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異世界へ
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瑠夏は中学卒業を控えた16歳の冬、母を交通事故で失った。
身寄りのない彼は、役所への死亡届や参列者のいない葬儀を、全てひとりでしなければいけなかった。
たったひとりの肉親を失った悲しみに暮れることも叶わないまま全てを終えた時、一人の男が現れた。鷹栖と名乗ったその男は、瑠夏が物心ついた時から音信のない父だった。
旧華族の子孫だという鷹栖は、その傲慢な家柄にふさわしい態度で、有無を言わさず瑠夏を連れ帰った。
今まで2DKの公営団地に住んでいた瑠夏にとっては、居住区でさえ足を踏み入れたことの無い様な山の手の豪邸。使用人に案内された瑠夏の私室は、団地の部屋と同じぐらいの広さがあった。
家具はベッドとライティングデスクのみ。がらんとした部屋のフローリングの床に、わずかばかりの私物を放り出す。
その音は静まり返った部屋に大きく反響した。
「……っふっ……うっ……」
気がついたら、瑠夏は声を上げて泣いていた。
母が死んだその日から蓋をしていた感情が、堰を切って溢れでる。
だがこの家には、親を亡くした中学生の心を思いやる人間など、一人もいない。父親はその後も、瑠夏に爪の先ほども興味を示すことはなかった。
心の傷が癒えぬままの瑠夏は、次第に感情を押し殺すようになっていった。
父は元よりそのつもりだったのか、能面のような顔の息子が疎ましくなったのか。知らぬ間に瑠夏は、故郷から遠く離れた全寮制の高校を受験することが決まっていた。
そして春。ほとんどの同級生が内部進学の上流階級の子弟という環境で、瑠夏は自分の居場所を見つけられないでいた。
ただ一つ、図書館という場所を除いて。
静謐さが要求される空間。ここだけは瑠夏の出自に関する心無い噂を耳にすることも、もう瑠夏には一生縁のない、家族との他愛ない幸せに溢れた話を聞かされることもなかった。
ある日、瑠夏はいつものように図書館を訪れていた。
瑠夏は目当ての本を探して図書館の奥へと進む。気がつくと、目の前に古びたドアがあった。
ドアはほんの少し開いていて、瑠夏はそれが気になって近寄っていった。
空調の違いか、隙間からは冷たく乾いた風が吹き込んでいる。
(ここ、なんだろう)
好奇心にかられ、一旦は閉めかけたドアをやっぱり開けてみることにする。
部屋の中には、豪華な装丁の本がガラス張りの本棚に守られるようにして所狭しとと陳列されていた。
どうやら、閉架図書のようである。
瑠夏はゆっくりと本棚を見て回った。
〝源氏物語 現代語訳 ◯◯版〟
〝△△百科事典〟
どれだけ価値のあるものか、正直なところ瑠夏にはわからない。
彼が目を惹かれたのは歴史書の一角だった。
〝ロシア帝国史〟
〝フランス王国史〟……
この辺は中世の歴史書だ。一冊ずつ背表紙を眺めていた瑠夏は、そのうちの一つに奇妙なタイトルを発見した。
〝ランディリア帝国史〟
初めて見る国名だ。瑠夏は気になってガラス戸に手をかけた。
戸を横に引くと、キイキイと小さな音を立てる。瑠夏は建て付けを悪くしないように慎重に開けると、その本の背表紙に指をかける。
隙間なく詰まって見えた本棚にしては意外なほど、本はあっさりと取り出すことができた。
少しみたらすぐに戻すつもりだ。瑠夏はその場で本を開いた。
〝いつか必ず訪れる厄災の時の為
この書を記す
手に取った汝こそ、我が力となり
この世界に癒しを与えん〟
不可解な端書だった。
そもそも、歴史書にこんな端書があるのが奇妙である。
詩の一節かとも思ったが、引用元も作者も表記がない。
次のページは目次である。先史、王国の誕生と続いて目で追っていた瑠夏はまたもや異変に気付いた。
〝神子の降臨……◯ページ〟
見だしの珍しさもさることながら、瑠夏が驚いたのは、その下にあるべき印字がなかったことである。
そこで終わりというわけではない。
空欄なのは見だしだけで、その横にはきっちりのページ数が書いてある。
瑠夏は〝神子の降臨〟のページを探す。
