクッと震えて沈んだ。一匹のドワーフが「あっ」と思わず声を上げ、少年が得たりとばかりに竿を上げると、釣り糸の先に小さな魚が付いている。
「よっしゃぁぁ!」
あらかじめ用意していたバケツに魚を入れると、感嘆する魔物達の視線を浴びた少年はガッツポーズをして「見たかい!」と言わんばかりに自慢気に振り返った。
「それが『釣り』というものなのか」
「そうだよ。楽しいよ」
「何か面白そうだな」
「これも魔法は使わないんだな。小さい罠みたいなものか」
興味津々といった様子で言い合う魔物達へ少年が呼びかけた。
「みんなで釣ろう。今晩は焼き魚だ。ご馳走だよ!」
少年の嬉しそうな声と好奇心に後押しされ、彼等は木の枝や棍棒などを釣り竿にして見よう見まねで同じように準備にかかる。少年は釣り竿へ糸を上手に付けられない者やウキや錘を括り付けられない者を手伝って回った。
やがて、にわか太公望が川縁にずらりと並び、不器用に釣り糸を垂らした。
彼等の端にはなんと王姫もいる。アリスティアは「自分も釣りがしたい」と、言い出したのだ。
もちろん、周囲は制止したのだが彼女は言うことを聞かず、少年も止めに入ったので「何よ、テツオまで私を仲間外れにして!」と泣きそうになり、そんな彼女の我儘に結局押し切られてしまったのだった。
「ごめんね、お婆ちゃん。僕が釣りだなんて言い出したもんだから……」
「いいえ、テツオ様は少しも悪うございませんよ。言うことを聞かない姫様がいけないんです」
困ったように謝る少年を宥めるように笑いかけたメデューサ婆は、嬉しそうに釣り糸を垂れる王姫を眺め、やれやれというようにため息をついた。
「でもまぁ、これくらいならお身体のご負担にはならないだろうし……」
メデューサ婆はブツブツと自分を納得させるように言うしかなかった。
しばらくすると魔物達の中から「釣れた!」「しまった、逃げられた!」「エサだけ食い逃げされちまった!」と、釣果を喜ぶ声やトラブルなど悲喜こもごもの声が上がり始めた。
魚を釣り針から外せない魔物も多く、あちこちから「テツオ、来てくれ!」「こっちも頼む!」と助けを乞う声が掛かる。少年は魔物達の間を回ってエサを付け直したり、釣り針を外したりと大忙しである。
「僕も釣りたいのに……」
ボヤいてる向こうで、今度はアリスティアが「テツオ、助けて! 針が髪に絡まっちゃったの!」と悲鳴を上げている。
少年は「……ああもう言わんこっちゃない」と頭を抱えた。
「だから止めときなよってあれほど言ったのに……」
「そんな意地悪言わないで! 髪が引っ張られて……お願い、早く早く!」
「はいはい……」
そんなこんなで大騒ぎの末、魔物達と少年は王姫の髪から絡まった糸をようやく解いて外すことが出来た。
だがメデューサ婆が「姫様、もうお止めなさいませ」と窘めても、アリスティアは「イヤよ。まだ一匹も釣れていないもの」と懲りもせず、再び糸を川面に垂らし始める。
肩をすくめた少年と呆れ顔のメデューサ婆は顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。
やがて、日が暮れる頃には魚籠代わりのバケツに入りきれないくらいの魚が釣れたのだった。
釣れた者も釣れなかった者も魔物達は魚釣りを心ゆくまで楽しんだが、彼等の世話に追われて自分の釣りがちっとも出来なかった少年は、ちょっぴり不満顔だった。
一匹も釣果のなかったアリスティアはもっと不満そうだった。しまいには明日もここで釣りをしたいと言い出し、メデューサ婆に「姫様、いい加減になさいまし!」と叱られてシュンとなってしまった。
だが、釣り竿をそのまま薪にして魚が焼かれ美味しそうな匂いが漂い出すと、そんな不満やいざこざなどどこかへ消えてしまい、嬉しそうな顔が焚き火の周りに並んだ。
「美味しそうだなぁ!」
木の枝を串にして焼かれた魚を前に、魔物達は思わず舌なめずりした。
一番美味しそうに焼けたものがアリスティアの前に置かれ、少年は「焼きたてが美味しいんだよ。冷めないうちに食べよう」と呼びかけた。
