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第12話 闇に魅入られた少女

22 闇からの呼び声

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 自嘲の言葉を突然断ち切り、甲高い叫び声がこだました。

「な、なんだよ。一体どうし……」
「見つけた。とうとう見つけたわ!」

 驚いて顔を上げると、見下ろす少女の顔に哀しみを滲ませた微笑みが浮かんでいる。それまでずっと感情も凍り付き人形のように無表情だった少女が、それではこんな表情も出来たのだ。

「見つけたって……それはどういう……」
「私、あなたにまだ名前も名乗っていませんでしたわね」

見上げるリュードの前で少女はドレスの裾を摘み、優雅に一礼した。

「私、本物河ほんものかわ沙遊璃さゆりと申します」

 大きな瞳に長い睫毛。アンティークドール風のドレスにツインテールの髪が似合っていたが、闇に染まりかけたその赤い瞳の中に悪魔を一匹飼っている。
 魔族の王姫アリスティアにも引けを取らない美しい容姿をしていたが、それは何か醜い感情と哀しみが溶け合って咲いた地獄の花とでもいうような妖しさを湛えていた。

「貴方はどこにも居場所がなかったけど、私は少しだけ違うの。居場所を失ってここへ堕ちてきた。何故って……」

 急に少女は言いよどんだ。
 そして自分の腕をそろそろと捲り、まるで己の秘部でも見せるように恥ずかしげに俯いてリュードへ差し出した。
 まるでサメのエラのようにリストカットした傷跡が並んでいる。手首に近い、一番新しい傷が最も大きく、ザクロのように切り裂かれていた。

「これは……」
「私が居場所を失った証。パパとママが喧嘩する度に切ったの。そうすれば二人とも私を心配してくれたから」

 リュードが初めて知った、少女の生い立ちだった。

「冷たい家の中が怖かった。パパもママも離婚したら自分についてきてって勝手なことを言っていた。選べるわけない。どっちがいなくなっても私の居場所はなくなる。必死だった。だけど、お願い仲良くしてってどんなに泣いても駄目だった。明日にも離婚しそうで、私にはもうこれしかなかった。でも……」

 鼻をすすり上げる音と共に、裂けた傷口の上に涙の粒が落ち、はじけて散った。

「しまいには切っても、ああまたか……って単なる私の我儘にされてしまった。そして離婚届をダイニングテーブルの上で見たあの日、とうとう私の居場所がなくなってしまうことを知った。だったら、いっそ……」

 息を呑んだリュードの前で、少女は掠れた声で「最後の賭けだったの……」と、つぶやいた。

「でも、いっぱい血が出てくる、すぐ来て、助けてってスマホから叫んでもパパもママも、最初に手を切った時みたいにもう来てくれなかった。私は……私は……」

 驚かさないように、泣きじゃくる少女の肩をそっと抱いたリュードが「そうか、お前さん、そんな辛い経緯でここへ来ちまったんだな」と言うと、少女は彼に縋りついてわっと泣き出した。
 彼は、少女が何故ずっと無表情のままでいたのか、ようやく理解出来た。
 居場所を無くし、絶望した彼女の目には、魔王城での乱痴気騒ぎや正義の味方を気取った勇者の浅ましい振る舞い……何もかもがくだらないものにしか見えなかったのだろう。
 そして、同じように居場所を失い、虚しさを知った自分を理解者としてようやく見出したのだ。

「お願いがあるの。リュード、絶対にうんと言って。お願い」
「何のお願いかわからないのに言わされるのかい」
「笑わないで、殺すわよ」
「おお怖ええ」

 リュードはまた笑ったが、それは暗く沈んだ笑いだった。

「オレももう何もないんだ。何でもうんと言ってやるよ」
「ありがとう」

 何もかも失った同士で交わそうと彼女が云ったのは……

「一緒に、この異世界を滅ぼして」

 それは、約束というべきものではなく、悪魔の契約だった。
 恐ろしいことを告げた死神とは思えない天使の微笑みを浮べると、少女はリュードの唇にそっと自分の唇を重ねた。
 それが契約の証だとでもいうように。
 あたかもそれまでリュードが一人でボソボソとつぶやき、少女が黙って聞いていた立場が入れ替わったとでもいうように、リュードは沈黙を守り、少女が歌うように語りだした。