「あっ……」
瑠夏は驚きのあまり声を上げた。
開いたそのページは、白紙だった。その代わりなのかどうか、そこには一枚の絵葉書が挟まっていた。
こんなことあるはずがない。
そう思いながら、瑠夏は絵葉書を手に取った。
どこか外国の絵のようだった。月光が夜の闇を射抜き、壁にかけられた丸い鏡を照らしていた。鏡は光を反射することなく、きらきらと鏡面を輝かせている。
鏡の前では絵本の中にでてくる魔法使いのような姿の男たちが祈るようにして跪いていた。
神々しいようにも、また悪魔の儀式のようにも見えた。
瑠夏は通信面を見ようと裏返す。
そこには明確な差出人も宛名も書かれていない代わりに、紙面いっぱいにメッセージが書かれていた。
〝この先の記述がないことに、あなたは驚いているでしょう。
その驚きは最もです。この先はあなたが歴史を作っていくのですから。
この葉書をあなたが読んでいる時、 ランディリア帝国には破滅の時が迫っています。
あなたはかの世界で、癒しの力を手にするでしょう。
人を癒し、動物を癒し、大地を癒す力です。
どうかその力で 救世の神子となりランディリア帝国を救ってください。
時を超えて、孤独なあなたの友人より〟
この本は乱丁本なのかも知れない。それを知った生徒が、同級生との他愛ない想像遊びのために書いたものだろう。
だが、最後のくだりはまるで瑠夏自身に語りかけられているような気がした。
今か、あるいは昔の生徒かはわからないが、きっと同類がいるのだろう。
そう思うと鬱々としていた気持ちも少しは晴れるようだ。
(いっそのことなんの未練もないここよりも、必要とされる想像の世界に行ってみたい)
瑠夏がそう思った瞬間、またしても不思議なことが起こった。
手に持っていた絵葉書がぐにゃりと形を変える。驚いた瑠夏が慌てて手を離すと、それは床に落ちることなく生き物のようにうねりながら瑠夏を包むように巨大化していった。
天井まで肥大したそれは、次に丸く瑠夏を包み始めた。もう月の光も魔法使いたちの肌の色も、全てが混じり合って夜の色に溶け込んでいた。せまりくるそれがまるで繭のようだと思った瞬間、瑠夏はこの世から跡形もなく消え去っていた。
身寄りのない彼は、役所への死亡届や参列者のいない葬儀を、全てひとりでしなければいけなかった。
たったひとりの肉親を失った悲しみに暮れることも叶わないまま全てを終えた時、一人の男が現れた。鷹栖と名乗ったその男は、瑠夏が物心ついた時から音信のない父だった。
旧華族の子孫だという鷹栖は、その傲慢な家柄にふさわしい態度で、有無を言わさず瑠夏を連れ帰った。
今まで2DKの公営団地に住んでいた瑠夏にとっては、居住区でさえ足を踏み入れたことの無い様な山の手の豪邸。使用人に案内された瑠夏の私室は、団地の部屋と同じぐらいの広さがあった。
家具はベッドとライティングデスクのみ。がらんとした部屋のフローリングの床に、わずかばかりの私物を放り出す。
その音は静まり返った部屋に大きく反響した。
「……っふっ……うっ……」
気がついたら、瑠夏は声を上げて泣いていた。
母が死んだその日から蓋をしていた感情が、堰を切って溢れでる。
だがこの家には、親を亡くした中学生の心を思いやる人間など、一人もいない。父親はその後も、瑠夏に爪の先ほども興味を示すことはなかった。
心の傷が癒えぬままの瑠夏は、次第に感情を押し殺すようになっていった。
父は元よりそのつもりだったのか、能面のような顔の息子が疎ましくなったのか。知らぬ間に瑠夏は、故郷から遠く離れた全寮制の高校を受験することが決まっていた。
そして春。ほとんどの同級生が内部進学の上流階級の子弟という環境で、瑠夏は自分の居場所を見つけられないでいた。
ただ一つ、図書館という場所を除いて。
静謐さが要求される空間。ここだけは瑠夏の出自に関する心無い噂を耳にすることも、もう瑠夏には一生縁のない、家族との他愛ない幸せに溢れた話を聞かされることもなかった。
ある日、瑠夏はいつものように図書館を訪れていた。
瑠夏は目当ての本を探して図書館の奥へと進む。気がつくと、目の前に古びたドアがあった。
ドアはほんの少し開いていて、瑠夏はそれが気になって近寄っていった。