「いただきます!」
手を合わせるのももどかしく、ふうふう息を吹きかけて真っ先にかぶりついた彼は「アッチチチ!」と舌を火傷してしまい、魔物達の哄笑を誘った。続いて彼等も焼かれた魚を次々頬張り、舌鼓を打った。
焚火に照らされながら和やかな夕食が始まる。
「今日は楽しかったな!」「この先にも魚のいる川が見つかるといいな」と、魔物達は食べながら楽しそうに語らいあった。
アリスティアは、彼等の談笑している様子を微笑んで眺めていたが、魔物達の話を楽しそうに聞き入っている少年に目をとめると、ふと思った疑問を彼へ投げた。
「そういえばテツオはいつも食事のたびに『いただきます』って言うのね。それは何かのおまじないなの?」
「……いや、これは違うよ」
笑顔だった少年の表情に、敬虔めいたものが浮かんだ。
「『いただきます』って云うのは、この魚に対する感謝の言葉なんだ」
「感謝?」
少年は頷いた。
「この魚は僕達に殺された……そして、その肉を食べて僕達は今日を生きることが出来た。『いただきます』というのは、この魚に対して『あなたの生命を大切にいただきます』という意味なんだ」
僕達に殺された……という言葉にアリスティアはハッとなり、談笑していた魔物達も話を止めた。
彼等の顔から笑いが消える。幼い魔物の子供達も静かに少年の話へ聞き入った。
「そうね……私達はたくさんの生命を今日、奪ってしまったのだわ」
楽しい釣りは、また魚の生命を奪うことでもあったのだ。それを忘れ、はしたなくもはしゃいでしまったことを恥じたアリスティアは下を向いた。
王姫を慰めるように少年は「でも、食べなきゃ僕達は飢えるしかなかったんだよ。仕方がないんだ」と、応える。
「僕達は毎日、何かを食べなくちゃ生きていけない。今日こうやって食べた魚のおかげで生きることが出来た一日を、だから大切に生きなくちゃいけないんだ」
「……」
「それでこそ食べられた魚も許してくれると思うんだ。エサになったミミズもね。自分達の生命が誰かを生かすために立派に役立ったんだから。最後まできちんと食べて、いただいた生命に感謝しなくちゃいけない……僕のいた世界ではそう教わった」
「……」
「チート勇者みたいに相手を笑顔で『あー俺またやっちゃいましたぁ!』なんて殺したり、『死ね』って呪文ひとつで瞬殺して平然といられるなんて絶対間違っている。殺された生命だってそれまで生きていたんだ、死にたくなかったんだ。どんな生命だって大切なんだ。それを簡単に奪うなんて、笑うなんて、絶対にやっちゃいけないんだ」
思わず真剣に己の想いを語った少年は、シンとなって聞き入っている魔物達に気が付くと我に返った。
「ご、ごめん。何かお説教みたいなこと言っちゃって」と慌てて謝まり、小さくなる。王姫は笑顔で首を横に振った。
「いいえ、とても大切な話を聞かせてもらったわ」
枝に刺した食べかけの魚を静かに皿の上へ置いたアリスティアは、目をつぶって両手を合わせた。
「いただきます……」
ゴブリンやドワーフ、メデューサ婆、ドルイド爺、オーク……他の魔物達も同じように食べかけた魚を目の前に置くと「いただきます」と手を合わせた。
自分達の生命を繋いだ糧へ、感謝の祈りを捧げるために……
「今日から私達魔族も、食事の時はこうして感謝を忘れないようにしましょう」
アリスティアが告げると、魔物達は一様にうなずいた。
それは小さなことであったが、『生命を大切にする言葉』が異世界の一族の心に触れ、彼等の礼節のひとつとして新たに加わった瞬間だった。
「ごめんね。何だか湿っぽくなっちゃった」
少年が「ほら、冷めないうちに食べよう」と、きまり悪そうに言うと、魔物達も笑顔で再びそれぞれの焼魚を手にした。
「テツオは何でも知ってるのね」
アリスティアが感心したように話しかけると、少年は「僕、別にそんな物知りじゃないよ」と、困ったように笑う。
彼にとって褒められることや敬われることは不得手らしく、そんな場面ではいつも赤面したり不器用に誤魔化したりしていることを彼女は思い出した。
