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44話「再会」
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写真の撮影の間、スマホの電源は切るようにしている。
映画やドラマの撮影みたいに音が入るわけではないけど、着信音や通知のような小さな音ですら、スタジオという神聖で静謐な空間では仕事を妨げるノイズになりかねないからだ。
かと言って防犯上楽屋に置いておくのも心許ないので、撮影の間は電源を切ってマネージャーに預けるようにしていた。
その連絡に気がついたのは、マネージャーに車で自宅まで送ってもらっている時だった。帰りの連絡をお母さんに入れようと、メッセージのアプリを開いた。
『久しぶり』
トークルームに表示された名前を認めた瞬間、たった5文字の単語の意味すらも理解できないほどに頭が真っ白になった。
嘘だ。小さく呟いた声に、マネージャーが目線だけをこちらに向けて反応する。
「どうしました?」」
「……ううん、何でもない」
目を閉じ、深呼吸を繰り返す。もう一度画面を見ると、やはりそこには待ち焦がれていた相手からのメッセージが届いていた。頬をつねる。痛い。夢じゃない。
震える指先で『久しぶりだね』と返すと、すぐに既読がついた。
『今暇?』
『仕事終わって、帰ってるとこ』
『後で電話できる?』
『帰ったら、俺の方から連絡するよ』
『分かった』
すぐさまスタンプを送るも、既読がついただけでそれ以上返信はなかった。でも、それで十分だった。
「ご機嫌ですね」
「今日の晩ご飯、俺の好きなクリームシチューだって」
「ふふ、それは良かった」
「あ、笑った! マネージャー、俺のことお子様だって思ったでしょ!」
「思ってませんよー」
「嘘だぁ。絶対に思ってる」
マンションの前に着く。何かあったらすぐに連絡するように。助けを呼ぶように。見知らぬ人からの連絡には反応しないように。耳にたこができるほどに聞いた話を聞き流し、俺はマネージャーと別れる。
気分が浮き足だっていた。ふわふわと夢見心地で廊下を歩き、扉を開ける。
「おかえり、彼方」
「ただいまー」
「晩ご飯の準備はできてるから、早く着替えてきなさい」
「ごめん、お母さん! 俺これから大切な用事があるから、また後で食べるね」
「……もう、そういうことは早く連絡してって言ってるでしょ」
自室に入り、しっかりと鍵をかける。
緑。緑。早く緑に会いたい。緑と喋りたい。俺の名前を呼んでほしい。
たくさん話したいことがあるんだ。
今まで何してたの? 俺と一緒じゃなくて寂しくなかった? どうして俺に会ってくれなかったの?
