御伽の空は今日も蒼い

霧嶋めぐる

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義弟、レオ

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 レオ・セリーヌ。血は繋がっていないが、名前の通り主人公の弟だ。年齢は主人公よりひとつ下の16歳。
 主人公の父親(α)が若くして亡くなり、その後新しく迎え入れた夫の連れ子がレオだった。3歳の時にやって来て以来セリーヌ家から一度も出たことのないレオは世間知らずで、だけど正義感は人一倍強い。
 「血が繋がっていない」と言ったけど、それが明かされるのはレオルートのみだ。他のルートではレオは実の弟ということになっていて、主人公達を応援する従順で良き弟という立場になっている。
 でも、他のキャラに混じって主人公に告白をしているということは、この世界線では血が繋がっていないことは周りに打ち明け済みなんだろう。

 レオは食事の乗ったトレイをベッドに持ってこようとする。俺はそれを手で制し、立ち上がった。

「もうずっとベッドに横になってたんだ。少しは立ち上がらないと、体がなまっちゃうよ」

 レオは机の上に食事を置き直す。

「部屋の前にいますので、何かありましたらお申し付けください」

 そう言って、さっと部屋の外に出ていこうとする。

「待って、レオ」
「いかがなさいましたか?」
「ひとりでご飯を食べるのは味気ないと思わない? できれば、そばにいてほしいんだけど……」

 レオはきょとんと目を丸くさせた。

「義兄さんのおそばにいても、よろしいのですか?」
「良いも何も兄弟でしょ」
「それはそうですが……」

 主人公のことが好きなのだからすぐに提案に飛びついてくると思いきや、レオはあまり乗り気ではないみたいだ。兄弟としてより、召使いとしての役目を重要視しているんだろうか。
 
「君にはこの家のことを教えてほしいんだ。喋っているうちに、思い出せることもあるかもしれないから」
「……義兄さん。まだ記憶が戻ってないんですね」

 主人公として振る舞うと決めた俺だが、記憶喪失の設定はそのまま利用することにした。磯貝からゲームの話は粗方聞いているけど、覚えられる自信がなかったからだ。

「ごめんね、どうしても思い出せないんだ。思い出そうとすると、頭が痛くなって……」

 包帯を手で押さえると、レオは慌てて首を振った。

「無理して思い出す必要はありませんよ。どんなに記憶をなくしたって、義兄さんは義兄さんであることに変わりはありません。お気になさらなくても良いんですよ」

 レオは良い奴だ。本当に「僕」のことが好きなんだろうな。中身がこんな陰キャであることが申し訳なくなってくる。

「困ったことがあれば何でも言ってくださいね。あ、僕の名前は分かります?」
「あはは。流石にそれくらいは分かるよ。レオでしょ」
「……はい。義兄さん」

 レオは目を閉じ、ふんわりと花がほころぶように笑う。レオの笑顔を見ていると、俺も嬉しくなった。
 
 
 机に置かれた食事は、いかにも貴族が食べていそうな豪華な(と言っても現代には流石に劣るけど)ものだった。貴重な肉やパンと野菜。そして紅茶。肉は朝から食べるには少し重たいけどそれでも美味しく、空っぽだった胃にするすると収まっていく。
 全てを食べ終えた時、俺はたった今まで忘れかけていたあることを思い出した。ぐるりと部屋を見回す。バルコニーに続く窓と廊下へ続く扉以外に、出入り口は見当たらない。
 レオは歳が近いおかげか、とても喋りやすい。考えごとをしていて気が抜けていた俺はうっかり、オベールの名前を出してしまった。

 しまった。と思った時には既に遅く、レオはムッと眉を寄せていた。

「義兄さん、あの人は本当に失礼な人です。幼馴染だか何だか知りませんが、まるで自分の家のように自儘に振る舞うのはやめてほしいですよ。あの人が部屋にずっと居座っているせいで、他の方々も非常に迷惑していたんですよ」

 レオはオベールに対する不満を俺にぶちまける。

 俺が馬から落ちて1週間以上眠り続けていた間、オベールは決して俺のそばを離れようとしなかったらしい。おかげで他のキャラは俺に近づけなかったとか。全く、嫉妬深いオベールのやりそうなことだね。

……ああ、それよりレオにあのことを聞かないと。

「義兄さんも迷惑なことはちゃんとはっきりと言ってやった方が良いですよ!」
「ねぇ、レオ」
「何ですか?」
「その……ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「?……はい。何でしょうか」

