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第11話 少年は勇者と呼ばれる
20 鋼鉄の王虎を駆る勇者
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その凛とした声には、呼んだ者へ有無を言わせぬ響きがあった。
魔物達が動きを止め何ごとかと見守る中を、少年は驚きと困惑の顔でおずおずと進み出た。ドレスを新調したアリスティアの美しさが眩しくて直視出来ない上、何故呼びつけられたのか見当もつかない。
もじもじしながら少年は王姫の前に出た。自分をみつめる王姫の瞳が、密かに熱を帯びて優しく潤んでいることなど知る由もない。
蛇髪の老婆は、彼の困惑や狼狽など素知らぬ顔で丁寧に会釈した。
「テツオ様。アリスティア様が、貴方にぜひお礼を差し上げたいと申しています」
「えっ?」
そんな予定など露知らぬアリスティアは驚いて傍らのメデューサ婆を見たが、老婆はすました顔で続ける。
「我らリアルリバーの魔族の窮地、王姫アリスティア様の御生命を、貴方様は幾度となく救って下さいました。どんな感謝しても感謝し切れません。どうかこれをご拝領下さい。アリスティア様からのお気持ちでございます」
そう言って取り出したのは、折り畳んだ白いマントだった。
アリスティアのドレスと同じ、ヤマンバの錦で仕立てられたマントである。それまで少年が身につけていた薄汚れたマントとは比べ物にならない立派なもので、アリスティアのドレスと同じように金の糸で縁取られていた。
(私のドレスとお揃い……)
同じ生地のドレスとマントをそれぞれ身につけることに、嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、アリスティアの頬に赤みが差した。
メデューサ婆からマントを手渡されたアリスティアは、少年の肩に付けてあげようとしたが手が震えてしまった。そのうえ彼の方が背の高いので上手く掛けられない。
「テツオ……膝をついてくれる?」
「う、うん……」
付け終わり、立ち上がった少年にマントはよく似合っていた。
貧しげな身なりだった少年は叙勲を受けた騎士のようになり、見守る魔物達からも感嘆の声が漏れた。
「……そのマントはね、お婆ちゃんが一生懸命作ってくれたの。どうか大切に着て下さい」
「そうか。お婆ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
嬉しそうに笑った後、少年は真顔で静かに頭を下げる。メデューサ婆はその誠実さに思わず破顔した。
少年は振り返ると魔族達へ手をあげた。
「みんな。さあ、出発の準備だ!」
「おおー!」
歓声をあげ、魔物達が動き出す。
その時、風がマントがなびかせ、少年は風の向こうを見た。
風は西からだった。この風の向こうには何が待っているのだろう。
彼の感慨をよそに、魔物達は勇んで次々とトロッコへ乗り込んでゆく。
ティーガーのエンジンを始動させた少年は、キャタピラ周りを念入りに点検した。ドワーフにキャタピラを押してもらい、キャタピラを止めるピンが緩んでいないか一本一本、丹念に確かめる。問題はなさそうだった。
砲塔へよじ登ろうとしていると、何やら諍いのような声が後ろから聞こえてきた。
何だろうと振り返ると、アリスティアが周囲の魔物達の静止を振り切ってティーガーへ走り寄って来るところだった。
車体の側面から彼へ向かって何やら懸命に呼びかけている。
「……!」
「アリスティア、どうしたの?」
少年は慌てて降り立った。
「大丈夫だよ。この間は酷い目に遭ったけど、トロッコはあれから改良して乗り心地が凄く良くなっているよ。何度もテストしたから安心してくれ。安楽椅子も作ったんだ。凄く快適だよ」
アリスティアは首を振った。
「私をティーガーに乗せて下さい」
「えっ、でもティーガーに乗ったら疲れるよ。体調とか考えたら乗り心地のいいトロッコの方が……」
「いいえ、ティーガーに乗りたいの」
「トロッコに乗るのが怖い?」
「違うわ。でも今日だけでいいから……」
「困ったな」
「我儘を言ってごめんなさい。でもお願い」
