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第2話 差し出された手

03 落ち延びて

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「貴方の名前を聞かせてくれますか? 私はアリスティア。アリスティア・アルデン・リアルリバーと云います……」

 魔族の長としてアリスティアは少年へ丁寧な物腰で挨拶したが、彼の名前を知ったのは、そうやって名乗った晩から半日以上も経った後になった。
 彼は自己紹介する前に、怯え切った様子で周囲を見回している魔物達を見て「アイツの他にも追っ手はいるの?」と尋ねてきたのである。

「いないと思うのですが……いいえ、いるかもしれない。ごめんなさい……何もわからないの」
「そうか」

 その応えを聞いて少年の顔がさっと変わった。さっきまで戦車に向かって色々と話し掛けていた彼だったが、それを聞いて無駄に時を費やしていられないと悟ったらしく「さっきの奴の仲間がいるかも知れない。とにかくここからどこか隠れられそうな場所まで移動しよう」と申し出た。

「ええ……」

 だが、うなずいたアリスティアの表情には困ったような、辛そうなものが伺える。
 何だろうと思った少年は、すぐに気がついた。
 必死に逃げ、勇者へ抵抗していた魔物達は誰もが傷つき、疲れ切っていたのである。アリスティアもずっと走り続けた上に魔力も使い果たし、立っているだけでやっとという有様だった。

「そうだったね。気がつかなくて、ごめん」

 少し考え込んだ少年は、ティーガーを見上げて頷いた。

「じゃあ、みんなティーガーに乗っていこう」
「ティーガー?」
「この戦車の名前だよ。重装甲戦闘車パンツェルカンプフワーゲンケーニヒス・ティーガー」
「戦車?」

 聞き返す少女へうなずく少年の顔は、誇らしさを隠し切れない。彼は、自分の背後に従えた鋼鉄の王虎へ魔物達を促した。

「さあ、これの上にみんな乗って」
「き、急に暴れたりしない?」

 彼は笑って分厚い装甲板を叩いてみせた。

「暴れたりなんかしないよ。生き物じゃないから。機械だから」
「機械?」

 これもこの異世界で初めて聞く言葉だ。アリスティアは首を傾げた。
 そんな彼女をよそに、少年は子供の身長ほどもある巨大な転輪へ足をかけ、不器用に車体をよじ登っている。
 そして、砲塔の後部から「ほら、ここに乗って」と手を差し出した。
 魔物たちは始めて見る戦車にこわごわと近づいた。しばらくは眺めたり、恐る恐る触ったりしていたが「ぐずぐずしていると別の追っ手が来るかも知れない。さあ、早く」と急き立てられ、まず担ぎ上げられるようにしてアリスティアが、続いて他の魔物達が仲間に助けられたりしながら戦車によじ登った。
 エンジンの振動に震える車体の上は、乗り心地が良いなどとお世辞にも言えた代物ではない。彼等は初めて身を預ける異形の上で身をすくめ、自然とひとかたまりになった。

「みんな、しっかり掴まっていないと落ちるからね」

 そう言うと、少年は戦車へ「微速前進」と告げた。

「ゴウンッ――」

 巨大な歯車にも似た起動輪がキャタピラの一枚一枚を確かめるように噛み込みんでゆく。
 車体を軋ませ、人が歩く程度のスピードでティーガーはゆっくりと動き始めた。
 ティーガーの後部に乗せられた魔物達の中から魔法使いの老人ドルイドが時折とねりこの杖をかざし、歯噛みのように地上へ残されてゆくキャタピラの足跡を魔法で丹念に消していった。こうすれば、追っ手がいても簡単に後をつけられない。
 こうしてその場所から離れ、夜通し進み続けた戦車は夜明け前にようやく小さな泉の畔へたどり着き、停車した。
 そこは窪地で広葉樹に覆われていて、隠れるには都合の良い場所だった。
 偽装カモフラージュの樹を倒さぬよう、少年は慎重にティーガーを乗り入れ、エンジンを停める。一行はようやく、一時の安息を得られたのだった。
 夜通し戦車の上で揺さぶられ続けた魔物達は疲れ切った顔で降り立つと、そのままそこにうずくまってしまった。地面の上でも、まだ揺られているような感覚が残っている。
 だが、疲れた顔に安堵の色を浮かべる中で彼等は誰ともなく、つぶやいた。

