アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色

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珠里の帰り道

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 改札を通り抜けて腕時計を見ると、10時40分になるところだった。
 良かった、11時前には家に着く。金曜の夜なので人通りも多い。このくらいの帰宅時間なら許される範囲だろう。
 みんなはカラオケの時間を延長して終電ギリギリまで粘るようだったけれど、珠里はあれこれと言い訳をしながらひとり抜け出して帰ってきた。

 同期との飲み会は気兼ねなく過ごせるから良いのだが、まだ大学生のノリで騒ぐ男子たちには少々気疲れする。女子は女子で微妙なマウントの取り合いが見え隠れして、これまた珠里には馴染めない空気があった。
 だからカラオケボックスを抜け出して電車に乗るとホッとした。その場にいればもちろんそれなりに楽しいけれど、どうしても家にいる誠也のことが気になって途中で帰りたくなってしまうのが珠里の性分だった。

 帰り際、隣の課の門倉かどくらが「音原さん、送ってくよ」と声を掛けてきた。
 4月の新入社員研修の時も隣の席で、何かと珠里に話しかけてきた。爽やかな雰囲気で、そこそこイケメン風。ちょっとおしゃべり好きで図々しいのが厄介。女子にはわりあい人気があるようで、珠里を送ろうと門倉が立ち上がった途端、室内にやや微妙な空気が走った気がした。

 一緒に帰ろうとする門倉をなんとか振り切ろうと珠里が四苦八苦していると、反対側のソファに座っていた男子ふたりが「送り狼禁止~!」と門倉を抑えつけた。珠里はその隙にドアへと逃げ、「ごめんね、みんなお先に!」と急いで部屋を出てきた。
「珠里ちゃん、気を付けてね!」と気遣う笑顔で見送ってくれたのは、同期で一番気が合う福田麻実子ふくだまみこだ。麻実子にだけは、珠里の暮らす環境や誠也のことをある程度話してあった。

 それにしても。朝、誠也が「家まで送るなんて言う野郎は断れ」と言っていたのを思い出して、忍び笑いを漏らしてしまう。門倉は善意で言ってくれただけで露骨な下心があったとは思わないが、もし誠也があの現場を見ていたら、きっと視線だけで門倉を凍り付かせていただろう。
 
 思い返してみると、誠也は珠里が中学に入った頃から、その交友関係を気にするようになった気がする。
 女の子同士のつきあいにはほとんど口を挟まなかったけれど、男女混ざったグループで出掛けるときなどは、どんな男子が一緒なのか根掘り葉掘り聞いてきた。万が一男子から交際を申し込まれるようなことがあったら、絶対隠さず報告しろと念押しもされていた。

 あまりに神経質なので同級生に相談したら、「うちのお父さんもそんな感じだよー」と返されたので一応納得した。保護者というのは女の子に対してはそういうものなのだろうと思って、珠里は素直に誠也の言うことを聞いていた。
 そもそも同世代の男子にはあまり興味が湧かなかった。子供っぽいニキビ面の同級生と話すより、家に帰って誠也と他愛無い話をする方が何倍も楽しかった。

 誠也は珠里にとって保護者であり従兄いとこだ。けれども普通の「いとこ同士より」血が薄い。誠也の父親と珠里の母親が腹違いの兄妹だからだ。

 音原家の内情はわりと複雑だった。
 祖父と最初の妻、春枝はるえとの間にできた子供が誠也の父親、敏彦としひこ。春枝が早逝し、後妻に迎えられた美知子みちこが産んだ娘が珠里の母の響子きょうこだ。
 敏彦は継母の美知子によく懐き、年の離れた異母妹の響子を可愛がった。敏彦は20代で結婚したが後に離婚、一人息子の誠也の親権は敏彦が得、以来父子ふたりの生活となったと聞いている。

 一方で響子は看護師となり都内の病院で働いていたが、30を過ぎたころ、生まれて間もない珠里を抱いて実家に帰ってきた。珠里の父親は医者らしかったが、響子は頑として相手の名前を言わなかったそうだ。既に珠里の祖父は他界していて実家には祖母の美知子だけ。その時から、美知子、響子、そして幼い珠里の女3人の暮らしが始まった。

 誠也が父親の敏彦を亡くしたのは、高校2年生の時だと言う。
 敏彦は海外出張が多く、誠也は高校からほぼひとり暮らしだった。そして誠也が17歳のとき、父は赴任先で事故に巻き込こまれ、あっけなくこの世を去った。

 伯父の敏彦が亡くなったときのことを、珠里は何も覚えていない。
 まだ3歳だったし、そもそも赤ん坊のときに敏彦に抱っこされている写真が一枚あるだけで、珠里には伯父の記憶そのものがなかった。葬儀の際は、珠里はお隣の佐々木さんに預けられ、母と祖母だけが式に参列したのだそうだ。

 だから、珠里が従兄である誠也に出逢ったのは6歳の時、母の響子のお葬式が初めてだった。
 泣いていた珠里に、「マジカル☆アイラちゃん」の魔法のバトンをくれたお兄さん。その人が、今度は4年後に祖母のお葬式で、行き場のない珠里を救い出してくれたのだ。

 駅からマンションまでの夜道を歩きながら、珠里は誠也と自分のこれまでの人生に思いを馳せていた。
 珠里も平穏とは言えない21年間だったと思うが、誠也もまたなかなかに激動の半生だったと言える。
 両親の離婚後、母とは没交渉。父親は出張が多く、一緒に過ごす時間は極端に少なかった。誠也は私立の有名大学付属高校に進学し、通いの家政婦に助けられつつ自活していた。そこに父の訃報。葬儀では17歳で喪主となった。

