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29話「与える」

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 いつからか、「与えなければ」と思うようになっていた。

『ほら、父さん。ご飯食べて』

 与えなければ。

『父さん、俺の料理が好きだって言ってたでしょ』

 与えなければ。

『なぁ、お願いだから、食べろよ』

 そうすれば、また、名前を呼んでもらえる気がした。

『……親父。俺、復讐するよ。俺達をこんな目に遭わせたあいつらに復讐してやる。だから、』

 なあ、何でだよ。

 何で隣にいる俺じゃなくて、あいつらの名前ばっか呼ぶんだよ。

 俺を見ろよ。俺だけを見ろよ。俺の名前を呼んでくれよ。

 俺を、好きになってくれよ。


 *
 

「緑さん、手、出してください」

 ベッドの縁に腰掛けてスマホを弄っていた俺の前に、ニコニコと笑みを浮かべた斑目がやってきた。

「占いでもすんの?」

「してあげましょうか」

「そういうの詳しいタイプ?」

「全然」

 俺が両手を出すと、斑目は壊れ物にでも触れるかのように、俺の手をそっと握りしめる。

「緑さんの手って、すべすべしてますよね」

 俺、緑さんの手が好きなんです。斑目はそう言って、親指の腹で俺の指を揉む。

 目を柔らかく細めて、幸せを噛み締めるような表情に、俺の背筋をぞわぞわと不快感が走る。

 不快感、なんだろうか。正直なところ、俺は自分の感情を正確に理解するのはあまり得意じゃない。
 
「それで? 俺の手を触るために来たんじゃないんでしょ」

「あ、そうでした。忘れてた」

「忘れんなよ」

 斑目は俺の手の上にあるものを乗せた。

「この間ロケ行ってきたんですけど、その時凄く良い雑貨屋さん見つけて、買ってみたんです」

 海を切り取ったようなエメラルドグリーン色のガラス細工がぶら下がったピアス。

 小物にはあまり詳しくないが、知り合いの女子が似たようなピアスを付けていた覚えがある。ハーバリウムというやつだろう。

 これ多分レディースだろとか、そもそも俺ピアスの穴開けてないし、とか。色々と言いたいことはあるのだけど。

 一番気になったのは、ピアスの片方だけを渡されたという点だ。

 斑目は照れ臭そうに首の後ろに手をやって、はにかんだ。

「付き合った記念にお揃いのアクセ欲しいなって思ってたんです。でもペアアクセを買うのは恥ずかしいっていうか、周りから変に詮索されるのも嫌だったんで……」

 斑目はポケットからピアスの片割れを取り出し、俺達の前に掲げる。

「これだったら、半分こできるでしょ?」

 天井の照明を反射して、ガラスの表面がキラキラと輝いた。
 
「綺麗だね」

「でしょ? 見た瞬間、緑さんに似合いそうだなって思ったんです」

 似合うってなんだよ。俺が綺麗から遠くかけ離れた存在だってことは、お前が一番良く知ってるだろ。

「これ、くれるの?」

「はい。貰ってください」

「ありがとう。いくらかかったの?」

「そんなに高くはなかったですけど……」

「払うよ」

「え、良いですよ。僕が買いたくて買ったんですから」

「俺が嫌なんだよ」

 無性の愛。俺が一番嫌いな言葉だ。

 与えられたものと引き換えに、俺は何かを与えなければならない。失わなければならない。

 目には見えないものを頼りに互いを信用したところで、得られるのは一時的な幸福と自己満足でしかないのだから。
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