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第十三章
旧き日記帳 その2
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3人の異世界勇者は床に倒れ伏し、身動きできない様子であった。果たして生きているのか死んでいるのか。それを確認するだけのゆとりをもった人物など、この場にはいなかった。
いまや闇に堕した異世界勇者――現魔王ヒエン・ササキが、憤怒の表情で頬を押さえている。その眼前に立っているのは、たった独りのドワーフであった。
彼に特別な力など皆無であった。
ただ彼にあったのは、磨きぬかれた武芸と、なけなしの勇気のみである。彼が頬に負わせた傷はあっという間にふさがった。魔王となったヒエンには、特別な治癒能力が備わったようであった。ヒエンはじろりとドワーフを睨んだ。
「たかが矮小なドワーフが、この大魔王ヒエン・ササキに傷を負わせるとは……」
頬の傷はふさがっても、彼のプライドには傷がついたままなのは間違いないようだった。彼は異世界勇者の武器であったレイピアをドワーフへ突きつけた。
「――この罪は、貴様の身体を粉々にすることで償ってもらおう!」
「この旅に同行することを決意したときから、死は覚悟しておる。だが、ニーダ・ヤーケンウッフの名に賭けて! 勇者が魔に堕ちるのを黙って見ている訳にはいかぬ!」
「ほう、この魔王に対し、たかだか一介の亜人風情が歯向かうか。3人の異世界勇者も鎧袖一触。この完全無欠の王、ヒエン・ササキに歯向かうとはな!」
彼は指先を軽く振った。
かなり距離があるというのに、ニーダの頬がぱっくりと裂け、血が流れた。満足そうに頷くと、かなり芝居がかった口調で、ヒエン・ササキは哄笑した。
「これでまずはおあいこ、というやつかな」
彼はもはや心から現在の立場を満喫しているようであった。
ニーダは堂々たる啖呵を切ったものの、ここを自らの死地と決めていた。力の差は歴然。いま、ヒエンがその気になっていれば、彼のそっ首を大地へ転がすのは簡単なことだっただろう。それだけの圧倒的力量差が、ふたりにはあった。
「ひとつずつ手足を切り落としていって、どの瞬間に貴様が泣いて侘びを請うのか、これからじっくりと確かめてみるか」
「――そうはさせません!」
背後から響いた唐突な声に、ニーダはふりむいた。
そこには彼と共に異世界勇者をサポートしてきた戦士、僧侶、魔法使いたちが立っている。ここまで苦楽をともにしてきた仲間たち。ニーダは瞠目すると、あわてて手を振り、解散するように要求した。
「はなから、これは勝てる戦ではない。言ってみればこれは、ワシの意地にすぎぬ。お前たちがワシのつまらぬ意地に付き合う必要などないのだ」
「つまらないことを言わないでください」
エルフの魔法使いがいった。
「私たちは共に死のうと誓った仲間ではありませんか」
「そうさ、我らは亜人仲間。種族や生まれた場所は違えど、死に場所は一緒でいいじゃねえか」
ノームの僧侶が笑顔で同調した。
他の面々も笑顔であった。死を覚悟した者の瞳に向かって、ニーダが何をいえよう。彼は黙って頭を下げると、魔王と化したササキに向かい、
「さあ、逆賊退治とまいろうか!」
と、宣言した。
たちまちササキの顔が憤怒に染まった。
あとは、勝負にもならぬ。
一方的な虐殺であった。
誰もがニーダをかばうようにたちふさがり、笑顔を浮かべたまま死んでいった。
「奈落《アビス》で会おう」彼らはそういって次々と大地に転がり、息をひきとった。
ニーダは闘った。
最後まで闘った。
その両眼から涙をあふれさせながら。
「さて、なぶるのも飽いた。そろそろ死ね。不愉快なドワーフよ」
消耗しきったニーダは、もはや立っているのがやっとの状況だった。
魔王ササキは無詠唱で暗黒魔法を唱えた。その暗き炎は一直線にニーダへと向かい、その身を焼き――尽くさなかった。
