フェチではなくて愛ゆえに

茜色

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オーバーヒート

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 そろそろ同僚の綾乃あたりが、みなせの帰りが遅いことを気にしているかもしれない。
 所用で外出する社員は多いし、多少寄り道をしてもそれほどうるさく言われない職場だ。ただ、いつも郵便局に出掛けてもあまり遅くならないみなせがなかなか戻って来ないとなると、席が近い綾乃くらいは心配しているかもしれなかった。

 スマートフォンにメッセージが入っているかも。でもスマホはさっきから、財布と一緒にミニトートに入れたまま長机の端っこに放置してある。
 一馬の営業カバンもまた、同じように隅に追いやられていた。重そうな、洒落た黒のブリーフケース。自社製品の資料がたくさん詰め込んであるのだろう。ほんの1、2時間前まで、彼は生真面目な顔で得意先と商談をしていたに違いないのだ。

 ブラインドを下ろした窓の向こうから、微かにサイレンやクラクションの音が聞こえてくる。現実を、日常を思い出させるもの。今はそういうものすべてを拒んでいたい。後どれだけ時間の猶予があるのか分からない。いいかげん頭を冷やし、自分が所属する当たり前の世界に戻らなければいけないのに。身体が、心が、今この快楽を手放したくなくて、どうしても言うことを聞いてくれない。

 一馬の硬くなった性器が、みなせの脚の間にぬるりと差し込まれた。
 その剥き出しの感触に思わず声を上げてしまう。熱くて、とても剛直で、痛々しいほどの欲望の塊。
「……ね。こんなにってる。みなせさんのせいで」
 一馬が荒い息を吐きながら、ゆっくりと動き始める。蜜まみれのみなせの性器に、自分のペニスをいやらしく擦りつけてくる。
 くちゅ、くちゅ、と水音が響く。花びらを舐めるように、尖った蕾をくすぐりながら、一馬の欲の塊がみなせの脚の間を何度も何度も往復する。

「あ、ぁ……っ。一馬、さん……」
 みなせは下腹部を見下ろした。見え隠れする彼の先端。信じられないほど淫猥な光景に、悦びと恐れが入り混じって訳が分からないほど興奮していく。
「気持ちいいです、みなせさん……。すごく、いい……」
 みなせの身体は、後ろから一馬の両腕に抱かれている。男の身体にすっぽりと包み込まれるこの感覚。幸福と言ってもいいようなぬくもり。耳にかかる息。また首筋にくちづけられる。熱い。もっと欲しくなる。

 一馬は右手を上にずらし、薄手のニット越しにみなせの胸にそっと触れてきた。
「こっちも、触っていいですか……?」
 ひとつひとつ言葉で尋ねるのが変に律儀で、でも却ってものすごくいやらしく感じる。湿った息の隙間から、みなせは二度頷いた。嬉しさを隠さない一馬の吐息。
 彼の声も好きだ。身体から発せられるとてもいい匂いも。この人のいろいろなところを知る度に、自分が欲情する理由が増えていく気がした。

 ニットの裾から、男の手が侵入してくる。キャミソールとブラの上から、左の乳房を優しく包まれる。もどかしい。直接がいい。みなせの願いを読み取ったかのように、一馬の指先がカップの上辺から秘めやかに忍び込んできた。
 二人の濡れた吐息が重なった。乳首を優しく転がされ、反射的に股間がキュッと縮まった。「う……っ」と、一馬が嬉しそうに呻く。乳首を弄るリズムに合わせるように、お互いの腰が淫らに揺れて互いを擦りつけあうことに夢中になる。

 どうかしている。こんなの普通じゃない。会社の入っているビルで。勤務時間中なのに。いつ誰がこの会議室にやって来るか分からないというのに。

 はしたない音を響かせながら、お互いの性器が何度もいやらしくむつみあう。一馬の指が、優しくクリトリスを擦り始めた。円を描くように弄られ、秘裂を舐めるペニスの動きと相まって強烈な快感をみなせの身体に刻み込んでいく。
 
 首筋にかかる息がとても熱い。乳房を掴む手のひらに汗が滲んでいる。
 頭がぼーっとしてきた。お腹の奥がじりじりとせつなく締め付けられていく。みなせは自分が昇り詰めていくのを感じ、一馬のワイシャツの腕に思わず爪を立てた。

「一馬さ……。も、ダメ、です……」
「僕も、出そう、です……っ」
出そう、って。いったいどうするのだろう……?

 少し怖くなって、でもゾクゾクするような淫靡な気持ちも確かにあって。自分自身に混乱する。もう、どうなってもいいような自堕落な快感。心地良さの天辺に追い込まれ、みなせは震えながら一馬に身を預けた。

「みなせさん……、ごめ、出る……っ」
 一馬がぬるっとペニスを滑らせ、みなせのお尻に向けて射精した。
 生温かい濡れた感触。驚きつつも、不思議と少しも嫌ではなかった。むしろ、いっそ身体の中に欲しかったと思う自分に唖然とした。

 乱れた呼吸のまま、ゆるゆると首だけ後ろに向けた。溶けそうな熱い目線がぶつかり、一秒後には二つの唇が吸いあっていた。
 こんな行為の後に、ようやくキスをするなんて。少し可笑しくて、でもあまりに心地良い唇と舌の感触に頭の芯がクラクラした。柔らかくて熱い。身体から力が抜けてしまいそうに甘い。ずっと求めていたような濡れたぬくもりに、胸がとても痛くなった。