『リコリスって何のこと』
緑とのトークルームを開いた瞬間視界に飛び込んできた文字列を、俺は見ないふりをした。
ああ、幸せだ。電話が終わったらカイに自慢しよう。きっとカイも喜んでくれるはずだ。
_____今更、俺に何の用だよ。
もし会うことができたら、カイに緑のことを紹介しよう。きっとカイと緑は仲良くなれるはずだ。いつか、3人で一緒に遊びにいこう。
_____俺のことを、母さんのことを見捨てたくせに。
俺、頑張ったんだよ。緑みたいになれるように、勉強も運動も、モデル活動も頑張ったんだ。
_____俺のことを散々「できない奴」扱いして、下に見てきたくせに。
今なら俺、緑の隣に立っても見劣りしないくらい強い人になれたかな。
_____また俺から、お母さんを、周りの視線を横取りするつもり? 自分だけチヤホヤされるつもり? そうやって、俺から何もかもを奪うつもり?
_____お前の居場所なんて、もうここにはないんだよ。
「……うるさいな」
むしゃくしゃして、ベッドの上のぬいぐるみを壁に叩きつける。カイと遊びにいった時になんとなく買ったそれは、好きでも嫌いでもないけど、部屋を彩るにはちょうど良かったから、捨てずに置いておいた。
ぬいぐるみ壁に跳ね返り、音も立てずにベッドに横たわる。偽物の黒い瞳に見つめられ、俺はすぐに視線を逸らした。
呼び出し音が鼓膜を震わせる。1コール。2コール。3コール……
『_____もしもし』
頭に浮かんでいた様々な言葉が、その声を聞いた途端にどこかへと消えた。懐かしさ、喜び、寂寥。甘い香りに包まれ、胸の奥が締め付けられるようだった。
小さくため息を吐く。
「……久しぶり」
『久しぶりだね』
「元気にしてた?」
『うん。そっちは?』
「元気だよ」
緑だ。本物の緑の声だ。ずっと、この日を待ち焦がれていた。お前と連絡がつかなくなったあの日から。
「いきなり連絡が来たからびっくりしたよ。どうしたの? 何かあった?」
『そのことなんだけど……俺、今お前のマンションのすぐ下にいるんだ』
慌てて部屋を飛び出した。靴の踵を踏んづけ、廊下を走り、階段を駆け降りる。エレベーターを待つ時間さえも煩わしかった。
エントランスを抜け、自動扉の隙間に体を捩じ込ませ、外に出る。
「よう、彼方」
果たしてそこに、緑がいた。
一陣の風が吹き抜ける。雲ひとつない空の下、月明かりに照らされた緑の姿は本当に綺麗だった。
加工を施された雑誌の写真なんて目じゃない。俺なんかの何倍も、緑は綺麗で、美しく、本物だった。
俺は、気がつけば涙を流していた。
「……緑。俺、ずっと待ってたんだよ」
中学2年の夏休み。それが緑と会った最後だった。あれからずっと緑は俺の連絡を無視し続け、話そうともしてくれなかった。
裏切られた気持ちだった。俺は、本当に緑のことが心配だったのに。
「緑が会いにきてくれるのを待ってたんだ」
緑が俺の髪を掻き分け、頬に触れる。冷たい手が、俺の体温に馴染むように温かくなっていく。
「ほっぺた、もう痛くない?」
「痛いわけないじゃん。何年前のことだと思ってんの」
「そうだな……あの時は殴ったりなんかしてごめんな。痛かっただろ」
「謝らないでよ。あれは俺が悪かったんだ。お前は何も悪くないよ」
「お前なら、そう言うと思ってた」
緑は寂しそうに笑った。
お母さんに会いにいくかと尋ねると、緑は「今更合わせる顔なんてないよ」と首を横に振る。
俺と緑が双子だってことを知られるとまずい。あまり一緒にいるところを見られない方が良いだろうけど、かと言って良い場所が思いつかなかった。
「あっちの方に公園があったよね」
動かない俺を、怪訝そうに緑が見る。
「どうした?」
「……服、着替えてきても良い?」
俺はお気に入りの服と眼鏡をかけ、緑のところに戻った。
「行こっか、緑」
夜の道は静かだ。車だけでなく、人すらやってこない。だけどすぐ裏の方に大きな道があるから、車の走る音はひっきりなしに聞こえてくる。
ふたり分の靴がアスファルトを踏む音。何とはなしに横を見ると、緑の耳元に付けられたピアスに気がついた。
銀色の、ファーストピアスだ。
「穴、空けたんだ」
耳たぶを指さすと、緑は耳に手を添える。
「片耳だけだけどね。もうピアスも持ってんだ」
「へぇ……俺も付けようかな、同じやつ。なんのピアスか教えてよ」
「……空けて良いの?」
「許可取れば大丈夫でしょ。他の人だって付けてる」
緑もカイも、何故自分の体をわざわざ傷つけたがるのか分からない。でも、緑と俺が同じじゃないなんて許せなかった。
映画やドラマの撮影みたいに音が入るわけではないけど、着信音や通知のような小さな音ですら、スタジオという神聖で静謐な空間では仕事を妨げるノイズになりかねないからだ。
かと言って防犯上楽屋に置いておくのも心許ないので、撮影の間は電源を切ってマネージャーに預けるようにしていた。
その連絡に気がついたのは、マネージャーに車で自宅まで送ってもらっている時だった。帰りの連絡をお母さんに入れようと、メッセージのアプリを開いた。
『久しぶり』
トークルームに表示された名前を認めた瞬間、たった5文字の単語の意味すらも理解できないほどに頭が真っ白になった。
嘘だ。小さく呟いた声に、マネージャーが目線だけをこちらに向けて反応する。
「どうしました?」」
「……ううん、何でもない」
目を閉じ、深呼吸を繰り返す。もう一度画面を見ると、やはりそこには待ち焦がれていた相手からのメッセージが届いていた。頬をつねる。痛い。夢じゃない。
震える指先で『久しぶりだね』と返すと、すぐに既読がついた。
『今暇?』
『仕事終わって、帰ってるとこ』
『後で電話できる?』
『帰ったら、俺の方から連絡するよ』
『分かった』
すぐさまスタンプを送るも、既読がついただけでそれ以上返信はなかった。でも、それで十分だった。
「ご機嫌ですね」
「今日の晩ご飯、俺の好きなクリームシチューだって」
「ふふ、それは良かった」
「あ、笑った! マネージャー、俺のことお子様だって思ったでしょ!」
「思ってませんよー」
「嘘だぁ。絶対に思ってる」
マンションの前に着く。何かあったらすぐに連絡するように。助けを呼ぶように。見知らぬ人からの連絡には反応しないように。耳にたこができるほどに聞いた話を聞き流し、俺はマネージャーと別れる。
気分が浮き足だっていた。ふわふわと夢見心地で廊下を歩き、扉を開ける。
「おかえり、彼方」
「ただいまー」
「晩ご飯の準備はできてるから、早く着替えてきなさい」
「ごめん、お母さん! 俺これから大切な用事があるから、また後で食べるね」
「……もう、そういうことは早く連絡してって言ってるでしょ」
自室に入り、しっかりと鍵をかける。
緑。緑。早く緑に会いたい。緑と喋りたい。俺の名前を呼んでほしい。
たくさん話したいことがあるんだ。
今まで何してたの? 俺と一緒じゃなくて寂しくなかった? どうして俺に会ってくれなかったの?