まるで蝋燭の火が消えるように、暗き炎は唐突に消失したのだ。
「不愉快なのは貴様の方じゃ、ササキとやら」
気がつくと、ニーダの傍らには青き衣を着た白髭白髪の老人が立っていた。
「これは暗黒神ハーデラと大地母神センテスの単なる勢力争い。そう思えばこそ、我らは不介入を決め込んでおった」
「それがこのように亜人をなぶるような真似を。随分ですね」
その傍らにまた新たな人物が出現した。針のような長身をした、緑衣を着た人物であった。さらに白き衣を着た、筋肉質の男が出現し、獰猛に笑った。
「ハーデラ、最低限の仁義も護れないならば、俺達もそうするぜ」
「われら四神獣、義によって亜人、ニーダに力を貸そう」
最後にあらわれた黒髪の美女が高らかに宣言すると、彼らの姿は溶けるように消えた。あたかも、それはニーダの体内に吸収されてしまったかのようであった。
魔王ササキは次々と必殺の呪文をニーダへと放った。
しかし、かれの優位はもはや、完全にひっくり返されていた。光の魔人と化したニーダにはあらゆる呪文が通用せず、ササキは彼の強烈な一撃で大きく弾き飛ばされた。
「おのれ、おのれ、亜人めが……」
ササキは、壁にその身を叩きつけられて意識を失った。
日記はその後のことを、つまびらかに記してはいなかった。
だが、最後に残ったドワーフは、四獣神の力をかりてハーデラを封印し、ほとんど抜け殻と化したヒエン・ササキを拘束し、ヴァルシパルの王宮まで連行したということは分かった。
ニーダは、事の一部始終をすべて当時の王へと語ったようである。
もちろん、拘束されたササキも黙ってはいない。すべてはこのドワーフの捏造であり、まんまと奸計にはまってこのような醜態を晒すことになってしまったということを、必死に弁解した。
王がどちらを信じたかは語るまでもない。
だが、王が下した結論は信じがたいものであった。
ヒエン・ササキを魔王を倒した英雄として扱い、最初にかわした約束どおり、次代の王へと成す。というものであった。それと同時に、ニーダには決して真実を口外してはならぬという命令まで下された。
それは、国王としては当然の措置であったのかもしれない。
はるばる異世界から招いた勇者が裏切り――魔王と化し、さらには一介のドワーフに討たれた――などとは到底、国民の前で発表できることではなかったからだ。
それでは、彼らを召還したセンテス教の威信が地に堕ちる。この不都合な真実は、国政にまで影響力を持つ教会にとって、そして「魔王を討ち果たした者に王位を継がせよう」などと謳った国王にとって、あまりにも具合が悪すぎた。
ニーダにとっては到底受け入れられない結論だったに違いない。
それでは彼を守るために死した仲間たちの存在意義はどうなるのか。
真実はどうなるのか。彼らの栄誉はどうなるのか。
――どうにもならなかった。
彼は自らの功績を決して誇ることを許されず、ただひたすら仲間の死を悼むことしかできなかっただろう。息子ダーですら、彼の業績をなにひとつ知らない様子であった。
「実に、むごいことよ……」
公爵は、黒魔獣ことブラギドンがこのジェルポートを襲撃してきたことの事を思い返していた。まだ魔王軍がガイアザに釘付けとなっている状況から、このヴァルシパル王国まで魔物が自由に跳梁できる。そのような状況を許したのは誰か。彼には最初から見当がついていた。
だが、そのことを口外するわけにはいかなかった。兄王への精一杯の配慮のつもりだった。次第に、徐々に狂気という深淵に呑みこまれつつある兄王。
だが、いつか、正気に返ってくれるに違いない――。
そのわずかな望みも、ナハンデルへの襲撃で、答えは出た。彼の兄は、亡き初代ヒエン・ササキの意志を継ぎ、魔王への道を邁進することしか考えていなかったのだ。
「私の血にも、その呪わしき血が流れている……」
ジャンは、自らの身体をかきむしり、すべての血液を体外へと流しだしてしまいたいという激しい欲求に、幾度駆られたことか。