 キスが止まらなくなりかけて、ハッとしたように一馬が動きを止めた。 
「待って。ごめん、みなせさん、動かないで」
 声が少し慌てている。机に前傾姿勢でもたれる姿勢を取らされ、みなせは言われるままにじっとしていた。
 一馬が机の端の営業カバンを引っ掴み、中からゴソゴソとポケットティッシュを取り出した。数枚引き抜き、みなせの濡れたお尻に重ねたペーパーをそっとあてがう。肌にかかった精液を丁寧に拭き取り、べたついている脚の間も拭いてくれた。それからようやく自分のペニスの先を拭い、気恥ずかしそうに自身の身支度を整え始めた。

「……すみません。こんな無理矢理、我慢できずに出しちゃって、本当に、ごめんなさい」
 顔を見ると、さっきまでの荒々しい欲望の色はもうすっかり隠されている。耳たぶを赤く染めながら、一馬はみなせの足元に屈んで膝下までずり落ちているストッキングに手を掛けた。

 ストッキングを穿かせる間も、彼の眼差しはひたすらみなせの肌に注がれていた。それだけで焼け付くように胸が騒ぎ、彼の動きにいちいち甘い期待のようなものが込み上げてしまう。
 一馬の手によって、裸のお尻は再びストッキングに包まれた。股間の部分がまだ湿っていて少し気持ち悪かったが、それすらもさっきの行為の甘い余韻のように感じられた。
 捲り上げられたタイトスカートを下ろして皺を伸ばし、乱れた服装を整える。そうして改めて向き合った途端、何故か二人とも急に泣きだしそうな顔になった。

 言葉より先に身体が引きあって、お互いを抱きしめていた。意思を確かめる間もなく、どちらからともなく唇を貪りあった。
 どんなふうに言葉を紡げばいいのかも分からないし、いま他に何をすればこの場にふさわしいのか見当もつかなかった。ただどうしても、まだ離れたくないと願った。現実に引き戻され、それぞれの職場という世界に帰っていく前に。ほんの一秒でも長く、この人の体温を全身に刻んでおきたい。そう思った。

 終わらないキスを何度も何度も繰り返していると、不意に廊下に人の気配を感じた。抱きあう二つの身体がビクリと硬くなる。近づいてくる複数の足音。動きを止め、息を殺し、やがて仕方なく身体を離す。みなせも一馬も、それぞれの腕時計で時間を確かめた。

『今日のうちにリーフレット運んでセッティングしとく?』
『明日の朝じゃ、間に合わないですもんね。新卒に手伝わせてやっちゃいましょう』
 廊下から、そんなやり取りが聞こえてくる。隣の会議室のドアをガチャガチャと開ける音。どこかの会社の人間が、隣室で明日の会議の準備を始めるようだ。

 一馬の営業カバンの中からスマートフォンが振動している音が聞こえてきた。一度咳払いしてから、一馬は表示画面を確認し、すぐ電話に出た。客先からの電話のようだ。瞬時に生真面目な表情に切り替わる。仕事モードの横顔を素敵だと思う気持ちと、不意に遠くなってしまったような淋しい気持ちがみなせの胸をざわつかせた。

 みなせも自分の小さなバッグを引き寄せた。念のためにスマートフォンを見ると、やはり綾乃からメッセージが届いている。読もうとした途端、タイミングを計ったように電話がかかってきたのでびっくりした。慌てて出ると、綾乃のちょっと心配そうな声が耳に飛び込んできた。

『みなせ?随分遅いけど、どこまで行ったのよ。なんかあった?』 
「あ、ごめん。ちょっと……出先で貧血っぽくなって、カフェで休んでたの。ごめんね」
 咄嗟に嘘をついてしまった。まさか正直にこの状況を打ち明けるわけにもいかないので仕方ない。
 綾乃は『やだ、大丈夫?』と心配しつつ、本社の経理部から急ぎの電話が入っていると教えてくれた。しまった、今日中に伝達する事項があったのだ。みなせは「ごめんね、すぐ戻る」と伝えて電話を切ると、一馬の方を振り返った。

 一馬はまだ客先との電話を続けている。みなせの方を見ると、「ごめん」と言うように手刀を切る仕草をした。みなせも頷いて微笑み返し、外を指差して「先に出ます」と口を動かした。
 ドアの手前で立ち止まり、スマートフォンのインカメラで自分の顔を写して髪の乱れを少し直した。口紅がだいぶ落ちてしまっている。キスの感触が蘇り、身体の内側がじわりと熱くなった。電話している一馬に背を向けたまま、ポケットに入れてあったリップグロスを手早く唇に塗った。

 ドアの鍵を開け、出る前にもう一度振り返る。まだ通話中の一馬がすぐ後ろに立っていたので少し驚いた。至近距離で見つめあうだけで、また胸がいっぱいになる。
 一馬はみなせの肘を掴み、刻印を残すように唇にキスした。くちづけあうわずかな時間、電話の向こうで中年男性が饒舌に話す様子がみなせにも微かに聞こえていた。

 一馬の唇にグロスが移り、うっすらと光っている。少し躊躇したけれど、そっと指を伸ばしてそれを拭ってあげた。一馬はうっとりと、甘えるような瞳でみなせに微笑んだ。




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