予想外の我儘に困惑した少年は、王姫の心の内など知る由もない。
アリスティアはちょっと黙り込んだが、ふいに顔を上げると真っ直ぐに少年を見つめて言った。
「わたし、テツオの傍にいたいの」
応えはなかった。その言葉に異邦人の少年は何を思ったのだろうか。
アリスティアは彼の表情を懸命に探ろうとしたが、それは傾きだした陽の逆光に隠れて伺うことが出来なかった。
「おーい、みんな手伝ってくれ! トロッコの安楽椅子をティーガーに乗せるから」
そう言って魔物達のところへ駆け出した少年は、ドワーフやオーク達に担ぎ上げられた安楽椅子と共に戻ってきた。椅子はティーガーの機銃手ハッチの上に乗せられ、丈夫な蔦紐で留めつけられる。
「多少は椅子が吸収してくれるだろうけど、振動が少ないように低速でいこう」
少年がつぶやくと、ゴブリンが「テツオ、アリスティア様をよろしく頼む」と声を掛けた。
「うん。みんなもトロッコへ乗ってくれ。出発するよ」
「わかった。それとアリスティア様、疲れたら少しでも無理しないで休憩するよう命じて下さい。いいですね、我慢したら絶対駄目ですよ」
「わかったわ。必ずそうします。ありがとう……」
アリスティアは、トコッロへ戻ってゆくゴブリンを見送ると、西の方角を見つめていた少年のマントをくいくいと引っ張った。
「……我儘言って、ごめんなさい」
彼女の申し訳なさそうな表情に、少年はその顔を優しく解いて笑った。
「別にいいよ、これくらい」
怒ってはいないだろうかと不安気だったアリスティアの顔はぱっと綻び、そのままはにかんでしまった。後方のトロッコから自分を見つめる魔族達へ向かって出立の合図……西を指し示そうとする。
だが、立ち眩みを起こして思わずふらついてしまった。
魔物達が思わず「危ない!」と、腰を浮かせたが、背後から少年が慌ててアリスティアを抱きとめた。
金木犀のような香りがふわりとして、抱き留めた手から彼女の温もりが伝わってくる。少年は自分も眩暈を起こしそうになってしまった。
「西へ……」
本当はあるはずのない楽園へ向かって。
ためらうように西を指さすと、続いて少年が高々と上げた右手を振り下ろした。
「戦車前へ!」
轟くようなエンジン音を伴奏に、ティーガーは再び「ゴウンッ――」と、鉄のキャタピラを軋ませ、ゆっくりと動き始めた。
巨大な起動輪がキャタピラを一枚、また一枚とゆっくり噛み込み、放してゆく。ティーガーが進み始めると、連結したワイヤーに引っ張られてトロッコもゴロゴロと動き出した。
再び、遥かなる旅が始まる。
トロッコの荷台はキシキシと音を立てて軽く揺れる。心臓まで震えるようなティーガーの振動に比べれば、揺りかごのような快い乗り心地だった。
どこか旅行でも楽しむような気持ちを抑えられず、魔物達は移りゆく周囲の景色を何度も見回し、飽かず眺めた。
とはいっても森の外は殺風景な荒野だった。荒れ果てた大地が果てしなく続いているばかり。
それでも……異邦人の少年と鋼鉄の神獣が再び加わったことで、どこか不安で重苦しかった旅路が明るく変わったことを誰もが感じていた。
陽は既に大きく傾いていた。トロッコに乗った魔物達は後ろを向き、遠く小さく離れてゆく森をじっと見やった。
「おい、あれを見ろ……」
ふいに脇をつつかれたゴブリンが、何かと振り向いて前を見る。
ティーガーの巨大な砲塔に身を置いた少年が沈みゆく夕陽の方角、西を見つめていた。再び前進を開始した戦車の上に、彼はやっと身の置きどころを得たという感じである。
彼に寄り添うようにして、アリスティアも同じ方角を眺めていた。
雲間から差し込む光が希望を求めて再び旅立った一行を照らし出す。魔物達は思わず立ち上がり、残照を全身に浴びた。
異世界の日輪は、空の一端に平和な残照を放ちながら次第に没しようとしている。
トロッコから見る彼等の目に、そのとき鋼鉄の王虎と少年と王姫が、まるで創世の神話の一場面を描いた絵のように映った。
「……」
魔物達は、荘厳なまでの異様な感動に声もなく呪縛されていた。
思わず息をのんだ彼等の一匹が、風にマントを翻し王姫を護るように雄々しく行く手を見る少年の姿を見て、つぶやいた。
