大地統べる者

かおりんご

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少年の行方

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  じめじめとした黴の匂いが瑠夏の鼻腔を刺激する。
  意識はふわふわとしているのに、足の下に地面の感覚がある。両手は何かに引っ張られているように痛んで、なんだか妙な感覚だった。
  「うん……」
  意識を取り戻しかけたところに、ばしゃ、と冷たい水をかけられた。
  「やっと目をさましたか」
  以前どこかで聞いたようなセリフと声だ。そう思って目を開けると、目の前には怒りを顔にあらわにしたベドジフが立っていた。
  「無断で力を使ったな。よくもこの私を愚弄しおって」
  何か見えない力でで強かに頰を張られる。見えないながらも本能的に身をよじるが、かなわない。
  金属の擦れる音と、鎖がじゃらじゃらと動く音が聞こえる。
  瑠夏はようやく、両手首に手錠がはめられ、天井から鎖で吊るされている自分の姿に気がついた。
  牢に窓はなく、格子の外に松明が一つ掲げられているだけだ。
  湿気具合からして、おそらく地下牢だろうと思われた。
  「何をする……」
  「ほう、まだそんな口がきけるのか」
  ベドジフは瑠夏に近寄ると、胸元の切り傷を親指で力一杯押した。
  「あああああっ……」
  瑠夏が痛みに呻くのを、冷笑を浮かべてただみている。
  「哀れなことだな。不治の病を治すことができても、自分のことは小さな浅い傷一つ意のままにならんとは」
  「どうしてこんな……」
  「わからないのか?お前は気を失って王宮に戻り、クラウス殿下は午後の治療を受け損なった。幸い容体は安定しておられるが、皇帝は大層お怒りだ。私に厳しく躾けるように命じられた」
  瑠夏は気さくに外出を許可してくれた皇帝を思い出す。大らかそうに見えても王らしい残虐さは持ち合わせているということか。
  「お前は二度とあの部屋を出ぬと誓え。一生だ」
  「なんだって⁈」
  「厚かましくも皇帝に願い出ることも言語道断だ。自分の立場を自覚することだ」
  瑠夏は憎しみを込めてベドジフを睨む。
  「神子である僕を不当に扱って、皇帝を欺いているのはお前じゃないか。真実がわかった時地獄に落ちるのはお前だ!」
  「黙れ!口が過ぎるぞ!もう良い。お前は先々まで役に立つと思っておったが、このまま皇太子が快方に向かえば殺してやろう。死の猶予に怯え、せいぜい皇太子がまた臥せるのを願うのだな」
  瑠夏が愕然としているのにも構わず、ベドジフは太い格子の鍵を閉めなおして立ち去っていった。