「……だが、この過激な思考も先祖ゆずりではないのか」
そう考えると、公爵はどうしようもない絶望感に苛まれるのだ。
所詮、呪われし一族であるという想いが強い。
いまごろ、かつてこの世界の危機を救った男、ニーダの息子、ダー・ヤーケンウッフはどうしているだろうか。
ジャン・マキシミリアンことジェルポート公爵は、深い溜息の底から脱し、立ち上がって外の風景を見た。黄昏がゆっくりと眠りにつくかのように漆黒に染まりつつある。
彼は遥かザラマの方角へと睨むかのように目線を向けた。
自嘲するようにひとりごちる。
「とうにこの国は、漆黒に堕ちているのかもしれぬ……」
いまや闇に堕した異世界勇者――現魔王ヒエン・ササキが、憤怒の表情で頬を押さえている。その眼前に立っているのは、たった独りのドワーフであった。
彼に特別な力など皆無であった。
ただ彼にあったのは、磨きぬかれた武芸と、なけなしの勇気のみである。彼が頬に負わせた傷はあっという間にふさがった。魔王となったヒエンには、特別な治癒能力が備わったようであった。ヒエンはじろりとドワーフを睨んだ。
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彼は指先を軽く振った。
かなり距離があるというのに、ニーダの頬がぱっくりと裂け、血が流れた。満足そうに頷くと、かなり芝居がかった口調で、ヒエン・ササキは哄笑した。
「これでまずはおあいこ、というやつかな」
彼はもはや心から現在の立場を満喫しているようであった。
ニーダは堂々たる啖呵を切ったものの、ここを自らの死地と決めていた。力の差は歴然。いま、ヒエンがその気になっていれば、彼のそっ首を大地へ転がすのは簡単なことだっただろう。それだけの圧倒的力量差が、ふたりにはあった。
「ひとつずつ手足を切り落としていって、どの瞬間に貴様が泣いて侘びを請うのか、これからじっくりと確かめてみるか」
「――そうはさせません!」
背後から響いた唐突な声に、ニーダはふりむいた。
そこには彼と共に異世界勇者をサポートしてきた戦士、僧侶、魔法使いたちが立っている。ここまで苦楽をともにしてきた仲間たち。ニーダは瞠目すると、あわてて手を振り、解散するように要求した。
「はなから、これは勝てる戦ではない。言ってみればこれは、ワシの意地にすぎぬ。お前たちがワシのつまらぬ意地に付き合う必要などないのだ」
「つまらないことを言わないでください」
エルフの魔法使いがいった。
「私たちは共に死のうと誓った仲間ではありませんか」
「そうさ、我らは亜人仲間。種族や生まれた場所は違えど、死に場所は一緒でいいじゃねえか」
ノームの僧侶が笑顔で同調した。
他の面々も笑顔であった。死を覚悟した者の瞳に向かって、ニーダが何をいえよう。彼は黙って頭を下げると、魔王と化したササキに向かい、
「さあ、逆賊退治とまいろうか!」
と、宣言した。
たちまちササキの顔が憤怒に染まった。
あとは、勝負にもならぬ。
一方的な虐殺であった。
誰もがニーダをかばうようにたちふさがり、笑顔を浮かべたまま死んでいった。
「奈落《アビス》で会おう」彼らはそういって次々と大地に転がり、息をひきとった。
ニーダは闘った。
最後まで闘った。
その両眼から涙をあふれさせながら。
「さて、なぶるのも飽いた。そろそろ死ね。不愉快なドワーフよ」
消耗しきったニーダは、もはや立っているのがやっとの状況だった。
魔王ササキは無詠唱で暗黒魔法を唱えた。その暗き炎は一直線にニーダへと向かい、その身を焼き――尽くさなかった。
まるで蝋燭の火が消えるように、暗き炎は唐突に消失したのだ。
「不愉快なのは貴様の方じゃ、ササキとやら」
気がつくと、ニーダの傍らには青き衣を着た白髭白髪の老人が立っていた。
「これは暗黒神ハーデラと大地母神センテスの単なる勢力争い。そう思えばこそ、我らは不介入を決め込んでおった」
