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39話「諦観」
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「_____お前さ」
緑さんの唇が小さく動く。
「女の子と話せるようになったんだな」
緑さんはまた歩き出した。
「女が怖いって言ってたけど、もう大丈夫になったの?」
緑さんに言われて気がついた。そういえば僕、普通に女の子と喋ってる。
「い、いえ。正直言ってまだ怖いですけど、でも前よりは確かにマシになったかも」
「だったら良かったよ」
「緑さんのおかげですね」
「俺?」
「昔のことを忘れたままだったら、きっとこの先も怯えたままだったと思うんです。でも、思い出せたおかげで、過去と向き合う勇気が出ました」
「それ、俺のおかげなの?」
「はい」
「……まあ、何にせよ上手くいってるなら良かったよ」
道は、段々と細くなっていく。車が通れないほど細い路地に入ると、日差しが建物によって遮られ、体が寒さに震えた。
「自転車、乗っていきます?」
「いーや、大丈夫。そう遠くないから歩いていこうよ」
僕はずっと、ドキドキしていた。緑さんが何のために僕に会いに来たのか分からなかった。
先程の会話で、僕が緑さんを避けていたことはバレてしまっただろう。でも緑さんはそのことについて何も言わなかったから、僕は判決を待つ被告人のような気分で緑さんが核心に触れるのを待つしかなかった。
「灰人さ、覚えてる? お前の自転車に乗っけられて、俺の家まで連れていってもらったんだよ」
体調を崩した緑さんを家に送り届け、看病をした。緑さんは僕に「好きな人はいる?」と聞いてきた。あの時、僕が頷けなかったのは何故なのだろう。
緑さんに対する同情か、緑さんの言葉を信用できなかったのか、それとも叶わない片想いを吹っ切るために緑さんを利用しようとしたのか。
そこに私欲がなかったとは言い切れない。
色々な思惑が頭を巡って、だけど「緑さんを放っておけない」と僕は最後に思った。
「もちろん覚えてますよ。緑さんが同じ学校だなんて知らなかったから、本当にびっくりしたんですよ」
「だろうね」
「言ってくれたら良かったのに」
「学校で会うつもりなんてなかったんだよ」
そういえば前に言ってたな。「目立ちたくない」って。
「もしかしたら学校ですれ違ってた可能性もあるんですよね」
「俺はお前と何度かすれ違ったの覚えてるよ」
緑さんは記憶力が良いし僕のことも元々知ってたから、覚えていたとしてもおかしくはない。だったら尚更、教えてくれれば良かったのにと思った。
もし僕が緑さんと違う出会い方をしていたら、学校で出会っていたら、また別の可能性があったかもしれない。
こんなふうに人目を隠れたり、緑さんが彼方の振りをしなくても、「斑目灰人」と「秋葉緑」が仲良くなっていた可能性だってあるんだ。
「学校で友達と喋ってるお前を見かける度に、『違う世界に住む人間だ』って思った。だから俺、できることならお前と会いたくなかった。
もしあそこでお前と出会ってしまったら……俺は今度こそ、何もかも失ってしまう気がしたんだ」
僕には緑さんの言っていることが分からなかった。分からないけど、寂しそうな笑顔だった。
あの時もそうだ。僕がアッシュとしてリコリスに近づいた日。
『……まさか、あのカイトとこうして会えるなんてね』
僕を見上げて、緑さんは寂しそうに笑った。まるで、全てを諦めてしまったみたいに。
*
細い路地を出ると、見覚えのある道路に出た。そのまままっすぐ進んでいくと、緑さんのアパートに辿りついた。緑さんが部屋の鍵を開ける。そろりと侵入すると、薄暗い部屋が僕たちを迎え入れた。
廊下を抜け、リビングに入る。締め切られたカーテンの隙間から差し込む日光が部屋の一角を照らした。光を反射してきらりと輝くその場所を目を凝らして見てみると、僕がプレゼントしたピアスが置かれていた。
「お茶で良い? お菓子、何もないけど」
「え……あ、あの、お構いなく」
お湯を沸かす音を聞きながら、緑さんが戻ってくるのをそわそわと待つ。しばらくして、2人分の湯呑みを持って、緑さんが戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
湯気を立てるそれに顔を近づけ、息を吹きかける。日差しが段々と和らいで、外が真っ赤に染まっていく。部屋には、お茶を啜る2人分の音が響いていた。
お茶が飲みやすい温度に変わった頃。
