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1話「出会い」
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その日は朝から雨が降り続け、夕方までやむことはなかった。
分厚い雲が空を覆い、逃げ場を失った水蒸気が地上に沈殿しているのを、汗を吸ったシャツが肌にまとわりつく感触で実感する。
幸運なことに車内は空いていて、好きな席を選ぶことができた。入り口から少し離れた窓際の席に腰を下ろし、目を閉じる。
電車の揺れに身を任せ、体に浮かんだ汗をクーラーが乾かしていくその心地良さに浸っていると、10分もかからないうちに目的の駅に着いたので、俺は仕方なく席を立った。
ホームに降り立つと、生温い空気が俺を素早く取り囲む。車内で感じた心地良さはすぐに不快感へと取って代わり、また汗が滲み出した。
くたびれた表情の男とすれ違い様に肩がぶつかる。
男は舌打ちをひとつ打つと、俺を恨めしげに睨みつけ、光に吸い寄せられる虫のように、ふらふらと電車の中へと消えていった。
最悪だ。
不快指数がじわじわと上がっていくのを感じながら、俺は何度も深呼吸を繰り返す。
こめかみを閃光のような頭痛が走った。頭を片手で押さえ、俺はズボンのポケットからスマホを引っ張り出す。
『アッシュ:19時に○○駅の前で。迷彩柄のカーゴパンツに黒シャツが目印です。背が高い方なのですぐに分かると思います』
『リコリス:分かりました。見かけたら、こちらから声をお掛けしますね』
スマホに映し出された文面を見ながら、辺りを見回す。
平日の夜ということもあり駅には会社帰りのサラリーマンや制服を着た学生達が大勢いた。
その中から、メッセージに書かれていた特徴に該当する人物を探し出すのにさほど時間は掛からなかった。
駅の入り口、客待ちをしているタクシーの列のすぐ隣で、壁に背中をもたせかけて立っている男。あれが今日のお相手だ。
男は黒いサングラスを身につけ、迷彩柄のカーゴパンツのポケットに手を入れている。
マッシュウルフの焦茶色の髪に、黒いシャツ。真夜中の路地裏にぼんやりと佇む街灯を彷彿とさせる白い肌が、やけに目に眩しく感じられる。
男は本人が自称するだけあって、かなりの長身だった。筋肉質かつ無駄な贅肉がついていない綺麗な体型をしている。
ともすれば不健康にも見える白い肌と、その健康的な体型のアンバランスさが妙に目を惹いた。
同性の俺から見ても「綺麗だ」と思わせる魅力的な男だった。
それがアッシュという男に抱いた第一印象。
そして、違和感。
その男をどこかで見たことがあるような気がしたのだ。
俺はパーカーのフードを深く被り直した。男から少し離れたバス停前の長椅子に腰掛け、スマホを見るフリをしながら男を観察する。
約束の時間から5分が過ぎようとしていた。
男は壁際に立ち、辺りにゆっくりと視線を這わす。
サングラスを掛けていることにより判然としない視線が、改札を、切符売り場を、駅に併設されたコンビニを、建物と建物の間の狭い路地を、行き交う人々を、
そしてバス停の椅子に座っている俺を見た。
俺はすぐさま目を逸らそうとしたが、しかし間に合わなかった。
男が壁から背中を離し、俺の方へ、ゆっくりとやってきた。
「_____リコリスさんですか」
男の艶のある声が耳に届くと同時に、頭痛がぴたりと止んだ。
「僕です、アッシュです」
半袖のシャツから伸びる腕は男らしく筋張ってゴツゴツとしていた。
アッシュはサングラスを指でずらし、俺の前に素顔を晒す。それはほんの数秒のことで、アッシュは素早く周囲に視線を巡らせ、すぐにサングラスを装着した。
……驚いた。まさか、アッシュの正体があいつだったなんて。
やけに目を惹く奴だとは思ったが、こうして目の前に来るまで全く気が付かなかった。
「……まさか、あのカイトとこうして会えるなんてね」