 幼い頃から絵が得意でSF小説が好きだった誠也が、書き溜めた作品を認められ漫画家としてデビューしたのが高校3年。そのまま付属の大学に入学したものの、漫画の仕事が忙しくなったため結局2年の時に中退したと珠里は聞いている。

 誠也の漫画家生活は今年で17年になる。
『オト・マコト』のペンネームでデビューした後、わずか21歳の時にSFを題材にした少年漫画でヒットを飛ばした。3年間連載し、作品は深夜アニメになりDVD化もされた。祖母の葬儀で珠里と再会した頃の誠也は、ちょうど連載を終了したばかりだったが経済的にも余裕のある時期だった。
 ただ、その後は何を描いても前作の人気に及ばず、『オト・マコト』の人気はあっという間に急落していった。

 行き詰まりを感じていた頃、担当の編集者から成人向けの月刊誌を紹介された。いわゆるアダルト漫画誌だ。
 もともと過去作でもSFを主軸にセクシャルな表現を絡めるのが得意で、少年向けにしては大人びた描写が『オト・マコト』人気の理由のひとつでもあった。
「仕事の幅が広がるし、気分転換にもなる。より本格的なアダルト作品を描いてみないか」
 そう誘われ、背に腹は代えられず引き受けることにした。当時の誠也は確実に収入になる仕事が必要だった。珠里という育ち盛りの女の子を引き取っていたからだ。

『オト・マコト』はアダルト漫画で再び成功した。
 仕事は軌道に乗り、生活の不安はなくなった。R18の世界に移って10年近くになるが、未だ人気は健在で仕事が途切れることもない。
 もちろん誠也は当初、自分の仕事内容が成人向けに変わったことを珠里に隠していた。
 ローティーンだった珠里は、誠也から「仕事部屋は絶対覗くな」ときつく言われていた。誠也のペンネームは友達にも教えるなと念押しされていたし、編集者が家に来て打ち合わせする際は部屋のドアはぴったりと閉められていた。
 それでも一緒に暮らしていれば、永遠に隠し通せるはずもない。高校に入学した直後、珠里は掃除している最中に偶然誠也の原稿を見てしまった。

 ショックを受けなかったと言えば嘘になる。保護者として共に暮らしている誠也がこんなに赤裸々でエロティックな漫画を描いていたなんて、年頃の女の子としては動揺して当然だった。
 けれども珠里はすぐに気づいた。この漫画のおかげで、自分はこの家で美味しくご飯が食べられ、学校にも行かせてもらえるのだと言うことを。
 誠也が漫画家として一時期仕事が不安定になっていたことは、珠里も子供心に気づいていた。恐らく成人向けのジャンルに転向したのも、珠里を養っていく上での決断だったに違いない。そう察したから、珠里は嫌悪感を感じるよりも、誠也に対して申し訳なさと感謝の念を抱いたのだ。

 何より、誠也の描く作品は珠里の眼から見ても魅力的だった。
 こっそり見てしまったのだが、同じ雑誌に載っている他の作家の作品は、男性主人公が何人もの女性と片っ端から性行為をしていたり、ヒロインが性的に乱暴な扱いを受けるものも多かった(10代の少女にはそれなりに衝撃的だった)。
 けれども誠也の作品には、ちゃんと愛が描かれていた。性を題材にしてはいるが、必ず一組の男女の恋愛がテーマになっていた。主人公はあちこちに目移りせず、基本的にはヒロインをきちんと愛していた。セックスシーンもお互いを思いあう愛があふれていて、女の子が読んでも楽しめるストーリーばかりだった。

 珠里は誠也の仕事を「恥ずかしい」とは決して思わなかった。そして正直に、作品を見てしまったことを誠也に伝えた。
 誠也は最初面食らい、ひどく気まずそうな顔になり、それからちょっと淋しそうに「がっかりしたか」と珠里に尋ねた。その顔にはかすかに怯えがあった。

「全然。ちっとも。私、誠ちゃんの漫画好きだよ。……女の子から見ても、すごく素敵だと思う」
 顔を赤くしながら珠里はそう伝えた。それが本心だったからだ。
 誠也は一瞬言葉を失い、それからホッとしたように「そっか」と呟いた。珠里の頭を拳骨でコツンと叩き、「でもおまえは18になるまで読んじゃダメだぞ」と父親のような顔で釘を刺すのも忘れなかった。

 今の珠里は、毎月月刊誌に掲載される誠也の漫画をこっそり読んでいる。
 他の作家の作品はどぎつい描写が多くて敬遠してしまうけれど、誠也の作品はいつも女の子が可愛くて色っぽくて、男の子は愛情深くて男気がある。だから読んでいて幸せな気持ちになれる。そして正直なところ、やはりドキドキするしエッチな気持ちにもなってしまう。

 誠也はああいう作品を、どんな気持ちで描いているのだろう。描きながら、本人もそういう気分になったりするのだろうか……。
 つらつら考えながら歩いているうちに、いつの間にか我が家に辿り着いていた。

 梅雨明けが近いのか、かなり蒸し暑い夜だ。きっと誠也は網戸にしたまま眠り込んでいることだろう。
 珠里は11年暮らしてきたマンションを見上げ、自分はいつまでここにいていいのだろうとぼんやり思った。



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