上司に恋していいですか?

茜色

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本物の恋

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「いいか、椎名が悪いんじゃない。北岡や、今まで出会った男たちがガキだっただけだ。おまえの魅力をちゃんと受け止め切れるほど、男の方が成熟してなかったんだよ。だから、もっと単純で手っ取り早い女に逃げた、それだけだ」
成瀬は澪の瞳をじっと見つめながら、優しく言った。そんな眼でそんなセリフを言われたら、今にも泣いてしまいそうになる。
「おまえは可愛くて一生懸命で、思いやりがある。仕事は真面目に頑張るし、面倒なことも進んでやってくれる。しっかりして見えるのに、時々子供みたいに危なっかしくて放っとけない。そういう女が、つまらないわけないだろう。少なくとも、俺にはものすごくイイ女に見える」
成瀬がそっと澪の髪を撫でた。何度も撫でられ、心の鎧がひとつずつ剥がれていく。涙がひとつふたつ、瞳から零れ落ちた。
「・・・泣くなよ。今まで出会った奴らは、椎名にとって本物の相手じゃなかった。それだけだよ」
そう言って、成瀬は澪の頭のてっぺんにそっとくちづけた。あの日、夜更けの車の中でそうしてくれたように。

「全部、成瀬さんのせいです・・・!」
澪はポロポロと涙を落としながら、口走っていた。成瀬が驚いて澪の顔を覗き込む。頭の片隅で、ああ、私酔ってるのかな・・・と思いながらも、澪の言葉は止まらなかった。
「・・・成瀬さんが転勤しちゃったから。いなくなっちゃったから」
「俺の、せい・・・?」
成瀬が澪の肩に手を置いたまま、眼を見開いている。
「会社に入った時から、成瀬さんのこと、す、好きになっちゃったのに、遠くに行ってしまって、もう二度と逢えないと思ってた」
成瀬が息を呑む気配がしたが、澪はもう成瀬の顔を見ることができなかった。次から次へと涙があふれてくるので、両手の拳で濡れた眼を覆う。
「・・・北岡さんは、横顔とか後ろ姿が、成瀬さんに少し似てたから。・・・私、いつも誰かと出会うたびに、無意識に成瀬さんの面影を探してた」
「椎名・・・」
「でもそんなんじゃ、誰のことも本気で好きになれない・・・。私が本気で心を開かないから、相手だって離れていく。でも、どうしようもなかったんです。私、自分でも気づかなかったけど・・・成瀬さんに似てる人ばっかり、ずっと探してた。どうしても、忘れられなくて」
ああ、そうか。そうだったんだ。酔いに任せてぶちまけながら、澪はようやく本当の自分の想いに気付かされた。
誰かを好きになっても「この人じゃない、違う気がする」と引き返したり、頭では仲良くしたいと思っていても、本心から向き合えなくて愛想を尽かされる繰り返しだった。それもこれも、心の奥底でずっと成瀬の面影をひたすら追い求めていたからだった・・・。
本当のことを吐き出したら、急に気が緩んでもっと涙が止まらなくなった。

「・・・バカだな、おまえは。だからってニセモノなんて好きになるなよ」
成瀬は少し掠れた声で言うと、涙に濡れた澪の両手を掴んで顔から離し、そのまま強く握った。
「本物がここにいるだろう。時間はかかったけど、ちゃんとおまえのところに戻ってきたぞ」
左手は澪の手を握ったまま、右手が澪の頬に触れ、涙を親指で優しく拭ってくれる。
「俺だって、椎名のことが忘れられなかった。またおまえに逢えて、本当に嬉しかったよ」
成瀬の言葉に、澪はピクッと身体を震わせた。
・・・嘘でしょう?成瀬さんが私のこと、そんなふうに思ってたなんて、ありえない・・・。
「おまえが北岡のことをまだ引き摺ってるなら、傷が癒えるまで待つつもりだった。弱ってるところにつけ込むようなことはしたくなかったから。でももう、そんなこと気にする必要はないって分かった。おまえを好きな気持ちを、俺はもう抑えなくていいよな?」
・・・好きって言ったの・・・?今、成瀬さん、私のこと、好きって・・・?
「信じられないか?」
澪は成瀬に頬を撫でられ、濡れた眼を見開いたままコクンと頷いた。
「じゃあ、信じさせてやる。ほら、おまえの本物の相手はここにいる。俺が本物だって、分からせてやるよ」
成瀬はそう囁くと、澪の頬から耳元へと指を滑らせた。温かい指で耳をなぞられ、澪は思わず深く息を吸った。身体の芯が熱くなる。そのまま温かい手は澪の首筋へと降りていき、大きな手のひらがうなじを引き寄せた。驚いてほんの少し開きかけた澪の唇に、成瀬はそっと自分のそれを重ねあわせた。

