14 / 32
14
しおりを挟む
正午も半ばに差しかかった刻、陽生はロータリーから先ほど見惚れた桜並木の道に足を踏み入れた。何処までも真っ直ぐに伸びる広い歩道。黒い桜の並木をぬけ、その先に群生する落葉樹の木々をぬけて五百メートルほど進むと、右手にだだっ広い芝生広場が顔を出した。広場では多くの学生が寝転がっていたり、木に寄りかかって話をしていたり自由に過ごしている。そして、その芝生広場の奥に大きく身構えたレンガ造りの四階建ての校舎が威風堂々とそびえ立っている。
「ええっと……。あの建物の二階かな」
陽生は壮麗な校舎へと歩を進める。
賑やかな声で溢れる校舎の通路を通って二階に進む。
「えーっと。……この先を進んで、この部屋が菩提寺先生の研究室か」
壁に掛けられた案内図で目的の場所を確認すると、再び歩き出す。コツコツと堅い靴底の音を通路に響かせながら進むと、目的の研究室の前にたどり着いた。
陽生は小さく息を飲み込むと、無意識にネクタイを絞った。腕時計の時刻は午後一時五分。右手の甲で軽くドアをノックする。
「……は――い。どうぞー、お入りくださ――い」
ドアの向こうから声がした。陽生は緊張した面持ちでドアのノブを回してドアを開けた。
「失礼……します」
ウナギの寝床のような奥行きのある部屋。ドアの手前には年季の入った茶色いローテーブル、そしてテーブルの両脇には簡素なソファが置いてある。ソファの背後にある本棚には、これでもかと言わんばかりに隙間なく本が押し込められていて、それでも置けない書籍が目の前にあるテーブルやソファの上に積まれていた。
部屋の奥にある、本で埋め尽くされた机から男が顔を出す。
「二賀斗さんですか! いやー、わざわざお越しいただいてありがとうございましたァ。ああ、どうぞどうぞ、座ってくださいー」
ボサボサの髪を六四に分け、中肉中背で眼鏡を掛けた五十代位の男性は、いそいそと立ち上がってソファに乗っかっていた本を持ち上げると、陽生をソファに促した。
「あの、菩提寺先生で……」
「はいっ。どうも初めまして、菩提寺と申します」
菩提寺は名刺を差し出した。
「あっ、二賀斗と申します。本日は先生の貴重なお時間いただきまして本当にありがとうございました。あの、これ、つまらないものですが……」
陽生は名刺を受け取りながらお辞儀をして、菓子折りを菩提寺に手渡した。
「これはこれはー。……まぁどうぞ、お掛けになって下さい」
「あ、はい」
陽生と菩提寺は向かい合ってソファに座った。
「いやー、二賀斗さん。お手紙読ませてもらいましたよ。まぁ……なんですかねぇ。ここだけの話なんですが、ああいった内容の手紙、たまに来るんですよー。やれ超常現象が起こったとか、こんな不思議なことがあるんだけど調べてくれないかとか。実際、私の研究してるものって昔話なんですよ。竹取物語とか、桃太郎とか。それをなーに勘違いしてるのか、オカルト話を持って来る輩が多くて多くて、ほとほと困ってるんですよ。……書いてる本人としてはそーんな突飛な内容書いているつもりないんですけどねェ。読む人によっちゃあ、よっぽど奇異に受け取れてしまうんでしょうなぁ。ははははッ」
「はぁ。……自分もそのうちの一人ですかね。なんだか、ご迷惑かけてしまって……すみませんでした」
陽生は恐縮した顔をした。
「いえいえー。最初は私も二賀斗さんの手紙読んだときに”またか”って思ったんですよ。……ただね、読んでいくうちに……うーん。なんて言うんですかねェ、何か引っかかるものがあったんですよ。白い女とか、人の願いを叶えるとか……」
菩提寺は腕組し始める。
「白い女……どうもその言葉が頭に残ってて。むかーしむかし何かでそんな言葉を含んだ内容のものを読んだような気がぁ……ってね。それで、データベースで調べてみたんですよ。古い書物の話の中にそんな言葉が無いかどうか」
陽生は目を凝らせて菩提寺の顔を見つめた。
「そしたら、一件あったんですよ」
「えッ!」
陽生は息を飲み込んだ。
「”娯上後記”っていう室町時代に書かれた記録書があるんですけどね。そこに”雨乞いの話”っていうのがあるんですよ」
「あの。……自分も先生に手紙を出す前に相当古い本を読んだんですが、そんな本は初めて聞きました」