それでも言わずにいられなかった。
「歌に、釣りに、『いただきます』……私達の知らなかったことや気づいていなかったことばかりですもの」
「僕、この異世界とは違う世界から来たからね……」
「その世界でもテツオはよく歌ったり、釣りをしていたの?」
「うん」
少年は、少し陰のある笑みを浮かべた。
「歌うのも釣りも一人で出来る。僕は、親も友達もいなかったからね……」
「……」
思わず言葉を失った王姫を宥めるように彼は「あ、でもね」と続けた。
「寂しくなると僕、よく『こども食堂』に行ってたなぁ」
「こども食堂?」
「貧しくてご飯が食べられない人達や、親が仕事で一緒にご飯が食べられない子供がそこへ行けば、無料でご飯が食べられるんだ」
「まぁ」
「そこはラーメン屋の親父さんが一人でやっててね。よく手伝いに行ってたんだ。ラーメン屋も赤字なのに、やって来る人にいつも美味しいものをお腹いっぱい食べさせてくれる。いつも汚い前掛けをして中華鍋をグワーングワーンって鳴らす愉快なオッチャンでね。そこで学校の宿題をする子もいて、僕、なんちゃって家庭教師なんかもやってたなぁ」
少年の言う「ラーメン屋」や「家庭教師」が何のことか、赤字というのはどういう意味なのか、異世界の彼等はその言葉の大半が理解出来なかった。
それでも、これだけは分かったのだった。そこに心優しい人がいて、困った人や悲しい人へ手を差し伸べていたことを。少年がそれを助けていたことを。
「食材がいつも足りなくてね。僕、よく釣りに出掛けて魚をオッチャンのところへ届けてたんだ。だから釣りは慣れてるし得意なんだよ」
「……」
「そういえばこの異世界に来たのも、こども食堂の為にアルバイトしたお金を取られそうになったからなんだ」
アリスティアも魔物達も驚いて目を丸くした。少年がどうやってこのリアルリバーへ来たのか知りたいとは思っても、その辛い身の上を慮って彼等は聞かずにいた。それを、彼は初めて語ったのだ。
「取りかえそうとして道路に突き飛ばされた時、ダンプが目に入った。そして、気がついたらこの異世界にいたんだ」
「……そうだったの」
アリスティアは少年に気づかれないよう、俯いてそっと涙を拭った。
(テツオ……)
森の中で初めて出会ってから焚き火に照らされたこの夜まで、彼女は彼の様々なことを知ってきた。
高貴な血を受け継ぐ身であることを忘れたことはなかったが、アリスティアは、少年のことを知るたびに、次第に惹かれてゆく己を抑えることが出来なくなっていた。
今では、もうその悲しい生い立ちも、勇気も、怒りも、優しさも、どこか子供っぽいところも情けないところも、彼の何もかもが愛しく思える。
(テツオ。わたし……)
……想いが溢れ出しそうになった。
(このまま私達魔族の一員になってくれませんか? ずっと一緒にいて欲しいの。ティーガーと共に……)
(わたし、あなたのことを……)
彼女は思わず、ずっと胸に秘めていたその想いを少年に告げてしまいそうになった。
だが。
少年のつぶやきが耳に入ったとき彼女はハッとなり、それを言葉にすることが出来なかった。
「そうだ、こども食堂のオッチャンや子供たち……みんなきっと待ってる。僕、帰らなくちゃ……」
ある晴れた日。
川を見つけ、一行がその傍で憩っていた時のことだった。
水を汲み、喉を潤していると、離れた場所でぱしゃんと水の撥ねる音がした。
「あっ、魚だ。魚がいるぞ!」
少年は顔を輝かせて「魚釣りをしよう!」と魔物達に呼びかけた。
「魚釣り?」
『歌』に続き、異世界の住人にとって未知の言葉が少年の口から飛び出した。
魔物達は顔を見合わせたが、その表情は困惑しながらも「何かまた素敵なことを教えてくれるのだろうか」と、どこかワクワクしている期待感が伺える。
それを知ってか知らずか、少年は「まぁ、釣りキチテツオの腕前を見ててくれよ!」と得意そうに胸を張った。