「勇者……鋼鉄の王虎を駆る勇者……」
やがて彼等の視界に、鋼鉄の王虎の後ろ姿が茜空を背に浮き上がるパノラマとなった。
魔物達が動きを止め何ごとかと見守る中を、少年は驚きと困惑の顔でおずおずと進み出た。ドレスを新調したアリスティアの美しさが眩しくて直視出来ない上、何故呼びつけられたのか見当もつかない。
もじもじしながら少年は王姫の前に出た。自分をみつめる王姫の瞳が、密かに熱を帯びて優しく潤んでいることなど知る由もない。
蛇髪の老婆は、彼の困惑や狼狽など素知らぬ顔で丁寧に会釈した。
「テツオ様。アリスティア様が、貴方にぜひお礼を差し上げたいと申しています」
「えっ?」
そんな予定など露知らぬアリスティアは驚いて傍らのメデューサ婆を見たが、老婆はすました顔で続ける。
「我らリアルリバーの魔族の窮地、王姫アリスティア様の御生命を、貴方様は幾度となく救って下さいました。どんな感謝しても感謝し切れません。どうかこれをご拝領下さい。アリスティア様からのお気持ちでございます」
そう言って取り出したのは、折り畳んだ白いマントだった。
アリスティアのドレスと同じ、ヤマンバの錦で仕立てられたマントである。それまで少年が身につけていた薄汚れたマントとは比べ物にならない立派なもので、アリスティアのドレスと同じように金の糸で縁取られていた。
(私のドレスとお揃い……)
同じ生地のドレスとマントをそれぞれ身につけることに、嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、アリスティアの頬に赤みが差した。
メデューサ婆からマントを手渡されたアリスティアは、少年の肩に付けてあげようとしたが手が震えてしまった。そのうえ彼の方が背の高いので上手く掛けられない。
「テツオ……膝をついてくれる?」
「う、うん……」
付け終わり、立ち上がった少年にマントはよく似合っていた。
貧しげな身なりだった少年は叙勲を受けた騎士のようになり、見守る魔物達からも感嘆の声が漏れた。
「……そのマントはね、お婆ちゃんが一生懸命作ってくれたの。どうか大切に着て下さい」
「そうか。お婆ちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
嬉しそうに笑った後、少年は真顔で静かに頭を下げる。メデューサ婆はその誠実さに思わず破顔した。
少年は振り返ると魔族達へ手をあげた。
「みんな。さあ、出発の準備だ!」
「おおー!」
歓声をあげ、魔物達が動き出す。
その時、風がマントがなびかせ、少年は風の向こうを見た。
風は西からだった。この風の向こうには何が待っているのだろう。
彼の感慨をよそに、魔物達は勇んで次々とトロッコへ乗り込んでゆく。
ティーガーのエンジンを始動させた少年は、キャタピラ周りを念入りに点検した。ドワーフにキャタピラを押してもらい、キャタピラを止めるピンが緩んでいないか一本一本、丹念に確かめる。問題はなさそうだった。
砲塔へよじ登ろうとしていると、何やら諍いのような声が後ろから聞こえてきた。
何だろうと振り返ると、アリスティアが周囲の魔物達の静止を振り切ってティーガーへ走り寄って来るところだった。
車体の側面から彼へ向かって何やら懸命に呼びかけている。
「……!」
「アリスティア、どうしたの?」
少年は慌てて降り立った。
「大丈夫だよ。この間は酷い目に遭ったけど、トロッコはあれから改良して乗り心地が凄く良くなっているよ。何度もテストしたから安心してくれ。安楽椅子も作ったんだ。凄く快適だよ」
アリスティアは首を振った。
「私をティーガーに乗せて下さい」
「えっ、でもティーガーに乗ったら疲れるよ。体調とか考えたら乗り心地のいいトロッコの方が……」
「いいえ、ティーガーに乗りたいの」
「トロッコに乗るのが怖い?」
「違うわ。でも今日だけでいいから……」
「困ったな」
「我儘を言ってごめんなさい。でもお願い」
予想外の我儘に困惑した少年は、王姫の心の内など知る由もない。
アリスティアはちょっと黙り込んだが、ふいに顔を上げると真っ直ぐに少年を見つめて言った。
「わたし、テツオの傍にいたいの」