 俺は意を決して言った。

「ト、トイレってどこにある……?」


 この世界が本当の中世ヨーロッパではなくゲームの世界だったことに感謝しかない。トイレはちゃんと存在していた。しかも個室だった。ゲーム万歳。
 
 トイレから出てきた俺に、レオは深々と頭を下げた。

「ありがとう、助かったよ」
「義兄さんのお役に立つのが僕の役目ですから。僕は義兄さんのためなら何だってしますよ」

 それはありがたい、けど……。

 キラキラと紺色の瞳を輝かせるレオを見ていると、恐ろしい考えが頭に浮かぶ。

 俺が寝ている間、誰が「そういう」ことをしていたんだろう。

 答えを知りたくない。だけど気になる。頭の中で、数々の男達の顔が踊った。そして最終的に残ったのはオベールとレオ、アレクサンドルの3人だった。俺は頭を抱えたくなった。
 意識がない間はノーカンだし、そもそもこの体は俺のものじゃないんだから恥ずかしがる必要はない。そうと分かっていても自然と顔が熱くなる。

 落ち着け、俺。このゲームは病人の看護をシミュレートするゲームじゃない。BLゲームだ。高校生でもプレイできる健全なゲームだ。まさかそういうシーンはないだろう(あったとして誰得過ぎるが)。「僕」の裸はまだ誰にも見られてはいないはずだ、うん。

 俺は水浴びをした犬みたいに頭を振った。余計なことは考えるな。今は、ゲームをクリアすることだけに集中しよう。

 レオの提案により、俺は屋敷の中を見て回ることになった。パネルを使えば地図を開けるが、実際に見て回れるならそのほうが良い。
 というか、トイレの場所もレオに聞かずに地図を開けば良かったんだ。すっかり忘れてた。次困った時は、とりあえずパネルで調べてみるか、磯貝に聞くことにしよう。

 屋敷はとても広かった。侯爵がこの作品内でどれほどの地位なのかは分からないけど、代々続く家柄なだけあって、それなりに裕福なんだろう。
 広い屋敷を取り囲むように塀が張り巡らされ、ひとつしかない門には門番が数人立っている。門を抜けると馬車1台通る幅の整備された道が、屋敷の入り口へと続いている。道の両脇には手入れされた植物が植っている。
 屋敷の更に先には広い庭がある。俺の部屋のバルコニーから見渡せるのがこの庭だ。客を迎えるために絢爛に作られた入り口側の空間とは違って、こっちは完全にセリーヌ家の住民が使用するためにあるんだろう。見た目は簡素で、落ち着いた雰囲気が漂っている。

 そして屋敷の中。屋敷には様々な部屋があった。客間や談話室、家族で食事を摂るためのダイニング、使用人の部屋、セリーヌ家当主とその夫の部屋、主人公の兄の部屋、娯楽室、書斎……などなど。
 びっくりしたことに、この屋敷には風呂があるらしい。火を起こせばちゃんとお湯にも浸かれるし、しかもしっかり疲れを取れるように浴槽は広々としている。完全に日本人のために作られたみたいな部屋だ。
 良いね。ゲームって最高だ。

 更に驚くのは、この屋敷はセリーヌ家が所有する土地の一部分でしかないということだ。国境沿いの所有地にはセリーヌ家当主の兄、フロラン・セリーヌが屋敷を構えている。

 前言撤回。ではない。馬鹿みたいに裕福だ。

「……と、屋敷の中はこんな感じになってます。覚えられそうですか?」
「ひとまずは大丈夫かな。忘れちゃったら、また屋敷の中を見て回るのも楽しいだろうしね」
「屋敷内を移動する際は、ぜひ僕を呼んでください。ご案内いたしますよ」

 その時ちょうど、屋敷を掃除している高齢の使用人に出会った。使用人は俺をちらりと見て、小さく会釈をする。無表情で、何だか怖そうな人だ。

「おや、想来お坊ちゃま。屋敷を歩き回る元気があるようで何よりだね」
「……はい。おかげさまで。この通りもうすっかり元気です」

 今、俺の包帯を見たな。

 体を労ってくれるのはオベールもレオも同じだったけど、このお爺さんの言い方は2人とは違って刺々しかった。

「先程ベルトラン様が帰っていくのを見たが、お見送りはしなくても大丈夫だったのかい? あの方はお坊ちゃんの婚約者なんだろう?」

 レオが会話に口を挟む。
 
「婚約者ではありませんよ。想来様はまだ、結婚相手をお決めになっていません」
「まだ決めてないのかい? ぐずぐずしてると、そのうち愛想を尽かれて誰にも相手にされなくなってしまうよ」
「想来様は聡明なお方です。どのお方と結婚するのがこの家のためになるか、見極めておられるのですよ」

 使用人のお爺さんは唇を小さく動かす。

「早く子供を産みなさい。それが、坊ちゃんにできる唯一のことだ」

 そう言うなり箒を握りしめ、俺達に背を向けて掃除を再開した。それ以上話すつもりはないようだった。

 ……何だか、嫌な感じだ。あの人……いや、あのジジイ。

「あのジジイ、失礼なことばっかり言いやがる。旦那様の知り合いじゃなければ、今すぐにでも追い出してやるのに」

……んん? あれ? 今俺心の声漏れちゃった?

 レオの方をチラッと見たけど、レオは気にした様子はなかった。良かった。心の声が漏れたわけじゃないみたいだ。ということは今の声は……レオ?