「私はずっと、居場所を失って絶望した人を探していたの。操者となる私の“苗床”として」

 少女は、リュードが呆れたか怖じ気づいていないかとその表情を伺ったが、彼は穏やかな顔で少女を見返し、黙って続きを促している。

「さっき言ったわね。『あっちでもこっちでも追い出された奴は、じゃあ一体どこへ行ったらいいんだ?』……そう、居場所すら与えられなかったのよ、貴方は。それが憎いとは思わないの?」
「憎い?」
「普通に人と接することが出来ない不器用な貴方を世の中は弾き出し、この異世界でも貴方を理解し受け入れてはくれなかった。それならいっそ……ねえ、言いかけてたでしょう? 滅ぼしてしまいたい、滅茶苦茶にしてしまいたいって……私と同じ言葉を」
「……」
「きっと、私はもう元の世界には還れない。パパとママが今さらどんなに嘆いてももう遅いのよ。それと同じ苦しみを、この異世界の奴等に味わせてやりたいの」

 悲しみに打ちひしがれ、虚無に魅入られた少女の声色に、次第に狂気に近いものが混じり始めた。

「この異世界の人間の国から魔物達の脅威は消えて、人は勇者を見捨ててしまった。魔物達を捕らえて、そんな彼等をもう一度襲わせるの。見捨てた勇者はもういない。後悔してももう取り返しはつかないわ。そうやって見捨てられた者の哀しみを、呪いを思い知らせて、滅ぼしてやるの」
「本物河……」
「沙遊璃って呼んで」

 狂ったような顔が、ふっと寂しげに微笑んだ。少女は顔を傾け、リュードの視線を促す。
 何かと促された先にある彼女の影は、可憐なシルエットを映してなどいなかった。
 長く伸びたそれは……異様で不気味な「何か」を映していた。

「分かった? 憎しみに囚われて、歪んでしまって、本当の私はこんな醜くて恐ろしいものになってしまった」
「……」
「怖い?」

 それは闇へ引き摺り込む悪魔の呼び声というよりも、一人で闇へ呑み込まれる恐怖に耐えられないからずっと手をつないでいて欲しいとでもいうような……拒絶を恐れる哀願の響きに思えて、リュードは首を横に振った。

「でも、最後にひとつだけ」
「いいわ。何でも。なんなりと」
「ひとりだってこの世界を滅ぼすことは出来るんだろう? じゃあ、オレを待っていたのは?」
「言わせないでよ……さびしかったからって、ひとりぼっちが嫌だったって……」

 悲しそうに微笑むと、少女はリュードにそっと抱きついた。
 その華奢な身体から瘴気が噴き出し、ドレスを溶かして彼女の姿はドロドロに崩れ始めた。そのまま少女はリュードの身体に絡みついてゆく。
 だが、彼は抵抗しなかった。どうせこの先には何の希望もなかったのだから。
 焼けつくような熱さを覚悟したが、痛みはまったくなかった。むしろ、自分の身体が何か軽くなり、そのまま透き通ってゆくような快い感覚がした。
 彼女の哀しみと憎しみに、リュードの意識は次第に同化してゆく。

「たった一人で世界を憎むなんて、滅ぼすなんて、さびしすぎる。あなたもずっとひとりぼっちだった。さびしくなかった?」
「ああ」
「ふふ……もう、そんな強がりなんて無意味だから。私たち、さびしい者同士だったのね。だけど、これで……」

 照れたように笑ったリュードを愛おしく思った少女は、その顔が溶けて崩れる前にもう一度リュードに唇を重ねた。
 そして、歪んで溶け落ちたおぞましい顔から悪魔を呼ぶ呪文が唱えられる。

「居場所すら許されず見捨てられたあなたの……家族の絆を求めながら断ち切られたわたしの……哀しみを、憎しみを、思い知るがいいわ。恩義など忘れながら危機が迫れば助けてと得手勝手にほざくがいい、人間達よ、この異世界に生きとし生けるものよ……」

 呪詛にも似た言葉と共に、ドロドロに溶け合った二人は歪み、何かの形へと膨らんでゆく。

「闇より目覚めよと呼ぶ声あり、この異世界を滅ぼす為に。さあ、我が化身よ。ここに……この地に……」

 やがて、もうもうと立ち込める瘴気の中から悲鳴のような生誕の雄叫びを上げ、禍々しい巨大な「何か」が姿を現し始めた……
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