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第一部 一章 遭難と書いてソロキャンと読もう!

状況整理と持ち物の確認

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 2度、3度、深呼吸をする度に脳へと新鮮な酸素が送られていき、少しずつだが自分の置かれた状況を理解しつつあった。
 体はどこも痛みはない。
 視覚や聴覚を始めとした感覚にも異常はみられない。
 だけど……当たり前だが、今まで冬山のテントにいたのだ。
 持ち込んでいたキャンプギアはどこにも見当たらず、辛うじて持っていたのは財布やスマホだけ。
 祈るような気持ちで真っ暗な液晶を覗くと、不安に満ちた自分の顔が写っていた。

「電波は――駄目か…」

 そりゃそうだろう。
 ここが何処どこなのか分からないが視界には人工物が皆無という事実から、相当な辺境である事は疑う余地がない。
 兎に角、こんな場所で寝ていた件については一旦保留としよう。
 考えても答えなんて出そうになかったから、というのは建前で本当は理屈を超えた事態に立たされているという現実から目を背けたかった。

 本来ならば遭難時には風雨や滑落、野生動物との遭遇など差し迫った危険を避け、極力その場から離れずに救助を待つのだが、食料どころか水や雨具、更には頼みのスマホも使えないとなれば持久戦によるで助かるかどうかも怪しい。
 そもそも、どうやってこんな場所まで移動したのかすら記憶がなく、周囲には足跡もないのだ。
 それでも救助が来るのを信じて待ち続けるにしても、最低限の水だけでは確保しなければならない。

「まずは飲み水が欲しい。
 水筒は――クソ! 本当に何も持ってない…」

 水なしで生きていられる期間は一週間に満たないそうだ。
 ここの判断は賭けだが、貴重な体力を消費してでも水を確保しなければならないだろう。
 幸いにして太陽は丁度真上に差し掛かろうとしており、行動する為の時間的余裕は残されていた。
 まずは持ち物の再確認だ。
 ポケットを総ざらいするつもりで紙切れから外れたボタンまで、全部の物品を確認する。

「……おお! やった、やったぞ!
 ファイヤースターターが上着のポケットに!
 これは生き残る上でデカいプラスだ!」

 この幸運は誇張抜きで、マジに命拾いしたと言っても過言じゃない。
 焚き火ができれば夜風や雨で冷えた体を暖めたり、調理もできる上に火を恐れる野生動物まで寄り付かせない。
 水と同じ位、火は絶対に欲しい要素の一つで、これが有るのと無いのでは雲泥の差だ。

 以前、木の棒を掌で回転させて発火させる『きりもみ式』を試したのだが、煙は出せても中々発火点まで到達せずに苦労した経験がある。
 ファイヤースターターは多少濡れていても水を拭き取る事で簡単に火をおこせる優れ物。
 前々回の冬キャンの時に使った10cm程の小振りなサイズを、ダウンジャケットのポケットに入れたままにしていたのを思い出した。

「他には…もっと何かないのか?」

 指先の空虚な手応えが焦る気持ちを助長する。
 しばらくすると何かが指先に触れ、期待を込めてゆっくりと摘まみ出すと、板チョコを見つけた。
 俺は嬉しさのあまり叫びそうになったが、|昂|《たかぶ》る気持ちと一緒にどうにか抑える事に成功する。

 本当に良かった。
 補給食としてポケットに入れていた食べかけだ。
 この陽気と体温によって溶けていたが、全く問題ない。
 チョコレートは炭水化物と脂肪を多く含み、高カロリーで味も良い。
 更に甘味は体の疲れとストレスの軽減にも効果がある。
 50g程だが200kcalにはなるだろう。
 大事な食料として取っておく。

「他にはハンカチが一枚とマンションの鍵、ナイフは……駄目だ。テントのリュックに入れたままだ。
 ポケットの中はこれだけ…これで全部か」

 やはりというか、水は持ち合わせておらず気温の上昇は肌の焼ける感覚からひしひしと伝わっている。
 そろそろ行動しなければならない。
 俺はスマホに内臓されている電子コンパスを頼りに、道らしき物が続いている南へ向けて歩きだした。
 どれくらい歩いただろうか。
 頭上に生い茂る枝葉は絶え間なく続き、容赦なく降り注ぐ日光を遮るのに一役買ってくれていた。
 道――といっても獣道に近い直線は道幅が狭く、まるで田んぼの隙間を縫う畔道あぜみちのようにも感じる。
 雪山キャンプに備えて入念に準備してきた冬装備の衣服は、蒸し暑さと運動による大量の汗で肌に貼りついて酷く不快だ。
 俺は焦る気持ちを抑え、一度に長距離を移動する事は避けた。
 なるべく体力を温存する為に小休憩を定期的に挟み、大きな木陰を見つけては腰を降ろす。