「ああ。まぁ、市販なんかされてない本ですからね。それでその”雨乞い”っていうのが、かいつまんでいえば読んで字のごとく雨乞いをする話なんですけどね。そこにその白い女っていうのが出てくるんですよ」
「はぁ……」
「都に向かう坊さんが旅の途中でその地の人達から聞いた面白い話なんかを記録したっていう本なんですけどね。それによると、ある地方の田舎村では永いこと雨が降らず、そのために農地は干上がり、作物は枯れ果てていたそうです。折しも飢饉の翌年で食い物なんか無く、人々は土や石すら食ったという。毎日毎日、村人は総出で天に向かって雨乞いの祈りをするが、雨は全く降らずじまい。村人たちはバタバタと餓死者が出ていくのをただ見ているしかなかった。そして、いよいよもう村も全滅かと思われたある日の夜。突然、村に大雨が降ってきた。村人はびしょびしょになりながら大喜びし、早速いつも雨乞いしている場所で神様にお礼をしようと村人たちがそこに集まってみると、何やらみすぼらしい服を着た一人の女が気を失って倒れていた。何者と思って村人の一人が見てみると、見たこともないほどに真っ白い肌をした女だってことで、これはもしや天の使いか、と丁重に村おさの家に連れていき、看病をしたっていう話なんです」
「……は、ぁ」
「しかしですね、その女は三日三晩寝続けるといつの間にか姿を消してしまったらしいんですよ」
「……はぁ」
「で、それだけじゃない。枯れてしまったはずの作物が日を追うごとに元に戻り、その年は近年まれにみる豊作の年になったっていうんですよ」
陽生はもはや返答するのも忘れるほどその話に没頭していた。
「でも、自分が記憶しているのはこの話じゃないよなー、ってことで色々と文献を探してみたんですよ。そしたら。……う――ん。これって、いつものバカげた手紙とはちょっと話が違うな、っていうことでェ、本格的に調べてみたんですよ。それと二賀斗さんの手紙に書かれた奥様のお母さんやおばあさんの出身地なんかにも行かせてもらいました。そのためにお返事するのが遅くなってしまったっていうことで。すいませんでしたね」
菩提寺はソファの背にもたれ掛かった。
「ああ、いえ。……で、何かお分かりになったんでしょうか?」
陽生は膝に手を置いて前かがみになると、顔を少し曇らせて尋ねた。
「うーん。調べてみてびっくりですよ。この大学に保管されている書物の中から記録として見つけられたものだけでも十件ほどありました。記録って言うのはやっぱりすごいもんですねぇ。で、一番直近の記録は江戸時代の後期、それ以降はその存在は記録として出てきてません。それでですね、その……白い女性の記述が出てくると、必ずと言っていいほど人々が助かっているっていう記述がされてるんですよ。そのうえその白い女性に関する記述の前には必ず人々の祈り、っていうか所望する様子が描かれている。実に興味深い! ああっ、そういえば”浮浪の親子”っていう話もありましたよッ」
「……浮浪者、ですか?」
「ええ。これは鎌倉時代辺りの話なんですけどねぇ。都の様子を記録した書物の中の話です。道端に浮浪の母子がうずくまっていたんですが、ガリガリに痩せこけた母親はもう虫の息。幼い子供は母親に抱きついて死なないで欲しいと母親に哀願するんですよ。すると何処からともなく見目麗しい女が親子の前に現れて、その死にそうな母親の手を握り締める。そうしたら見る見るうちに母親の肌艶がよくなって生気がみなぎっていった。その女の姿まさに白雪の如く、っていう話です。その他の記述もまぁ、大体似たり寄ったりの内容ですね」
「い、一体……その女は一体、何者なんですか!」
陽生は目を見開いて菩提寺に迫った。菩提寺はゆっくりと一呼吸して口を開けた。
「その辺は……私も非常に気になりましたよ、二賀斗さん。鎌倉、室町そして江戸に至るまで記録上ですが白い女がその姿を現している。……もしかして不老不死の者なんじゃないのかってね。二賀斗さんの奥さんのおばあさんの出身地やその近辺の図書館、重要文化財なんかも見て回ったんですけどね。残念ながら……これと言ったものは見つけられませんでした」
「自分も妻の祖母が住んでいたところの郷土史なんか読んでみたんですけど……」
