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第1章

第1話 水晶竜と薬師のエルフ_7

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 そこにはたくさんのランプが舞っていた。空にはふたつの月と、ひとつの眩しく輝く円。それは絵本の中でしかみたことがない"太陽"によく似ていた。周りは明るいのに、夜よりもよっぽど恐怖を抱いたのを覚えている。


 強くてかっこいい魔法が使える兄達のようになりたかった。どうしたら魔法が使えるようになるのか三番目の兄に訊ねたら――勇気を示して、城の地下にある鏡に触れたら魔法が使えるようになった。灯りも持たずにひとりで真っ暗な地下に行くんだぞ。と答えてくれた。
 だから自分も勇気を示そうと、城の地下深くにある部屋に置かれていた鏡に触れた。
 今なら三番目の兄が言った冗談だとわかる。彼は冗談を言うのが好きだから、言うことを何でも信じてしまう自分はからかわれたんだ。
 鏡に触れた瞬間に、みたことがない世界が水面のように揺れて映って見えた。
 お祭りをしているのか、たくさんの生き物がお城の周りで踊ったり跳ねたり、美味しそうなものを食べたりしている。
 その光景に釘付けになり、鏡に近づいた――。




 ガヤガヤと賑わう人集りの中に、ひとりぽつんと佇んでいる。耳に届くうるさい音は左右から聴こえ、全身を使ってキョロキョロと辺りを見回す。
 眩しさに思わず顔を伏せてしまう。
 此処はどこだろう。地に足はついているがどこか不安定で、自分の尻尾を掴んでいないと今にも泣き出しそうだった。
 自分は城の中にいたはずだ。地下には初めて行ったが、少なくとも屋外に繋がるような場所はなかった。
 夢をみているにしては、ぶつかって歩く人の感覚はやけに現実的だ。大人のからだに吹き飛ばされ、逃げるように人の波の出口を探した。何度も転び、やっとひらけた場所に出たが、辺りは見覚えの無い景色がひろがっているだけだ。
 自分の知っている場所を空から探してみようと羽ばたいて、どれくらいの時間が過ぎただろう。やっと見慣れた景色に出逢えたが、それは真っ暗な夜の空だった。
 更には魔法石まで降ってきた。塵のように小さな魔法石がからだに触れ、焼けるような痛みに耐えかねて森にゆっくり落っこちてしまった。

「……っ、うう……ううーっ」

 泣いてはいけないと一番上の兄に言われていた。二番目の兄は泣くと呆れた顔をする。
 むしろよくここまて我慢した。もう泣いてもいいだろう。滲んできた視界は降り止まぬ魔法石のせいではない。瞬きをすればポロポロと涙が流れてくる。
 泣き虫で弱虫で、竜の齢で五歳になっても魔法のひとつもつかえない。才能のない小さな竜は、空腹と心細さ、それから降り始めた魔法石によって与えられる痛みに、とうとうしゃがみこんで泣き出してしまう。
 見る分には美しい魔法石も、からだに触れれば忽ち魔法石のマナと反応し、自分に蓄積されたマナが皮膚から蒸発してしまう。ちくちくと痛む肌。焼け爛れた森のなかではどうしたって逃げ場などは見当たらず、ほんの少しでも夜の空を覆う葉があれば凌げたかもしれない。
 どれくらいの時間がたっただろう。霧が晴れてきた明るい景色。お願いだから、そんなに明るくなくてもいいから。すぐにでも真っ暗な元のお城のなかに帰してほしかった。


「…………子どもが……どうしてこんな場所に……」
 なんていい声だろうと思った。優しくて、綺麗な丸が触ったみたいな声だった。
 顔を上げれば、絵本で見たお姫様がそこに居た。
 綺麗な長い髪と、優しい目元の青い瞳。長い耳の人型は初めて見る。
「迷子でしょうか……。どこから来たのかはわかりませんが、ひとまず此方へいらっしゃい 。もうすぐ大粒の魔法石が降りそうです」
 魔法石から遮るように傘を全部こちらに傾けて、更には自分が着ていたフードつきのコートを渡してくれた。
 手を引かれて、朝の森を抜けていく。
 厳しい四番目の兄は知らない者について行かないようにと教えてくれたが、その教えを無視してついて行ってしまうくらいに、お姫様に惹かれていた。
 涙は止まることを知らないが、不安や焦りよりも騒がしく鳴る胸の音が、奇妙に心地よかったのを覚えている。

