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宣言
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「鞠子さん、一人暮らしって言ってましたよね?」
室井くんが前に進み出て、私の横から門扉に手を掛けた。
「あ、あの、そうなんだけど・・・ちょうど今ね、弟がこっちに帰ってきてて、泊ってるの」
私は咄嗟に思い付いた嘘で必死に言い繕った。声が上擦っているのが自分でも分かる。
「へえ、弟さん。せっかくだから、挨拶して帰りたいな」
「え?!なんで?弟なんて、会っても仕方ないでしょ?もう遅いし」
「仕方なくないですよ。オレ、鞠子さんと正式につきあいたいから、ご家族にちゃんと挨拶したい」
「だから、そういうこと勝手に決めないで。私は室井くんとつきあう気はないし・・・」
「じゃあ、誰とつきあうの?」
室井くんが私に顔を近づけてきた。後ろに門扉があるので逃げ道がない。
「鞠子さん、オレがダメなら誰とつきあうの?誰を好きになるの?藤堂次長?あの人はダメだよ。社長の姪と結婚するだろうから、好きになっても無駄だよ」
「・・・わ、私が誰とつきあおうが私の自由でしょ?ねえ、お願いだからもう帰って。近所迷惑になるし・・・きゃっ、やだ・・・!」
室井くんがいきなり私を抱きすくめた。ワイシャツの襟元に思い切り鼻がぶつかる。
痛い。腕の力が強くて苦しい。私は室井くんから逃れようと必死にもがいたが、そうするとますます力を込められてしまう。私の身体は門扉に強く押し当てられ、ギシギシと背中で嫌な音が響いている。
「なんでオレじゃダメなんですか?後から来た藤堂さんに盗られてたまるか・・・!」
「ちょっ・・・!離して!イヤ!・・・痛い、やめてってば・・・!」
身をよじったら首筋にキスされそうになって、全身に鳥肌が立った。
やだやだ、怖い。助けて、藤堂さん・・・!
「おい、何してる。離れろ・・・!」
不意に怒りのこもった男の人の声が聞こえ、あっと思った瞬間に身体が自由になった。
一瞬何が起こったのか分からず周囲を見回すと、室井くんがよろけて地面に膝をついたところだった。声のした方へ振り向くと玄関の引き戸が開いていて、スウェットを着て髪が少し濡れている藤堂さんが私のすぐ後ろに立っていた。
顔を見た途端、身体から力が抜けて涙が一気に噴き出してくる。藤堂さんは門扉を開けると、私の腕を掴んで中に引き入れた。
「痛ぇ・・・。何する・・・」
どうやら藤堂さんに肩を突かれて転んだらしい室井くんが、立ち上がりながら顔を上げた。自分を咎めた相手が藤堂さんなのに気づいて、驚愕の表情を浮かべている。無理もない。私の家の中から突然藤堂次長が現れたのだから。さすがに室井くんもそこまでは予想していなかっただろう。
「なんで、藤堂次長が・・・」
室井くんは口を開けたまま藤堂さんの顔を凝視し、やがていかにもお風呂上がりという格好に気付いて更に眼を見開いた。私の方に顔を向け、問い詰めるように険しい眼を向けてくる。
「どういうことですか?ここ、鞠子さんの家ですよね。なんで藤堂さんがここから出てくる・・・」
「室井くん、これには事情があるの。あのね」
「ここに住んでるんだ」
きっぱり言いながら、藤堂さんは室井くんから私を隠すように立ちはだかった。室井くんは意味が分からないという困惑した顔をしている。
「え?何、どういうことですか・・・?」
「俺もここに住んでる。・・・庄野と一緒に暮らしてるんだ」
揺るぎない声を聞いて、藤堂さんの背後で私は息を呑んだ。さっきまでとは違う意味で心臓がドキドキ騒ぎだして、藤堂さんのスウェットの袖を掴みたくなる。
「・・・ウソでしょ。鞠子さん、冗談ですよね?一緒になんて・・・」
「嘘じゃない。見れば分かるだろう。俺と庄野は一緒に暮らす仲なんだ。どういう関係かは分かるよな?」
街灯の下で、室井くんの顔が蒼ざめ強張っている。私と藤堂さんの仲を少なからず疑ってきただろう室井くんが、この展開にひどくショックを受けているのが分かった。そして私は室井くんを傷つけたことを申し訳なく思う気持ちの一方で、藤堂さんがこんなにはっきりと言い切ってくれたことが嬉しくて、今にも泣いてしまいそうだった。
