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翌年、二月初めの厳寒の候。澄み渡った青空には、ひときわ陽の光が眩しく煌めいていた。
「葉奈ちゃん、準備はできた? そろそろ出ますよ」
「はーい」
今日は、葉奈が受験をした中学の合格発表の日。気忙しく動く母の姿をよそに、葉奈は悠然と靴を履き、玄関を出る。
「発表の時間には間に合うわね。……はぁー、緊張しちゃうわ。……じゃあ行きましょう」
「うん」
二人は歩いて駅に向かった。
午後一時過ぎ。自家用車の中でサンドイッチをかじる二賀斗のスマホが鳴る。
「モグモグ。飯食う時間もねえのかよ」
助手席に置かれたスマホを覗く。
「ムグ、……明日夏か」
二賀斗は、ペットボトルのお茶を口に含めると、急いで飲み込んだ。
「はーい、もしもし」
「あー、ニーさん。今大丈夫?」
軽やかな明日夏の声が聞こえる。
「うん、どした? 何だか声が弾んでるなァ。もしかして宝くじでも当たったか?」
「うーん。当たらずとも遠からずね」
「ええっ! いくら当たったの!」
「あはは、当選者は葉奈よ。中学、合格したって」
その言葉を聞くなり二賀斗は思わず声を上げた。
「おおーっ! そっかァ! 良かった! 良かったよ! 偏差値だって結構、高いんだろ? すごいね。とうとう明日夏の後輩になるんだ」
「……そうねぇ。あの子、あそこに通うのね。あ、そうそう。今日空いてる? ささやかだけどお祝いしてやろうと思ってるの」
「用があったって行くよ! 何かプレゼント買っていきたいな。何がいいんだろ」
急かすように二賀斗は明日夏に尋ねた。
「えーっ? なにがいいんだろね。……難しいなぁ。でも、思春期の女の子だから、そこだけは気をつけてよね」
「あ、ああ。……ケーキでも買っていこうかな」
「あーっ、ダメ。お母さんが買ってくるわ。たぶん」
「そっか。じゃあ、何か買えたら買ってくるよ」
「そうね、じゃあ、いつもの時間にお越しください」
丁寧な言葉遣いをして明日夏からの通話は切れた。二賀斗はハンドルに手を置くと、フロントガラス越しに乾いた青空を見上げた。
「よーし、さっさと食って仕事終わして買い物に行くか!」
二賀斗は食べかけのサンドイッチを急いで頬張り始めた。
午後七時過ぎ。日は沈み、空は深い藍色に塗り潰されていた。地上では冬風が元気に駆け回り、明日夏宅の前に停めた車から降りる二賀斗の髪にも執拗にじゃれついていた。
「ニーィさん!」
門扉のドアホンを押そうとした二賀斗の背中に声が降りかかる。慌てて二賀斗は後ろを振り返った。
「おおッ。……明日夏ァ。……今帰り?」
「うん。早く上がらせてもらっちゃった」
サンドベージュ色のウインドブレーカーを着た明日夏がリュックを背負って丁度、自宅に到着したところだった。
「上がって。……ところで、何買ってきたの?」
「ああ、まあ。大したものが無くってね。後のお楽しみってことで」
「ふふっ。ニーさんのセンスがわかるってものね」
「ええ? まずいなぁ、大したもんじゃないから……」
頭を掻きながら二賀斗は、前を歩く明日夏の後姿を何気に見つめた。
〈……髪ボサボサだなぁ。明日夏って、ほんと着飾んないね。あんなに似合ってた髪もいつの間にかまたショートになっちゃってるし。まぁ、俺も人のことを言えた義理じゃないけどな……〉
明日夏が不意に後ろを振り返った。
「ん? どうかした?」
二賀斗はドキッとした。
「あ、ああ。いや。……あの髪形、似合ってたのになぁ、って思っちゃったよ」
少し寂しそうに二賀斗は口角を上げた。
「えっ? ……ああ、これね。ふふっ、よく見てますこと」
左の人差し指と親指で襟元の短い髪をコネながら、吹っ切れたような笑顔で明日夏は答えた。
「……やっぱり、見てくれる人がいないとさぼっちゃうのよね。……これじゃ、だめよね」
「俺は、……み、見ているつもりなんだけどな」
二賀斗は恥ずかしそうに伏し目がちにそう言った。
「んー。……そうみたいね。でも、しっかりとした言葉がほしいかなー。……そっか! ニーさんって別に鈍感って訳じゃないのよね。単に口に出さないだけなのかもね」