「ウ――ン。郷土史ってェのはあんまり的を得てないでしょうねぇ。……まぁそれで、知り合いの研究機関に問い合わせしてみたんですよ」
「はぁ……」
「私の後輩がK大学に教授としていましてね。……まぁ、あそこは国文じゃあちょっとは知られた大学でして。それで今から何十年か前、世間が金回りが良かったころ、あの大学自体も潤っていたっていうことでやたらと資料を購入したらしいんですよ。それこそ紙に墨で文字が書かれてあれば何でも買ってやるっていうくらいに。……で、その時買った資料の中に白い女の記述がされてるものあるか、ってそいつに聞いてみたんですよ」
「……ゴクリ」
陽生の喉が鳴る。
「そしたら、あの時購入した資料があんまりにも多すぎて、いまだに全部見れてないって言うんですよ。じゃあ俺も手伝うから見せてみろって言ったら、”絶対に内緒ですよッ”ってことでK大まで行って資料を見せてもらってきました」
菩提寺はソファにもたれ掛けた身体を起こすと、真剣な顔つきで陽生を見つめた。そして、急に低い声で話しをし始めた。
「あんな時代がなければ……めぐり合ってなんかいなかったんでしょうね。金に物を言わせてとにかく何でも購入していたからこそ、こんな奇跡が起こったんでしょう。……非常に重要な資料群の中に紛れて一冊、汚ったならしい、世間的にはホントどうでもいい書が一冊ありました。作者なんて当然不詳、回想録のような書です」
「な……なんなんですか」
「”胆露夜”という書。ある尼僧の話を書き留めたものです」
「尼……」
菩提寺は身構えると、睨むようにそこに書かれていた内容を話し始めた。
「時は平安時代。未だ国内の政治情勢も不安定で、しかも頻繁に干ばつは起こり、市井には疫病が流行っていた。そんな時勢、都より少し離れたある村の山の中腹に古びた小さな寺があり、そこに一人の醜女の尼僧がいた。醜女でありながらも、身を粉にして人のために働く彼女を村人はとても敬っていた。農作業に人手が足りないと言われれば進んで手伝い、金に窮していると言われれば寺の道具や衣類を売り払いその者に与えた。食もままならないと懇願されれば自らの食い扶持を分け与えて救する始末。不安定な気候により収穫が得られず、疫病が蔓延すると、村人はこぞって尼に懇願した。その度に尼は笑顔で身を削り、村人の期待に応えた。……しかし無限の期待に応えられるはずもなく、食料は底をつき、寺の備品は仏像さえなくなった。それでも尼は村人の希望に応えるため、寺の屋根瓦や扉などを売っていった。そして寺の本堂は屋根が無くなり、扉もなくなり夜風が吹きすさぶあばら家となり、その中で着るものもなく裸姿の尼が正座して来る日も来る日も世の安寧を祈願していた。尼の頬は痩せこけて今にも目玉が飛び出しそうになっており、あばら骨はむき出て、骸骨が動いていると思われても何ら不思議ではなかった」
陽生は口を軽く開けたまま、その話に聞き入っていた。菩提寺は目を細めると、話を続けた。
「或る日、尼僧はその疲れ切った身体を押して都まで托鉢に出掛けた。当然着る服など無いため、せいぜい長い葉を腰回りに巻き付けるぐらいの身だしなみしかできなかった…………」
…………――長いこと時間をかけて都にたどり着いてはみたものの、街の中は見るも無残な有様となっていた。道のあちこちに疫病で命を落とした死人が横たわり、その周りをウジがたかりハエが飛び回る。野犬どもは息絶えた人の耳を容赦なく噛み切り、口の中に押し込んでゆく。歩く人の姿など全くなく、通りはひっそりと静まり返っていた。
それでも尼僧は倒れそうな足取りでその道をゆっくり歩いていくと、横たわる死人の群れの中に、壁に寄りかかりながら半目で天を仰いでいるみすぼらしい格好をした一人の童子が居ることに気づいた。尼はその童子のそばに寄っていくと、優しい口調で声をかけた。
「……そちは、生きておるかぇ」
その声に童子は力なく頭を縦に振る。よく見ると何かの病なのか、両目の眼球が白く濁り、卵の殻のように硬くなっていた。
「何もないが、どうね。我れのところに来ぬか?」
尼僧がそっと童子の手を握ると、童子は何も言わずその手を握り返した。
「どれ、では行こうかの……」
尼と童子は手をつないで都を後にした。
