上 下
103 / 146
第十章

ダーク・クリスタル・パレス

しおりを挟む
 深い霧が、まるで重いカーテンのように光を遮っていた。
 この薄霞む霧のむこうに、漆黒に塗り固められた奇怪な建築物が佇立している。もしここに何も知らぬ旅人があらわれ、その建物を目の当たりにしたならば、恐怖にその顔を引きつらせたであろう。
 太陽の光も吸い込んでしまいそうな高い壁が四方を遮断し、唯一屹立する門は、あたかも冥府魔道への入り口のような禍々しい雰囲気をまとっている。
 これが魔王軍の居城、ダーク・クリスタル・パレスである。


 そこは漆黒しか存在を許されない部屋だった。
 天井も壁も机もあらゆるものが漆黒であり、ただそこに座り、分厚い書物のページを静かにめくっている男のみがその束縛から自由であった。その眉間には絶えず深い皺が刻まれており、男がなにかに思い悩んでいるのは明白であった。
 ふいに、部屋の扉がノックされた。2度、3度。

「――入れ。何用か」

 ひとりの魔族が鞠躬如きっきゅうじょとして入室してきた。そして告げる。

「はい、そろそろお時間でございます。クレイター様」

「フム、もうそんな時間か。わかった」

 クレイターと呼ばれた長身痩躯の男は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
 青い掌で、銀髪の短髪を無造作にかきあげ、回廊へと向かう。
 漆黒の回廊に靴音をひびかせながら、彼は大きな両開きの扉を開いた。
 そこもまた、漆黒である。
 黒い円卓の中央には、大きめの燭台が光をはなち、部屋にささやかなぬくもりを与えている。光の反射する円卓には、すでに3人の人物が腰を降ろしていた。
 ひとりは凱魔将、ラートーニ。
 ひとりは凱魔将、ウルル。
 そしてもうひとりは、もと4勇者のひとりであった、ケンジ・ヤマダであった。その膝元に置かれているのは、かつて琥珀色に輝く聖なる武器だった勇者の杖である。現在は黒く染まった闇の杖となり、その面影はまるでない。

 クレイターはもう一度髪をかきあげると、冷たい双眸でヤマダをにらんだ。
 ヤマダはその視線に気付かぬのか、はたまた気付かぬふりをしているのか、ラートーニと甘い言葉のやりとりをかわしている。フン、とクレイターは鼻息荒く、席のひとつに腰をおろした。
 
「まだ、ラートドナから吉報はもたらされぬか」

 彼は黒く磨き上げられた円卓に視線を落としたまま、ひとりごちるようにつぶやいた。
 その声に反応したのは、無邪気に笑みを浮かべているウルルである。

「そーだね。こないだ転移して様子を覗いてきたけど、時間の問題といった感じだったね」

「時間の問題は、もう聞き飽いた」

 うんざりしたような苦い顔で、クレイターはウルルを見やった。ウルルは私に言われてもね、といった調子で、軽く肩をすくめた。
 
「ごめんなさいねえ、力攻めしか能のない愚弟のせいで」

 そう口にしたのはラートーニである。一応謝罪はしてるものの、さほど申し訳なさそうな口調ではなかった。

「おぬしを責めているつもりはない。姉は姉、弟は弟だ。ラートドナの責任はラートドナに帰する」

「たかだか城ひとつ落とすのに、どれだけ時間がかかっているんだよってね。でも、それも仕方ないじゃないかなあ。相手は難攻不落で知られた名城ブルー・サンシャインだし。あそこは強い結界が張られていて、転移魔法が使えないんだよね。正直言って真正面からの侵攻は愚策。兵糧攻めしか手がない状況だよ」

 不利な状況の説明にもかかわらず、上機嫌で饒舌さを披露するウルル。
 だが正論だけに、クレイターとしては舌打ちを禁じえない。
 彼はふと視線を転じた。空席なのは円卓の一席のみではない。
 この広闊な大広間の奥には、不可思議な暗黒の輝きに彩られた玉座が鎮座している。その一段高い玉座は空席であり、本来そこにあるべき偉大なる主は、ここにいない。

「ところでさ、僕はまだ魔王様のお姿を拝見したことがないんだが、いつお目通りがかなうんだい」

「にわかに国王軍へと寝返っただけの男が、簡単に我らが主にお目通りが適うと思うてか」

 ヤマダの言葉を叩き切るようにクレイターが言った。
 しかしその言に、くすくすと笑いを浮かべるのはラートーニである。現在の魔王の詳しい情報を与えたくない彼の焦燥を、見透かしたかのような笑み。
 クレイターは不愉快そうな視線を彼女に向けると、

「ラートーニ、言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ」

「それはあなたが一番よくわかってるんじゃないのお? 私たちの置かれた状況だって、周囲が思っているほど良いものじゃないってことに」

 ヤマダは不思議そうに首をかしげた。

「それってどういう意味だい?」

「魔王様と一言でいってもねえ、ずっと同じ人物なわけないのよお。だって200年に1度、ハーデラ神の力が増大するとき、魔王様は誕生する。つまり、代替わりするってわけえ」

「えっ、とすると、今の魔王は赤ん坊ってことかい?」

 くすくすとラートーニは魔性の笑みを浮かべると、つん、とひとさし指の先でヤマダの鼻先を押した。

「違うわよお。誕生するっていっても、文字通り新たに生まれてくるわけじゃないの。ハーデラ様がそのお力を取り戻した瞬間、もっとも強大な魔力を有した魔族の誰かが、新たな魔王様になるの。そうでないと、魔王軍を率いることなんて不可能だわ」