明日夏は、名探偵がする決めポーズのような腕の組み方をして二賀斗を見つめた。
「な、なに。口に出さないって……」
二賀斗はポカンとした顔つきで、明日夏が話すであろう回答を待った。
「自分の気持ちよ。好きとか、かわいいとか、自分の気持ちを乗せて相手に伝えるの苦手でしょ、ニーさん。……どお?」
「ええっ? そんなことは……」
二賀斗は、決まりの悪い顔をするとそのまま下を向いたり、横を向いた。
「でも、こうやって見ていてくれる人がいるんなら、また頑張ろうかな。……そういう言葉って、幸せな気持ちにしてくれるんだろうね、言う方にも言われる方にも。……ニーさん、ありがと」
明日夏は二賀斗に背を向けると、玄関の扉を開いた。そして再び振り向いて笑顔で二賀斗に声をかける。
「どうぞ、ニーさん。ようこそおいで下さいました」
二賀斗は顔を上げて明日夏を見る。そして言葉を出した。
「お、お招きいただき、ありがとうございます」
いつものように二賀斗を入れて五人がテーブルを囲む。豪快に笑う鐡哉。それをたしなめる容子。そして少し大人びてきた葉奈。
「それでね、提出する書類が結構あって、明日夏の時もこんな感じだったのかなってねぇ」
珍しく容子が饒舌に話していた。
「いや、しかし、姉妹そろって同じ学校に行けるとはなあ、面白いもんだ!」
鐡哉も上機嫌で話す。
「いっぱい勉強したんでしょ、葉奈ちゃんは」
二賀斗は気持ちを込めて葉奈に話しかける。
「んー、まあ。……ぼちぼち」
葉奈は少し照れ笑いしながら、そう答えた。
「あんなテレビばっかり見てても受かっちゃうんだから、ほんと才能よねえ」
明日夏は、皮肉交じりに葉奈の返答に味付けをした。
「お姉ちゃんが見てるから、釣られて見ちゃったんじゃん」
葉奈も目を細めて反撃する。
「ぁあ、そうだ! 葉奈ちゃんにプレゼント買って来たんだよ!」
姉妹の交戦の中を二賀斗が割って入った。
「えっ! なになに。何買ってきたの? なに?」
「陽生さん、そんなことしちゃダメですよ」
「そうだ、ヒロ。招待したのにそれじゃあ……」
「あ、いやぁ。ホント安いものですから」
そう言うと、上着の中からリボンに包まれた小さな箱を取り出した。
「葉奈ちゃん、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
葉奈は、言い慣れない言葉をぎこちなく口に出した。
「開けていい? ニーちゃん」
「どうぞォ」
葉奈はリボンを外して、包装紙を丁寧に開いた。
「わっ。……電子手帳?」
「へー。ニーさん、考えたね」
明日夏は頬杖をつきながら感心した。
「まあ、こんな高いもの! ダメよぉ、陽生さん」
容子は感嘆した声を出した。
「いや、ほんとに、高いものじゃなくて申し訳ないです」
「うん、すごいよこれ。英語に力入れたかったから、これいいかも。ニーちゃんありがと!」
「葉奈ちゃん、これもプレゼントするよ」
二賀斗はズボンのポケットから取り出すと、葉奈の席の前に置いた。
「……ん? なにこれ」
「めずらしいドングリなんだよ」
明日夏の目つきが変わった。
「えぇ? いらないよ、こんなの」
葉奈はそう言うと、電子辞書を夢中でいじくり出した。
「……そっか。……興味は、ないか」
二賀斗は、栗皮色した小さな木の実を親指と人差し指でつまんで一見すると、そのまま静かに元のポケットにしまい込んだ。
「ほんと、ごちそうさまでした」
「陽生さん、ありがとうございましたね」
「ヒロ、気ィ使わせちまったなあ」
「ニーちゃん、ありがとね」
葉奈は、プレゼントを大事そうに持っていた。
「おう、いっぱい使ってくれよ」
「ニーさん、見送るわ」
明日夏は、靴を履いて二賀斗と一緒に外に出た。
「ぅおっ。寒うー」
漆黒の夜空を仰ぎながら、二賀斗はダウンジャケットの襟を手で絞めた。数時間前まで飛び跳ねていた冬風も、今はその姿を見ない。
「……ニーさん」
二賀斗の背後から明日夏が声をかける。
「ん?」
二賀斗は振り向いた。
「……ううん」
明日夏は寂しそうな顔をすると、下を向いた。
「ちょっと、唐突だったかな。……あの森で生ったドングリだけどさ、見せれば何かあるのかなって思ってつい見せちゃったけど」
