アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色

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珠里の親友

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 珠里の熱は日曜の夕方には下がり、翌月曜はいつも通りに出勤した。

 会社へ向かう途中の信号で、麻実子と一緒になった。顔を合わせるなり麻実子は心配そうに「土曜日はごめんね、気が回らなくて本当にごめんね」と何度も謝ってきた。
 麻実子は何も悪くない。珠里が門倉とふたりきりになるのを嫌がっていたのを知っていたとは言え、麻実子がつきっきりでそれを阻止するなんて無理な話だ。珠里の体調が急激に変化したのも、珠里本人の問題なのだから。

「本当に大丈夫。私こそ黙って帰っちゃってごめんね。一言言うべきだった」
「具合悪かったんだし、仕方ないよ。門倉にしつこくされて嫌な思いもしたんでしょ?」
 花火が終わる頃になって、麻実子は珠里の姿が見えないことに気づき慌てたそうだ。
 他の同期に聞いて回っても、皆それぞれ勝手に盛り上がっていて他人の動向に注意している者はいなかった。門倉を問い詰めても「知らない、気づいたらいなくなってた」の一点張りだったと言う。麻実子は門倉の表情を見て「こいつ、何かやらかしたな」と直感したそうだが、そこで問い詰めてケンカしても仕方ないのでとにかく珠里の携帯に連絡を入れ続けたらしい。

「体調はもう平気なの?」
「うん、ありがとう。熱も下がったし大丈夫」
「ひとりで帰って危ない目に遭ってないか心配しちゃった。ああいう場って、ガラの悪い連中もうろついてるじゃない?」
「あ、うん。……ちょっと変な人たちにつきまとわれたけど、なんとか逃げ切った」
「えーー!やだもう、本当にどうしよう。珠里ちゃん、ごめんね……」
 麻実子は今にも泣き出しそうな顔をしている。ナンパのことは黙っているべきだったか。珠里は麻実子の罪悪感をなんとか消してあげたくて、安心できる材料を必死に探した。

「あ、あのね。でもあのときひとりで帰ったら、途中で誠ちゃんに会えたの。私が具合悪そうだったから気になったって、途中でパーティー抜けて迎えに来ようとしてくれてたみたいで……」
 そこまで話してふと気づいた。麻実子が眼を輝かせ、興奮したように鼻の穴を膨らませている。びっくりして口を噤むと、「珠里ちゃん……!」といきなり手を握られた。

「ねえっ!もしかして、従兄さんと両想いになっちゃったりした……?!」
「えぇ……っ」
 麻実子の勘の良さに驚き、たじたじとなる。ロマンス小説に夢中になる乙女のような顔で、麻実子は頬を染めて珠里を追求してきた。
「ねえねえ、そうなんでしょ?あの日をきっかけに、花火と風邪がきっかけで、ふたりイイ感じになっちゃったんでしょ?違う?違う?」
「え、あ、あの……。な、なんでそれを……」
「だって!病み上がりなのに今日の珠里ちゃんキラキラオーラ出てるもん!なんかね、ピンクなのよ!空気が!……分かる。私には分かる!やだもう、おめでとう!良かったねーーーっ」

 麻実子が歓喜の声を上げ、舗道のど真ん中で抱き着いてきた。その勢いにたじろいだものの、祝福してくれる麻実子の気持ちが嬉しくて、珠里も「ありがとう」と抱きしめ返した。通勤途中のサラリーマンやOLたちが、不気味なものを見るかのようにふたりを遠巻きに追い抜いていく。

 誠也への本当の気持ちを麻実子に話したことはない。けれども勘の鋭い麻実子にはとっくにバレていたと言うことだろう。
「そっかぁ……。じゃあ土曜日は嫌なこともあったけど、結果的には珠里ちゃんにとっていい日になったのかな」
 ふたたび歩き出した麻実子は、さっきより安心した顔になって珠里の眼を覗き込む。珠里も気恥ずかしさを感じつつ、「うん」と素直に頷いた。

「麻実ちゃんは?工藤くんと上手くいった?」
「うふふー。それがさぁ……」
 そこから会社に着くまで、珠里は麻実子の惚気のろけ話につきあった。麻実子の楽しそうな表情を見ていると、まるで自分のことのように珠里も幸せな気持ちになった。


 昼時の社員食堂で、今日初めて門倉の姿を見かけた。
 入口で食券を買っている。彼の隣には小柄な女子社員が寄り添っていた。一昨日の花火大会にも来ていた同期の一人、麦田綾美むぎたあやみだ。綾美はしきりに門倉に話しかけているが、門倉はやけによそよそしい。カウンターに並ぶ際には、面倒くさそうに綾美に背を向けてしまった。

