小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者 ~ティーガー戦車異世界戦記~【挿絵あり】

ニセ梶原康弘

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第8話 生きる

16 生きる

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「くたばれガラクタ戦車! 異世界の秩序にお前のような異分子など……」
撃てフォイエル!」

 喚きながら脇目もふらず突っ込んできたインスペクターには避ける間などなかった。
 次の瞬間、毎分八〇〇発の射速を誇るMG三四型機銃の咆哮が宙を切り裂く。
 インスペクターは制裁の銃弾をもろに喰らい、滅多打ちにあった。酔っ払いが踊り狂っているように五体を泳がせ、乱打を浴びて後ろにのけぞってゆく。
 雄叫びとも悲鳴ともつかない声をあげ、死なば諸共とばかりに彼は光剣を投げつけようとしたが、その前にティーガーの八八ミリ砲が再び轟然と火を吐いた。
 コマのようにキリキリ舞いして吹き飛んだインスペクターは、近くの岩に顔から激突し、鼻から血を噴くとそのまま崩折れた。
 静寂が戻った。
 鋼鉄の王虎は砲口から薄い煙をたなびかせたまま、倒れた敗者を冷然と見下ろしている。拘束が解かれた魔物達もその場に座り込んだままぼう然となった。言葉を交わす者は誰もいない。
 出し抜けに砲塔のキューポラからひとつの影が飛び出した。
 怒りで興奮の余り、その影はティーガーから転がり落ちたが、起き上がると昏倒しているインスペクターへ馬乗りになった。
 怒りの赴くまま、握り締めたコブシをその顔面に何度も振るう。
 既に体力も尽きたインスペクターの身体は少しづつ透き通って消え始めたが、少年の殴打は止まらない。彼が消え去って元の世界へ戻るまでに、卑劣な仕打ちへの報いを少しでも思い知らさねば気が済まなかった。
 力の限り拳固を叩きつけながら少年は叫ぶ。

「この異世界リアルリバーの異形がお前らにどんな悪いことをした! この世界の人間をお前らチート勇者みたいに気まぐれに傷つけたか? 笑いながらいじめたか? 情けも掛けずに殺そうとしたか? おい、言ってみろ!」
「やめ……」
「僕のことを教えてやる! 名前は葛生くずう鉄雄てつおだ! 親も、兄弟も、友達もいない、ぼっち野郎だ。お前らみたいな奴等にクズテツって呼ばれて毎日殴られて蹴られてお金を取られていたんだ。でもな、手前らみたいに何かを虐めて腹いせしたことなんか一度だってないぞ! 僕がクズならお前らは何だ! 言ってみろゲス野郎!」

 弱々しく鉄拳を遮ろうとするインスペクターの胸倉を少年はつかんだ。

「人を痛めつけておいて、自分は痛い目に遭いたくないのか? ふざけんな!」
「もうゆるぢで……」
「黙れ! 同じように言った異形をお前は……お前は……!」

 さんざん殴られたインスペクターの顔は無残に歪み、腫れあがり、鼻は潰れ、内出血で青黒くなった。少年のコブシも皮膚が裂け血が噴き出したが、それでも殴打は止まない。
 しまいには、インスペクターはただヒィヒィと情けない声をあげて泣くばかりだった。
 少年も泣いていた。泣きながら殴った。
 チート勇者の卑劣な振る舞いも、自分が元いた世界で受けた非情な暴力も……何もかもが許せなかった。
 悔しさと悲しみで煮えたぎるような熱いその涙は、頬を濡らす冷たい雨と溶け合い、リアルリバーの大地に抱かれるように吸われ、消えていった……

「……」

 ふいに少年は立ち上がるとインスペクターの身体を引き摺り、ティーガーのキャタピラの前へ投げ出した。
 憎しみに顔を歪めた少年は、まさかと恐怖に震えるインスペクターへ告げた。

「このまま消える前に、七〇トンの鋼鉄に圧し潰される苦しみを思い知れ」
「ひゃ、ひゃめれ……」
「このリアルリバーへまた現れたら、どこにいても必ず見つけ出して同じことをしてやる」
「ま、まっへふれ……」
戦車前へパンツァー・フォー!」

 テツオが右手を振り下ろすと、「ゴウンッ――」と、ティーガーの起動輪が動き始めた。身体のほとんどが消えかかったインスペクターだったが、迫り来る恐怖に身をよじり悲鳴を上げて逃げようと這いずり出した。その上に巨大な鉄のキャタピラが伸し掛かかり、断末魔の絶叫があがる。
 だが、ほんの僅かな差で圧死の前に消え去ったらしく、そのキャタピラが鮮血に染まることはなかった。骨が砕ける音もしなかった。

「……もう二度と異世界へ転生して来るな!」

 「戦車停止」と命じた少年は血だらけの腕で涙を拭ったが、我に返って身を翻した。
 少し離れた場所に、斜めに突き出て雨を遮る屋根代わりになった平たい大岩がある。その下に、捕縛から解放された魔物達が集まり、輪を作っていた。
 輪の中心にアリスティアが力なく横たわっていた。傍ではドルイド爺が懸命に回復呪文を掛け続けている。メデューサ婆はアリスティアの身体に縋って「婆が代わってやりたい……」と、目も潰れんばかりに泣いていた。