「ええっと……。あの建物の二階かな」
陽生は壮麗な校舎へと歩を進める。
賑やかな声で溢れる校舎の通路を通って二階に進む。
「えーっと。……この先を進んで、この部屋が菩提寺先生の研究室か」
壁に掛けられた案内図で目的の場所を確認すると、再び歩き出す。コツコツと堅い靴底の音を通路に響かせながら進むと、目的の研究室の前にたどり着いた。
陽生は小さく息を飲み込むと、無意識にネクタイを絞った。腕時計の時刻は午後一時五分。右手の甲で軽くドアをノックする。
「……は――い。どうぞー、お入りくださ――い」
ドアの向こうから声がした。陽生は緊張した面持ちでドアのノブを回してドアを開けた。
「失礼……します」
ウナギの寝床のような奥行きのある部屋。ドアの手前には年季の入った茶色いローテーブル、そしてテーブルの両脇には簡素なソファが置いてある。ソファの背後にある本棚には、これでもかと言わんばかりに隙間なく本が押し込められていて、それでも置けない書籍が目の前にあるテーブルやソファの上に積まれていた。
部屋の奥にある、本で埋め尽くされた机から男が顔を出す。
「二賀斗さんですか! いやー、わざわざお越しいただいてありがとうございましたァ。ああ、どうぞどうぞ、座ってくださいー」
ボサボサの髪を六四に分け、中肉中背で眼鏡を掛けた五十代位の男性は、いそいそと立ち上がってソファに乗っかっていた本を持ち上げると、陽生をソファに促した。
「あの、菩提寺先生で……」
「はいっ。どうも初めまして、菩提寺と申します」
菩提寺は名刺を差し出した。
「あっ、二賀斗と申します。本日は先生の貴重なお時間いただきまして本当にありがとうございました。あの、これ、つまらないものですが……」
陽生は名刺を受け取りながらお辞儀をして、菓子折りを菩提寺に手渡した。
「これはこれはー。……まぁどうぞ、お掛けになって下さい」
「あ、はい」
陽生と菩提寺は向かい合ってソファに座った。
「いやー、二賀斗さん。お手紙読ませてもらいましたよ。まぁ……なんですかねぇ。ここだけの話なんですが、ああいった内容の手紙、たまに来るんですよー。やれ超常現象が起こったとか、こんな不思議なことがあるんだけど調べてくれないかとか。実際、私の研究してるものって昔話なんですよ。竹取物語とか、桃太郎とか。それをなーに勘違いしてるのか、オカルト話を持って来る輩が多くて多くて、ほとほと困ってるんですよ。……書いてる本人としてはそーんな突飛な内容書いているつもりないんですけどねェ。読む人によっちゃあ、よっぽど奇異に受け取れてしまうんでしょうなぁ。ははははッ」
「はぁ。……自分もそのうちの一人ですかね。なんだか、ご迷惑かけてしまって……すみませんでした」
陽生は恐縮した顔をした。
「いえいえー。最初は私も二賀斗さんの手紙読んだときに”またか”って思ったんですよ。……ただね、読んでいくうちに……うーん。なんて言うんですかねェ、何か引っかかるものがあったんですよ。白い女とか、人の願いを叶えるとか……」
菩提寺は腕組し始める。
「白い女……どうもその言葉が頭に残ってて。むかーしむかし何かでそんな言葉を含んだ内容のものを読んだような気がぁ……ってね。それで、データベースで調べてみたんですよ。古い書物の話の中にそんな言葉が無いかどうか」
陽生は目を凝らせて菩提寺の顔を見つめた。
「そしたら、一件あったんですよ」
「えッ!」
陽生は息を飲み込んだ。
「”娯上後記”っていう室町時代に書かれた記録書があるんですけどね。そこに”雨乞いの話”っていうのがあるんですよ」
「あの。……自分も先生に手紙を出す前に相当古い本を読んだんですが、そんな本は初めて聞きました」
「ああ。まぁ、市販なんかされてない本ですからね。それでその”雨乞い”っていうのが、かいつまんでいえば読んで字のごとく雨乞いをする話なんですけどね。そこにその白い女っていうのが出てくるんですよ」
「はぁ……」