「……うん」
沈んだ顔で明日夏は相づちを打つ。
「葉奈もさァ、相当顔がきれいになったよな」
「うん。……そうね。この辺りじゃちょっとした評判になってるわ」
気弱な口調で明日夏は答えた。
「どしたんだよ、明日夏がそんな落ち込んだ顔する必要ないじゃないか」
「……うん。でも、期待しちゃうよね。なにかあるかもって、期待しちゃうよね。だって、出来過ぎじゃない。あの森で出会って、しかも女の子で、それであんな綺麗な顔になって。期待するなって言うほうがおかしいわよ」
明日夏は眉間に皺を刻んで言った。
「ふふっ。……明日夏にそこまで言われたんじゃ、俺が言うこともう無くなっちゃったよ。でもまぁ、これからも葉奈をよろしくね。お姉ちゃん」
二賀斗は優しく微笑んだ。
「……生意気な妹だけどね」
明日夏は顔を上げて笑みを浮かべる。
「女同士の諍いの方が激しいって聞くけど、あれじゃおじさんも大変だろ。少し同情しちゃったよ。ふっふっふ」
二賀斗は、したり顔で明日夏を見た。
「ひっどーい。そーやってみんなして葉奈の肩を持つのね。どーせ私が大人げないんですよぉ。……ふん!」
明日夏は、その小さい口をつぐんでふて腐れた。
「いやいやいや、別に葉奈の肩なんか持ってないよ。明日夏の家族で男はおじさん一人だから、肩身が狭いだろォなーって思っただけだよ。……それにしても、明日夏はそのォ、なんてゆうか、その……顔が整っているから怒っても迫力ないんだよなぁ」
二賀斗は頭を掻きながら横を向いてそう言った。
明日夏は、その言葉を聞くなり思わず吹き出した。
「ぷッ。あはははっ! ……ニーさん、そんな文語体で褒められたって、褒められた感がしないわよ」
「……悪かったね」
拗ねた顔で二賀斗は下を向いた。
「あははっ。まぁ、とりあえずお互いめげずに葉奈を見守りましょ」
「あ、ああ。……うん、そうだね」
二賀斗は車に乗り込むと、運転席から明日夏に手を振る。明日夏も手を振り応える。
そして車のバックライトが遠ざかってゆく。……静まり返った凍える街に星が燦然と輝く。
明日夏は顔を上げて夜空を一瞥すると、一呼吸してそのまま家に戻って行った。
「葉奈ちゃん、準備はできた? そろそろ出ますよ」
「はーい」
今日は、葉奈が受験をした中学の合格発表の日。気忙しく動く母の姿をよそに、葉奈は悠然と靴を履き、玄関を出る。
「発表の時間には間に合うわね。……はぁー、緊張しちゃうわ。……じゃあ行きましょう」
「うん」
二人は歩いて駅に向かった。
午後一時過ぎ。自家用車の中でサンドイッチをかじる二賀斗のスマホが鳴る。
「モグモグ。飯食う時間もねえのかよ」
助手席に置かれたスマホを覗く。
「ムグ、……明日夏か」
二賀斗は、ペットボトルのお茶を口に含めると、急いで飲み込んだ。
「はーい、もしもし」
「あー、ニーさん。今大丈夫?」
軽やかな明日夏の声が聞こえる。
「うん、どした? 何だか声が弾んでるなァ。もしかして宝くじでも当たったか?」
「うーん。当たらずとも遠からずね」
「ええっ! いくら当たったの!」
「あはは、当選者は葉奈よ。中学、合格したって」
その言葉を聞くなり二賀斗は思わず声を上げた。
「おおーっ! そっかァ! 良かった! 良かったよ! 偏差値だって結構、高いんだろ? すごいね。とうとう明日夏の後輩になるんだ」
「……そうねぇ。あの子、あそこに通うのね。あ、そうそう。今日空いてる? ささやかだけどお祝いしてやろうと思ってるの」
「用があったって行くよ! 何かプレゼント買っていきたいな。何がいいんだろ」
急かすように二賀斗は明日夏に尋ねた。
「えーっ? なにがいいんだろね。……難しいなぁ。でも、思春期の女の子だから、そこだけは気をつけてよね」
「あ、ああ。……ケーキでも買っていこうかな」
「あーっ、ダメ。お母さんが買ってくるわ。たぶん」
「そっか。じゃあ、何か買えたら買ってくるよ」
「そうね、じゃあ、いつもの時間にお越しください」
丁寧な言葉遣いをして明日夏からの通話は切れた。二賀斗はハンドルに手を置くと、フロントガラス越しに乾いた青空を見上げた。
「よーし、さっさと食って仕事終わして買い物に行くか!」
