アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色

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誠也の葛藤

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 何故こんな展開になってしまったのか。誠也はうるさい鼓動を鎮めようと無駄に深呼吸を繰り返しながら自問した。

 売り言葉に買い言葉だった。
 セクシーな下着のモデルになると言い出した珠里の申し出を、誠也は当然のごとく却下した。「バカなこと言うな」「スランプなんて自分で何とかするから心配しなくていい」などと言葉を並べ立てて。

 あまりに必死な誠也の様子を見て、珠里が恐ろしく冷静な声で「なんでそんなに慌ててるの?」と訊いてきた。
 慌てるに決まっているではないか。日頃からモヤモヤと悩んでいると言うのに、珠里の下着姿など見せられた日には、誠也の理性は崩壊の危機を迎えるかもしれないのだ。

「慌ててるとか、そういうんじゃない!あのな、下着姿なんて、しかもこんな、いやらしいヤツをだな、無闇に人前で晒すもんじゃないだろうが」
「でもこういう下着って、見せるためのものでしょ?」
「だからっ……。見せる相手を選ぶんだよ、こういうのは」
「相手って、誰の前ならいいの……?」
「だ、誰って……」
「彼氏ができたら、その人の前ならいいの?」
 いや、ダメだ。即答しそうになって、誠也はグッと言葉を飲み込む。

「そ、それは……。大人同士が納得してるなら、そういうこともアリだけど」
「じゃあ、私は今でもいいよ。納得してるし」
 何なんだ、その理屈は。思わず返す言葉を失ってしまう。
 じっとこちらの様子を窺っている珠里の視線が痛い。眩しい。胸をえぐってくる。

「誠ちゃんって……」
「……何だ」
「ああいう漫画描いてるわりに、純情だよね」
「……はあっ?!」
 ムカッときたが、図星なので言い返せない。
「もしかして、私がこの下着つけて見せたら、誠ちゃん興奮しちゃうの?だから、頑なに拒否してるの……?」
「バっ……、バカか!誰が身内に興奮するか……!おまえに興奮してたら、俺は終わりだ」
 勢いあまって酷い暴言を吐いたが、珠里は意外にも平然としていた。上目遣いにじーっと誠也を観察している。見られている誠也の方は、どんどん顔が熱くなって動揺を隠し切れなくなってきた。

「じゃあ、いいじゃない。興奮しないなら、別に私の下着姿見たって何も感じないでしょう?それなら単なるモデルとして眺められるし、ちょうどいいよ」
 何がちょうどいいんだ。なんでそうなるんだ。おまえの思考回路はどうなっている……?

「ね、きっと生身の人間がこれ着たら、イメージ湧くと思うよ」
「ぐっ……」
 言い返す言葉が出てこない。予想外の展開に頭がついていかず、しかも拒否しようとしながら甘い誘惑に引きずられそうになっている。
 黙り込んだ誠也を見て、珠里はOKと判断したようだった。
「じゃあ、私、着替えてくるね」
 ニコッと無垢な笑顔を見せると、珠里は黒いランジェリーを手に軽い足取りで仕事部屋を出て行った。


 それから10分余りが過ぎた。誠也は変な汗をかきながら、机に向かって頭を抱えている。
 ……どうしてこんな展開になった?
 珠里の、絶対譲らないとでも言うような押しの強さはどうしたことだ?今まであんなことなかったのに。そして自分は、なぜ情けなくも押し切られて言いなりになっているのだ?

 答えは簡単だ。あれこれもっともらしい言葉を並べたところで、本心では誠也は珠里の下着姿を見たくてたまらないのだ。どうにか保護者としての理性を総動員して否定しようとしているが、心の奥では「見たい」という欲求が渦巻いている。

 そもそも珠里は何を考えているのだろう。どうして親代わりとも言うべき自分に、そんなあられもない姿を見せようとしているのか。好きな男が相手ならまだしも。
 ……ひょっとして。まさか。珠里は俺のことを……?
 そんな可能性がチラリと頭によぎり、胸がざわめいた。だが、今まで何度もそういう甘い期待が頭をよぎる度に、「それはありえないだろう」と愚かな欲を追い払っていた。

 珠里の自分への愛情や執着は、鳥の雛が最初に見た相手を親だと思って追いかけるのと同じものだと承知している。
 他に頼るところがなかったから。他に信じられる大人がいなかったから。それが、たまたま誠也という「男」だったから。単純なことだ。

 年齢を重ね、外の世界で他の男を知ることで、珠里の心にある誠也への感情はあっという間に色褪せていくだろうことは想像できた。家に閉じこもってエロ漫画を描いて生計を立てている男より、スーツを着て颯爽と仕事をこなす男の方が何倍も魅力的に見えるのは当然のことだ。
 そしてそのことに気づいたとき、珠里は自分の元から巣立っていくのだろう。それは分かり切っていた。だからこそ、珠里とは節度を持った距離感で接してきたつもりだった。後で自分が傷つかずに済むように。それが誠也なりの自衛だったのだ。