私はひどい女だろうか。でもどうすることもできない。これが私の正直な気持ちなのだから。
サラリーマンらしき中年の男性が、家の前を通り過ぎた。三人の男女が緊迫した様子で立ち尽くしているのをチラリと見て、何ごとかと不審そうな顔をしている。藤堂さんが、すみませんとでも言うように、軽く頭を下げた。
「・・・藤堂さんはズルいですよ。後から来て、かっさらっちゃうんだから。オレなんてずっと鞠子さんだけ見てたのに。本気で好きだったのに」
「本気で好きなら、どうして庄野が嫌がるようなことをするんだ。乱暴に気持ちを押し付けるのがおまえの愛情なのか?」
室井くんがピクッと肩を震わせ、そっと私の様子を伺う。視線が合うと、私は思わず眼を伏せてしまった。さっき無理やり押さえつけられたときの身体の震えはまだ消えていない。
「鞠子さん・・・、オレ・・・」
私は藤堂さんの後ろから一歩だけ踏み出して、門扉の向こうにいる室井くんを見た。
「室井くん、ごめんなさい。いろいろ、全部ごめんなさい。私、もしかしたら今まで室井くんの好意に甘えていたのかもしれない。それで期待させたなら、本当にごめんなさい」
室井くんは、はぁっ・・・と溜め息をついて私から視線をそらした。もうどうにもならないことを悟った顔をしている。
「室井くんの気持ちは、とてもありがたいと思ってる。でも私・・・藤堂さんが好きなの。隠してて悪かったけど、これが正直な気持ちなの。ごめんね。今日はもう、帰ってください。お願いします」
そう言って私は室井くんに頭を下げた。
「俺のことはいくらでも恨んでくれていい。ただ、俺だって後から急にかっさらったわけじゃない。俺は俺で、5年前から庄野に惹かれてた。そこは分かってくれないか」
藤堂さんの言葉に室井くんがハッとして顔を上げた。藤堂さんの覚悟を決めたような顔を見て、室井くんの目元に諦めの色が浮かぶ。
やがて室井くんは足元に投げ出されていたカバンを掴むと、視線を落としたまま私たちに小さく頭を下げた。
「・・・すみませんでした」
室井くんは踵を返すと、駅の方向へ戻るように歩き始めた。電車で帰るつもりなのだと分かり、内心ホッとする。
室井くんの後ろ姿が通りの向こうに見えなくなると、藤堂さんは門扉をきちんと締め直し、私の肩を抱いて家の中へと戻った。玄関の引き戸を閉めて鍵を掛ける。安堵で細い息をついた私を、藤堂さんがギュッと強く抱きしめた。
「・・・大丈夫か?」
長くたくましい腕にしっかりと抱きとめられ、せつない感情で胸がパンクしそうになる。大きく息を吸って藤堂さんの匂いを感じた。この胸に包まれる喜びで涙があふれ出す。私は藤堂さんの首に両腕を回してきつくしがみついた。
「大丈夫、です。・・・藤堂さん、ありがとう。助けてくれて、ありがとう」
「言いあってるみたいな声と物音が聞こえたから、もしかしてと思ってな。間に合って良かった」
藤堂さんは私の髪に顔を埋めて、ホッとしたような声を出した。心なしか、藤堂さんの胸も少し鼓動が速いような気がする。
「・・・間に合ったんだよな?その、触られたりとかは・・・」
藤堂さんが私の顔を少し不安そうに覗き込んだ。こんな顔で私を心配してくれるなんて。もう、大好きでたまらない。二度と絶対に離れたくない。
「大丈夫です。藤堂さんのおかげ。・・・でも、怖かった」
私たちはそのまま黙って見つめあうと、どちらからともなく唇を重ねあわせた。
二日ぶりのキスは、あまりにもせつなくて胸が痛いほどだった。
私は恥じらいも忘れ、はしたないほど藤堂さんの首にしがみつき、藤堂さんも私の腰を折れそうなほど強く抱いた。
離れていた時間の心細さを少しでも埋めるように、私たちは乱暴なほど激しいくちづけを交わした。息が乱れ、それでも足りなくてもっと欲しがってしまう。ここがまだ玄関の三和土なのを途中で思い出し、私たちはどうにか唇を離してちょっと笑いあった。
「・・・疲れたろ。まずはゆっくり風呂に入っておいで。その後、ちゃんと話そう」