「あの」
「あのさ」
同時に喋ろうとして、声が重なった。
「すみません」
「ううん。どうしたの?」
緑さんは僕が先に話すように促した。僕は部屋の一角、プレゼントしたピアスを指さした。
「あれ、どうですか?」
「ピアス? 綺麗だよね」
「邪魔じゃないですか?」
「何言ってんだよ。お前がくれたのに」
「緑さん、ピアスの穴空けてないじゃないですか。ちょっと独りよがりだったかなって、後悔してたんです」
「そんなことないよ。嬉しい」
緑さんは立ち上がり、ピアスを取ってきた。
「お前はこれ使ってんの?」
「ひとりでお出かけする時に、たまに。シンプルな服と合わせるとアクセントになって良いんですよ」
緑さんが僕の耳にピアスを当てがって、小さく笑う。
「うん。良く似合ってる」
そういえば、緑さんの前でこれを着けているのを見せたことがなかったと、この時になって気がついた。
本当は緑さんと2人で着けたかった。2人で片耳ずつ着けて、手を繋いで、外を歩いて、この人が僕の恋人なのだと堂々と宣言したかった。一緒にデートをしたかった。
……したかった、って何なんだろう。これからいつか、できる日が来るかもしれないのに。
「あの、緑さんは何を言おうとしたんですか?」
気分が落ちてしまいそうだったので、話題を変えることにした。緑さんは湯呑みの中味を飲み切ってから、小さく息を吐く。
「今更だけど、伝えたいことがあるんだ」
嫌な音を立てる心臓には気が付かないフリをして、次の言葉を待つ。
ややあって、緑さんは頭を下げた。
「あの時はお粥、作ってくれてありがとうな。言うのが遅くなってごめん」
大したことのない内容だった。
「僕がしたくてしたことなんですから、お礼なんていりませんよ」「もしかしてずっと気にしてたんですか?」「どういたしまして」「謝らないでください」「美味しかったですか?」「また作りましょうか?」
次々と頭に言葉が浮かび、だけど声が出なかった。笑おうとして上げた唇の端がかすかに引きつる。
「俺を家まで連れてってくれてありがとう。心配してくれてありがとう。俺のわがままに付き合ってくれてありがとう……本当は、全部嬉しかったんだ」
あなたは全てを諦めたような笑みを浮かべて、これで会うのが最後かのような、優しい言葉を並べ立てた。
「こんな俺と仲良くしてくれてありがとう」
緑さんの唇が小さく動く。
「女の子と話せるようになったんだな」
緑さんはまた歩き出した。
「女が怖いって言ってたけど、もう大丈夫になったの?」
緑さんに言われて気がついた。そういえば僕、普通に女の子と喋ってる。
「い、いえ。正直言ってまだ怖いですけど、でも前よりは確かにマシになったかも」
「だったら良かったよ」
「緑さんのおかげですね」
「俺?」
「昔のことを忘れたままだったら、きっとこの先も怯えたままだったと思うんです。でも、思い出せたおかげで、過去と向き合う勇気が出ました」
「それ、俺のおかげなの?」
「はい」
「……まあ、何にせよ上手くいってるなら良かったよ」
道は、段々と細くなっていく。車が通れないほど細い路地に入ると、日差しが建物によって遮られ、体が寒さに震えた。
「自転車、乗っていきます?」
「いーや、大丈夫。そう遠くないから歩いていこうよ」
僕はずっと、ドキドキしていた。緑さんが何のために僕に会いに来たのか分からなかった。
先程の会話で、僕が緑さんを避けていたことはバレてしまっただろう。でも緑さんはそのことについて何も言わなかったから、僕は判決を待つ被告人のような気分で緑さんが核心に触れるのを待つしかなかった。
「灰人さ、覚えてる? お前の自転車に乗っけられて、俺の家まで連れていってもらったんだよ」
体調を崩した緑さんを家に送り届け、看病をした。緑さんは僕に「好きな人はいる?」と聞いてきた。あの時、僕が頷けなかったのは何故なのだろう。
緑さんに対する同情か、緑さんの言葉を信用できなかったのか、それとも叶わない片想いを吹っ切るために緑さんを利用しようとしたのか。
そこに私欲がなかったとは言い切れない。
色々な思惑が頭を巡って、だけど「緑さんを放っておけない」と僕は最後に思った。
「もちろん覚えてますよ。緑さんが同じ学校だなんて知らなかったから、本当にびっくりしたんですよ」
「だろうね」
「言ってくれたら良かったのに」
「学校で会うつもりなんてなかったんだよ」
そういえば前に言ってたな。「目立ちたくない」って。
「もしかしたら学校ですれ違ってた可能性もあるんですよね」