「あーあー。見てらんない」
 そう言いつつ、うどんを啜る麻実子は遠慮なく門倉たちの様子を観察している。
「あのね、内緒だけど言っちゃう。花火終わった後ね、門倉と麦田さん、たぶんラブホ行ったよ」
 珠里は一瞬きょとんとし、それから「え……っ、そうなの?」と驚きの声をあげてしまった。
 予想外の展開に唖然とし、箸を持つ手が止まる。ショックなのではなく、何というか門倉の変わり身の早さにある意味感心したのだ。そう言えばあの夜、珠里から離れて同期たちに合流した門倉が、馴れ馴れしく肩を抱いていたのが綾美だった気がする。

「珠里ちゃんにフラれて、アイツむしゃくしゃしてたんじゃないのかなぁ。麦田さんはどうも前から密かに門倉を狙ってたらしいのよね。花火の後、あのふたりがこっそりホテル街に消えるのを山崎くんが見てたの。みんな呆れてたよ。門倉も節操ないよねー。あんなだから残念男子のままなんだよ」
 珠里ちゃん、関わらないで正解。麻実子はそう言ってコップの麦茶を飲み干した。
「あの様子だと、1回ヤッちゃったら鬱陶しくなったのかな。ほんとサイテーな奴」
 冷めた口調でそう言うと、麻実子は「ジュース買ってくる」と席を立ち自動販売機のコーナーへ歩いて行った。

 珠里がひとりで定食を食べていると、背後にふと気配を感じた。顔を上げると、斜め後ろの席に門倉が腰を下ろしたところだった。
 偶然なのかわざとなのか知らないが、近くに座りながら門倉は眼も合わせてこない。別にこちらから言葉を掛ける必要もないかと再び箸を動かしていると、背中越しに思いがけない言葉を投げてきた。

「エロ漫画家なんだね、従兄いとこさん」
 珠里は驚いて振り返った。門倉は背を向けたまま、紙のおしぼりで手を拭いている。
「すごい環境で育ったんだなぁ、音原さんって」
「……なんで」
 知ってるの?と訊こうとすると、門倉がゆっくりこちらに振り向いた。

「調べるのなんて簡単だよ。花火の日にあのホテルで何の集まりがあったのか、ネットで調べたらすぐ出てきたよ。出版社のパーティーだったんだね。従兄さんが漫画家らしいっていうのは人事の人に聞いて知ってたからさ、なるほどって合点がいったよ」
 門倉はカレーライスの上に醤油をかけながら、どこか楽しそうな口調で話し続ける。
「SNSでさ、他の漫画家が写真アップしてたよ。いろんな漫画家同士が集まってるとこ。音原さんの従兄さんも写ってた。見せてあげようか」
 門倉はお尻のポケットからスマートフォンを取り出すと、ササッと指を滑らせてある画面を出し、珠里の顔の前に掲げて見せた。

 誠也と同じ雑誌に漫画を描いている作家のSNSだ。数人の男性が集まって笑顔を見せている写真。彼らの背後にジャケット姿の誠也も偶然写り込んでいた。
 全員目元を隠すようにユニークな絵柄のスタンプで加工してあったが、知り合いが見れば誰だかすぐに分かってしまうだろう。添えられた文章には『漫画家仲間の〇〇先生と△△先生と一緒に。後ろにはオト・マコト先生も!←男前です。うらやましーぞ!(笑)』とあった。

「オト・マコトって、わりと有名らしいじゃん。すごいね、売れっ子エロ漫画家。オレ、ちょっとびっくりしたよ。音原さん、真面目でお堅いって思ってたのに、こういう人と一緒に住んでるんだなーって。……従兄ってある意味他人じゃん?もしかして、ふたりして漫画を地で行くような生活してたりしてね。子供の頃から一緒なんでしょ?」
 門倉はスマートフォンを引っ込めると、澄ました顔でカレーを食べ始めた。

 一昨日の珠里の態度がよほど面白くなかったのかもしれないが、こんなふうに他人のことを調べて嫌がらせめいたことを言ってくる神経が信じられなかった。
 もっと、普通の男の子だと思っていた。少し馴れ馴れしいものの、気さくで人当たりのいい仲間だと思っていたのに。

「……身寄りのない私を引き取って、一生懸命働いて育ててくれたの。すごく感謝してる」
「エロ漫画で稼いで?」
「……悪い?私は従兄の仕事、嫌だと思ったことなんて一度もない」
 無性に悔しくなった。こんなバカにしたような言い方は許せない。誠也がたくさんのものを犠牲にして珠里を養ってくれたことなど知りもしないくせに。