カイト。本名、斑目灰人。
斑目は俺が今通っている学校の生徒であり、モデル活動を行っている。
年は斑目の方がひとつ上なので直接顔を合わせたことはないが、クラスの女子達がこいつの話をしているのはたまに耳にしていた。
俺はこいつのことを知っているが、しかし向こうが俺に接近してきたのは想定外だった。
「僕のこと、分かるんですね」
「お前みたいな美人はそうそういないからね」
斑目はサングラス越しに俺を威圧する。
「僕のことを知っているということは、僕がどうしてあなたに会いに来たかも分かりますよね」
俺は頷いた。
込み上げてくる笑いを喉の奥で噛み殺す。
「お前のファンがこのことを知ったらショック受けんだろうな」
サングラスの向こうで、焦茶色の瞳が僅かに歪んだ。
「裏アカを利用して男と会おうとするなんて、どこぞの週刊誌にでもバレたら大変だろ」
「……バレたら困るのはあなたも同じでしょう」
斑目も負けじと言い返してくる。
「そうだね。学校を辞めるのは別に構わないけど、俺もこの『バイト』結構気に入ってるからさ、そう易々と警察に捕まるわけにはいかないんだよね」
俺は今のところこの情報を誰かに売るつもりはない。
斑目もそれを見越して、わざわざ俺に直接会いに来るなどという無茶をしでかしたのだろう。
だったら、話だけでも聞いてやらないと可哀想か。
「俺に話があるんでしょ? ここでっていうのもなんだし場所を移す? できればホテルが良いんだけど……お前も俺も未成年だし予約は取れないよなぁ」
「僕の部屋に行きましょう」
「良いの?」
「その方が怪しまれることもないでしょう?」
「……ああ、なるほどね」
俺は目を覆うほどに深く被っていたフードを取り払った。鞄に仕舞っておいた伊達眼鏡を装着して、前髪を耳にかける。
一度目を閉じ、雑誌で何度も見た笑顔を想起する。
些細な仕草、息遣い。どんな時に笑い、どんなふうに笑うのか。俺はあいつの全てを理解している。
目を開けた。息を呑んで俺を見つめる斑目に、俺は笑いかけた。
「行こっか。カイ」
分厚い雲が空を覆い、逃げ場を失った水蒸気が地上に沈殿しているのを、汗を吸ったシャツが肌にまとわりつく感触で実感する。
幸運なことに車内は空いていて、好きな席を選ぶことができた。入り口から少し離れた窓際の席に腰を下ろし、目を閉じる。
電車の揺れに身を任せ、体に浮かんだ汗をクーラーが乾かしていくその心地良さに浸っていると、10分もかからないうちに目的の駅に着いたので、俺は仕方なく席を立った。
ホームに降り立つと、生温い空気が俺を素早く取り囲む。車内で感じた心地良さはすぐに不快感へと取って代わり、また汗が滲み出した。
くたびれた表情の男とすれ違い様に肩がぶつかる。
男は舌打ちをひとつ打つと、俺を恨めしげに睨みつけ、光に吸い寄せられる虫のように、ふらふらと電車の中へと消えていった。
最悪だ。
不快指数がじわじわと上がっていくのを感じながら、俺は何度も深呼吸を繰り返す。
こめかみを閃光のような頭痛が走った。頭を片手で押さえ、俺はズボンのポケットからスマホを引っ張り出す。
『アッシュ:19時に○○駅の前で。迷彩柄のカーゴパンツに黒シャツが目印です。背が高い方なのですぐに分かると思います』
『リコリス:分かりました。見かけたら、こちらから声をお掛けしますね』
スマホに映し出された文面を見ながら、辺りを見回す。
平日の夜ということもあり駅には会社帰りのサラリーマンや制服を着た学生達が大勢いた。
その中から、メッセージに書かれていた特徴に該当する人物を探し出すのにさほど時間は掛からなかった。
駅の入り口、客待ちをしているタクシーの列のすぐ隣で、壁に背中をもたせかけて立っている男。あれが今日のお相手だ。
男は黒いサングラスを身につけ、迷彩柄のカーゴパンツのポケットに手を入れている。
マッシュウルフの焦茶色の髪に、黒いシャツ。真夜中の路地裏にぼんやりと佇む街灯を彷彿とさせる白い肌が、やけに目に眩しく感じられる。