二賀斗は食べかけのサンドイッチを急いで頬張り始めた。
午後七時過ぎ。日は沈み、空は深い藍色に塗り潰されていた。地上では冬風が元気に駆け回り、明日夏宅の前に停めた車から降りる二賀斗の髪にも執拗にじゃれついていた。
「ニーィさん!」
門扉のドアホンを押そうとした二賀斗の背中に声が降りかかる。慌てて二賀斗は後ろを振り返った。
「おおッ。……明日夏ァ。……今帰り?」
「うん。早く上がらせてもらっちゃった」
サンドベージュ色のウインドブレーカーを着た明日夏がリュックを背負って丁度、自宅に到着したところだった。
「上がって。……ところで、何買ってきたの?」
「ああ、まあ。大したものが無くってね。後のお楽しみってことで」
「ふふっ。ニーさんのセンスがわかるってものね」
「ええ? まずいなぁ、大したもんじゃないから……」
頭を掻きながら二賀斗は、前を歩く明日夏の後姿を何気に見つめた。
〈……髪ボサボサだなぁ。明日夏って、ほんと着飾んないね。あんなに似合ってた髪もいつの間にかまたショートになっちゃってるし。まぁ、俺も人のことを言えた義理じゃないけどな……〉
明日夏が不意に後ろを振り返った。
「ん? どうかした?」
二賀斗はドキッとした。
「あ、ああ。いや。……あの髪形、似合ってたのになぁ、って思っちゃったよ」
少し寂しそうに二賀斗は口角を上げた。
「えっ? ……ああ、これね。ふふっ、よく見てますこと」
左の人差し指と親指で襟元の短い髪をコネながら、吹っ切れたような笑顔で明日夏は答えた。
「……やっぱり、見てくれる人がいないとさぼっちゃうのよね。……これじゃ、だめよね」
「俺は、……み、見ているつもりなんだけどな」
二賀斗は恥ずかしそうに伏し目がちにそう言った。
「んー。……そうみたいね。でも、しっかりとした言葉がほしいかなー。……そっか! ニーさんって別に鈍感って訳じゃないのよね。単に口に出さないだけなのかもね」
明日夏は、名探偵がする決めポーズのような腕の組み方をして二賀斗を見つめた。
「な、なに。口に出さないって……」
二賀斗はポカンとした顔つきで、明日夏が話すであろう回答を待った。
「自分の気持ちよ。好きとか、かわいいとか、自分の気持ちを乗せて相手に伝えるの苦手でしょ、ニーさん。……どお?」
「ええっ? そんなことは……」
二賀斗は、決まりの悪い顔をするとそのまま下を向いたり、横を向いた。
「でも、こうやって見ていてくれる人がいるんなら、また頑張ろうかな。……そういう言葉って、幸せな気持ちにしてくれるんだろうね、言う方にも言われる方にも。……ニーさん、ありがと」
明日夏は二賀斗に背を向けると、玄関の扉を開いた。そして再び振り向いて笑顔で二賀斗に声をかける。
「どうぞ、ニーさん。ようこそおいで下さいました」
二賀斗は顔を上げて明日夏を見る。そして言葉を出した。
「お、お招きいただき、ありがとうございます」
いつものように二賀斗を入れて五人がテーブルを囲む。豪快に笑う鐡哉。それをたしなめる容子。そして少し大人びてきた葉奈。
「それでね、提出する書類が結構あって、明日夏の時もこんな感じだったのかなってねぇ」
珍しく容子が饒舌に話していた。
「いや、しかし、姉妹そろって同じ学校に行けるとはなあ、面白いもんだ!」
鐡哉も上機嫌で話す。
「いっぱい勉強したんでしょ、葉奈ちゃんは」
二賀斗は気持ちを込めて葉奈に話しかける。
「んー、まあ。……ぼちぼち」
葉奈は少し照れ笑いしながら、そう答えた。
「あんなテレビばっかり見てても受かっちゃうんだから、ほんと才能よねえ」
明日夏は、皮肉交じりに葉奈の返答に味付けをした。
「お姉ちゃんが見てるから、釣られて見ちゃったんじゃん」
葉奈も目を細めて反撃する。
「ぁあ、そうだ! 葉奈ちゃんにプレゼント買って来たんだよ!」
姉妹の交戦の中を二賀斗が割って入った。
「えっ! なになに。何買ってきたの? なに?」
「陽生さん、そんなことしちゃダメですよ」
「そうだ、ヒロ。招待したのにそれじゃあ……」
「あ、いやぁ。ホント安いものですから」
そう言うと、上着の中からリボンに包まれた小さな箱を取り出した。
