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第1章
第1話 水晶竜と薬師のエルフ_6
しおりを挟む食事が上手く喉を通らなくなってから三度目の夕食を終え、次から食事の量を少なくしてほしいとヤギの執事に伝えたあと自室に篭る。そう言えば眠りも浅くなってしまった気がする。
二ヴルとの行為をなるべく思い出さないようにするために、ヤギの執事にこちらの世界の魔導書を数冊持って来て欲しいと頼み、持って来られた百冊以上ある詰み魔導書を夢中で読み漁った。
あの行為が嫌だったわけでも、二ヴルが嫌いなわけでもない。快楽を覚えてしまった自分のからだが、再びあの熱を思い出してしまうのを極力避けたかった。
何度、無意識のうちに手を性器に運んでしまいそうになっただろう。一度、二ヴルにキスをされ、ノクスの触手に尿道を抉られて、マオが自分の性器を必死に擦ってくる快楽に溺れる夢をみた。そこにマオが居たことに、目覚めてから酷く罪悪感を抱いてしまった。
あの虹色の瞳で愛しそうに見つめながら、一生懸命に快楽を与えてくれようとする姿――。
疼きが這い寄る感覚を感じ、慌てて頭を強く振る。
「(雑念を捨てなくては……。私には、やるべき事があるのに……)」
魔界の魔導書は何故かすらすらと読み進めることができた。初めて見る文字なのに、幼少期に習う字や単語のように馴染んで読める。
「(魔界にある魔法石では、私の造った惚薬の効果を相殺することは難しそうですね……。そもそも魔法の種類が違う。足し算と引き算が別物のように、根本から性質が異なる……。精霊という概念はあるようですが……、私の知る精霊ともまた異なる)」
一番早いのは、元の世界に戻り覚えている限りの素材を掻き集めて惚薬を無効化させる魔法薬を製造すること。できるだけ早く元の世界の皇子様や、魔界の魔王兄弟にかけられているであろう魔法を解かなくては。
マオに頼んでみよう。
自分を魔界に連れてきたのは他でもないマオだ。連れて来ることができたということは、世界を繋げる方法を知っているのだろう。
『迎えに来たぞ』
――迎えに来た。確かにマオはそう言った。
だが、レイスには魔界にいた過去も記憶もないし、マオと出会ったのもあの日が初めてだ。では何故マオはそんなことを言ったのだろう。それにあの泣き出しそうな瞳――……。
「レイス」
「……へ、あ、はひっ!」
部屋の隅で座り込みながら本の影に埋もれるレイスを見下ろす虹色の瞳。
「明かりも付けずに本を読むな」
「すみません……つい夢中になってしまって」
「構わない。謝るな。俺はただ……」
辺りを見渡せば、そこは真っ暗闇だった。正確に言うなら真っ暗闇ではなく、いつの間にか光を放つ小さな水晶がいくつか、ランプの代わりにレイスの頭上に星のように煌めいている。レイスのために灯りをつけてくれたのだろう。謝らせたいわけではないことは明確だった。
「……そんなことより……」
交わっていた視線が逸れたのが少し寂しかった。
「(もう少し見ていたかったのですが……残念です)」
「何故夕食の量を減らして欲しいと言ったんだ。目の下も紫だ。……食べたいものではなかったのか? 寝具が合わないならすぐに変える」
「……え」
「ヤギ達に食べたいものをきいてくるように頼んだが、いくら呼びかけても部屋から音沙汰が無いと言って鳴いていた……。ヤギ達は招かれないかぎり部屋に入れないんだ。だから俺が直接……。俺が呼びかけてもお前は反応しなかった。部屋で寝ているかと思ったが本を捲る音がしたから……勝手に入らせてもらった」
窓越しに映るマオの表情は少しだけ曇っている。
「食事は全て美味しいですよ。歳のせいか、食欲が落ちてきていて。それに、本が面白くて……つい夜更かしをしてしまって寝ていないだけなんです」