「アリスティア様しっかり! ほら、テツオが来ましたよ……」

 励ますようにゴブリンが声を掛けると、血の気の失せた彼女の瞳がうっすらと開いた。

「テツオ、どうしてここへ……」

 テツオが口を開く前に、一匹のオークの子がちょこんと顔を出した。

「姫様、僕が連れてきたの」
「クオーナ……」

 オークの子供は瞳にいっぱい涙を浮かべていた。

「姫様がテツオにごめんなさいって言えなかったって泣いてる、また会いたがってる、だから一緒に来てって僕が……」
「まあ」

 アリスティアは苦しい息の下でかすかに微笑むと、震える腕を伸ばし、オークの子の頬をやさしく撫でた。

「なんて優しい子なの。ありがとう。私のために……」

 オークの子は涙に濡れた顔で、懸命に笑ってみせた。

「テツオ、あのとき……ごめんなさい」
「いいよ。そんなこと」

 少年は泣き顔をくしゃくしゃにした。

「僕も突き落としちゃったからね。おあいこだよ。僕もゴメンね」

 少年は、おどけた顔を作って謝った。
 それはアリスティアの心の痛みを少しでも軽くしようとした少年の気遣いだったが、さっきまで怒りと悲しみに歪んでいた顔は、引き攣った奇妙な表情にしかならなかった。
 それでも少年の不器用な優しさに触れ、重く苦しかったアリスティアの心の痛みは、消えるように軽く楽になった。

「ありがとう……」
「ゆっくり休んで元気になってね」

 アリスティアは青ざめやつれた顔に、悲しそうな笑みを浮かべた。

「いいえ、私はもう駄目です……」
「ばか! 何を言うんだ!」

 叱りつける少年へ向かって、アリスティアはつぶやくように続けた。もう普通にしゃべる力すらなかったのだ。

「みんなを助けて、集めて……必死に……でも力のない私は、ここまでがせいいっぱいです」

 激痛を和らげるためにドルイド爺が麻酔の光を当てていたが、痛みが完全に消えた訳ではなく、彼女の額には脂汗が浮かんでいる。

「テツオ……私の最後のお願いをどうか聞いてください」
「アリスティア、最後なんて言っちゃダメだ!」
「どうか、ここにいる魔族の民を護って下さい。そして……」

 自分の生命の灯火が残っている間にとアリスティアは、か細い声を振り絞った。
 彼女の周囲では、ゴブリンやドワーフやグリズリー、ケルベロス、全ての魔物が寄り集まり、泣きながら「姫様、死なないで!」と呼びかけている。
 だが、アリスティアの顔に真っ白な死相が現われてきた。

「みんな、ごめんね。私もう眠いの……とても……」
「あっ、だめ!」

 見守っていたゴブリンが思わず叫んだ。
 もう痛覚も消えかかっているらしく、半ば夢見るような彼女の瞳から光がとろりと消えてゆく。

「テツオ、お願い。みんなを……」

 心残りは遺された魔族の民達のことだけだった。
 だが。

「嫌だ! 絶対嫌だ!」

 少年は駄々っ子のように大声で叫んだ。

「そんな……」
「チート勇者が来ても、守ってなんかやらないからな!」

 もう恥も外聞もなかった。涙と鼻水でみっともなく濡れた顔を少年は激しく横に振った。

「どうして? 意地悪……」

 アリスティアは恨めしそうな目で睨んだ。

「どうしてだって? お姫様のくせにそんなことも分からないのか!」

 アリスティアとこの世界を繋ぐたった一本のか細い糸を何としても切らしてはならない。少年は泣きながら口汚く罵った。

「君が死んだらみんなはどうなる? 僕が何とか出来るとでも思ってるのか? バーカ、出来るもんか!」

 自分がこのまま死んだら……
 ぼやけた視界の先に目を凝らすと彼女を見守る魔物達がいた。皆、悲しみに顔を歪め、滂沱の涙を流している。
 自分がいなくなったら、彼等はどうやって生きてゆくのだろう……虚ろだったアリスティアの瞳が、何かを感じて弱々しく瞬いた。
 希望を失くした彼等のその先を、彼女は想像出来なかった。
 きっと、涙に暮れるばかり……手を引いていた母親を突然失った子供がその場でうずくまり、母親の名を呼びながらいつまでも泣き続けることしか出来ないように。

「君が生きてくれさえしたら、僕は命を懸けても皆を護ると誓う! 約束する!」
「……」
「だから……生きろ。生きてくれ。お願いだから!」

 その言葉に彼女は思いだした。落城する魔王城で最後に見た母親が、最後に告げたものを。
 喧騒の中で聞き取れなかったが、唇の動きでアリスティアにはその言葉がはっきりと分かったのだった。
 それは……

 ――生きて……

 アリスティアの唇の上に少年の頬から落ちた涙の雫が弾けた。温かい塩水の味には生への祈りがこもっている。幽明境を異にしようとしていた彼女はついに立ち止まった。

「生きてくれ、頼む……」

 少年は声が裏返り、それ以上言い続けることが出来なかったが。

「はい……」

 アリスティアは無意識のうちに答えていた。思い出したのだ。

 (アリスティア。今は幼くてわからないでしょうけれど覚えておきなさい。貴女はどんな激しい嵐の夜も消えない「希望」を彼等の心に灯し続けねばならないことを)

 幼かった頃、王妃は幾度となくそう言い聞かせ、そして優しく抱きしめてくれた。
 亡き母親が告げた言葉の意味をアリスティアは今こそ悟った。

(はい、お母様。アリスティアはお母様の大切な言いつけを守ります……)

 彼等のために生きたい。生きることで彼等の心に灯を灯し続けるのだ。
 死に抗い、生きようとする意志が彼女自身の心にかすかな、小さな光を灯す。その瞳から、涙がとめどなくあふれ出た。

「姫様、死なないで」
「アリスティア様、生きて」
「どうか生きて……」

 涙ながらに呼びかける魔族の民たちへ、アリスティアは頷きかけた。
 そして、血の気のない頬に健気に笑みを浮かべ、ささやいたのだった。

「生きます……どんなに辛くても生きます……生きるわ、私……」
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