そう言って微笑むと、藤堂さんは私のおでこに優しいキスをした。
室井くんが前に進み出て、私の横から門扉に手を掛けた。
「あ、あの、そうなんだけど・・・ちょうど今ね、弟がこっちに帰ってきてて、泊ってるの」
私は咄嗟に思い付いた嘘で必死に言い繕った。声が上擦っているのが自分でも分かる。
「へえ、弟さん。せっかくだから、挨拶して帰りたいな」
「え?!なんで?弟なんて、会っても仕方ないでしょ?もう遅いし」
「仕方なくないですよ。オレ、鞠子さんと正式につきあいたいから、ご家族にちゃんと挨拶したい」
「だから、そういうこと勝手に決めないで。私は室井くんとつきあう気はないし・・・」
「じゃあ、誰とつきあうの?」
室井くんが私に顔を近づけてきた。後ろに門扉があるので逃げ道がない。
「鞠子さん、オレがダメなら誰とつきあうの?誰を好きになるの?藤堂次長?あの人はダメだよ。社長の姪と結婚するだろうから、好きになっても無駄だよ」
「・・・わ、私が誰とつきあおうが私の自由でしょ?ねえ、お願いだからもう帰って。近所迷惑になるし・・・きゃっ、やだ・・・!」
室井くんがいきなり私を抱きすくめた。ワイシャツの襟元に思い切り鼻がぶつかる。
痛い。腕の力が強くて苦しい。私は室井くんから逃れようと必死にもがいたが、そうするとますます力を込められてしまう。私の身体は門扉に強く押し当てられ、ギシギシと背中で嫌な音が響いている。
「なんでオレじゃダメなんですか?後から来た藤堂さんに盗られてたまるか・・・!」
「ちょっ・・・!離して!イヤ!・・・痛い、やめてってば・・・!」
身をよじったら首筋にキスされそうになって、全身に鳥肌が立った。
やだやだ、怖い。助けて、藤堂さん・・・!
「おい、何してる。離れろ・・・!」
不意に怒りのこもった男の人の声が聞こえ、あっと思った瞬間に身体が自由になった。
一瞬何が起こったのか分からず周囲を見回すと、室井くんがよろけて地面に膝をついたところだった。声のした方へ振り向くと玄関の引き戸が開いていて、スウェットを着て髪が少し濡れている藤堂さんが私のすぐ後ろに立っていた。
顔を見た途端、身体から力が抜けて涙が一気に噴き出してくる。藤堂さんは門扉を開けると、私の腕を掴んで中に引き入れた。
「痛ぇ・・・。何する・・・」
どうやら藤堂さんに肩を突かれて転んだらしい室井くんが、立ち上がりながら顔を上げた。自分を咎めた相手が藤堂さんなのに気づいて、驚愕の表情を浮かべている。無理もない。私の家の中から突然藤堂次長が現れたのだから。さすがに室井くんもそこまでは予想していなかっただろう。
「なんで、藤堂次長が・・・」
室井くんは口を開けたまま藤堂さんの顔を凝視し、やがていかにもお風呂上がりという格好に気付いて更に眼を見開いた。私の方に顔を向け、問い詰めるように険しい眼を向けてくる。
「どういうことですか?ここ、鞠子さんの家ですよね。なんで藤堂さんがここから出てくる・・・」
「室井くん、これには事情があるの。あのね」
「ここに住んでるんだ」
きっぱり言いながら、藤堂さんは室井くんから私を隠すように立ちはだかった。室井くんは意味が分からないという困惑した顔をしている。
「え?何、どういうことですか・・・?」
「俺もここに住んでる。・・・庄野と一緒に暮らしてるんだ」
揺るぎない声を聞いて、藤堂さんの背後で私は息を呑んだ。さっきまでとは違う意味で心臓がドキドキ騒ぎだして、藤堂さんのスウェットの袖を掴みたくなる。
「・・・ウソでしょ。鞠子さん、冗談ですよね?一緒になんて・・・」
「嘘じゃない。見れば分かるだろう。俺と庄野は一緒に暮らす仲なんだ。どういう関係かは分かるよな?」
街灯の下で、室井くんの顔が蒼ざめ強張っている。私と藤堂さんの仲を少なからず疑ってきただろう室井くんが、この展開にひどくショックを受けているのが分かった。そして私は室井くんを傷つけたことを申し訳なく思う気持ちの一方で、藤堂さんがこんなにはっきりと言い切ってくれたことが嬉しくて、今にも泣いてしまいそうだった。
私はひどい女だろうか。でもどうすることもできない。これが私の正直な気持ちなのだから。
