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第4章 魔族の住む世界

蹂躙

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『ルールはいつも通り、いたってシンプル。場外に出るか、降参あるいは死んだら負け! それでは両者、位置について!』

 位置……あ、この線のことかな。

 俺たちはそれぞれ、大股1歩分くらいの間隔で引かれた線のところに立つ。

 いよいよだ。
 剣を抜き、構える。

 対するゴダーさんは武器を持っておらず、代わりに手にごつごつとしたグローブを付けていた。
 関節部分に尖った鉄の装飾もある。

 おそらく、バサークのような体術を用いた戦法を使ってくるのだろう。
 万が一にも油断はできない。

 そしてついに、開始の号令がかかる。

『はじめ!』

 シハクさんがそう言い終えるが早いか、ゴダーさんが正面から突進してきた。

 巨体に似合わない素早さに驚きつつも、俺はひらりと躱す。
 すぐに身を翻し、次いで繰り出された拳もいなしてから、後退して距離をとった。

 おお……と周囲から感嘆の声が聞こえてくる。
 みんな俺が初撃で沈むと思っていたのだろう。

「さすが雑魚種族、逃げ回るのだけは上手いな!」

「それはどうも」

 体勢を整えながら俺は考える。
 はてさてどうやって勝とうか。

 ゴダーさんはきっと降参なんてしないだろうし、殺さないように手を抜いて……なんてできるほど、俺に余裕があるわけでもない。
 殺すのは論外、となれば必然的に残る選択肢は「場外に出す」だ。

 あの巨体を押し出すのは困難だろうが、やるしかない。
 魔法を使ってなんとかしよう。

 俺は息を吸って、吐いて、意識を集中させる。
 中心からだんだん端の方まで巡らせていく感じ……。

 と、再びゴダーさんが突っ込んで来る。
 今だ、と俺は迎え撃つように、剣の柄を突き出した。

「うおっ!?」

 手ごたえは良し。
 ゴダーさんは弾き返され、反動でよたよたと後ずさる。

 いいぞ、掴めてきた。
 このまま一気に場外まで押し切ろう――と追撃するも、現実はそう甘くはなく。

「舐めんじゃねえ!」

「わっ」

 ゴダーさんが繰り出した拳に、今度は逆に俺が押し負けてしまった。
 ふらついたところに打ち込まれる連撃を、すんでのところで避ける。

 そうか、相手は魔法に長けた魔族。
 彼もまた、俺と同じように魔力で己を強化しているのだろう。
 それを上回るほどの魔法を使わないことには、勝ち目は薄い。

 俺は慎重に慎重に、魔力の出力を上げていく。
 大きな瓶から小さなカップに水を注ぐように、少しずつ。

 魔王の力を全部使いなんてしたら、ゴダーさんはおろか、観客や闘技場自体もどうなるかわからない。
 そもそも俺はまだ、力を完璧に制御できるわけじゃないし。

 だから今の俺に扱える、ギリギリまで。

「オラァッ!!」

 ゴダーさんが接近し、懐に潜り込んで来る。
 顔目がけて飛んでくる拳を回れ右で避けてから、俺は渾身の一発を彼の横腹に叩き込んだ。

「ぐげっ」

 潰れたような声と共に巨体が吹っ飛び、周りからわっと歓声があがる。
 場外までは届かなかったが、あと一歩というところだ。

 舞台端に横たわるゴダーさんは目を白黒させ、わなわなと震えている。
 どうやら上手く起き上がれないようだった。
 ……なんかヤバいとこを傷付けちゃったりはしてないよね?

 まあちょっと卑怯くさいけど、今のうちに外に出してしまおう。

 俺は念のため剣を持ったまま、ゴダーさんに歩み寄る。
 殺せ、やっちまえ、とかいう観客たちの声は無視だ。

 ああでも、きっとブーイングの嵐になるだろうな。
 シハクさんは怒るだろうか。
 いや、最初に言ってたルールに則っているんだから、悪いことではないはず。

 そうして俺はゴダーさんの傍らにしゃがみ込み、彼を動かすべく両手を巨体の下に差し込もうとした。

 した、のだが。

 にわかに足の力が抜ける。
 がくん、と膝から崩れ落ち、地面に手をついた。

 なんだ、何が起きた?