「助かった……」

 互いに疲れ切った顔を見合わせる。

「助かったんだな」
「良かったね……」

 本来なら喚くような歓声が上がったところだろう。
 だが、身も心もボロボロの魔族達の口からは、かすれた震え声しか出なかった。
 それでも生き延びた喜びを噛み締めて、彼等は手を握り合った。抱き合って泣き出したドワーフ達。黙ったまま黒い眼窩から涙を流すゴーレム。幼子を抱きしめるゴブリンの親。メデューサ婆はアリスティアに「お婆ちゃん、自分を置いて行けなんてもう二度と言わないで」と、背中をさすられながら優しく叱られ泣いていた。その頬を尻尾を振ったケルベロスが舐めている。
 少年は痛ましそうに彼等を見ていたが、気がついて車体のフックに掛けられたバケツを手に取った。そのまま林の向こうへ駆け出した彼が戻ってきた時、そのバケツには泉の冷たい水がなみなみと湛えられていた。
 そして「なくなったらまた汲んで来るから遠慮しないで飲んで」と、魔物達の周囲を回っては、しきりにバケツの水を勧めるのだった。

「ありがとう……」

 疲れ果て、喉も渇いていた彼等は感謝と共に水を啜った。
 バケツの水がなくなるたびに彼は身を翻して元気に駆け出し、また水を汲んで戻って来ては魔族達に振る舞う。
 魔法使いのドルイド爺は水を飲む元気すらなく、倒れるように横たわっていたが、少年はその背に手を当てて優しく抱き起こし、手で掬った水を口にあてがって飲ませてくれた。

「お爺さん、少しづつゆっくり飲んで」
「ありがとう。でも先に姫様へ……」

 気遣われたアリスティアは笑顔で首を横に振り、先に他のみんなに水をあげて……と、促した。
 本当なら介護する少年を手伝ってあげたかったが、疲れ果て立ち上がることすら出来なかった。気が狂いそうなくらい喉も渇いていた。
 それでも疲れや苦しみにじっと耐え、 疲労困憊した魔族の民を労わる少年を優しく見つめた。たまに視線が合うと、微笑みかけて感謝の気持ちを伝えた。
 虚ろな表情だった魔物達は、命の水を与えられて次第に生気が戻ってゆく。
 みんなに水が充分行き渡った頃、アリスティアもようやく「ありがとう」と、差し出された水を押し頂き、喉を潤したのだった。

「ああ、なんて美味しい水なのかしら!」

 人心地のついた彼女がつぶやくと少年は微笑み、頷いた。
 林の木陰は気持ちの良い風が吹いている。緊張の解けた魔物達は眠気に誘われるまま、次々と芝生の上で横になり、目を閉じていった。

「君も少し眠るといいよ」
「でも……」

 魔族達が無防備に眠るここにまた勇者が現われたら……と心配するアリスティアへ、少年は「僕が代わりに見張ってるから」と請け負った。

「貴方だって疲れているでしょう」
「大丈夫だよ。これくらい」
「でも……」

 口ごもったアリスティアの横からメデューサ婆が口を挟んだ。

「親切な旅の御方、ありがとうございます。どうかお言葉に甘えさせて下さいまし」

 丁寧にお礼を言うと彼女を抱き寄せる。

「お婆ちゃん……」
「さあ、姫様。婆と一緒に少し休みましょう」

 宥められ、彼女は子供のように寝かしつけられた。
 痩せこけた老婆の胸に抱かれていると、慎まし気に鼓動する心臓の音が伝わってくる。不思議と心が安らいだ。それまでずっと緊張と不安と恐怖で身も心も疲れ切っていたアリスティアは、それ以上睡魔に抗うことが出来なかった。
 少年はティーガーの砲塔のキューポラに腰掛け、空を眺めたり周囲を見回したりしている。勇者が襲ってくる気配は感じられず、やがて、寝入った魔物達の気持ちよさそうなイビキや寝息が聞こえてきた。
 心地よい風に草花がさやさやと揺れ、疲れて眠る彼等を優しく慰める。見張りを請け負ったはずの少年も、いつしかこくりこくりと居眠りを始めてしまっていた。
 魔物達の憩う林の一隅へ陽光は柔らかく降り注ぎ、ひとときの平穏を知った数羽の小鳥が飛んで来て戦車砲の砲身に止まり、可愛らしい歌声でさえずりはじめた。

 ティーガーは身じろぎもしない。

 その光景は遠目に、まるで鋼鉄の王虎が静かに鳥の歌へ耳を傾けているようにも見えた……
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