『リコリスって何のこと』
緑とのトークルームを開いた瞬間視界に飛び込んできた文字列を、俺は見ないふりをした。
ああ、幸せだ。電話が終わったらカイに自慢しよう。きっとカイも喜んでくれるはずだ。
_____今更、俺に何の用だよ。
もし会うことができたら、カイに緑のことを紹介しよう。きっとカイと緑は仲良くなれるはずだ。いつか、3人で一緒に遊びにいこう。
_____俺のことを、母さんのことを見捨てたくせに。
俺、頑張ったんだよ。緑みたいになれるように、勉強も運動も、モデル活動も頑張ったんだ。
_____俺のことを散々「できない奴」扱いして、下に見てきたくせに。
今なら俺、緑の隣に立っても見劣りしないくらい強い人になれたかな。
_____また俺から、お母さんを、周りの視線を横取りするつもり? 自分だけチヤホヤされるつもり? そうやって、俺から何もかもを奪うつもり?
_____お前の居場所なんて、もうここにはないんだよ。
「……うるさいな」
むしゃくしゃして、ベッドの上のぬいぐるみを壁に叩きつける。カイと遊びにいった時になんとなく買ったそれは、好きでも嫌いでもないけど、部屋を彩るにはちょうど良かったから、捨てずに置いておいた。
ぬいぐるみ壁に跳ね返り、音も立てずにベッドに横たわる。偽物の黒い瞳に見つめられ、俺はすぐに視線を逸らした。
呼び出し音が鼓膜を震わせる。1コール。2コール。3コール……
『_____もしもし』
頭に浮かんでいた様々な言葉が、その声を聞いた途端にどこかへと消えた。懐かしさ、喜び、寂寥。甘い香りに包まれ、胸の奥が締め付けられるようだった。
小さくため息を吐く。
「……久しぶり」
『久しぶりだね』
「元気にしてた?」
『うん。そっちは?』
「元気だよ」
緑だ。本物の緑の声だ。ずっと、この日を待ち焦がれていた。お前と連絡がつかなくなったあの日から。
「いきなり連絡が来たからびっくりしたよ。どうしたの? 何かあった?」
『そのことなんだけど……俺、今お前のマンションのすぐ下にいるんだ』
慌てて部屋を飛び出した。靴の踵を踏んづけ、廊下を走り、階段を駆け降りる。エレベーターを待つ時間さえも煩わしかった。
エントランスを抜け、自動扉の隙間に体を捩じ込ませ、外に出る。
「よう、彼方」
果たしてそこに、緑がいた。
一陣の風が吹き抜ける。雲ひとつない空の下、月明かりに照らされた緑の姿は本当に綺麗だった。
加工を施された雑誌の写真なんて目じゃない。俺なんかの何倍も、緑は綺麗で、美しく、本物だった。
俺は、気がつけば涙を流していた。
「……緑。俺、ずっと待ってたんだよ」
中学2年の夏休み。それが緑と会った最後だった。あれからずっと緑は俺の連絡を無視し続け、話そうともしてくれなかった。
裏切られた気持ちだった。俺は、本当に緑のことが心配だったのに。
「緑が会いにきてくれるのを待ってたんだ」
緑が俺の髪を掻き分け、頬に触れる。冷たい手が、俺の体温に馴染むように温かくなっていく。
「ほっぺた、もう痛くない?」
「痛いわけないじゃん。何年前のことだと思ってんの」
「そうだな……あの時は殴ったりなんかしてごめんな。痛かっただろ」
「謝らないでよ。あれは俺が悪かったんだ。お前は何も悪くないよ」
「お前なら、そう言うと思ってた」
緑は寂しそうに笑った。
お母さんに会いにいくかと尋ねると、緑は「今更合わせる顔なんてないよ」と首を横に振る。
俺と緑が双子だってことを知られるとまずい。あまり一緒にいるところを見られない方が良いだろうけど、かと言って良い場所が思いつかなかった。
「あっちの方に公園があったよね」
動かない俺を、怪訝そうに緑が見る。
「どうした?」
「……服、着替えてきても良い?」
俺はお気に入りの服と眼鏡をかけ、緑のところに戻った。
「行こっか、緑」
夜の道は静かだ。車だけでなく、人すらやってこない。だけどすぐ裏の方に大きな道があるから、車の走る音はひっきりなしに聞こえてくる。
ふたり分の靴がアスファルトを踏む音。何とはなしに横を見ると、緑の耳元に付けられたピアスに気がついた。
銀色の、ファーストピアスだ。
「穴、空けたんだ」
耳たぶを指さすと、緑は耳に手を添える。
「片耳だけだけどね。もうピアスも持ってんだ」
「へぇ……俺も付けようかな、同じやつ。なんのピアスか教えてよ」
「……空けて良いの?」
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