まず、丈夫な木の枝を用意して釣り竿にする。そこへ綻びた服の裾から縫い目がほどけかけた糸を取り、結び付けて釣り糸にした。浮き代わりの小枝を付け、更に錘代わりの小石も括り付ける。釣り針は自分の髪の毛を「し」の字に曲げた状態でメデューサ婆に睨んでもらい、硬化させて作った。
エサを探して平たい石で川岸の湿った土を掘る。するとミミズが出てきたので、少年は「異世界にもミミズがいるとはありがたいな」と、嬉しそうに釣り針へ刺した。かくして即席の釣り道具が完成した。
彼は早速、興味津々の魔物達が見守る中で釣り糸を水面に放つ。
しばらくは何も変わらなかったが、これから一体何が起きるのかと魔物達は少年の垂らした糸の先から目が離せない。
やがて、川の穏やかな流れの中に浮いていた小枝が突然ピクピクッと震えて沈んだ。一匹のドワーフが「あっ」と思わず声を上げ、少年が得たりとばかりに竿を上げると、釣り糸の先に小さな魚が付いている。
「よっしゃぁぁ!」
あらかじめ用意していたバケツに魚を入れると、感嘆する魔物達の視線を浴びた少年はガッツポーズをして「見たかい!」と言わんばかりに自慢気に振り返った。
「それが『釣り』というものなのか」
「そうだよ。楽しいよ」
「何か面白そうだな」
「これも魔法は使わないんだな。小さい罠みたいなものか」
興味津々といった様子で言い合う魔物達へ少年が呼びかけた。
「みんなで釣ろう。今晩は焼き魚だ。ご馳走だよ!」
少年の嬉しそうな声と好奇心に後押しされ、彼等は木の枝や棍棒などを釣り竿にして見よう見まねで同じように準備にかかる。少年は釣り竿へ糸を上手に付けられない者やウキや錘を括り付けられない者を手伝って回った。
やがて、にわか太公望が川縁にずらりと並び、不器用に釣り糸を垂らした。
彼等の端にはなんと王姫もいる。アリスティアは「自分も釣りがしたい」と、言い出したのだ。
もちろん、周囲は制止したのだが彼女は言うことを聞かず、少年も止めに入ったので「何よ、テツオまで私を仲間外れにして!」と泣きそうになり、そんな彼女の我儘に結局押し切られてしまったのだった。
「ごめんね、お婆ちゃん。僕が釣りだなんて言い出したもんだから……」
「いいえ、テツオ様は少しも悪うございませんよ。言うことを聞かない姫様がいけないんです」
困ったように謝る少年を宥めるように笑いかけたメデューサ婆は、嬉しそうに釣り糸を垂れる王姫を眺め、やれやれというようにため息をついた。
「でもまぁ、これくらいならお身体のご負担にはならないだろうし……」
メデューサ婆はブツブツと自分を納得させるように言うしかなかった。
しばらくすると魔物達の中から「釣れた!」「しまった、逃げられた!」「エサだけ食い逃げされちまった!」と、釣果を喜ぶ声やトラブルなど悲喜こもごもの声が上がり始めた。
魚を釣り針から外せない魔物も多く、あちこちから「テツオ、来てくれ!」「こっちも頼む!」と助けを乞う声が掛かる。少年は魔物達の間を回ってエサを付け直したり、釣り針を外したりと大忙しである。
「僕も釣りたいのに……」
ボヤいてる向こうで、今度はアリスティアが「テツオ、助けて! 針が髪に絡まっちゃったの!」と悲鳴を上げている。
少年は「……ああもう言わんこっちゃない」と頭を抱えた。
「だから止めときなよってあれほど言ったのに……」
「そんな意地悪言わないで! 髪が引っ張られて……お願い、早く早く!」
「はいはい……」
そんなこんなで大騒ぎの末、魔物達と少年は王姫の髪から絡まった糸をようやく解いて外すことが出来た。
だがメデューサ婆が「姫様、もうお止めなさいませ」と窘めても、アリスティアは「イヤよ。まだ一匹も釣れていないもの」と懲りもせず、再び糸を川面に垂らし始める。
肩をすくめた少年と呆れ顔のメデューサ婆は顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。
やがて、日が暮れる頃には魚籠代わりのバケツに入りきれないくらいの魚が釣れたのだった。
釣れた者も釣れなかった者も魔物達は魚釣りを心ゆくまで楽しんだが、彼等の世話に追われて自分の釣りがちっとも出来なかった少年は、ちょっぴり不満顔だった。