「お前に本を贈ったのは、寝る間を惜しんで読ませるためでも、飯を食えなくするためでもない。……もうお前から本を奪ったりしない。全部お前のものだ。だから、程々にしろ」
マオは自分を責めているのだろう。レイスの部屋を水晶漬けにしてしまったこと。本を台無しにしてしまったこと。そんなつもりで与えたわけではないものが、結果的にレイスを苦しめているんだということ――。
「はい、程々にしますね」
無駄なことは言わなくていい。マオの気持ちを汲んで、思い当たる正解を言ってあげればいい。
「(今、元の世界に戻りたいと言ったら……マオはどんな顔をするでしょう)」
ここまで手厚く寵愛してくれているのだから、きっと今よりもっと暗い顔にさせてしまうだろう。
自惚れるのはよくないが、惚薬のせいでマオが好意を寄せてくれている可能性もあるとわかった今、下手なことをして傷つけたりするのをなんとか回避したかった。
「……それだけ伝えに来た。失礼する」
マオは吐き捨てるようにそう言うとすぐに踵を返し、扉の取っ手に指を添える。
「マオ」
びくっ。と大きく肩が跳ねる。肩越しに振り返るマオの虹色の瞳を見つめながら、浮遊するあたたかい灯りを放つ水晶に触れる。
「これ、とても綺麗な灯りですね。……ありがとうございます」
灯りが急に強くなったかと思えば、またすぐに元の明るさに戻る。どうやらこの水晶はマオの感情と同調しているらしい。なら、このあたたかさはマオのものだ。
マオは何も言わずに部屋から逃げるように去っていった。
「今夜はよく眠れそうです」
魔王という肩書きを無しにすれば、年頃の恥ずかしがり屋の初心な年下の男の子。丁寧に触れ合わなければ、意図も容易く傷つけてしまう。マオに邪な感情を抱いたことはないが、一度でも淫らな夢に出演させてしまったことを恥じる。マオが自分に寄せているかもしれない好意は惚薬によるまやかしで、マオが望んでいる心ではない。
二度とマオの夢は観ない。
レイスはそう心のなかで固く決心する。
扉を勢いよく閉めて、肩で呼吸をしながら背にある扉にもたれかかる。
「――ッは、あ。はあ」
顔を真っ赤にさせて、呼吸を整えようと必死に目を見開いている。開かれた虹色の瞳は揺れ、口元を覆う手は微かに震えている。
「…………っ、上手く話せたはずだ。おかしなことは言っていない……大丈夫……」
小さな声を押し殺すように出し、ぎゅうっと目を瞑る。自身を落ち着かせようと息を深く吸い込むが、心拍数は上がる一方だ。
初恋の相手が目の前にいる。それに緊張しない者はいないだろう。
マオとは過去に出会ったことがあるのを、レイスは覚えていない。名前も覚えていなかった。マオに施してくれた魔法のことも、くれた魔法薬のことも、虹色の瞳が綺麗と言ってくれたのも、きっと覚えていないんだ。随分永い時間がかかってしまったのだから仕方ない。それでもいい。本当は少し寂しいけれど。幼かった自分の事など覚えてるはずは無い。
「すきだ」
感情を言葉にすれば、情けなさに涙が出てくる。
「すきだ。レイス」
部屋に入る前にたくさんシュミレーションしたときの自分はもっと大人で、もっとレイスの瞳を見てうまく話せているはずだった。少しロマンチックな雰囲気を作って、甘い言葉を伝えたりなんかして。肩に触れて、髪を撫でたりもしたかった。もっとうまくできるはずだった。想像での自分は、もっと"かっこよかった"
だがあのエルフの美しさを前に足が竦んでしまった。いつ見ても美しくて、いつまでも色褪せない姿。何度も練習したはずなのに、少しの甘い言葉も出てこない。くちから溢れてくるのはいつも余裕の無い子どもっぽい台詞だ。
「…………かっこ悪い」
レイスの前ではかっこよくありたい。
あわよくば好きと言われたい。
出会ったその日から、ずっとずっとそんなことばかりを考えている。
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