「俺はお前と何度かすれ違ったの覚えてるよ」
緑さんは記憶力が良いし僕のことも元々知ってたから、覚えていたとしてもおかしくはない。だったら尚更、教えてくれれば良かったのにと思った。
もし僕が緑さんと違う出会い方をしていたら、学校で出会っていたら、また別の可能性があったかもしれない。
こんなふうに人目を隠れたり、緑さんが彼方の振りをしなくても、「斑目灰人」と「秋葉緑」が仲良くなっていた可能性だってあるんだ。
「学校で友達と喋ってるお前を見かける度に、『違う世界に住む人間だ』って思った。だから俺、できることならお前と会いたくなかった。
もしあそこでお前と出会ってしまったら……俺は今度こそ、何もかも失ってしまう気がしたんだ」
僕には緑さんの言っていることが分からなかった。分からないけど、寂しそうな笑顔だった。
あの時もそうだ。僕がアッシュとしてリコリスに近づいた日。
『……まさか、あのカイトとこうして会えるなんてね』
僕を見上げて、緑さんは寂しそうに笑った。まるで、全てを諦めてしまったみたいに。
*
細い路地を出ると、見覚えのある道路に出た。そのまままっすぐ進んでいくと、緑さんのアパートに辿りついた。緑さんが部屋の鍵を開ける。そろりと侵入すると、薄暗い部屋が僕たちを迎え入れた。
廊下を抜け、リビングに入る。締め切られたカーテンの隙間から差し込む日光が部屋の一角を照らした。光を反射してきらりと輝くその場所を目を凝らして見てみると、僕がプレゼントしたピアスが置かれていた。
「お茶で良い? お菓子、何もないけど」
「え……あ、あの、お構いなく」
お湯を沸かす音を聞きながら、緑さんが戻ってくるのをそわそわと待つ。しばらくして、2人分の湯呑みを持って、緑さんが戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
湯気を立てるそれに顔を近づけ、息を吹きかける。日差しが段々と和らいで、外が真っ赤に染まっていく。部屋には、お茶を啜る2人分の音が響いていた。
お茶が飲みやすい温度に変わった頃。
「あの」
「あのさ」
同時に喋ろうとして、声が重なった。
「すみません」
「ううん。どうしたの?」
緑さんは僕が先に話すように促した。僕は部屋の一角、プレゼントしたピアスを指さした。
「あれ、どうですか?」
「ピアス? 綺麗だよね」
「邪魔じゃないですか?」
「何言ってんだよ。お前がくれたのに」
「緑さん、ピアスの穴空けてないじゃないですか。ちょっと独りよがりだったかなって、後悔してたんです」
「そんなことないよ。嬉しい」
緑さんは立ち上がり、ピアスを取ってきた。
「お前はこれ使ってんの?」
「ひとりでお出かけする時に、たまに。シンプルな服と合わせるとアクセントになって良いんですよ」
緑さんが僕の耳にピアスを当てがって、小さく笑う。
「うん。良く似合ってる」
そういえば、緑さんの前でこれを着けているのを見せたことがなかったと、この時になって気がついた。
本当は緑さんと2人で着けたかった。2人で片耳ずつ着けて、手を繋いで、外を歩いて、この人が僕の恋人なのだと堂々と宣言したかった。一緒にデートをしたかった。
……したかった、って何なんだろう。これからいつか、できる日が来るかもしれないのに。
「あの、緑さんは何を言おうとしたんですか?」
気分が落ちてしまいそうだったので、話題を変えることにした。緑さんは湯呑みの中味を飲み切ってから、小さく息を吐く。
「今更だけど、伝えたいことがあるんだ」
嫌な音を立てる心臓には気が付かないフリをして、次の言葉を待つ。
ややあって、緑さんは頭を下げた。
「あの時はお粥、作ってくれてありがとうな。言うのが遅くなってごめん」
大したことのない内容だった。
「僕がしたくてしたことなんですから、お礼なんていりませんよ」「もしかしてずっと気にしてたんですか?」「どういたしまして」「謝らないでください」「美味しかったですか?」「また作りましょうか?」
次々と頭に言葉が浮かび、だけど声が出なかった。笑おうとして上げた唇の端がかすかに引きつる。
「俺を家まで連れてってくれてありがとう。心配してくれてありがとう。俺のわがままに付き合ってくれてありがとう……本当は、全部嬉しかったんだ」
あなたは全てを諦めたような笑みを浮かべて、これで会うのが最後かのような、優しい言葉を並べ立てた。
「こんな俺と仲良くしてくれてありがとう」
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