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Allegro ~まりぃ~
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宇宙のどこかにある小さな商店街の片隅にあるレトロな喫茶店GRAVITYのさらに奥の片隅にはこれまたレトロなアップライトピアノが置いてあります。
以前はアルバイトに来ていた学生さんが弾いていたこともあります。
ここ数年は誰も触れることがありませんが調律だけはしっかりしてあります。
「マスター、こんにちは。オムライスとミルクセーキをお願いします」
「まりぃさん、いらっしゃいませ。オムライスは昔ながらのケチャップが掛かったものと、最近始めたデミグラスソースのトロふわのオムライスがございますがどちらにいたしましょう?」
「トロふわでお願いします!」
チキンライスではなくベーコンと刻んだ野菜を入れて軽く炒めたバターライスの上に、卵黄と泡立ててメレンゲ状にした卵白と牛乳を軽く合わせたオムレツを乗せてデミグラスソースをたっぷりかけます。
「マスター、これとっても美味しい。ソース、時間かけてるんですね。私、自分でも煮込みのお料理するのが大好きなんです」
「それはありがとうございます。まりぃさんに褒めていただくととても嬉しいです。今ミルクセーキをご用意いたします」
実は当店のミルクセーキはとても複雑な工程を経て出来上がります。詳しいことはお教えできないのですが、ほんの少しのブランデーとバニラアイスを使って玉子の風味を消して2つのカクテルシェイカーで作っております。もちろんこんなに面倒なレシピを考案したのはあの男、ミドルです。
「今日はミドルは来ないのかしら?」
「この時間はあまり見えませんね。ランチの時間帯は混雑するので遠慮しているのだと思います」
「そうよね。だからこの時間を選んだの。だって今日はマスターに相談があって来たの」
「何でしょう?ミドルではなく私にですか?」
「あのピアノずっと気になっていたの、私に弾かせてほしいの。ちょっと音を確かめていい?」
「もちろんどうぞ。お好きなだけ弾いてくださいませ」
まりぃさんはピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けました。
「さっきまで誰かが弾いていたようにきれいなピアノですね」
「もう何年も誰も触れていないのですが調律だけは欠かさずにしております」
まりぃさんは鍵盤ひとつひとつを確かめながら音を出していきます。
「古ぼけて見えるけど枯れてないのね。何だかあの人みたい。ねえマスター、こんな麗らかな春の日にお客様に集まっていただいてちょっとしたピアノコンサートなんかどうかしら」
「それは素敵な!演奏の後、ティーパーティーなどもいかがでしょう?」
コンサートの話しはすぐにまとまりました。開催するのは今週の日曜日の午後2時からです。私はその日からいつも来ていただいているお客様に声を掛けました。
コンサートの前日の夜、店はいつもより少し早仕舞いをして明日の準備を始めました。
私はお菓子の準備。テーブルの移動や照明のセッティングはミドルにお任せしました。
その間に調律師さんが入り、まりぃさんもリハーサルをしています。
楽譜を広げたまりぃさんが
「ねえ、ミドル、これどんな意味かわかる?」
「ん?Allegro? なんだか音楽の授業で習ったような気がするな。急げとか速くみたいな感じだったかな?」
「惜しいな、ちょっとニュアンスが違うの。AllegroはHAPPYな感じ。楽しいことを目の前にしてウキウキして小走りで駆け寄っていくの。その時の息遣いのテンポがAllegroよ。息は自分の心って書くでしょ。楽しい時、悲しい時、緊張してる時、息は心を表すリズムなの」
「そうだな。その通りだ」
「ここ、音が出ないように静かに押さえて」
まりぃさんはミドルの手を取り、ピアノの真ん中のドの鍵盤に持っていきました。
「いい? そのまま押さえていて」
まりぃさんは1オクターブ低いドの鍵盤を短く弾いて音を出しました。