  ここは王城の外門にほど近い近衛隊の詰所。第一近衛連隊長、イザークの執務室である。
  「なんだと!?」
 「本当でございます。尾行した男たちはこの王宮へ戻ってまいりました」
  ヒュー少尉の報告を、にわかには信じられないとイザークは思った。
  不思議な力を持った少年の身なりは、華美ではないながらも上流階級のそれだった。どこぞの貴族の小姓かとは思ったが、まさか王宮の住人とは。
  「どう思う、フェリックス」
  イザークは執務机の傍のソファで不躾な態度で横になっている男に尋ねた。
  男の名はフェリックス・マルセル・フォン・ユストゥス子爵。王家を凌ぐ財力をもっているというユストゥス侯爵の嫡男である。
  大公位を持ちながらも一軍人であるイザークと違い、有閑貴族よろしく始終ぶらぶらとしている。
  今日も今日とて親友のイザークが執務室にいると知って遊びに来ていたのだった。
   イザークが呼びかけるのを聞いて、部下のヒュー少尉はびくっと肩を揺らした。
  フェリックスは目を瞑っていて、寝ているのかと思っていたからだ。
  報告を聞かれているとは思っていなかった。
  ぱっちりと目を開いたフェリックスは何かを感が出るように、天井に視線を巡らせていた。
  やがて、
  「それには、心当たりがあるな」
  そう言うなり、フェリックスはソファの上で下半身に反動をつけて跳ね上がるように立ち上がった。
  「心当たりというのはなんだ」
  「まあ親父殿の管轄だが……。ここでは無理だ。今日の夜会で話してやる」
  フェリックスの言葉に、イザークは苦い顔をした。
  もともと硬派なイザークは表面的なおべっかやスキャンダラスな噂話は大嫌いだ。夜会というのは半ば公式の貴族の集まりながら、得てしてそういうことが大好きな輩が集まる場であって、イザークとしてはなるべく遠慮したい催し物だった。
  「そんな顔するなよ。今夜だけは、お前の皇帝のお従兄弟である貴公の、近衛連隊長就任と、大公位襲爵の記念パーティーなんだからな。主役がいないと話にならん」
  フェリックスはそういうと、態とらしく臣下の礼をとり、悪戯っぽくウインクを投げかけた。
  「お前の想い人について、侯爵に探りを入れておくよ」
  侯爵とは父である大貴族ユストゥス侯爵のことである。
  フェリックスはひらひらと手を振って執務室を出て言った。
  「隊長……彼は一体」
  呆然とする部下に、イザークは頭を抱えた。
  大公を襲爵したばかりとはいえ身分に似合わぬ地位への就任は、イザークをお飾りの隊長に見せていることだろう。
  数ヶ月前まで西の戦場ファナハの前線にいたイザークとしてはそんなつもりはゆめゆめなかったが、悪いイメージを助長するような親友の態度はいただけなかった。
  「許せ。あれはあれで頭のいい男だ。役にも立ってくれるだろう」
  フォローになっていればいいのだが、とイザークは思った。

  夜会は王の弟であるダリヨン大公の主催で行われた。
  場所は月宮と呼ばれる王家の離宮である。
  月を模した円形の宮で、くり抜かれたような広い中にはが特徴だ。
  その中庭は満月の時には、月が一際美しく見えると評判だった。
  夜会には宮廷の主だった貴族がほとんど招待されていた。位を継いだ美しく若い大公爵に対し興味津々だ。
  イザークは辟易しながら会話に応じていた。
  「それにしても、こちらに来てしばらく経つというのに、大公が夜会にお越しになるのは今日が初めてとか」
  「近衛隊に新しく着任しましたもので、もの慣れない身、お恥ずかしながら任務をこなすので精一杯でございました」
  当たり障りなく答えるところに、ちょび髭の紳士が割り込んでくる。
  「いやいや、先の大公があんな亡くなり方をすれば夜会など出る気にならん気持ちはよくわかりますよ」
  「義父のせいにするわけでは」
  イザークは遠慮のない物言いに苦笑した。
  あんな亡くなり方、というのはイザークの叔父、義父でもあった先代のヒルデブラント公である。
  彼は、数ヶ月前の建国記念行事のパレードの最中、暗殺者から盾となって王を守り殺された。
  公衆の面前で起こったそのできごとは国中に知れわたったが、未だに首謀者は捕まらぬまま、政権の名折れとなった。
  跡取りとして養子に入っていたイザークは、正規国防軍の一員として赴いていた戦地から呼び戻され亡き義父の後を継ぐこととなる。
  イザークにとっては晴天の霹靂であった。
  数年前から戦争状態にある西国ガリアとの緩衝地帯ファナハ。このランディリア帝国は広大だが、首都リンデンスブルクは西よりにあり、ファナハを落とされるのはなんとしてでも避けなければならなかった。
  どの国も、貴族の身分にあるものは大概が魔法を使える。しかし、平民の兵士は満足に兵器も与えられず肉弾戦を強いられるのだ。
  なかなか終わらぬ戦に焦りと恐怖を感じながら戦う兵士たちを、イザークは1人でも多く救おうと誰よりも前に出て戦っていた。
  王家の一員である自分には、彼らへの責任があると思っていた。
  だが守ると誓ったのに王命で首都に戻らねばならなくなった自分を、かつての部下たちはなんと思っているだろうか。
  首都の治安は、戦況に従うようにして激しく悪化している。先日のような人身売買では子どもすら取引され、爆破テロなども多発していた。
  国民に戦いを強いて、自らは魔法で身を守りこの国に君臨する貴族への不満が、コップに満杯の水のようになっているのが手に取るようにわかる。
  喜んで夜会なぞ開いている場合ではないのだ。
 