 仕事机に両肘をつき、頭を抱えながらそんなことをぐるぐる考え続けていた。すると、不意に「誠ちゃん」と背後から声を掛けられ、誠也は飛びあがりそうなほど驚いた。
 恐る恐る振り向くと、珠里がパーカーを羽織った姿でひょこりとドアから顔を覗かせていた。
「……着たよ」
 そう言って、唇をきゅっと引き結んで部屋に入ってくる。大きめのパーカーから覗くすんなりした脚は剥き出しで、その肌の白さに誠也の眼は釘付けになった。

 やはり珠里もさすがに恥ずかしいようで、やや俯き加減に誠也に近づいてきた。
 ガラスの向こうでは、雨がしとしと降り続けている。ふたりきりの部屋は雨音と互いの息遣いだけなのだが、誠也の耳には自分の鼓動がうるさいくらいに響いていた。

「ちょっとこれ、ホックが硬くて、着けるのに時間かかっちゃった」
「あ、ああ。なんか金具が不良品とか言ってたな。だから売り物にならないって」
「そっか。でもなんとか着れたよ」 
 珠里は椅子に座ったままの誠也の前に立つと、自分のパーカーの袖口を所在なさげに引っ張った。もじもじした少し幼い仕草に、誠也の心は逆に少し落ち着きを取り戻していく。

「……写真とか、撮る?」
「それは、おまえが嫌だろう?」
「いいよ、誠ちゃんしか見ないなら。後で確認したりするのに、写真あった方がいいんでしょ?」
「そりゃまあ、その方が助かるけど……」
「じゃあ、いいよ。撮っても」
「そ、そっか。……分かった」

 内心嬉しく思っている自分をひた隠しにし、誠也は机の上のスマートフォンを手に取った。その時初めて、自分の手が汗ばんでいることに気づいた。今日はこんなにも涼しいと言うのに。

「じゃあ、脱ぐね」
 珠里がパーカーのファスナーに手を掛ける。止めるなら今だ。まだ引き返せる。そう思うのに、もう誠也の喉からは何の言葉も出てこない。息をつめたように、ただ珠里の手元を眼で追うだけだ。
 ゆっくりファスナーが下ろされ、珠里の白い肌が視界に広がっていく。薄いグレーのパーカーが珠里の肩から滑り落ち、誠也の眼前に黒い繊細な下着に包まれた珠里の肢体が晒された。

 自分でも意外だった。不埒な欲望や男としての本能よりも、誠也の胸に最初に浮かび上がった想いは「感動」によく似ていた。

 珠里は美しかった。黒いレースのランジェリーは、驚いたことに珠里の華奢な身体によく似合っていた。
 肉感的な女が身に着ければ「いかにも」になりがちなデザインなのに、透明感のある珠里が着るとむしろ清潔な色気がほのかに漂うかのようだ。
 頬を染め、恥じらいを隠そうと眉根を寄せる表情は男の保護本能を掻き立てる。挑発的な下着に包まれた身体は、柔らかさと青さが共存していてどこか背徳的な気持ちにさせられる。

 あんなに小さな子供だったのに。ここに来たばかりの頃は、まだランドセルを背負っていた。ほんの子供だったのに。いつの間にか、こんなに。

「……綺麗だな」
 誠也はごく自然にそう呟いた。どうしてか、喉の奥がつかえるようなせつない気持ちが込み上げてきた。
「こんなに綺麗に成長したのか」
 嬉しさと、たかぶりと、なんとも説明のつかない淋しさ。手の中の鳥が美しく育てば育つほど、手放すことが辛くなるような鈍い痛み。

「誠ちゃんのおかげだよ」
 薄紅色の頬で、珠里が恥ずかしそうに微笑んだ。
「誠ちゃんが私を引き取ってくれて、ご飯を食べさせてくれて、安心して生活できるようにしてくれたから。だから今の私がここにいるの」

 誠也は黙って笑みを返した。上手い言葉が見つからなかった。胸をかき乱すような感情がせり上がってきて、気の利いた言葉なんて浮かぶわけもなかった。

「……写真、撮っていいか?」 
「うん」
 誠也は珠里を脇のソファに移動させた。ワインレッド色の革張りのソファの上で、珠里が脚を折り曲げて横座りになる。
 誠也はスマートフォンを手に、改めて珠里の姿を見下ろした。

 ほっそりとした滑らかな脚と、カーブを描くヒップライン。丸いお尻はほとんど剥き出しで、黒いレースと紐と紅い薔薇の飾りだけで大切な場所が覆われている。
 小さな臍と滑らかな腹部。その上の黒いブラジャーは全体的に透けていて、先端部分は黒いレースで覆われている。センターにはショーツとお揃いの小さな赤い薔薇。繊細なブラに包まれた胸のふくらみは、決して大きくはないがマシュマロのように白く柔らかそうだった。

「……本当に、綺麗だ」
 何故か視界が曇りそうになり、誠也は隠すようにスマートフォンを顔の前に掲げた。



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