一匹も釣果のなかったアリスティアはもっと不満そうだった。しまいには明日もここで釣りをしたいと言い出し、メデューサ婆に「姫様、いい加減になさいまし!」と叱られてシュンとなってしまった。
だが、釣り竿をそのまま薪にして魚が焼かれ美味しそうな匂いが漂い出すと、そんな不満やいざこざなどどこかへ消えてしまい、嬉しそうな顔が焚き火の周りに並んだ。
「美味しそうだなぁ!」
木の枝を串にして焼かれた魚を前に、魔物達は思わず舌なめずりした。
一番美味しそうに焼けたものがアリスティアの前に置かれ、少年は「焼きたてが美味しいんだよ。冷めないうちに食べよう」と呼びかけた。
「いただきます!」
手を合わせるのももどかしく、ふうふう息を吹きかけて真っ先にかぶりついた彼は「アッチチチ!」と舌を火傷してしまい、魔物達の哄笑を誘った。続いて彼等も焼かれた魚を次々頬張り、舌鼓を打った。
焚火に照らされながら和やかな夕食が始まる。
「今日は楽しかったな!」「この先にも魚のいる川が見つかるといいな」と、魔物達は食べながら楽しそうに語らいあった。
アリスティアは、彼等の談笑している様子を微笑んで眺めていたが、魔物達の話を楽しそうに聞き入っている少年に目をとめると、ふと思った疑問を彼へ投げた。
「そういえばテツオはいつも食事のたびに『いただきます』って言うのね。それは何かのおまじないなの?」
「……いや、これは違うよ」
笑顔だった少年の表情に、敬虔めいたものが浮かんだ。
「『いただきます』って云うのは、この魚に対する感謝の言葉なんだ」
「感謝?」
少年は頷いた。
「この魚は僕達に殺された……そして、その肉を食べて僕達は今日を生きることが出来た。『いただきます』というのは、この魚に対して『あなたの生命を大切にいただきます』という意味なんだ」
僕達に殺された……という言葉にアリスティアはハッとなり、談笑していた魔物達も話を止めた。
彼等の顔から笑いが消える。幼い魔物の子供達も静かに少年の話へ聞き入った。
「そうね……私達はたくさんの生命を今日、奪ってしまったのだわ」
楽しい釣りは、また魚の生命を奪うことでもあったのだ。それを忘れ、はしたなくもはしゃいでしまったことを恥じたアリスティアは下を向いた。
王姫を慰めるように少年は「でも、食べなきゃ僕達は飢えるしかなかったんだよ。仕方がないんだ」と、応える。
「僕達は毎日、何かを食べなくちゃ生きていけない。今日こうやって食べた魚のおかげで生きることが出来た一日を、だから大切に生きなくちゃいけないんだ」
「……」
「それでこそ食べられた魚も許してくれると思うんだ。エサになったミミズもね。自分達の生命が誰かを生かすために立派に役立ったんだから。最後まできちんと食べて、いただいた生命に感謝しなくちゃいけない……僕のいた世界ではそう教わった」
「……」
「チート勇者みたいに相手を笑顔で『あー俺またやっちゃいましたぁ!』なんて殺したり、『死ね』って呪文ひとつで瞬殺して平然といられるなんて絶対間違っている。殺された生命だってそれまで生きていたんだ、死にたくなかったんだ。どんな生命だって大切なんだ。それを簡単に奪うなんて、笑うなんて、絶対にやっちゃいけないんだ」
思わず真剣に己の想いを語った少年は、シンとなって聞き入っている魔物達に気が付くと我に返った。
「ご、ごめん。何かお説教みたいなこと言っちゃって」と慌てて謝まり、小さくなる。王姫は笑顔で首を横に振った。
「いいえ、とても大切な話を聞かせてもらったわ」
枝に刺した食べかけの魚を静かに皿の上へ置いたアリスティアは、目をつぶって両手を合わせた。
「いただきます……」
ゴブリンやドワーフ、メデューサ婆、ドルイド爺、オーク……他の魔物達も同じように食べかけた魚を目の前に置くと「いただきます」と手を合わせた。
自分達の生命を繋いだ糧へ、感謝の祈りを捧げるために……
「今日から私達魔族も、食事の時はこうして感謝を忘れないようにしましょう」