「へえ……。じゃあ音原さんも従兄の漫画読んだりするの?ねえ、女の子がああいうの読むってどうなの?漫画でコーフンしたりするわけ?」
 このまま門倉の言葉を聞いていたら、怒りで自分が何を口走るか分からない。珠里は唇を噛み言葉を飲み込んだ。         
 こんな男、相手にするだけ時間の無駄だ。
 全部食べ終えてはいないが席を立とうとしたその時、ペットボトルを手に戻ってきた麻実子が珠里の隣に腰を下ろした。

 いつからやり取りを見ていたのだろう。麻実子はボトルのキャップをクイッと開けながら、門倉に向かってにこやかに微笑んだ。
「門倉さー、そんなんだからモテないんだよー」
「はぁっ……?!」
 門倉が気色ばむ。麻実子は平然としたままグレープジュースをごくごく飲んだ。

「知らないの?オト・マコトの漫画って、女の子にすごい人気あるんだよ。なんでか分かる?ただの性欲の捌け口で終わってないから。オト・マコトの漫画にはね、愛と優しさがあふれてるの」
 門倉が唖然として麻実子の顔を見た。
 珠里もまた驚いていた。麻実子にだけは誠也のペンネームと漫画のジャンルを教えていたが、まさか彼女が誠也の作品を読んでくれるとは思ってもいなかったからだ。

「私もさ、10代の頃から兄貴の部屋でエッチな雑誌は随分見てたのよね。ほら、男向けのあの手の漫画って、どうしても恋愛描写すっ飛ばして性欲メインになっちゃうじゃない?現実にはありえないノリでヤッちゃったり暴力的だったり、女がやたら色情狂だったりさ。あと、男に都合いいハーレムもの、アレなんて完全にファンタジーよね」
「おまえ、何言って……」
「エロ漫画で描かれる女って、読者を欲情させるための分かりやすい「アイテム」じゃない?別にそれはそれでいいと思うのよ、需要あるんだし。でもね、オト・マコトの作品は、ちゃんと女の子を尊重して描いてくれてるの。主人公がね、あちこち手当たり次第のバカじゃなくて、ヒロインをすごーく大事に愛してるのが伝わってくるのよ。だからセックスシーンも綺麗だしキュンキュンくるんだなぁ。ああ、こんな恋がしたいなって、女の子もワクワクできる漫画なの。そういうの描けるオト・マコト先生って、すっごく素敵な人なんだろうなぁって憧れちゃう」
 
 麻実子の言葉を聞いているうちに、胸の奥がじわりと熱くなった。たとえお世辞でも、誠也の漫画をそんなふうに見てくれていることが心底嬉しかった。

「……意味わかんね。エロ漫画読む女とか、欲求不満かよ」
「女を貶めたいときに、すぐ『欲求不満』って言葉使う男いるよねー。短絡的よねー」
 麻実子はジュースをもう一口飲むと、ゆったりした動作で席を立った。

「あのね、モテる男ならね、女がエロ漫画読んでるって聞いたら、『どの作品が好きなの?』とか上手く話を発展させて、いつの間にかセクシーな雰囲気に持ってけるものだよ。モテる男ならね。さてと、珠里ちゃんそろそろ行こっか」
 麻実子が珠里にニコリと微笑む。その笑顔はとびきり綺麗で力強くて、珠里は思わず見惚れてしまった。

「じゃーね、門倉くん。あ、麦田さんに優しくしてあげなよ。女の機嫌損ねると後が怖いよー」
 麻実子は門倉にひらひらと手を振り、珠里を連れて歩き出した。

「麻実ちゃん、ありがとう……。私、すごく嬉しかった」
「ぜーんぜん。もっと言ってやりたいくらいだけど、工藤くんが向こうから見てたからやめといた」
 麻実子が悪戯っぽく笑うのでホッとしたが、それでも少々心配になる。

「でも大丈夫?門倉くん、根に持って何かしてくるんじゃ……」
「平気平気。もしアイツがなんか仕掛けてきたら、伯父様に言いつけてやるから」
「伯父様って……?」
「専務」
 あっけらかんと麻実子が言うので、珠里は思わず「えっ!」と声を上げてしまった。

 たしかにこの会社の専務の苗字は麻実子と同じ「福田」だが……。珠里が驚いて口をあんぐり開けると、「みんなには内緒ね」と麻実子がウインクしてきた。



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