応えはなかった。その言葉に異邦人の少年は何を思ったのだろうか。
アリスティアは彼の表情を懸命に探ろうとしたが、それは傾きだした陽の逆光に隠れて伺うことが出来なかった。
「おーい、みんな手伝ってくれ! トロッコの安楽椅子をティーガーに乗せるから」
そう言って魔物達のところへ駆け出した少年は、ドワーフやオーク達に担ぎ上げられた安楽椅子と共に戻ってきた。椅子はティーガーの機銃手ハッチの上に乗せられ、丈夫な蔦紐で留めつけられる。
「多少は椅子が吸収してくれるだろうけど、振動が少ないように低速でいこう」
少年がつぶやくと、ゴブリンが「テツオ、アリスティア様をよろしく頼む」と声を掛けた。
「うん。みんなもトロッコへ乗ってくれ。出発するよ」
「わかった。それとアリスティア様、疲れたら少しでも無理しないで休憩するよう命じて下さい。いいですね、我慢したら絶対駄目ですよ」
「わかったわ。必ずそうします。ありがとう……」
アリスティアは、トコッロへ戻ってゆくゴブリンを見送ると、西の方角を見つめていた少年のマントをくいくいと引っ張った。
「……我儘言って、ごめんなさい」
彼女の申し訳なさそうな表情に、少年はその顔を優しく解いて笑った。
「別にいいよ、これくらい」
怒ってはいないだろうかと不安気だったアリスティアの顔はぱっと綻び、そのままはにかんでしまった。後方のトロッコから自分を見つめる魔族達へ向かって出立の合図……西を指し示そうとする。
だが、立ち眩みを起こして思わずふらついてしまった。
魔物達が思わず「危ない!」と、腰を浮かせたが、背後から少年が慌ててアリスティアを抱きとめた。
金木犀のような香りがふわりとして、抱き留めた手から彼女の温もりが伝わってくる。少年は自分も眩暈を起こしそうになってしまった。
「西へ……」
本当はあるはずのない楽園へ向かって。
ためらうように西を指さすと、続いて少年が高々と上げた右手を振り下ろした。
「戦車前へ!」
轟くようなエンジン音を伴奏に、ティーガーは再び「ゴウンッ――」と、鉄のキャタピラを軋ませ、ゆっくりと動き始めた。
巨大な起動輪がキャタピラを一枚、また一枚とゆっくり噛み込み、放してゆく。ティーガーが進み始めると、連結したワイヤーに引っ張られてトロッコもゴロゴロと動き出した。
再び、遥かなる旅が始まる。
トロッコの荷台はキシキシと音を立てて軽く揺れる。心臓まで震えるようなティーガーの振動に比べれば、揺りかごのような快い乗り心地だった。
どこか旅行でも楽しむような気持ちを抑えられず、魔物達は移りゆく周囲の景色を何度も見回し、飽かず眺めた。
とはいっても森の外は殺風景な荒野だった。荒れ果てた大地が果てしなく続いているばかり。
それでも……異邦人の少年と鋼鉄の神獣が再び加わったことで、どこか不安で重苦しかった旅路が明るく変わったことを誰もが感じていた。
陽は既に大きく傾いていた。トロッコに乗った魔物達は後ろを向き、遠く小さく離れてゆく森をじっと見やった。
「おい、あれを見ろ……」
ふいに脇をつつかれたゴブリンが、何かと振り向いて前を見る。
ティーガーの巨大な砲塔に身を置いた少年が沈みゆく夕陽の方角、西を見つめていた。再び前進を開始した戦車の上に、彼はやっと身の置きどころを得たという感じである。
彼に寄り添うようにして、アリスティアも同じ方角を眺めていた。
雲間から差し込む光が希望を求めて再び旅立った一行を照らし出す。魔物達は思わず立ち上がり、残照を全身に浴びた。
異世界の日輪は、空の一端に平和な残照を放ちながら次第に没しようとしている。
トロッコから見る彼等の目に、そのとき鋼鉄の王虎と少年と王姫が、まるで創世の神話の一場面を描いた絵のように映った。
「……」
魔物達は、荘厳なまでの異様な感動に声もなく呪縛されていた。
思わず息をのんだ彼等の一匹が、風にマントを翻し王姫を護るように雄々しく行く手を見る少年の姿を見て、つぶやいた。
「勇者……鋼鉄の王虎を駆る勇者……」
やがて彼等の視界に、鋼鉄の王虎の後ろ姿が茜空を背に浮き上がるパノラマとなった。
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