「都に向かう坊さんが旅の途中でその地の人達から聞いた面白い話なんかを記録したっていう本なんですけどね。それによると、ある地方の田舎村では永いこと雨が降らず、そのために農地は干上がり、作物は枯れ果てていたそうです。折しも飢饉の翌年で食い物なんか無く、人々は土や石すら食ったという。毎日毎日、村人は総出で天に向かって雨乞いの祈りをするが、雨は全く降らずじまい。村人たちはバタバタと餓死者が出ていくのをただ見ているしかなかった。そして、いよいよもう村も全滅かと思われたある日の夜。突然、村に大雨が降ってきた。村人はびしょびしょになりながら大喜びし、早速いつも雨乞いしている場所で神様にお礼をしようと村人たちがそこに集まってみると、何やらみすぼらしい服を着た一人の女が気を失って倒れていた。何者と思って村人の一人が見てみると、見たこともないほどに真っ白い肌をした女だってことで、これはもしや天の使いか、と丁重に村おさの家に連れていき、看病をしたっていう話なんです」
「……は、ぁ」
「しかしですね、その女は三日三晩寝続けるといつの間にか姿を消してしまったらしいんですよ」
「……はぁ」
「で、それだけじゃない。枯れてしまったはずの作物が日を追うごとに元に戻り、その年は近年まれにみる豊作の年になったっていうんですよ」
陽生はもはや返答するのも忘れるほどその話に没頭していた。
「でも、自分が記憶しているのはこの話じゃないよなー、ってことで色々と文献を探してみたんですよ。そしたら。……う――ん。これって、いつものバカげた手紙とはちょっと話が違うな、っていうことでェ、本格的に調べてみたんですよ。それと二賀斗さんの手紙に書かれた奥様のお母さんやおばあさんの出身地なんかにも行かせてもらいました。そのためにお返事するのが遅くなってしまったっていうことで。すいませんでしたね」
菩提寺はソファの背にもたれ掛かった。
「ああ、いえ。……で、何かお分かりになったんでしょうか?」
陽生は膝に手を置いて前かがみになると、顔を少し曇らせて尋ねた。
「うーん。調べてみてびっくりですよ。この大学に保管されている書物の中から記録として見つけられたものだけでも十件ほどありました。記録って言うのはやっぱりすごいもんですねぇ。で、一番直近の記録は江戸時代の後期、それ以降はその存在は記録として出てきてません。それでですね、その……白い女性の記述が出てくると、必ずと言っていいほど人々が助かっているっていう記述がされてるんですよ。そのうえその白い女性に関する記述の前には必ず人々の祈り、っていうか所望する様子が描かれている。実に興味深い! ああっ、そういえば”浮浪の親子”っていう話もありましたよッ」
「……浮浪者、ですか?」
「ええ。これは鎌倉時代辺りの話なんですけどねぇ。都の様子を記録した書物の中の話です。道端に浮浪の母子がうずくまっていたんですが、ガリガリに痩せこけた母親はもう虫の息。幼い子供は母親に抱きついて死なないで欲しいと母親に哀願するんですよ。すると何処からともなく見目麗しい女が親子の前に現れて、その死にそうな母親の手を握り締める。そうしたら見る見るうちに母親の肌艶がよくなって生気がみなぎっていった。その女の姿まさに白雪の如く、っていう話です。その他の記述もまぁ、大体似たり寄ったりの内容ですね」
「い、一体……その女は一体、何者なんですか!」
陽生は目を見開いて菩提寺に迫った。菩提寺はゆっくりと一呼吸して口を開けた。
「その辺は……私も非常に気になりましたよ、二賀斗さん。鎌倉、室町そして江戸に至るまで記録上ですが白い女がその姿を現している。……もしかして不老不死の者なんじゃないのかってね。二賀斗さんの奥さんのおばあさんの出身地やその近辺の図書館、重要文化財なんかも見て回ったんですけどね。残念ながら……これと言ったものは見つけられませんでした」
「自分も妻の祖母が住んでいたところの郷土史なんか読んでみたんですけど……」
「ウ――ン。郷土史ってェのはあんまり的を得てないでしょうねぇ。……まぁそれで、知り合いの研究機関に問い合わせしてみたんですよ」
「はぁ……」
「私の後輩がK大学に教授としていましてね。……まぁ、あそこは国文じゃあちょっとは知られた大学でして。それで今から何十年か前、世間が金回りが良かったころ、あの大学自体も潤っていたっていうことでやたらと資料を購入したらしいんですよ。それこそ紙に墨で文字が書かれてあれば何でも買ってやるっていうくらいに。……で、その時買った資料の中に白い女の記述がされてるものあるか、ってそいつに聞いてみたんですよ」
