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第四章

悪夢のつづき

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「――攻め手をゆるめるな、かかれ、かかれ!」

 コートオア隊長の、非情な号令が飛ぶ。
 甲冑を着た戦士たちが、その声を背に次々と、骸骨のような巨大蟹に立ち向かってゆく。
 だが、数合と持たない。
 すぐに屍となって、怪物の足元で無残なオブジェと化す。
 傍から見れば、無謀な特攻のように思えるかもしれない。
 しかし距離を開けば、たちまち雷撃砲が飛んでくるのである。つまるところ、彼らが活路を見出すとすれば、接近戦しかないのだ。

 コートオアは、ダーが実践したように、正面からの攻撃で注意をひきつけ、その隙に側面から歩脚を斬りつけるという作戦を立てた。だが、現実は容易ではなかった。
 この巨大蟹のような化物――クラスタボーンは、反応速度が尋常ではない。
 五本に減ってはいるものの、それぞれの脚が、独立した意思をもつように蠢き、前後左右、自在な移動を可能としている。

 さらに厄介なことに、この化物は、学習する頭脳を備えていた。
 側面に回り込まれそうになると、即座に後退する。
 追おうとすると、復元するバネのような、尋常ではない速度での反撃を加えてくる。
 一度犯したミスは、二度とは食わないというわけだ。
 さらに、その鋭利なハサミでの攻撃は、驚異的だった。
 装甲の薄い部分なら、一撃で切断されてしまう。
 おかげで死傷者は増える一方だ。コートオアとしては、トップクラスの冒険者たちとの力量差を痛感せざるを得ない。

 ヒュベルガーは、後方へと下がっている。
 ザラマから支援にやってきた僧侶の回復の奇跡で、満身創痍となった身体と疲労を回復しているところだ。
 エクセ=リアンも同様だった。
 彼もまた、別の僧侶から回復措置を施されている。
 その表情は生きたまま死んでいるかのように青白く、ひどくやつれたように見えた。
 地に跪き、中空に視線を彷徨わせたまま、ぶつぶつとなにやら呟いている。

 ヒュベルガーは同情的に彼を見た。目の前で親友が、自らを助けるために犠牲になったのだ。その衝撃の深さは彼にも理解できる。
 だが、エクセはなまじ美貌なだけに、その様はさらに哀れに見えた。
 それに彼は、十二分にこの戦いで活躍してくれた。これ以上を望むのは間違っている。
 またコニン、アルガス、コスティニルといった冒険者たちが残ってくれているが、遠距離攻撃専門の彼らに、この怪物の硬い装甲をどうにかしろと言うのは酷であろう。それに魔族の結界が、地味に効果を上げている。彼の炎の剣もほぼ封じられている状況だ。

「くそ、さっきまでは勝ち戦だったのに……」

 ヒュベルガーは、拳を地に叩きつけるしか、悔しさをまぎらわす方法がなかった。



 コートオアは兵に指示を与えつつ、考える。
 選抜された冒険者たちの疲労はすでに限界に達している。
 この先は、ザラマの守備兵で乗り切るのが、役割として当然だろう。
 今回の選抜メンバーに選ばれなかった冒険者も、助力に集まってくれている。
――しかし、この化物はあまりに強い。
 またひとり、犠牲者が地に倒れた。

「隊長、ウィルが――!」

「――あわてるな、ロック、代わりに入れ」

 前衛に等間隔で、三名の兵を配置している。そのうちのひとりが欠けた。
 すかさず左右から、二名ずつ配した兵士を挟撃させる。
 そうすると、警戒したクラスタボーンは、すぐに後方へ跳びすさる。
 その隙を埋めるように、別の兵がそのポジションに入る。
 倒れたウィルを、冒険者たちが左右から抱え、後方へと引きずっていく。

「しとめるのに、どれだけの死傷者が出ることやら……」

 つい繰言をしてしまい、舌打ちするコートオア。
 本来ならば、みずから剣を振るい突進したいところだ。
 だが、指揮をしている自分が万が一、倒れでもしたらどうなるか。
 士気は下がり、この防衛ラインは一気に瓦解するだろう。
 せっかく魔王軍を撃退したというのに、その事態だけは避けたい。
 今回、魔王軍を撃退してくれた60人の冒険者。彼らがいかに傑出したメンバーだったのか、痛感させられる思いだ。

「――よし、休憩は終わりだ、行くぞ!」

 後方からヒュベルガーが立ち上がった。
 あわてて治療を施していた僧侶が制止する。

「お待ちなさい、あなたの肉体の疲労度は半端ではない。この短い時間では、回復しきっていないはず。疲弊した身では、みすみす命を散らしてしまいます」

「しかし、あの化物を倒せる冒険者は、俺か、ダーぐらいしかいない。かれが死んだ今、俺しかおらんのだ」

 そういう問答をしている時であった。
 距離をとったクラスタボーンは、再攻撃をしかけてこなかった。
 左右のハサミを、頭上に掲げている。
 その間には、バチバチと糸のような白い線が迸っている。
 雷撃砲の前触れだった。

「――いかん!! 全員下がれ!!」

 誰もが見ている。ダーの消滅した瞬間を。
 兵たちは完全に動揺し、ろくに避難もおぼつかない。
 どれほどの死傷者が出るのだろうか。コートオアには予想もつかない。そしてその衝撃は、生き延びた兵士たちの士気を刈り取るのに充分であろう。