 お姫様は小さな家に住んでいて、室内は紅茶に溶けた砂糖になったみたいないい匂いがしていた。
 お姫様に落っこちたときにできた膝の怪我を手当してもらった。つんと鼻をくすぐる薬草の匂い。痛みに逃げ出したくなったが、それではお姫様に笑われてしまう。強くてかっこいい皇子様でいなくては、お姫様をダンスに誘う権利も無い。
「これで大丈夫。傷口から魔法石がたくさん入ってしまっていたので、少し強めの魔法薬を使用しました。痛かったでしょう? よく我慢できました。あなたは強い子ですね」
「……おれは、まおーだからつよいんだ」
 自分は強くてかっこいい皇子様だと、お姫様に知ってもらいたかった。かっこいいところをたくさん見せてお城に招けば、一緒に絵本を読んだりしてくれるかもしれない。
「まお……?」
「そうだ。まおーだ」
「…………マオですか。いい名ですね」
「……ま、おーだぞ」
「マ、オ」
 マオではない。魔王だ。
 お姫様がそう呼んだ名は自分の名ではなかったが、マオでいいと思った。
 お姫様がくれた野菜がたくさん入ったあたたかくて甘いスープを飲んで、硬いパンを頬張る。お姫様は野菜と植物が好きなのか、部屋の中にはたくさんの緑があった。お城に招いたら、朝食も夕食も野菜をたくさん使ったものにしようと決めた。
「私はレイスと言います」
 レイス。
 お姫様の名前は、レイスというらしい。
「……れいす」
 おそらく一生忘れることができない名だろう。
 初めて恋におちた。その瞬間からすべてが始まった。



――――――――――



 水晶の上を歩くときは、いつもマオの鱗で加護を付与した装飾品か衣服を身にまとっていなくてはならないらしい。加護が無い状態で水晶に長時間触れると命を吸われて死んでしまうのだとか。この暖かくて優しい灯りからは想像できないな、とレイスはマオが残してくれた水晶のランプを掌に包みながら窓の外を眺めていた。
「外がそんなに気になるのか?」
 珍しくマオに声をかけられたことに驚き、振り向きざまに視線を落とせば虹色の瞳と目が合った。
 マオはいつもの黒の軍服を着用しているようだが、今は初めて見る細身の礼服に袖を通していた。服が気になるのか落ち着かないのか、レイスに声をかけたあと襟元を正したり、袖に触れたりしている。埃ひとつついていない黒い生地の肩には、レイスの掌に包まれている水晶と同じものがちょこんと乗っていた。
「……随分と長い時間……外を見ていたから……」
 すぐに逸らされてしまった瞳は、以前のように完全にそっぽを向かずにレイスの首下あたりを見ているようだった。
 頑張って相手の目を見て話しをしようとしているのが伝わってきて、可愛さに笑みが溢れてしまう。
「魔界は……夜が続くのだなと思いまして。私がこちらに招かれてから、朝を見ていないな……と」
「朝のが好きなのか?」
「両方好きですよ。マオはどちらが好きですか?」
 レイスが小首を傾げてマオの方を見れば、マオの鱗で作られたピアスがきらりと揺れる。
「……朝がいい。魔界には夜しかないから」
 朝が好きだ。太陽の下で見上げたレイスの姿が、夜にも増して美しかったのを覚えているから。
「外に出たいなら、俺が連れていってやる。城から少し離れたら街もある……退屈しのぎにはなる……と思う」
 レイスが魔界から興味を失わないように、あれやこれやと提案してくる。繋ぎ止めておかなくてはと必死だった。
「魔界はお前がいた世界より色々なものがある。本だって、植物だって色々珍しいものがあるはずだ」
「……マオ?」
「食べ物もお前の口に合うものを探して……」
 もし元の世界に帰りたいなんて言われたら――。どうしようもない焦りを感じて、思わずレイスの手を握ってしまった。
「だから……っ」
「マオ」
 彼を手離したくない。元の世界になんて返してしまったら、もう二度と彼に逢えなくなってしまうかもしれない。世界を繋げるのはもう簡単だ。それが問題ではない。もっと他の――。
「……いきましょうか、外」
「え」
「マオと一緒に出かけてみたいです」
「……っ。あ、ああ。わかっ……た」
 レイスの手を取ったのは自分からなのに何を恥ずかしがっているんだろう。マオは情けなさに慌てて手を放した。
 掌に握られていた水晶も慌てて飛び出す。突然閉じ込められて驚いてしまったのだろう。
 レイスの顔辺りをくるくると浮遊し、心做しか怒っているようだった。
「……いつもと服が違いますね。その服もかっこいいですよ。良く似合っています」
「……っ」
「ですから、そんなに袖を伸ばしてはいけませんよ? せっかく丈が合っているのに伸びては勿体ないですから」
  顔が熱い。
 かっこいいと言われたことに逆上せてしまい、みるみるうちに指先まで赤く染まっていくのがわかった。

「かっこ、いい……? 俺が」
「ええ。マオはいつもかっこいいですよ。私を救ってくれた時だって」
 かっこよかったです。
 優しく微笑まれ、とうとう頭が耐えきれずに思考を停止させてしまう。肩に乗っていた水晶は、いつの間にか床に落ちて砕けてしまっていた。




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