私、夢を見てるんだろうか。成瀬さんとキスしてる・・・。
唇に触れる柔らかな温かさに、澪は何も考えられなくなって眼を閉じた。慈しむように優しく重なる感触があまりに心地良くて、ずっとこのままでいたくなってしまう。澪は無意識に、成瀬のワイシャツの袖をギュッと掴んでいた。
数秒重なりあった後、成瀬がそっと唇を離した。もう一度、かすめるように小さなキスをすると、澪の顔を両手で挟み込んでじっと見つめてくる。至近距離で成瀬と見つめあって、澪は全身がとろけてしまいそうになった。
「分かったか?俺はここにいる。おまえの本物の相手だよ」
「・・・私、成瀬さんを好きでいていいんですか?」
「当たり前だろう」
「・・・成瀬さん、もうどこにも行かない?」
「行かないよ。ずっとおまえのそばにいる」
澪の瞳からまた涙が一気にあふれ出した。信じられない。こんなことがあるなんて・・・。
「キス、嫌か・・・?」
「嫌じゃ、ないです。もっと・・・」
「もっと、したい?」
澪は頬を染めながら、ねだるように頷いた。
「そんな顔して、まったく。無意識にやってるなら、おまえは相当な小悪魔だ」
成瀬は嬉しそうにクスッと笑うと、澪の背中を片手で抱き寄せた。
「俺も、もっとしたい。・・・おまえを俺だけのものにするからな」
耳元で囁かれて眩暈を起こしそうになった澪に、成瀬が今度は強引に奪うようなキスをした。

さっきよりずっと深く、貪るようなキス。澪は必死で成瀬の腕にすがりついた。
唇が唾液で濡れていく。成瀬は澪の唇を愛おしげに食むと、湿った音を立てて吸った。キスの音がこれほどいやらしく響くことを、澪は生まれて初めて知った。
開いた唇の隙間から温かな舌が割って入ってきて、澪の舌を柔らかく捕えた。ぬるりとした感触に頭の芯がぼうっとしてくる。それ自体が生き物のように舌と舌が絡みあい、甘くひとつに溶けては嬲ってゆく。心臓は今にも壊れそうなくらい騒いでいて、腰から下は立てなくなりそうなほど力が抜けていた。
キスもセックスも、経験がないわけじゃない。ただ、よく分からないまま終わってしまったという乏しい記憶しかなかった。こういうことは、相手との相性やテクニックが大きいのかもしれないが、それにしてもキスだけでここまで身体がとろとろに溶けてしまうなんて、澪は想像もしたことがなかった。
たぶん、成瀬はまだ手加減してくれている。それなのに澪はあまりの心地良さに我を忘れ、成瀬のぬくもりにただひたすら溺れていくだけだった。

長いキスが終わって、透明な糸を引きながら唇が離れた。澪は下腹部が熱くしめつけられる感覚に戸惑いながら、息を乱して成瀬の胸に顔を埋めた。恥ずかしくて、離れたくなくて、そのままきつくしがみつく。大好きな成瀬の匂いに、胸が苦しくてまた涙が滲んでしまう。
「今日、俺の家に来い。・・・いいな?」
抱きしめながら澪の顔を覗き込んだ成瀬の瞳は、見たことがないほど男の色をしていた。ゾクッとするほど色っぽくて煽情的で、澪は魅入られたようにただ黙って頷き返した。


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