空調の違いか、隙間からは冷たく乾いた風が吹き込んでいる。
(ここ、なんだろう)
好奇心にかられ、一旦は閉めかけたドアをやっぱり開けてみることにする。
部屋の中には、豪華な装丁の本がガラス張りの本棚に守られるようにして所狭しとと陳列されていた。
どうやら、閉架図書のようである。
瑠夏はゆっくりと本棚を見て回った。
〝源氏物語 現代語訳 ◯◯版〟
〝△△百科事典〟
どれだけ価値のあるものか、正直なところ瑠夏にはわからない。
彼が目を惹かれたのは歴史書の一角だった。
〝ロシア帝国史〟
〝フランス王国史〟……
この辺は中世の歴史書だ。一冊ずつ背表紙を眺めていた瑠夏は、そのうちの一つに奇妙なタイトルを発見した。
〝ランディリア帝国史〟
初めて見る国名だ。瑠夏は気になってガラス戸に手をかけた。
戸を横に引くと、キイキイと小さな音を立てる。瑠夏は建て付けを悪くしないように慎重に開けると、その本の背表紙に指をかける。
隙間なく詰まって見えた本棚にしては意外なほど、本はあっさりと取り出すことができた。
少しみたらすぐに戻すつもりだ。瑠夏はその場で本を開いた。
〝いつか必ず訪れる厄災の時の為
この書を記す
手に取った汝こそ、我が力となり
この世界に癒しを与えん〟
不可解な端書だった。
そもそも、歴史書にこんな端書があるのが奇妙である。
詩の一節かとも思ったが、引用元も作者も表記がない。
次のページは目次である。先史、王国の誕生と続いて目で追っていた瑠夏はまたもや異変に気付いた。
〝神子の降臨……◯ページ〟
見だしの珍しさもさることながら、瑠夏が驚いたのは、その下にあるべき印字がなかったことである。
そこで終わりというわけではない。
空欄なのは見だしだけで、その横にはきっちりのページ数が書いてある。
瑠夏は〝神子の降臨〟のページを探す。
「あっ……」
瑠夏は驚きのあまり声を上げた。
開いたそのページは、白紙だった。その代わりなのかどうか、そこには一枚の絵葉書が挟まっていた。
こんなことあるはずがない。
そう思いながら、瑠夏は絵葉書を手に取った。
どこか外国の絵のようだった。月光が夜の闇を射抜き、壁にかけられた丸い鏡を照らしていた。鏡は光を反射することなく、きらきらと鏡面を輝かせている。
鏡の前では絵本の中にでてくる魔法使いのような姿の男たちが祈るようにして跪いていた。
神々しいようにも、また悪魔の儀式のようにも見えた。
瑠夏は通信面を見ようと裏返す。
そこには明確な差出人も宛名も書かれていない代わりに、紙面いっぱいにメッセージが書かれていた。
〝この先の記述がないことに、あなたは驚いているでしょう。
その驚きは最もです。この先はあなたが歴史を作っていくのですから。
この葉書をあなたが読んでいる時、 ランディリア帝国には破滅の時が迫っています。
あなたはかの世界で、癒しの力を手にするでしょう。
人を癒し、動物を癒し、大地を癒す力です。
どうかその力で 救世の神子となりランディリア帝国を救ってください。
時を超えて、孤独なあなたの友人より〟
この本は乱丁本なのかも知れない。それを知った生徒が、同級生との他愛ない想像遊びのために書いたものだろう。
だが、最後のくだりはまるで瑠夏自身に語りかけられているような気がした。
今か、あるいは昔の生徒かはわからないが、きっと同類がいるのだろう。
そう思うと鬱々としていた気持ちも少しは晴れるようだ。
(いっそのことなんの未練もないここよりも、必要とされる想像の世界に行ってみたい)
瑠夏がそう思った瞬間、またしても不思議なことが起こった。
手に持っていた絵葉書がぐにゃりと形を変える。驚いた瑠夏が慌てて手を離すと、それは床に落ちることなく生き物のようにうねりながら瑠夏を包むように巨大化していった。
天井まで肥大したそれは、次に丸く瑠夏を包み始めた。もう月の光も魔法使いたちの肌の色も、全てが混じり合って夜の色に溶け込んでいた。せまりくるそれがまるで繭のようだと思った瞬間、瑠夏はこの世から跡形もなく消え去っていた。
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