「……ゴクリ」
陽生の喉が鳴る。
「そしたら、あの時購入した資料があんまりにも多すぎて、いまだに全部見れてないって言うんですよ。じゃあ俺も手伝うから見せてみろって言ったら、”絶対に内緒ですよッ”ってことでK大まで行って資料を見せてもらってきました」
菩提寺はソファにもたれ掛けた身体を起こすと、真剣な顔つきで陽生を見つめた。そして、急に低い声で話しをし始めた。
「あんな時代がなければ……めぐり合ってなんかいなかったんでしょうね。金に物を言わせてとにかく何でも購入していたからこそ、こんな奇跡が起こったんでしょう。……非常に重要な資料群の中に紛れて一冊、汚ったならしい、世間的にはホントどうでもいい書が一冊ありました。作者なんて当然不詳、回想録のような書です」
「な……なんなんですか」
「”胆露夜”という書。ある尼僧の話を書き留めたものです」
「尼……」
菩提寺は身構えると、睨むようにそこに書かれていた内容を話し始めた。
「時は平安時代。未だ国内の政治情勢も不安定で、しかも頻繁に干ばつは起こり、市井には疫病が流行っていた。そんな時勢、都より少し離れたある村の山の中腹に古びた小さな寺があり、そこに一人の醜女の尼僧がいた。醜女でありながらも、身を粉にして人のために働く彼女を村人はとても敬っていた。農作業に人手が足りないと言われれば進んで手伝い、金に窮していると言われれば寺の道具や衣類を売り払いその者に与えた。食もままならないと懇願されれば自らの食い扶持を分け与えて救する始末。不安定な気候により収穫が得られず、疫病が蔓延すると、村人はこぞって尼に懇願した。その度に尼は笑顔で身を削り、村人の期待に応えた。……しかし無限の期待に応えられるはずもなく、食料は底をつき、寺の備品は仏像さえなくなった。それでも尼は村人の希望に応えるため、寺の屋根瓦や扉などを売っていった。そして寺の本堂は屋根が無くなり、扉もなくなり夜風が吹きすさぶあばら家となり、その中で着るものもなく裸姿の尼が正座して来る日も来る日も世の安寧を祈願していた。尼の頬は痩せこけて今にも目玉が飛び出しそうになっており、あばら骨はむき出て、骸骨が動いていると思われても何ら不思議ではなかった」
陽生は口を軽く開けたまま、その話に聞き入っていた。菩提寺は目を細めると、話を続けた。
「或る日、尼僧はその疲れ切った身体を押して都まで托鉢に出掛けた。当然着る服など無いため、せいぜい長い葉を腰回りに巻き付けるぐらいの身だしなみしかできなかった…………」
…………――長いこと時間をかけて都にたどり着いてはみたものの、街の中は見るも無残な有様となっていた。道のあちこちに疫病で命を落とした死人が横たわり、その周りをウジがたかりハエが飛び回る。野犬どもは息絶えた人の耳を容赦なく噛み切り、口の中に押し込んでゆく。歩く人の姿など全くなく、通りはひっそりと静まり返っていた。
それでも尼僧は倒れそうな足取りでその道をゆっくり歩いていくと、横たわる死人の群れの中に、壁に寄りかかりながら半目で天を仰いでいるみすぼらしい格好をした一人の童子が居ることに気づいた。尼はその童子のそばに寄っていくと、優しい口調で声をかけた。
「……そちは、生きておるかぇ」
その声に童子は力なく頭を縦に振る。よく見ると何かの病なのか、両目の眼球が白く濁り、卵の殻のように硬くなっていた。
「何もないが、どうね。我れのところに来ぬか?」
尼僧がそっと童子の手を握ると、童子は何も言わずその手を握り返した。
「どれ、では行こうかの……」
尼と童子は手をつないで都を後にした。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
くろぼし少年スポーツ団
紅葉
ライト文芸
甲子園で選抜高校野球を観戦した幸太は、自分も野球を始めることを決意する。勉強もスポーツも平凡な幸太は、甲子園を夢に見、かつて全国制覇を成したことで有名な地域の少年野球クラブに入る、幸太のチームメイトは親も子も個性的で……。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる