上司に恋していいですか?

茜色

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夜更けのドライブ

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ソファに並んで座り、カップラーメンをすすりながら他愛無い話をして笑いあった。
傍から見たらおかしな光景かもしれないが、澪は嬉しくて胸がいっぱいだった。成瀬の隣にいるだけで、ドキドキするのに何とも言えない安心感がある。いつも感じてきた孤独感がどこかに消えてしまい、たった一人の味方を見つけたような錯覚すら感じてしまう。
私、どうしよう。もうこんなに成瀬さんのこと、好きになってる・・・。
よりによって、こんなに手の届かなそうな人のことを。澪は、既に引き返せなくなりそうな自分の想いの強さに面食らった。
「あー、美味かった。なんか、いいな、こういうのも」
ソファの背もたれに肘をつきながら、成瀬が澪を見て微笑んだ。そんな優しい眼を向けられたら、バカな私は誤解してしまうのに・・・。
澪は胸の高鳴りとカップラーメンの湯気で頬を火照らせながら、成瀬より少し遅れて食べ終わった。
・・・帰りたくない。マグカップを洗ってゴミを始末しながら、そんな子供じみた考えすら浮かんでくる。
「さ、ラストスパート、残りを仕上げちまおう。もうちょっとがんばってくれな」
成瀬にポンポンと頭を叩かれ、澪は不意にせつなくなった。幸せな時間が、もうすぐ終わってしまう。

「今日、車で来てるんだ。家まで送るから、乗ってけよ」
ようやくすべての作業を終えてPCの電源を落とすと、スーツの上着を羽織りながら成瀬が言った。
「えっ・・・!でも成瀬さん、遠回りになっちゃいます。私なら大丈夫ですよ、まだ電車あるし・・・」
「たしか椎名はT駅だったよな?俺んとこから2駅先なだけだ。たいして遠回りじゃないよ。もともと、今日は遅くなるの分かってたから送るつもりで車で来たんだ。遠慮するな」
そう言いながら鞄を持ち上げた成瀬は、ポケットの鍵を探りながら、スタスタと歩き出した。澪も急いでコートを抱え、成瀬の後を追いかける。
どうしよう、まさか成瀬さんの車に乗れるなんて。家まで送ってくれるなんて・・・。
嬉しくて、でも突然の展開に軽くパニックになってしまい、駐車場までの道のりがやけにフワフワと感じられた。

黒いシンプルな国産車の中は余計な飾りなどもなく清潔で、後ろのシートに無造作にコートが放り投げてあった。澪はシートベルトを閉めながら、女性の痕跡がないかとつい車内を監察してしまった。どうやらそういう気配はなさそうで、少しホッとする。
「助手席の角度、ラクな位置に直していいぞ。普段あんまり人を乗せないから、そのままだと座りにくいと思う」
「あっ、はい。少し倒します」
あまり人を乗せないという成瀬の言葉に、澪の心が密かに躍った。こんな小さなことに一喜一憂している自分がいる。
「えっと、これ・・・きゃっ!!」
緊張のあまり脇のレバーを引く手に力を込めすぎて、助手席の背もたれがガクンと思い切り後ろに倒れた。澪はまるで歯科医の診察を受けているような体勢になり、あまりの間抜けな格好に顔が沸騰しそうなほど赤面した。
「あっ・・・!やだ、私、すみません・・・!」
慌ててシートを起こそうと手を伸ばすが、焦って上手く掴めない。澪は恥ずかしさで今にも気を失いそうだった。
「くっくっ・・・。椎名、本当に面白いな。起こしてやるから、ちょっと待て」
笑いを噛み殺しながらそう言うと、成瀬が助手席のレバーを掴むために澪の上に覆いかぶさる体勢になった。ほぼ寝ているような状態の自分の上に、成瀬の大きな身体が重なるように近づいてきたので、澪は心臓が破裂して口から飛び出しそうになった。
もう・・・もう、ダメ。私、死んじゃう・・・!
澪は必死に息を殺した。微かに鼻腔をかすめる成瀬のオーデコロンと汗の混じった香り。スーツの布地が頬に少しだけ触れ、このまま顔を埋めてしまいたくなる。
ガクガクッと鈍い音を立てて、シートが丁度良い位置に調整された。ホッと息をついた澪の顔を、間近で成瀬がじっと覗き込んでいる。心臓の音が一向に収まらないまま、成瀬の瞳に吸い込まれそうになった。
「これくらいの角度で、大丈夫か?」
「は、はい。だい、じょうぶです」
ん、と小さく頷いた成瀬は、ほんの1、2秒そのまま澪を至近距離で見つめていたが、次の瞬間には気持ちを切り替えたようにサッと自分のシートベルトを締め直した。やがて車は、夜更けの道を滑らかに走り出した。

人気のない夜道を、成瀬の車が走り続けている。澪は、自分が助手席にいることが信じられなかった。まるで夢を見ているようだ。街灯が夜の闇に次々に流れ去っていくのを眼で追いながら、澪は密室を満たす穏やかな沈黙に身をゆだねた。
無理に話をしなくても、居心地が悪くない。男性とふたりきりでいるのに、こんな感覚は澪には珍しいことだった。夜のドライブは辺りの暗さが心を鎮めてくれ、ほんの少し勇気も持たせてくれる気がする。
「あ、私もこのCD持ってます・・・!」
カーステレオから音量を絞って流れてくる洋楽に反応して、澪は思わず嬉しげな声を出した。もう何年も前にリリースされたイギリスのバンドのアルバムだったが、今でも繰り返し聴いているお気に入りの1枚だった。誰もが知っているバンドではないので、成瀬も好きなのだと分かって胸が弾む。
「え?椎名、こんなの聴くの?好きなんだ?」
「はい、デビューアルバムから持ってます。今、この人たち活動休止しちゃってますよね。私、全部のアルバムの中でこれが一番好き。最近の音楽チャートには疎くなっちゃったので、もっぱら古いCDばっかり聴いてるんです」
思わず饒舌に語ってしまい、恥ずかしくなって口をつぐんだ。
「へぇ・・・!意外だなぁ。椎名みたいな可愛い女の子が、こんなマニアックな音、聴くなんて。」
さりげなく『可愛い女の子』と言われたことにドキッとしながら、澪は成瀬と思いがけない共通の話題ができたことが嬉しくてたまらなかった。成瀬の声も、どことなく楽しそうだ。
「一回だけ来日したよな。ライブ行った?」
「行きました!でも周りの誰もこのバンド知らなくて、陽子を無理矢理連れてったけど退屈そうでした」
「ははは。武田じゃ、この音は理解できなそうだもんな」
「成瀬さんは?ライブ行きました?」
「いや、行きたかったけど、仕事が忙しくてとても無理だった」
あの頃、成瀬は関西の支店にいたはずだ。きっと慣れない土地で必死に頑張っていたのだろう。
「・・・あ、私、ここのギターの音が、ものすごく大好きです」
「ここのツインの絡み?また、シブイなぁ。・・・やっぱ、椎名って面白いわ。飽きないよ」
クスクス笑う成瀬の嬉しそうな表情に、澪は思わず眼を瞠った。『面白い』とか『飽きない』だとか、自分には一番遠い例えだと思い込んでいたからだ。
「俺も、最近の流行りは全然ピンと来なくてさ。昔かなりハマってCDをあれこれ漁ってた時期があって、その頃好きだったのをこうして引っ張り出して聴いてるんだ。いや、嬉しいよ。まさか椎名とこんな話ができるなんて思ってなかった」
私もです・・・!澪はまたひとつ成瀬と近づけたような気がして、今日という日に感謝した。

「このまま、真っすぐでいいのか?」
「あ、はい。国道を真っすぐです」
成瀬の最寄り駅を過ぎ、少しずつ澪が一人暮らしをする街に近づいていく。幸せすぎる時間が終りを迎えようとしているのが淋しかった。
明日から成瀬は2日間出張だ。そのまま土日を迎えるので、丸々4日間、成瀬に会えない。そう思うと、胸の奥がキュッと痛くなった。もっとずっと一緒にいたい。顔を見ていたい。澪の想いは速度を上げて募っていき、自分はいつからこんなに欲張りになってしまったのだろうと途方に暮れた。


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