「とすると、今の魔王様は、君らのもと同僚ってことになるわけか?」

「そうとも限らないわねえ。もと部下かもしれないし、兵ですらない在野の1魔族にすぎないかもしれないわ。判断基準はあくまで『最も魔力が強い者』。それがハーデラ神がお決めになったルール。私たちは、そのルールに従わざるを得ないわ」

「ふうん、いろいろと複雑なんだね。魔族も」

「ラートーニ、ちとしゃべりすぎではないか」

 たしなめるようにクレイターが鋭い視線を放つ。
 ラートーニはどこふく風で、部屋の隅に控えている侍従に葡萄酒を持ってくるように命じる。侍従が部屋を出て行くと、彼女は楽しげな口調で、

「そうイライラした顔をするもんじゃないわあ。そろそろ事態が動き出すって、ウルルも言っていたじゃない。そうなると、そろそろあたしたちの出番よお」

「まだ信じられないな。確かなのかい、ウルル?」

「あら、私の調査結果を疑うの? ヤマダ」

「いや、疑うわけではないけどさ……」

「なら余計な疑問をさしはさまない。国王軍が6万の大軍を率いてナハンデル討伐へと出発した。これは歴とした事実だからね」

「うーん、ヴァルシパルは魔王軍を背後に抱えたまま、自国内で戦争をおっぱじめようというのかい。僕の愛読書の戦記ものでも、そこまでの愚将はなかなか登場しないよ」

「それが現実として展開しつつあるから、おもしろいところなんじゃないの。もっとも、おもしろいのは私たちだけなんですけどねえ」

 やがて侍従が葡萄酒をささげて入室してきた。
 ラートーニは酒坪をかたむけ、四つの酒杯を満たした。
 それを各自の手元へと配ると、彼女は陽気に酒杯を掲げた。
 
「――私たち魔王軍の栄光に、乾杯」

 そして一気に葡萄酒を飲み干した。ヤマダとウルルもそれに倣った。
 ただひとり、陰気に外を眺めやっているのはクレイターである。
 深い霧に覆われて、ひとつだけ開かれた窓は、まるで外界の景色を届けてはくれない。だが、彼の透徹した眼は、すべてを超えて、遠きヴァルシパル王国の地を眺めているようであった。

「さて、賽は投げられた。果たして我らの賭けがうまくいくかどうか――」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

レベルが上がらずパーティから捨てられましたが、実は成長曲線が「勇者」でした

桐山じゃろ
ファンタジー
同い年の幼馴染で作ったパーティの中で、ラウトだけがレベル10から上がらなくなってしまった。パーティリーダーのセルパンはラウトに頼り切っている現状に気づかないまま、レベルが低いという理由だけでラウトをパーティから追放する。しかしその後、仲間のひとりはラウトについてきてくれたし、弱い魔物を倒しただけでレベルが上がり始めた。やがてラウトは精霊に寵愛されし最強の勇者となる。一方でラウトを捨てた元仲間たちは自業自得によるざまぁに遭ったりします。※小説家になろう、カクヨムにも同じものを公開しています。

ブラックギルドマスターへ、社畜以下の道具として扱ってくれてあざーす!お陰で転職した俺は初日にSランクハンターに成り上がりました!

仁徳
ファンタジー
あらすじ リュシアン・プライムはブラックハンターギルドの一員だった。 彼はギルドマスターやギルド仲間から、常人ではこなせない量の依頼を押し付けられていたが、夜遅くまで働くことで全ての依頼を一日で終わらせていた。 ある日、リュシアンは仲間の罠に嵌められ、依頼を終わらせることができなかった。その一度の失敗をきっかけに、ギルドマスターから無能ハンターの烙印を押され、クビになる。 途方に暮れていると、モンスターに襲われている女性を彼は見つけてしまう。 ハンターとして襲われている人を見過ごせないリュシアンは、モンスターから女性を守った。 彼は助けた女性が、隣町にあるハンターギルドのギルドマスターであることを知る。 リュシアンの才能に目をつけたギルドマスターは、彼をスカウトした。 一方ブラックギルドでは、リュシアンがいないことで依頼達成の効率が悪くなり、依頼は溜まっていく一方だった。ついにブラックギルドは町の住民たちからのクレームなどが殺到して町民たちから見放されることになる。 そんな彼らに反してリュシアンは新しい職場、新しい仲間と出会い、ブッラックギルドの経験を活かして最速でギルドランキング一位を獲得し、ギルドマスターや町の住民たちから一目置かれるようになった。 これはブラックな環境で働いていた主人公が一人の女性を助けたことがきっかけで人生が一変し、ホワイトなギルド環境で最強、無双、ときどきスローライフをしていく物語!

外れスキル《コピー》を授かったけど「無能」と言われて家を追放された~ だけど発動条件を満たせば"魔族のスキル"を発動することができるようだ~

そらら
ファンタジー
「鑑定ミスではありません。この子のスキルは《コピー》です。正直、稀に見る外れスキルですね、何せ発動条件が今だ未解明なのですから」 「何てことなの……」 「全く期待はずれだ」 私の名前はラゼル、十五歳になったんだけども、人生最悪のピンチに立たされている。 このファンタジックな世界では、15歳になった際、スキル鑑定を医者に受けさせられるんだが、困ったことに私は外れスキル《コピー》を当ててしまったらしい。 そして数年が経ち……案の定、私は家族から疎ましく感じられてーーついに追放されてしまう。 だけど私のスキルは発動条件を満たすことで、魔族のスキルをコピーできるようだ。 そして、私の能力が《外れスキル》ではなく、恐ろしい能力だということに気づく。 そんでこの能力を使いこなしていると、知らないうちに英雄と呼ばれていたんだけど? 私を追放した家族が戻ってきてほしいって泣きついてきたんだけど、もう戻らん。 私は最高の仲間と最強を目指すから。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

処理中です...