サラリーマンらしき中年の男性が、家の前を通り過ぎた。三人の男女が緊迫した様子で立ち尽くしているのをチラリと見て、何ごとかと不審そうな顔をしている。藤堂さんが、すみませんとでも言うように、軽く頭を下げた。
「・・・藤堂さんはズルいですよ。後から来て、かっさらっちゃうんだから。オレなんてずっと鞠子さんだけ見てたのに。本気で好きだったのに」
「本気で好きなら、どうして庄野が嫌がるようなことをするんだ。乱暴に気持ちを押し付けるのがおまえの愛情なのか?」
室井くんがピクッと肩を震わせ、そっと私の様子を伺う。視線が合うと、私は思わず眼を伏せてしまった。さっき無理やり押さえつけられたときの身体の震えはまだ消えていない。
「鞠子さん・・・、オレ・・・」
私は藤堂さんの後ろから一歩だけ踏み出して、門扉の向こうにいる室井くんを見た。
「室井くん、ごめんなさい。いろいろ、全部ごめんなさい。私、もしかしたら今まで室井くんの好意に甘えていたのかもしれない。それで期待させたなら、本当にごめんなさい」
室井くんは、はぁっ・・・と溜め息をついて私から視線をそらした。もうどうにもならないことを悟った顔をしている。
「室井くんの気持ちは、とてもありがたいと思ってる。でも私・・・藤堂さんが好きなの。隠してて悪かったけど、これが正直な気持ちなの。ごめんね。今日はもう、帰ってください。お願いします」
そう言って私は室井くんに頭を下げた。
「俺のことはいくらでも恨んでくれていい。ただ、俺だって後から急にかっさらったわけじゃない。俺は俺で、5年前から庄野に惹かれてた。そこは分かってくれないか」
藤堂さんの言葉に室井くんがハッとして顔を上げた。藤堂さんの覚悟を決めたような顔を見て、室井くんの目元に諦めの色が浮かぶ。
やがて室井くんは足元に投げ出されていたカバンを掴むと、視線を落としたまま私たちに小さく頭を下げた。
「・・・すみませんでした」
室井くんは踵を返すと、駅の方向へ戻るように歩き始めた。電車で帰るつもりなのだと分かり、内心ホッとする。
室井くんの後ろ姿が通りの向こうに見えなくなると、藤堂さんは門扉をきちんと締め直し、私の肩を抱いて家の中へと戻った。玄関の引き戸を閉めて鍵を掛ける。安堵で細い息をついた私を、藤堂さんがギュッと強く抱きしめた。
「・・・大丈夫か?」
長くたくましい腕にしっかりと抱きとめられ、せつない感情で胸がパンクしそうになる。大きく息を吸って藤堂さんの匂いを感じた。この胸に包まれる喜びで涙があふれ出す。私は藤堂さんの首に両腕を回してきつくしがみついた。
「大丈夫、です。・・・藤堂さん、ありがとう。助けてくれて、ありがとう」
「言いあってるみたいな声と物音が聞こえたから、もしかしてと思ってな。間に合って良かった」
藤堂さんは私の髪に顔を埋めて、ホッとしたような声を出した。心なしか、藤堂さんの胸も少し鼓動が速いような気がする。
「・・・間に合ったんだよな?その、触られたりとかは・・・」
藤堂さんが私の顔を少し不安そうに覗き込んだ。こんな顔で私を心配してくれるなんて。もう、大好きでたまらない。二度と絶対に離れたくない。
「大丈夫です。藤堂さんのおかげ。・・・でも、怖かった」
私たちはそのまま黙って見つめあうと、どちらからともなく唇を重ねあわせた。
二日ぶりのキスは、あまりにもせつなくて胸が痛いほどだった。
私は恥じらいも忘れ、はしたないほど藤堂さんの首にしがみつき、藤堂さんも私の腰を折れそうなほど強く抱いた。
離れていた時間の心細さを少しでも埋めるように、私たちは乱暴なほど激しいくちづけを交わした。息が乱れ、それでも足りなくてもっと欲しがってしまう。ここがまだ玄関の三和土なのを途中で思い出し、私たちはどうにか唇を離してちょっと笑いあった。
「・・・疲れたろ。まずはゆっくり風呂に入っておいで。その後、ちゃんと話そう」
そう言って微笑むと、藤堂さんは私のおでこに優しいキスをした。
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