「葉奈ちゃん、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
葉奈は、言い慣れない言葉をぎこちなく口に出した。
「開けていい? ニーちゃん」
「どうぞォ」
葉奈はリボンを外して、包装紙を丁寧に開いた。
「わっ。……電子手帳?」
「へー。ニーさん、考えたね」
明日夏は頬杖をつきながら感心した。
「まあ、こんな高いもの! ダメよぉ、陽生さん」
容子は感嘆した声を出した。
「いや、ほんとに、高いものじゃなくて申し訳ないです」
「うん、すごいよこれ。英語に力入れたかったから、これいいかも。ニーちゃんありがと!」
「葉奈ちゃん、これもプレゼントするよ」
二賀斗はズボンのポケットから取り出すと、葉奈の席の前に置いた。
「……ん? なにこれ」
「めずらしいドングリなんだよ」
明日夏の目つきが変わった。
「えぇ? いらないよ、こんなの」
葉奈はそう言うと、電子辞書を夢中でいじくり出した。
「……そっか。……興味は、ないか」
二賀斗は、栗皮色した小さな木の実を親指と人差し指でつまんで一見すると、そのまま静かに元のポケットにしまい込んだ。
「ほんと、ごちそうさまでした」
「陽生さん、ありがとうございましたね」
「ヒロ、気ィ使わせちまったなあ」
「ニーちゃん、ありがとね」
葉奈は、プレゼントを大事そうに持っていた。
「おう、いっぱい使ってくれよ」
「ニーさん、見送るわ」
明日夏は、靴を履いて二賀斗と一緒に外に出た。
「ぅおっ。寒うー」
漆黒の夜空を仰ぎながら、二賀斗はダウンジャケットの襟を手で絞めた。数時間前まで飛び跳ねていた冬風も、今はその姿を見ない。
「……ニーさん」
二賀斗の背後から明日夏が声をかける。
「ん?」
二賀斗は振り向いた。
「……ううん」
明日夏は寂しそうな顔をすると、下を向いた。
「ちょっと、唐突だったかな。……あの森で生ったドングリだけどさ、見せれば何かあるのかなって思ってつい見せちゃったけど」
「……うん」
沈んだ顔で明日夏は相づちを打つ。
「葉奈もさァ、相当顔がきれいになったよな」
「うん。……そうね。この辺りじゃちょっとした評判になってるわ」
気弱な口調で明日夏は答えた。
「どしたんだよ、明日夏がそんな落ち込んだ顔する必要ないじゃないか」
「……うん。でも、期待しちゃうよね。なにかあるかもって、期待しちゃうよね。だって、出来過ぎじゃない。あの森で出会って、しかも女の子で、それであんな綺麗な顔になって。期待するなって言うほうがおかしいわよ」
明日夏は眉間に皺を刻んで言った。
「ふふっ。……明日夏にそこまで言われたんじゃ、俺が言うこともう無くなっちゃったよ。でもまぁ、これからも葉奈をよろしくね。お姉ちゃん」
二賀斗は優しく微笑んだ。
「……生意気な妹だけどね」
明日夏は顔を上げて笑みを浮かべる。
「女同士の諍いの方が激しいって聞くけど、あれじゃおじさんも大変だろ。少し同情しちゃったよ。ふっふっふ」
二賀斗は、したり顔で明日夏を見た。
「ひっどーい。そーやってみんなして葉奈の肩を持つのね。どーせ私が大人げないんですよぉ。……ふん!」
明日夏は、その小さい口をつぐんでふて腐れた。
「いやいやいや、別に葉奈の肩なんか持ってないよ。明日夏の家族で男はおじさん一人だから、肩身が狭いだろォなーって思っただけだよ。……それにしても、明日夏はそのォ、なんてゆうか、その……顔が整っているから怒っても迫力ないんだよなぁ」
二賀斗は頭を掻きながら横を向いてそう言った。
明日夏は、その言葉を聞くなり思わず吹き出した。
「ぷッ。あはははっ! ……ニーさん、そんな文語体で褒められたって、褒められた感がしないわよ」
「……悪かったね」
拗ねた顔で二賀斗は下を向いた。
「あははっ。まぁ、とりあえずお互いめげずに葉奈を見守りましょ」
「あ、ああ。……うん、そうだね」
二賀斗は車に乗り込むと、運転席から明日夏に手を振る。明日夏も手を振り応える。
そして車のバックライトが遠ざかってゆく。……静まり返った凍える街に星が燦然と輝く。
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