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お前、そういうキャラなのか
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さて、気を取り直して俺達はもうひとりの婚約者候補(隠しキャラ)の家を訪れることになった。
「オベール。もしかしたら君はその人のことを知ってるかもね。その人は僕の家に何度も来たことがあるんだ」
その昔、ルシアン・セリーヌはジルベールの10歳の誕生日を祝い、画家に肖像画を描かせたことがあった。その画家は新進気鋭の若手でありながら、既に多くのパトロンがいたという。
「シャルル・ルグラン。その人が僕のもうひとりの婚約者候補なんだ」
「シャルル・ルグランって、あの画家の!? 会ったことはないけど、俺の家にも彼の絵はあるよ!」
オベールは意外にも、怒った様子はなかった。
「シャルルさんに会いにいくの、嫌じゃないの?」
「俺はね、実はシャルルさんのファンなんだ。君の婚約者だというのは気に食わないけど、でも、一度は会ってみたかったんだ!」
オベールは顔を紅潮させ、大きな声を上げる。一方でアレクサンドルは浮かない顔をしていた。
「シャルルさんには俺も会ったことがあるな。学校に絵を寄贈しにきたことがあったんだ」
「シャルルさんって、どんな人なの?」
「まあ、一言で言えば……変わり者だな」
シャルルの性格についての情報は、磯貝からもあまり聞いていない。磯貝は「説明するよりも会った方が早いと思うでござる」と言っていた。変人が服を着て歩いているような磯貝がそう言うんだから、よっぽどの変わり者なんだろう。
そんなことを話しているうちに、馬車は一等地にたどり着いた。爵位を持ったお金持ちばかりが住んでそうな家が立ち並ぶ中、こじんまりとした(他の家に比べれば相対的に小さく見えるだけで、普通に大きい)家の前にたどり着いた。
家の前には門番が立っていた。門番は突然現れた俺達を訝しげに観察していたが、俺が顔を見せると、急いで頭を下げ、門を開けた。
顔パスかよ。
入り口は馬車が入れられるほどの道幅だった。中に入ると俺達は馬車から降りた。使用人らしき少年が数名やってきて、バヤールから手綱を受け取る。
「セリーヌ様。今日はどのようなご用件でしょうか」
使用人は俺ににっこりと微笑んだ。アポもなしに現れたのにこの紳士的な対応。なんだか申し訳ない。
「シャルルさんに会いにきたんだ」
「旦那様にですか。そちらの方々は?」
オベールが俺の前に出る。
「想来と結婚するに相応しい男だよ」
まずは名前を名乗ろうよ。失礼の上塗りはやめてくれ。
「いや。俺こそが想来と結婚するべきだ」
アレクサンドル、お前まで……。
使用人は一瞬面食らった、もといドン引きした表情を見せたが、すぐに笑みを作り、恭しい仕草で俺達を屋敷に入れた。
玄関に入った瞬間、俺は息を呑んだ。
黒と白。壁も、扉も、床も、天井も、調度品も、全てが黒と白で構成されている。そして壁にずらりと並んで掛けられた絵画も、その額縁に至るまでモノクロのトーンで構成されていた。
シャルル・ルグラン。黒い絵の具の濃淡のみで絵を描く、新人の画家だ。どの流派にも属さず、伝統破りのその画風は周囲の画家から疎まれていたけれど、それでもシャルルを支持する「物好き」なファンは多い。
シャルルは、生まれつき物の色が認識できない障害を持っていた。
つまり、シャルルの世界から見た景色は常にこのように見えてるってわけで……。なんか、ちょっと怖いな。
オベールは目を輝かせて辺りを見回している。
「噂には聞いていたが、実際に見てみると凄いな。壁に掛かっている絵も、全て彼の作品かい?」
「ええ。気に入ったものがございましたら、交渉次第ではお譲りすることもできますよ」
「本当か!?」
オベール、俺と喋ってる時よりも楽しそうじゃん。そんなにシャルルのことが好きなら、シャルルと結婚すれば良いのに。
……って何を思ってるんだ、俺は! まるで俺がシャルルに嫉妬してるみたいじゃないか。
あり得ないあり得ない。登場人物は全員男なんだぞ。男に嫉妬するなんてあり得ない話だ。
オベールがシャルルのファンだからって俺には何の関係もないだろ。落ち着けよ、俺。
胸に手を当て、深呼吸をする。
絵画を眺めるオベールを見て、使用人は嬉しそうに笑う。
「この家にお客様がいらっしゃるのは、久しぶりですね。この家も、なんだか喜んでいるように見えます」
「シャルルさんは、あまり人付き合いが得意ではないんですか?」
「いえ。旦那様はとても友好的な方で、お知り合いも多くいらっしゃるのですが……1年程前からスランプに陥ってしまって、全く絵が描けなくなってしまったんです。それと同時に、塞ぎ込むようになってしまって……」
「それは大変だな。病気に行かれた方が良いんじゃないのかい?」
「私共も勧めましたが、旦那様は『問題ない』の一点張りでして……最近では、私共を部屋に入れてくださることすらなくなってしまったんです。以前だったら、絵の進捗を私共に嬉しそうにお話になっていらっしゃったのに……」
どう考えても様子がおかしいな。……でも、ゲームのシナリオにこんなのあったっけ? 後で磯貝に聞いてみよう。
「早く良くなると良いですね」
「はい。でも、セリーヌ様がいらっしゃったと知ったら、旦那様もすぐにいつもの調子を取り戻されると思います」
長い廊下を進み、扉の前に立つ。
「旦那様、お客様がいらっしゃいましたよ」
「……客?」
「はい。想来様です」
「ソラ?」
「セリーヌ様ですよ。寝ぼけていらっしゃるのですか?」
「……ああ、セリーヌか。分かった。入れて良いよ」
「失礼致します」
扉が開かれる。その途端、室内から絵の具の濃厚な香りが漂ってきた。
部屋には明かりひとつ付いていなかった。窓から差し込む光が、部屋を薄暗く映し出す。床に乱雑に積まれた本に、紙。窓際に置かれたキャンバスの前に、ひとりの青年が腰掛けていた。
長い灰色の髪を首元でひとつにまとめた髪型。神経質そうな顔立ち。高い鼻に、切れ長の目。灰色の瞳。黒い服。
使用人がランプに灯りを点すと、更に部屋は明るく浮き彫りになった。
シャルルは俺達の方を振り返るなり、目を見開いた。
「あなたは……!」
立ち上がった拍子に丸椅子が倒れ、床に転がる。シャルルは椅子には気を留めず、俺の元へとやってきた。
「あの、シャルルさん……?」
なんだか様子がおかしい。これが愛する人に向ける顔か? まるで、幽霊に遭遇したみたいだ。
俺達は向き直った。シャルルは黙って俺を見下ろしている。目が合っているはずなのに、妙に視線が合わない。不思議に思った俺は背後を振り返った。その途端、オベールが俺の前に躍り出た。
「シャルル・ルグランさん! 俺、いや、私はあなたのファンなんです!」
オベールはそう言うなり、シャルルに手を差し出した。
「お会いできて光栄です。どうか、お近づきの印に握手をしてくださいますか」
シャルルは狼狽えながらもオベールと握手を交わす。オベールは感激したように瞳を潤ませた。
「想来! 俺、あのシャルルさんと握手をしたんだ!」
「う、うん。良かったね」
「ああ、こんなに嬉しいのは、君が目を覚ました時振りかもしれない!」
オベールが俺に抱きつく。
「何をしてるんだ!」
アレクサンドルが俺からオベールを引き剥がした。
「全く。お前は油断も隙もない奴だな。なぁ、想来。……想来?」
「……あ、いや、何でもない。ちょっとびっくりしただけだよ」
心臓がドクドクと脈打っている。顔が自然と熱くなってきて、そんな自分が不可解だった。
何で俺、オベールに抱きしめられてドキドキしてるんだろう。おかしいな。
バヤールにオベールの話を聞いてから、どうも調子が変だ。
「……ソラ。あなた、倒れてたの?」
シャルルが困惑したように尋ねてくる。そうか。倒れた後、俺はシャルルと連絡を取っていないのか。
「数週間前、事故で怪我をしてしまい、しばらくの間静養していたんです。連絡もできずに申し訳ありません」
「怪我を? 今は大丈夫なの?」
「体の方は何ともありません。ですが、記憶にちょっと問題があって……目が覚める以前のことを、あまり覚えていないんです」
「記憶喪失ってこと? もしかして私のことも?」
俺は頷いた。シャルルは呆然としたように俺を見つめた後、小さくため息を吐いた。
「それは大変だったわね。私の方こそ、あなたがそんなことになっていたのにお見舞いにも行けずに申し訳ないわ」
「連絡をしなかったのは僕の方ですから、シャルルさんが気に病むことはありませんよ」
……ところで、この人男なんだよね? そういうのって結構デリケートだから、ちょっと聞き辛いな。
「シャルルさん。シャルルさんは男の人なんですよね?」
俺の心を読んだみたいに、オベールが代わりに尋ねてくれた。シャルルは眉間にシワを寄せる。
「男だけど、それがどうかしたのかしら? 私がどんな喋り方をしていようと私の勝手じゃない」
オベールは少し落ち込んだ様子を見せながら謝った。シャルルは軽く鼻を鳴らすと、窓の外を一瞥する。
「ここだと窮屈だから、庭に移りましょう。私に話したいことがあるんでしょう?」
シャルルが部屋の外に出た。使用人は喜びに涙を流していた。
*
「……そう。それであなた達は私に抑制剤を届けにきたということね」
シャルルは受け取った小瓶をまじまじと観察している。
「それにしても律儀な人ね、あなたって。記憶を失くしたのなら、わざわざ私のところになんて来なくても良かったのに」
「そういうわけにはいきませんよ」
俺の知らないところで勝手にパラメータが変動しても困るからね。
「たとえ記憶を失くしたとしても、以前の僕があなたのことを信頼していたことは確かですから。その信頼を、僕が壊すわけにはいかないと思ったんです」
「信頼、ねぇ……」
シャルル・ルグランは、芸術のパラメータを上げることで攻略できるキャラだ。家の書庫で図鑑を見たりすることで芸術のパラメータは上げられる。
シャルルの描く絵に惚れたジルベールは、何度もシャルルを家に招くようになる。親交を深めるうちに絵だけでなくシャルルの人柄にも惚れ、ジルベールはシャルルに告白をする。
最初のうちは「誰とも結婚するつもりはない」と突っぱねていたシャルルも、ジルベールに絆され、最終的には結婚を決める。
芸術家だから気難しい性格なんだろうと思ってはいたけど、実際に会ってみると、想像以上に繊細そうな人だ。
「それに僕、あなたの絵が好きなんです。僕の部屋に飾ってる絵は、あなたが描いてくれたものですよね?」
「その通りよ。でも、私の絵が好きなのだとしたら、尚更私と結婚するべきではないわ」
「なんでですか?」
「聞かなかった? 私、もう絵が描けなくなってしまったのよ。もう1年以上も何も描けてない。だから、私と結婚したって、もう何の意味もないわよ」
オベールは「そんなことを言わないでください」とシャルルに慰めの言葉を掛けた。だけどシャルルにはオベールの言葉は届いていないようだった。
絵が描けなくなったから結婚しない? どうも納得がいかないな。
向こうの方から結婚しないと言ってるんだから受け入れた方が良いのかもしれない。でも、もしこれが本心じゃないとしたら、ここでわだかまりを解消してないと面倒なことになる気がする。
「……シャルルさんが絵が描けない、というのは分かりました。ですが僕はまだ、あなたの口から『僕のことが好きかどうか』を聞いていません」
「……」
「1年前から悩んでいたのなら、もっと早く前に僕に言い出すこともできたじゃないですか。それをしないってことは、僕が記憶を失った理由にかこつけて、婚約を破棄しようとしてるようにしか僕には聞こえないんです。シャルルさん。シャルルさんは本当は僕のことがまだ好きなんじゃないですか?」
「……好きだ、と言ったらどうなるの。私がまた絵を描けるようになるとでも?」
「それは分かりませんが、でも、たとえ一生絵が描けなかったとしても、『僕』はあなたを見捨てたりなんかしません」
シャルルは掌の小瓶をじっと見つめ、黙り込んでいる。
「……どんなに嫌いだと思い込もうとしても、好きになってしまうこともある」
「え?」
「どの時代も、許されない恋は存在するわ。たとえ私達が許したとしても、世間が決して認めない。そういう恋もあるのよ」
シャルルは懐に小瓶を仕舞い込んだ。
「私がまた絵を描けるようになった時、もう一度来てちょうだい。もっとも、その時にはもう既に、あなたは自分にとっての最高な人を見つけているかもしれないけどね」
俺達はシャルルの屋敷を後にした。
許されない恋は存在する。シャルルがそう言ったことが頭を離れなかった。シャルルとジルベールの仲のことを言っているんだろうか。それとも、別の意味がそこには隠されていたんだろうか。
こういう時に磯貝がそばにいてくれたら、色々とアドバイスを貰えるかもしれないのになぁ。
「オベール。もしかしたら君はその人のことを知ってるかもね。その人は僕の家に何度も来たことがあるんだ」
その昔、ルシアン・セリーヌはジルベールの10歳の誕生日を祝い、画家に肖像画を描かせたことがあった。その画家は新進気鋭の若手でありながら、既に多くのパトロンがいたという。
「シャルル・ルグラン。その人が僕のもうひとりの婚約者候補なんだ」
「シャルル・ルグランって、あの画家の!? 会ったことはないけど、俺の家にも彼の絵はあるよ!」
オベールは意外にも、怒った様子はなかった。
「シャルルさんに会いにいくの、嫌じゃないの?」
「俺はね、実はシャルルさんのファンなんだ。君の婚約者だというのは気に食わないけど、でも、一度は会ってみたかったんだ!」
オベールは顔を紅潮させ、大きな声を上げる。一方でアレクサンドルは浮かない顔をしていた。
「シャルルさんには俺も会ったことがあるな。学校に絵を寄贈しにきたことがあったんだ」
「シャルルさんって、どんな人なの?」
「まあ、一言で言えば……変わり者だな」
シャルルの性格についての情報は、磯貝からもあまり聞いていない。磯貝は「説明するよりも会った方が早いと思うでござる」と言っていた。変人が服を着て歩いているような磯貝がそう言うんだから、よっぽどの変わり者なんだろう。
そんなことを話しているうちに、馬車は一等地にたどり着いた。爵位を持ったお金持ちばかりが住んでそうな家が立ち並ぶ中、こじんまりとした(他の家に比べれば相対的に小さく見えるだけで、普通に大きい)家の前にたどり着いた。
家の前には門番が立っていた。門番は突然現れた俺達を訝しげに観察していたが、俺が顔を見せると、急いで頭を下げ、門を開けた。
顔パスかよ。
入り口は馬車が入れられるほどの道幅だった。中に入ると俺達は馬車から降りた。使用人らしき少年が数名やってきて、バヤールから手綱を受け取る。
「セリーヌ様。今日はどのようなご用件でしょうか」
使用人は俺ににっこりと微笑んだ。アポもなしに現れたのにこの紳士的な対応。なんだか申し訳ない。
「シャルルさんに会いにきたんだ」
「旦那様にですか。そちらの方々は?」
オベールが俺の前に出る。
「想来と結婚するに相応しい男だよ」
まずは名前を名乗ろうよ。失礼の上塗りはやめてくれ。
「いや。俺こそが想来と結婚するべきだ」
アレクサンドル、お前まで……。
使用人は一瞬面食らった、もといドン引きした表情を見せたが、すぐに笑みを作り、恭しい仕草で俺達を屋敷に入れた。
玄関に入った瞬間、俺は息を呑んだ。
黒と白。壁も、扉も、床も、天井も、調度品も、全てが黒と白で構成されている。そして壁にずらりと並んで掛けられた絵画も、その額縁に至るまでモノクロのトーンで構成されていた。
シャルル・ルグラン。黒い絵の具の濃淡のみで絵を描く、新人の画家だ。どの流派にも属さず、伝統破りのその画風は周囲の画家から疎まれていたけれど、それでもシャルルを支持する「物好き」なファンは多い。
シャルルは、生まれつき物の色が認識できない障害を持っていた。
つまり、シャルルの世界から見た景色は常にこのように見えてるってわけで……。なんか、ちょっと怖いな。
オベールは目を輝かせて辺りを見回している。
「噂には聞いていたが、実際に見てみると凄いな。壁に掛かっている絵も、全て彼の作品かい?」
「ええ。気に入ったものがございましたら、交渉次第ではお譲りすることもできますよ」
「本当か!?」
オベール、俺と喋ってる時よりも楽しそうじゃん。そんなにシャルルのことが好きなら、シャルルと結婚すれば良いのに。
……って何を思ってるんだ、俺は! まるで俺がシャルルに嫉妬してるみたいじゃないか。
あり得ないあり得ない。登場人物は全員男なんだぞ。男に嫉妬するなんてあり得ない話だ。
オベールがシャルルのファンだからって俺には何の関係もないだろ。落ち着けよ、俺。
胸に手を当て、深呼吸をする。
絵画を眺めるオベールを見て、使用人は嬉しそうに笑う。
「この家にお客様がいらっしゃるのは、久しぶりですね。この家も、なんだか喜んでいるように見えます」
「シャルルさんは、あまり人付き合いが得意ではないんですか?」
「いえ。旦那様はとても友好的な方で、お知り合いも多くいらっしゃるのですが……1年程前からスランプに陥ってしまって、全く絵が描けなくなってしまったんです。それと同時に、塞ぎ込むようになってしまって……」
「それは大変だな。病気に行かれた方が良いんじゃないのかい?」
「私共も勧めましたが、旦那様は『問題ない』の一点張りでして……最近では、私共を部屋に入れてくださることすらなくなってしまったんです。以前だったら、絵の進捗を私共に嬉しそうにお話になっていらっしゃったのに……」
どう考えても様子がおかしいな。……でも、ゲームのシナリオにこんなのあったっけ? 後で磯貝に聞いてみよう。
「早く良くなると良いですね」
「はい。でも、セリーヌ様がいらっしゃったと知ったら、旦那様もすぐにいつもの調子を取り戻されると思います」
長い廊下を進み、扉の前に立つ。
「旦那様、お客様がいらっしゃいましたよ」
「……客?」
「はい。想来様です」
「ソラ?」
「セリーヌ様ですよ。寝ぼけていらっしゃるのですか?」
「……ああ、セリーヌか。分かった。入れて良いよ」
「失礼致します」
扉が開かれる。その途端、室内から絵の具の濃厚な香りが漂ってきた。
部屋には明かりひとつ付いていなかった。窓から差し込む光が、部屋を薄暗く映し出す。床に乱雑に積まれた本に、紙。窓際に置かれたキャンバスの前に、ひとりの青年が腰掛けていた。
長い灰色の髪を首元でひとつにまとめた髪型。神経質そうな顔立ち。高い鼻に、切れ長の目。灰色の瞳。黒い服。
使用人がランプに灯りを点すと、更に部屋は明るく浮き彫りになった。
シャルルは俺達の方を振り返るなり、目を見開いた。
「あなたは……!」
立ち上がった拍子に丸椅子が倒れ、床に転がる。シャルルは椅子には気を留めず、俺の元へとやってきた。
「あの、シャルルさん……?」
なんだか様子がおかしい。これが愛する人に向ける顔か? まるで、幽霊に遭遇したみたいだ。
俺達は向き直った。シャルルは黙って俺を見下ろしている。目が合っているはずなのに、妙に視線が合わない。不思議に思った俺は背後を振り返った。その途端、オベールが俺の前に躍り出た。
「シャルル・ルグランさん! 俺、いや、私はあなたのファンなんです!」
オベールはそう言うなり、シャルルに手を差し出した。
「お会いできて光栄です。どうか、お近づきの印に握手をしてくださいますか」
シャルルは狼狽えながらもオベールと握手を交わす。オベールは感激したように瞳を潤ませた。
「想来! 俺、あのシャルルさんと握手をしたんだ!」
「う、うん。良かったね」
「ああ、こんなに嬉しいのは、君が目を覚ました時振りかもしれない!」
オベールが俺に抱きつく。
「何をしてるんだ!」
アレクサンドルが俺からオベールを引き剥がした。
「全く。お前は油断も隙もない奴だな。なぁ、想来。……想来?」
「……あ、いや、何でもない。ちょっとびっくりしただけだよ」
心臓がドクドクと脈打っている。顔が自然と熱くなってきて、そんな自分が不可解だった。
何で俺、オベールに抱きしめられてドキドキしてるんだろう。おかしいな。
バヤールにオベールの話を聞いてから、どうも調子が変だ。
「……ソラ。あなた、倒れてたの?」
シャルルが困惑したように尋ねてくる。そうか。倒れた後、俺はシャルルと連絡を取っていないのか。
「数週間前、事故で怪我をしてしまい、しばらくの間静養していたんです。連絡もできずに申し訳ありません」
「怪我を? 今は大丈夫なの?」
「体の方は何ともありません。ですが、記憶にちょっと問題があって……目が覚める以前のことを、あまり覚えていないんです」
「記憶喪失ってこと? もしかして私のことも?」
俺は頷いた。シャルルは呆然としたように俺を見つめた後、小さくため息を吐いた。
「それは大変だったわね。私の方こそ、あなたがそんなことになっていたのにお見舞いにも行けずに申し訳ないわ」
「連絡をしなかったのは僕の方ですから、シャルルさんが気に病むことはありませんよ」
……ところで、この人男なんだよね? そういうのって結構デリケートだから、ちょっと聞き辛いな。
「シャルルさん。シャルルさんは男の人なんですよね?」