「それがこのように亜人をなぶるような真似を。随分ですね」
その傍らにまた新たな人物が出現した。針のような長身をした、緑衣を着た人物であった。さらに白き衣を着た、筋肉質の男が出現し、獰猛に笑った。
「ハーデラ、最低限の仁義も護れないならば、俺達もそうするぜ」
「われら四神獣、義によって亜人、ニーダに力を貸そう」
最後にあらわれた黒髪の美女が高らかに宣言すると、彼らの姿は溶けるように消えた。あたかも、それはニーダの体内に吸収されてしまったかのようであった。
魔王ササキは次々と必殺の呪文をニーダへと放った。
しかし、かれの優位はもはや、完全にひっくり返されていた。光の魔人と化したニーダにはあらゆる呪文が通用せず、ササキは彼の強烈な一撃で大きく弾き飛ばされた。
「おのれ、おのれ、亜人めが……」
ササキは、壁にその身を叩きつけられて意識を失った。
日記はその後のことを、つまびらかに記してはいなかった。
だが、最後に残ったドワーフは、四獣神の力をかりてハーデラを封印し、ほとんど抜け殻と化したヒエン・ササキを拘束し、ヴァルシパルの王宮まで連行したということは分かった。
ニーダは、事の一部始終をすべて当時の王へと語ったようである。
もちろん、拘束されたササキも黙ってはいない。すべてはこのドワーフの捏造であり、まんまと奸計にはまってこのような醜態を晒すことになってしまったということを、必死に弁解した。
王がどちらを信じたかは語るまでもない。
だが、王が下した結論は信じがたいものであった。
ヒエン・ササキを魔王を倒した英雄として扱い、最初にかわした約束どおり、次代の王へと成す。というものであった。それと同時に、ニーダには決して真実を口外してはならぬという命令まで下された。
それは、国王としては当然の措置であったのかもしれない。
はるばる異世界から招いた勇者が裏切り――魔王と化し、さらには一介のドワーフに討たれた――などとは到底、国民の前で発表できることではなかったからだ。
それでは、彼らを召還したセンテス教の威信が地に堕ちる。この不都合な真実は、国政にまで影響力を持つ教会にとって、そして「魔王を討ち果たした者に王位を継がせよう」などと謳った国王にとって、あまりにも具合が悪すぎた。
ニーダにとっては到底受け入れられない結論だったに違いない。
それでは彼を守るために死した仲間たちの存在意義はどうなるのか。
真実はどうなるのか。彼らの栄誉はどうなるのか。
――どうにもならなかった。
彼は自らの功績を決して誇ることを許されず、ただひたすら仲間の死を悼むことしかできなかっただろう。息子ダーですら、彼の業績をなにひとつ知らない様子であった。
「実に、むごいことよ……」
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だが、いつか、正気に返ってくれるに違いない――。
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「私の血にも、その呪わしき血が流れている……」
ジャンは、自らの身体をかきむしり、すべての血液を体外へと流しだしてしまいたいという激しい欲求に、幾度駆られたことか。
「……だが、この過激な思考も先祖ゆずりではないのか」
そう考えると、公爵はどうしようもない絶望感に苛まれるのだ。
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いまごろ、かつてこの世界の危機を救った男、ニーダの息子、ダー・ヤーケンウッフはどうしているだろうか。
ジャン・マキシミリアンことジェルポート公爵は、深い溜息の底から脱し、立ち上がって外の風景を見た。黄昏がゆっくりと眠りにつくかのように漆黒に染まりつつある。
彼は遥かザラマの方角へと睨むかのように目線を向けた。
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