「ちくしょう、もうおしまいだ!!」

「こんなところで死にたくねえ!!」

 兵士達が口々に絶望の言葉を吐き出した。
――そのときである。
 一条の閃光が、クラスタボーンの右側の鋏を切断した。
 音を立てて、鉗脚の先端部分が地に落ちる。

「……ヒーローは、遅れてやってくる、だねえ」

 白馬にまたがった男が、後方から悠然とその場に姿を現した。
 その身にまとっているのは、貴族か道化か見分けのつかぬ、派手で豪華な衣装。
 流麗な手つきで鞘にレイピアを納めたその男こそ、異世界勇者――ミキモト・ハルカゼであった。
 兵士たちの口から、どよめきに似た歓声が鳴り響いた。

「――あなたがなぜ、ここに?」

 放心したままのエクセに代わり、ルカが疑問をぶつける。
 ミキモトは馬上、大げさな身振りで両肩をすくめ。

「勅令ですよ。ザラマを侵攻しようなどという不逞の輩を始末せよとね」

「いやねえ、また貴方が出てきたの。しつこい男は嫌われるわよお」

 と、魔族ラートーニが口をはさむ。

「はて、どこかでお逢いしましたかね、美しいマドモワゼル?」

「あらあら、お忘れかしら。でも、あの時は全身黒装束だったから、わからなかったかもねえ」

「――ああ、あのときの」

 ようやく合点がいったようだ。その問答の隙に、クラスタボーンはミキモトに肉薄し、残った左の鉗脚を大きく頭上に振りかぶっていた。
 うるさげにミキモトがレイピアを鞘走らせると、ハサミは旋回しつつ宙に舞い、離れた位置に落ちる。
 クラスタボーンは脱兎のごとく後方へと逃げる。
 だが、攻撃手段が封じられたのだから、打つ手がない。

「そろそろ終幕ですね」

 気障な仕草で白馬からひらりと舞い降りると、周囲の兵に命じ、馬を後方に下げさせる。
 なにをするつもりか『フェニックス』メンバー以外の者は知らぬ。

流星連続突きエトワール・フィラント

 それはまさに流星のように、高速で繰り出される突風であった。
 冒険者や兵士達をさんざん苦しめた、硬いクラスタボーンの装甲に、次々と亀裂が走る。まるで立体化したジグソーパズルのようになった白い怪物を背にし、ミキモトはひゅんと気障っぽくレイピアを旋回させ、腰の鞘に収めた。
 チン、というその音が合図だったかのように、悪夢のごとく猖獗を極めたクラスタボーンは、蟹形からボロボロと崩壊し、白い破片の堆積となった。

「おおおおおお!! やった! やってくれた!!」

 兵士達の歓声がこだました。圧倒的な異世界勇者の実力を目の当たりにし、誰もが興奮を抑えきれない様子である。
 これにひとり、不満そうなのがラートーニである。

「相変わらず野暮な男よねえ。こないだもおいしい処を持っていったし」

「ふふふ、あなた方もそうなる運命なんですよね」

「ああら、果たしてそうかしらあ」

 女の目が怪しくきらめいた。
 傍らに立つ黒衣の男の手が、中空に消える。
 ふたたびその手が現れたときには、あやしげな物体を手に握っている。彼の手中に納まっていたのは、1メートル程度の長さの黒い杖であった。
 その杖を振りつつ詠唱を始めると、空間がまたしてもねじれる。

「ふん、なんとかの一つ覚えですか」

 ミキモトが呆れたような声で揶揄する。
 再度、亜空間からクラスタボーンが吐き出された。
 それも一体ではない。二体、三体、その数は留まるところを知らぬように見える。
 この黒衣の男は、どれだけの魔力を包括しているというのだろう。
 亜空間より生み出されし、計十体のクラスタボーンの群れは、グロテスクなまでに白く輝いている。その様子に嘔吐する兵士も出る始末である。

「どう? 異世界勇者ちゃん、これでぐっと面白くなったでしょ?」

「これだけの戦力を有しながら、なぜ先の戦に投入しなかったのですか?」

「その必要性を感じなかったからよお。誤算だったけどねえ。でもま、素敵なサプライズゲスト様も現われたことだし、極上のおもてなしをしないとねえ」

 クラスタボーン群は、ミキモトを中心にくるりと円を描き、完全に包囲した。
 ぐるぐると周囲を横移動で回転している。
 正面の怪物が、彼を攻撃した。
 ミキモトは当然のようにこれを迎撃する。瞬時に鞘走ったレイピアにより、振り下ろされたハサミが切断され、音を立てて地に落ちる。

 だがそれと同時に、背中からも一撃を見舞われる。
 これは回避の仕様がなかった。
 もろに喰らい、ミキモトは転倒した。
 勇者の武器というのは防御力も増加するのだろう。重装甲のドルフが一撃でまっぷたつにされた攻撃である。しかしミキモトは普段着といってもさしつかえないような薄着なのに、深手を負った様子はない。

「ふ、ふざけた手段を使いますねえ……」

 しかし、効いているようだ。ミキモトはわずかに顔をしかめた。
 ラートーニは恍惚の笑みを浮かべて、言った。

「さあ、まだまだ行くわよ――異世界勇者さん」

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