アリスティアが告げると、魔物達は一様にうなずいた。
それは小さなことであったが、『生命を大切にする言葉』が異世界の一族の心に触れ、彼等の礼節のひとつとして新たに加わった瞬間だった。
「ごめんね。何だか湿っぽくなっちゃった」
少年が「ほら、冷めないうちに食べよう」と、きまり悪そうに言うと、魔物達も笑顔で再びそれぞれの焼魚を手にした。
「テツオは何でも知ってるのね」
アリスティアが感心したように話しかけると、少年は「僕、別にそんな物知りじゃないよ」と、困ったように笑う。
彼にとって褒められることや敬われることは不得手らしく、そんな場面ではいつも赤面したり不器用に誤魔化したりしていることを彼女は思い出した。
それでも言わずにいられなかった。
「歌に、釣りに、『いただきます』……私達の知らなかったことや気づいていなかったことばかりですもの」
「僕、この異世界とは違う世界から来たからね……」
「その世界でもテツオはよく歌ったり、釣りをしていたの?」
「うん」
少年は、少し陰のある笑みを浮かべた。
「歌うのも釣りも一人で出来る。僕は、親も友達もいなかったからね……」
「……」
思わず言葉を失った王姫を宥めるように彼は「あ、でもね」と続けた。
「寂しくなると僕、よく『こども食堂』に行ってたなぁ」
「こども食堂?」
「貧しくてご飯が食べられない人達や、親が仕事で一緒にご飯が食べられない子供がそこへ行けば、無料でご飯が食べられるんだ」
「まぁ」
「そこはラーメン屋の親父さんが一人でやっててね。よく手伝いに行ってたんだ。ラーメン屋も赤字なのに、やって来る人にいつも美味しいものをお腹いっぱい食べさせてくれる。いつも汚い前掛けをして中華鍋をグワーングワーンって鳴らす愉快なオッチャンでね。そこで学校の宿題をする子もいて、僕、なんちゃって家庭教師なんかもやってたなぁ」
少年の言う「ラーメン屋」や「家庭教師」が何のことか、赤字というのはどういう意味なのか、異世界の彼等はその言葉の大半が理解出来なかった。
それでも、これだけは分かったのだった。そこに心優しい人がいて、困った人や悲しい人へ手を差し伸べていたことを。少年がそれを助けていたことを。
「食材がいつも足りなくてね。僕、よく釣りに出掛けて魚をオッチャンのところへ届けてたんだ。だから釣りは慣れてるし得意なんだよ」
「……」
「そういえばこの異世界に来たのも、こども食堂の為にアルバイトしたお金を取られそうになったからなんだ」
アリスティアも魔物達も驚いて目を丸くした。少年がどうやってこのリアルリバーへ来たのか知りたいとは思っても、その辛い身の上を慮って彼等は聞かずにいた。それを、彼は初めて語ったのだ。
「取りかえそうとして道路に突き飛ばされた時、ダンプが目に入った。そして、気がついたらこの異世界にいたんだ」
「……そうだったの」
アリスティアは少年に気づかれないよう、俯いてそっと涙を拭った。
(テツオ……)
森の中で初めて出会ってから焚き火に照らされたこの夜まで、彼女は彼の様々なことを知ってきた。
高貴な血を受け継ぐ身であることを忘れたことはなかったが、アリスティアは、少年のことを知るたびに、次第に惹かれてゆく己を抑えることが出来なくなっていた。
今では、もうその悲しい生い立ちも、勇気も、怒りも、優しさも、どこか子供っぽいところも情けないところも、彼の何もかもが愛しく思える。
(テツオ。わたし……)
……想いが溢れ出しそうになった。
(このまま私達魔族の一員になってくれませんか? ずっと一緒にいて欲しいの。ティーガーと共に……)
(わたし、あなたのことを……)
彼女は思わず、ずっと胸に秘めていたその想いを少年に告げてしまいそうになった。
だが。
少年のつぶやきが耳に入ったとき彼女はハッとなり、それを言葉にすることが出来なかった。
「そうだ、こども食堂のオッチャンや子供たち……みんなきっと待ってる。僕、帰らなくちゃ……」
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