 剣を突き立てて立ち上がろうとするも、腕にも力が入らない。
 倒れ込まないように体を支えるので精一杯だ。

 そうこうしているうちに、ゴダーさんがゆっくりと起きだす。
 マズい、形勢逆転だ。

「人間ごときが……よくもやってくれたな……」

 彼は人間風情に負かされかけたことに、怒り心頭のようである。
 鼻息を荒くしながら立ち上がり、俺の襟首を掴み上げた。

 なんとか逃れようとするも、ろくに動かない手足では抵抗のしようがない。
 俺は糸の切れた操り人形のように持ち上げられる。
 観客たちは、いよいよだとでも言わんばかりに沸いた。

「へへっ……こんな薄っぺらな体のどこにあんな魔力隠し持ってやがったんだ?」

 ゴダーさんは右手を襟首から放し、代わりに左手で直接首を掴む。
 それなりに緩く加減されてはいるが、喉が絞まって苦しい。

「さあ、野郎共お待ちかねの蹂躙タイムだ!」

 心の底から楽しそうな声と同時に、鋭い打撃が腹にめり込む。

「っあ……!」

「よおし、まだ生きてるな? どんどんいくぞ!」

 続けて2発、3発と拳が飛んで来た。
 素の威力もさることながら、グローブの棘が刺さって皮膚が破れ血が滲む。

 何発目かで、かろうじて握っていた剣が手を離れて地に落ちた。
 手足が自分のものじゃないみたいで、もう全然動かせない。
 なのに痛覚は健在だ。

「ううむ、軽すぎて上手くサンドバックにならねえなあ」

 しばらくすると、ゴダーさんはそう言って首を捻った。

「そうだ、こうすりゃいい」

 かと思うと、ふいにパッと手を放す。
 俺は受け身も何も無くべちゃりと落下した。

 ゴダーさんは転がる俺を足で小突き、仰向けにする。
 そしてその丸太のごとき足を掲げ、思い切り俺に振り下ろした。

「あ、がっ……!」

 空気が絞り出されるような声が出る。
 めり、と体の中で嫌な音がした。

「ははははは!」

 何度も、何度も。
 ゴダーさんが足を振り下ろすたびに、どっと笑いが起きる。

 駄目だ、このままじゃ負ける!

 俺は死に物狂いで魔力を巡らせ、ゴダーさんがさんに向かって地面から氷の柱を生やした。
 生やした、というよりやってみたら出てきたのがそれだった、の方が正しいが。

 依然として体は動かないが、どうやら魔法なら発動させられるみたいだ。
 しかし次の魔法を繰り出すより早く、ゴダーさんの蹴りが飛んでくる。

「っ!」

 蹴りはきれいにみぞおちに入り、俺は棒切れのように舞台上を転がった。

「……っ…………!」

 息ができない。
 空気を取り込もうと口をはくはくとさせるが一向に吸えない、吐けない。
 頭の中が真っ白になる。

「打ち上げられた魚みてえになってら」

 ゴダーさんが言うと、また笑いが巻き起こった。

「無様ったらありゃしねえな!」

 彼はのしのしと近付いて来る。

 もう一度だ、もう一度魔法を。
 そう思うけれど、痛みやら何やらで魔力を操作することもおぼつかない。

 みんなが待ってるんだ。
 ジギを仲間にして、魔王と戦わなきゃいけないんだ。

 必死になっている俺がよほど面白いのか、観客たちは最高潮に盛り上がっている。

 ゴダーさんが俺の前でぴたりと止まった。

「なかなかしぶとくてよかったぜ、人間」

 足をひときわ高く掲げる。
 これでとどめを刺すつもりだと、言われなくてもわかった。

 早く、早く魔法を撃て。
 力加減なんて言っている場合じゃない。
 なんでもいいから、とにかく!

 ――そこで、俺の意識はぷつりと途切れた。
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