  「イザーク!楽しんでるか?」
  物思いに耽るイザークの肩を叩いたのはフェリックスだった。
  それまで会話していた人達にひとこと詫びると、イザークはフェリックスと共に人の輪を離れた。
  「遅いぞ、フェリックス」
  イザークは面白くもない会話に付き合わされた不満を述べる。
  「こちらにも事情ってものがあるのさ。こういう夜会は情報交換の場さ」
  「何?良からぬことを企んだらしょっぴくからな」
  真面目なイザークに、フェリックスは可笑しそうに笑う。
  「俺が  ランディリアに仇なすようなことをするわけがないだろ。お前も夜会を嫌ってばかりいてないで、有効活用しろって言ってんだよ」
  二人して中庭を散策する。綺麗に刈り込まれた庭木が夜の風に囁き合っている。
  季節が良ければ逢引などに使われるであろう物陰も、こんな冬に立ち入る者はいなかった。
  「……それで、お前の探していた少年だが」
  「ああ」
  口火を切ったフェリックスの顔は、普段の道楽者然としたそれではなかった。
  ユストゥス侯爵家は、その財力の強大さから私兵を所有し、いざという時の王家の助けとなる役割があった。
  しかし私兵といものは古今東西疑惑の温床だ。使い方を一歩間違えると、家も帝国そのものも没落することになる。
  それ故に代々智謀に優れた者が侯爵を継ぐことになっている。このフェリックスもまたその血筋のひとりなのだと、イザークは時々実感するのだ。
  「お前、クラウス殿下のご病気が良くなられたのを知っているか?」
  「ああ、もちろんだ。まだ戦場から戻って実家にいた頃だが、久しぶりの慶事だと世間が湧き上がったじゃないか」
  「あれは医者が治したんじゃない」
  「なに?」
  「ごく限られた者しか知らないが、あの時皇太子は、ほとんど危篤の状態だった」
  イザークは驚いた。初耳だったからだ。おそらく、敵の間諜などに悟られぬため秘密にされていたのだろう。
  だが、それがどうして。
  イザークの無言の問いに答えるように、フェリックスは言葉を続けた。
  「そこにベドジフ神父が弟子だという1人の少年を連れて現れた」
  ベドジフは魔力の豊富な神父という触れ込みで皇帝夫妻に取り入った男だ。欲深く宮廷の財を欲しいままにしており、貴族、平民問わず多くの者に憎まれている。
  「弟子?」
  「ああ。その少年が癒しの力を使って、皇太子の容体を回復させた。黒髪に黒い瞳の持ち主だったらしい」
  「あの子だ……だが弟子とは」
  イザークはおかしい、と思った。ベドジフは治癒魔法を使えないはずだ。使えていたらとっくに自分で皇太子を治していただろう。
  思惑はどうあれ、皇帝の歓心を買うのに必死な人間なら。
  「そうだ。ベドジフの言い分はおかしい。奴はなにか隠している。その証拠に、その少年は王宮のどこかで暮らしながら、クラウス殿下の治療の他には決して姿を見せないらしい」
  「監禁されているということか」
  イザークは自分のなかに怒りがこみ上げてくるのを感じた。年端もゆかぬ少年を自らの欲望の意のままに操るなど、許せない。
  「おそらく。なぜあの日街に降りていたかは知らないが……居場所を探ってみるか」
  「ああ、頼む。少年の正体については目星がついているのか?」
  「それは……仮説があるにはあるがまだ確かなことは言えない」
  「なんだ、勿体ぶるな」
  「下手したら、この国を揺るがすことになりかねん。我が家には古よりの帝国の資料が数多く眠っている。先にそれを解読する。何かわかったら必ず知らせる。ただ、予想が正しければあの少年はこちらで保護しておいたほうがいいだろう」
  不明瞭な点を残しながらも、とりあえずは囚われの少年を助け出そう。そう結論付けた時、足元の茂みががさがさと揺れた。
  「誰だ⁈」
  イザークが声をかけると、茂みから給仕姿の小姓が出てきた。
  「あー!ここにいらっしゃった!皆んながあなた様方を探しております。イザーク様、フェリックス様至急お戻りを。皇帝陛下がお出ましになりました」
  イザークとフェリックスは顔を見合わせ、慌てて小姓のあとについて戻った。