男は本人が自称するだけあって、かなりの長身だった。筋肉質かつ無駄な贅肉がついていない綺麗な体型をしている。
ともすれば不健康にも見える白い肌と、その健康的な体型のアンバランスさが妙に目を惹いた。
同性の俺から見ても「綺麗だ」と思わせる魅力的な男だった。
それがアッシュという男に抱いた第一印象。
そして、違和感。
その男をどこかで見たことがあるような気がしたのだ。
俺はパーカーのフードを深く被り直した。男から少し離れたバス停前の長椅子に腰掛け、スマホを見るフリをしながら男を観察する。
約束の時間から5分が過ぎようとしていた。
男は壁際に立ち、辺りにゆっくりと視線を這わす。
サングラスを掛けていることにより判然としない視線が、改札を、切符売り場を、駅に併設されたコンビニを、建物と建物の間の狭い路地を、行き交う人々を、
そしてバス停の椅子に座っている俺を見た。
俺はすぐさま目を逸らそうとしたが、しかし間に合わなかった。
男が壁から背中を離し、俺の方へ、ゆっくりとやってきた。
「_____リコリスさんですか」
男の艶のある声が耳に届くと同時に、頭痛がぴたりと止んだ。
「僕です、アッシュです」
半袖のシャツから伸びる腕は男らしく筋張ってゴツゴツとしていた。
アッシュはサングラスを指でずらし、俺の前に素顔を晒す。それはほんの数秒のことで、アッシュは素早く周囲に視線を巡らせ、すぐにサングラスを装着した。
……驚いた。まさか、アッシュの正体があいつだったなんて。
やけに目を惹く奴だとは思ったが、こうして目の前に来るまで全く気が付かなかった。
「……まさか、あのカイトとこうして会えるなんてね」
カイト。本名、斑目灰人。
斑目は俺が今通っている学校の生徒であり、モデル活動を行っている。
年は斑目の方がひとつ上なので直接顔を合わせたことはないが、クラスの女子達がこいつの話をしているのはたまに耳にしていた。
俺はこいつのことを知っているが、しかし向こうが俺に接近してきたのは想定外だった。
「僕のこと、分かるんですね」
「お前みたいな美人はそうそういないからね」
斑目はサングラス越しに俺を威圧する。
「僕のことを知っているということは、僕がどうしてあなたに会いに来たかも分かりますよね」
俺は頷いた。
込み上げてくる笑いを喉の奥で噛み殺す。
「お前のファンがこのことを知ったらショック受けんだろうな」
サングラスの向こうで、焦茶色の瞳が僅かに歪んだ。
「裏アカを利用して男と会おうとするなんて、どこぞの週刊誌にでもバレたら大変だろ」
「……バレたら困るのはあなたも同じでしょう」
斑目も負けじと言い返してくる。
「そうだね。学校を辞めるのは別に構わないけど、俺もこの『バイト』結構気に入ってるからさ、そう易々と警察に捕まるわけにはいかないんだよね」
俺は今のところこの情報を誰かに売るつもりはない。
斑目もそれを見越して、わざわざ俺に直接会いに来るなどという無茶をしでかしたのだろう。
だったら、話だけでも聞いてやらないと可哀想か。
「俺に話があるんでしょ? ここでっていうのもなんだし場所を移す? できればホテルが良いんだけど……お前も俺も未成年だし予約は取れないよなぁ」
「僕の部屋に行きましょう」
「良いの?」
「その方が怪しまれることもないでしょう?」
「……ああ、なるほどね」
俺は目を覆うほどに深く被っていたフードを取り払った。鞄に仕舞っておいた伊達眼鏡を装着して、前髪を耳にかける。
一度目を閉じ、雑誌で何度も見た笑顔を想起する。
些細な仕草、息遣い。どんな時に笑い、どんなふうに笑うのか。俺はあいつの全てを理解している。
目を開けた。息を呑んで俺を見つめる斑目に、俺は笑いかけた。
「行こっか。カイ」
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