「水…飲みたい……」

 切実な問題だった。
 このまま水の確保に失敗したらどうなる?
 嫌な予感と胸を締め付ける不安が入り交じり、どうしようもない恐怖が脳裏を過《よぎ》った。

「落ち着け、落ち着けよ葦拿あしな…。
 絶対にパニックを起こすな、思考を止めるんじゃない。絶対に助かる、絶対だ!」

 そういえば半年前、渓流で川下りをしていた時にカヤックの制御に失敗して岩に乗り上げてしまい、バランスを崩して激流の中に放り出された事があった。

「あの時も相当焦ったな……」

 幸いにして激流の区間は思ったより短く、カヤックのデッキに備えたロープを最後まで離さなかったお陰で渦に飲まれずに済んだ。
 さて、今回はどうだろうか…。
 自嘲じちょう気味に笑うが正直な所、自分でもどうなるのか分からず不安に駆られていた。
 空を見上げれば憎らしい程の晴天が広がっており、雨が降る様子は全くない。
 とはいえ、この地域の気候が分からないので運が良ければスコールに恵まれるかもしれない。

「そうだ、雨……水!」

 俺は弾かれたように起き上がり、視界に入る大きな木々を丹念に探った。
 これだけ沢山の木があるんだ、必ず見つかるはず。
 狙い目は過去に太い枝が折れた場所…大きな節を境にたくましい幹が伸びている。

「やった、あったぞ!」

 頭上よりも少し高い位置にポッカリと口を開けたうろが見える。
 ここから中の様子は分からないが、雨が降った際にはコップのように水を受けているかもしれない。
 確信はないが確かめてみる価値は十分にある!

「目標まで高さ2mちょいか?」

 樹木は所々に小さな節や枝があり、うまく足を引っ掛ければ登れそうだ。
 木登りなんて子供時代に昆虫採集をして以来だが、そんなのは言ってられない。
 少しでも楽に登ろうとゴツゴツした樹皮に顔を当てて体を押し上げる。

「確か腕よりも足を使って登るんだったな」

 幼少期に祖父から教わった木登りテクを思い出し、有るのかも分からない水を求めて必死によじ登る。
 両手はかじを取り、むしろ両足の太ももで幹を挟みながら少しずつ登るのがセオリー。
 孤独な格闘が1ラウンドを過ぎた頃にようやくうろに辿り着く。

「中は…水は……?」

 ゆっくり覗き込むと暗い穴からスズメバチに似た昆虫が顔を出していた。
 そいつとガッツリ目が合ってしまい、水がなかった事よりも不用意に指を入れなかった事に心底ほっとした。
 先客を刺激しないように音を立てずに戻ると、俺は地上に置いてあったダウンジャケットを引っ掴んで脱兎の如く離れた。
 さっきのは餌を探していた個体だろう。
 巣が近くにあれば問答無用で襲われたり、アゴを鳴らして警告を受けたはずだ。

「よく見えなかったけどデカイ虫だったな。
 刺されなくて助かった…」

 目当ての水は見つからなかったが、ちらりと見えた穴は湿っており、水が手に入る可能性はまだある。
 さっきの場所から10m程離れた先に見つけたうろはもう少し低い所にあり、腰辺りの高さに直径20cm程の穴が開いていた。
 同じてつを踏まないよう近寄る前に、ハチや蛇などが居ない事を確認して中を覗くと……。

「水!? あった、あったああぁあ!!」

 鬱蒼うっそうとした森に歓喜の声が響き渡る。
 水は僅かに濁っていたが丁寧に埃をすくい上げ、ハンカチに染み込ませて少しずつ口に含める。

「なんか…甘い? これは――旨い…ッ!」

 体が求めていた水、こんなにも旨い水は初めてかもしれん。
 俺は夢中でハンカチを浸し、中の水で存分に喉を潤した。
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