  「お待たせして申し訳ございません」
  深々と頭を下げたイザークに対し、皇帝は鷹揚に頷いた。
  「気にするな。私の方が突然来たのだ」
  「恐れ入ります」
  「旧交を温めるのも大事だ。だがほどほどにしておけよ」
  「誤解です、陛下」
  くすりと笑われて、イザークは恥じ入った。
  フェリックスと2人で茂みで身を寄せ合っていたと、あっという間に広まってしまったのだ。
  今日の招待客に知れたということは、もう公然の事実になったに等しい。
  「おい、フェリックス。お前も否定しろ」
  「いいや、俺は一向に構わないね」
  フェリックスは冗談か本気かわからないことをいう。
  「それは噂かな、それともイザークとの関係が?」
  面白がる皇帝に、フェリックスは
  「ご想像にお任せします」
  と茶目っ気たっぷりに返事をした。
  「ところでイザーク、今はまだ近衛の兵舎で仮住まいをしているそうだな。王宮に引っ越してこいという話は考えてくれたか?」
  それは襲爵が決まった頃から皇帝に打診されていた。独身のイザークは実家があるし、新しく屋敷を構えるほどでもない。王宮の一室に身をおいてはどうか、と。
  イザークは不遜にも返事を保留にし、正直に言うと今日のこの日まで努めて忘れようとしていた。
  しきたりに厳しいという皇帝一家と悪名高いベドジフ神父との同居は勘弁してほしかったからだ。
  しかし、ついさっき事情は変わった。
  「ありがとうございます。勿体ないことでございますが、お言葉に甘えてさせていただきとう存じます」
  イザークの言葉に、皇帝は喜色を刷いた。
  「そうかそうか!お前と過ごすのは何年ぶりだろう。懐かしいな。近頃はクラウスもだいぶ具合がよいし、娘のマリアももう16になった。幼い頃しか知らぬだろうから、驚くぞ」
  「そらはそれは。まだ稚い少女の頃しか存じ上げぬゆえ、お会いするのが楽しみです」
  皇帝は悪い人間ではないのだ、とイザークは思う。ただ、皇帝としてはあまりに人間的すぎる。
  家族のことを愛おしそうに話すその姿は、王というより子煩悩なただの父親だった。
  皇帝が上機嫌で去ったあと、イザークはフェリックスに腹を突かれた。
  「お前、裏切ったな」
  「なぜだ」
  「お前、以前俺の屋敷に来いという誘いにも考えておくといったのだぞ」
  端正な顔がむすくれる様があまりにも似合っていなくて、イザークは笑う。
  「しょうがないさ。たとえ王の誘いを断ったとしても、その手前、兵舎に住み続けることになっただろうよ。それに、王宮なら、うまくすればあの少年を探すことができる」
  「それはそうだが、お前自身が探すのは危険すぎる。くれぐれも無茶な真似はするな」
  フェリックスは自分はいつも余裕綽々なふりをするくせに、イザークのことになるととかく過保護気味だった。
  これは噂を否定するのが厳しそうだと、イザークは頭をかいた。
  

  
  
  
  
  


  
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