 レオが俺ににこやかに笑いかける。

「あの人の言うことに耳を貸す必要はありませんよ。どうせ義兄さんには逆らえないんですから、聞き流しておけば良いんです」

 その後もちらほらと屋敷内で使用人を見かけた。通りかかる際に礼をすると、向こうも礼を返してきた。さっきのお爺さんのように直接的な嫌味を言ってくることはなかったけど、俺に刺さる視線はどことなく嫌な感じがする。

 気のせいかな。そう思って、俺は気にしないふりをしようとした。でも俺は聞き逃さなかった。使用人の側を通り過ぎ、曲がり角を曲がろうとした時に、俺にだけ聞こえるような声で小さく
「Ωの癖に偉そうにしやがって」
 と誰かが呟いていたのを。

 俺は立ち止まり、背後を振り返った。

「義兄さん?」

 レオも立ち止まり、俺を不思議そうに見る。

「いかがなさいました?」
「いや……」

 俺は困惑した。主人公は曲がりなりにもセリーヌ家の次期当主なはずだ。それなのに何故、ここまで使用人からの評判が悪いんだろう。
 Ωだから? でも、この家ではΩって貴重な存在なんじゃないの?

「……レオ。聞いても良いかな」
「何でしょう」
「この家で僕はどういう立場なの?……僕、あの人達に何かした?」

 レオが顔をしかめ、曲がり角の先を睨んだ。レオの周りだけ、一瞬にして温度が何度も下がったみたいだ。

「義兄さん、あいつらに何か言われましたか?」

 レオは低く唸るような声で呟く。嫌な予感がして、慌ててレオの肩を掴んだ。

「違う、違うよ! 単純に気になったんだ。僕は今は記憶がないけど、この家を継ぐのなら、自分の置かれた状況は理解していたほうが良いでしょ?」

 廊下の先に向けられていた矢のような鋭い視線が、俺に向かってくる。

「本当に何も言われてないんですか?」

 俺の目の前に突然パネルが登場する。パネルにはふたつの選択肢が表示されている。

【レオに正直に話す】
【レオに秘密にしておく】

……一応選択肢も出てくるんだな。恐らく、どっちを選ぶかによってパラメーターに変化が出るんだろう。

 声を発そうとすると、喉の奥でつっかえたように言葉が出てこない。どうやら選択肢を強制的に選ばされるみたいだ。第3の選択肢はなしってことか。

 どっちを選ぼう。正直に話しても良いんだけど、さっきのレオの態度を見るに、何だか面倒なことになりそうな予感がする。
 ここは取り敢えず誤魔化しておくか。オベールの時もそうだけど、誤魔化してばっかだな、俺……。

【レオに秘密にしておく】
 を押すと、パネルは姿を消した。

「何も言われてないよ。大丈夫。ただ、通りかかる度になんか、みんなの視線が気になるなぁって、そう思っただけ」

 レオはまだ不審そうな表情をしていたけれど、ひとまず怒りは抑えてくれたようだった。

「……彼等は、自分達が蔑んできたΩが自分より上の立場にあることが妬ましいんでしょう」
「Ωって、そんなに妬まれたり蔑まれたりするような存在なの?」
「残念なことですが、一般的には。セリーヌ家では代々Ωが家を継ぐことになっていますが、それは非常に珍しいことなんです。大抵の人は、『優秀』なαに家を継がせたがるものですから。彼等は元々この家に仕えていた人達ではなく外からやってきた人達ですから、尚更Ωに対する差別の感情が強いんでしょうね」

 俺は腐男子ではないしオメガバースはネットでちょっと調べた程度の知識しかない。だけどそんな俺でも、αが優秀な人間として扱われ、Ωはどちらかと言えば侮蔑の対象とされていることは知っている。このゲームでもどうやら同じみたいだ。

「その人の為人を見ずに性別だけで判断するのは馬鹿のすることです。確かに義兄さんはΩかもしれない。でも、僕は義兄さんがこの家の跡取りに相応しい優秀なお人だってことは分かっていますよ」
「……レオは、僕のことを馬鹿にはしないんだね」
「馬鹿になんてするはずがありません。義兄さんは僕の希望であり、憧れですから」

 希望? 憧れ?

「あなたがこの家の未来を変えるんですよ、義兄さん。義兄さんが正真正銘セリーヌ家の当主となった暁には、皆が義兄さんのことを敬い、讃えるでしょう。そんな人を馬鹿にするなんて、できるはずがありません」
 
 レオはゾッとするような冷たい笑みを浮かべ、俺を見つめる。

「義兄さんは愚かな人達の言葉に耳を傾ける必要も、傷つく必要もないんですよ。何か困ったことがあれば、僕に一言言ってくだされば良いんです……義兄さんを傷つける存在は、僕が全て排除しますから」
「……あ、あはは……ありがとう、レオ」

……上の選択肢を選ばなくて正解だった。怖いよ、この人。
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