俺の心を読んだみたいに、オベールが代わりに尋ねてくれた。シャルルは眉間にシワを寄せる。
「男だけど、それがどうかしたのかしら? 私がどんな喋り方をしていようと私の勝手じゃない」
オベールは少し落ち込んだ様子を見せながら謝った。シャルルは軽く鼻を鳴らすと、窓の外を一瞥する。
「ここだと窮屈だから、庭に移りましょう。私に話したいことがあるんでしょう?」
シャルルが部屋の外に出た。使用人は喜びに涙を流していた。
*
「……そう。それであなた達は私に抑制剤を届けにきたということね」
シャルルは受け取った小瓶をまじまじと観察している。
「それにしても律儀な人ね、あなたって。記憶を失くしたのなら、わざわざ私のところになんて来なくても良かったのに」
「そういうわけにはいきませんよ」
俺の知らないところで勝手にパラメータが変動しても困るからね。
「たとえ記憶を失くしたとしても、以前の僕があなたのことを信頼していたことは確かですから。その信頼を、僕が壊すわけにはいかないと思ったんです」
「信頼、ねぇ……」
シャルル・ルグランは、芸術のパラメータを上げることで攻略できるキャラだ。家の書庫で図鑑を見たりすることで芸術のパラメータは上げられる。
シャルルの描く絵に惚れたジルベールは、何度もシャルルを家に招くようになる。親交を深めるうちに絵だけでなくシャルルの人柄にも惚れ、ジルベールはシャルルに告白をする。
最初のうちは「誰とも結婚するつもりはない」と突っぱねていたシャルルも、ジルベールに絆され、最終的には結婚を決める。
芸術家だから気難しい性格なんだろうと思ってはいたけど、実際に会ってみると、想像以上に繊細そうな人だ。
「それに僕、あなたの絵が好きなんです。僕の部屋に飾ってる絵は、あなたが描いてくれたものですよね?」
「その通りよ。でも、私の絵が好きなのだとしたら、尚更私と結婚するべきではないわ」
「なんでですか?」
「聞かなかった? 私、もう絵が描けなくなってしまったのよ。もう1年以上も何も描けてない。だから、私と結婚したって、もう何の意味もないわよ」
オベールは「そんなことを言わないでください」とシャルルに慰めの言葉を掛けた。だけどシャルルにはオベールの言葉は届いていないようだった。
絵が描けなくなったから結婚しない? どうも納得がいかないな。
向こうの方から結婚しないと言ってるんだから受け入れた方が良いのかもしれない。でも、もしこれが本心じゃないとしたら、ここでわだかまりを解消してないと面倒なことになる気がする。
「……シャルルさんが絵が描けない、というのは分かりました。ですが僕はまだ、あなたの口から『僕のことが好きかどうか』を聞いていません」
「……」
「1年前から悩んでいたのなら、もっと早く前に僕に言い出すこともできたじゃないですか。それをしないってことは、僕が記憶を失った理由にかこつけて、婚約を破棄しようとしてるようにしか僕には聞こえないんです。シャルルさん。シャルルさんは本当は僕のことがまだ好きなんじゃないですか?」
「……好きだ、と言ったらどうなるの。私がまた絵を描けるようになるとでも?」
「それは分かりませんが、でも、たとえ一生絵が描けなかったとしても、『僕』はあなたを見捨てたりなんかしません」
シャルルは掌の小瓶をじっと見つめ、黙り込んでいる。
「……どんなに嫌いだと思い込もうとしても、好きになってしまうこともある」
「え?」
「どの時代も、許されない恋は存在するわ。たとえ私達が許したとしても、世間が決して認めない。そういう恋もあるのよ」
シャルルは懐に小瓶を仕舞い込んだ。
「私がまた絵を描けるようになった時、もう一度来てちょうだい。もっとも、その時にはもう既に、あなたは自分にとっての最高な人を見つけているかもしれないけどね」
俺達はシャルルの屋敷を後にした。
許されない恋は存在する。シャルルがそう言ったことが頭を離れなかった。シャルルとジルベールの仲のことを言っているんだろうか。それとも、別の意味がそこには隠されていたんだろうか。
こういう時に磯貝がそばにいてくれたら、色々とアドバイスを貰えるかもしれないのになぁ。
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