「なんだ? なんだか不思議な音が出た。俺の鍵盤からも音が鳴ってるみたいな感じだぞ」
次にまりぃさんは、レ、ミ、ファと次々に鍵盤を弾いていきます。先ほどとは違って自然な音しか聞こえません。
「今度は指を離して」
まりぃさんは再び1オクターブ下のドの鍵盤を短く弾きました。
「う~ん、なんとなくわかった。不思議な音の秘密もまりぃさんが言おうとしていることも」
「音の秘密はもちろんあるし、説明だってできるわよ。でも私が言いたいことってなあに?」
「不思議な音の秘密は周波数の何とかみたいなことだろ?同じ長さの弦が2本あると片方が揺れたら、もう片方は触れなくても自然に揺れる。まったく同じじゃなくても長さが半分だったり倍でも同じことは起こる。偶然じゃなく物理の問題だ」
「そうね。倍音って言うのよ」
「楽器だけの話しかい?人間の気持ちも同じって言いたいんだろ?同じ息遣いの同じハートの人がそばにいたら共感して共鳴し合ってまた新しい音を奏でる。それをな、波長が合うって言うよな」
ハンマーに弾かれた弦が震え、空気を振動させたのが音です。
心の震えも目に見えませんが何かを伝えるのかもしれません。
まりぃさんはもう一度ミドルの分厚い手を取り、真ん中のドの鍵盤の上に静かに置きました。
私はしまい忘れた看板を片付けに店の外に出ました。
明日のコンサート、私の心は今からAllegroです。
心弾む春、ミドルの心臓はPrestoでしょうか?それともPrestissimoでしょうか?
本日もご来店ありがとうございました。
それではまた……、ごきげんよう
以前はアルバイトに来ていた学生さんが弾いていたこともあります。
ここ数年は誰も触れることがありませんが調律だけはしっかりしてあります。
「マスター、こんにちは。オムライスとミルクセーキをお願いします」
「まりぃさん、いらっしゃいませ。オムライスは昔ながらのケチャップが掛かったものと、最近始めたデミグラスソースのトロふわのオムライスがございますがどちらにいたしましょう?」
「トロふわでお願いします!」
チキンライスではなくベーコンと刻んだ野菜を入れて軽く炒めたバターライスの上に、卵黄と泡立ててメレンゲ状にした卵白と牛乳を軽く合わせたオムレツを乗せてデミグラスソースをたっぷりかけます。
「マスター、これとっても美味しい。ソース、時間かけてるんですね。私、自分でも煮込みのお料理するのが大好きなんです」
「それはありがとうございます。まりぃさんに褒めていただくととても嬉しいです。今ミルクセーキをご用意いたします」
実は当店のミルクセーキはとても複雑な工程を経て出来上がります。詳しいことはお教えできないのですが、ほんの少しのブランデーとバニラアイスを使って玉子の風味を消して2つのカクテルシェイカーで作っております。もちろんこんなに面倒なレシピを考案したのはあの男、ミドルです。
「今日はミドルは来ないのかしら?」
「この時間はあまり見えませんね。ランチの時間帯は混雑するので遠慮しているのだと思います」
「そうよね。だからこの時間を選んだの。だって今日はマスターに相談があって来たの」
「何でしょう?ミドルではなく私にですか?」
「あのピアノずっと気になっていたの、私に弾かせてほしいの。ちょっと音を確かめていい?」
「もちろんどうぞ。お好きなだけ弾いてくださいませ」
まりぃさんはピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開けました。
「さっきまで誰かが弾いていたようにきれいなピアノですね」
「もう何年も誰も触れていないのですが調律だけは欠かさずにしております」
まりぃさんは鍵盤ひとつひとつを確かめながら音を出していきます。
「古ぼけて見えるけど枯れてないのね。何だかあの人みたい。ねえマスター、こんな麗らかな春の日にお客様に集まっていただいてちょっとしたピアノコンサートなんかどうかしら」
「それは素敵な!演奏の後、ティーパーティーなどもいかがでしょう?」
コンサートの話しはすぐにまとまりました。開催するのは今週の日曜日の午後2時からです。私はその日からいつも来ていただいているお客様に声を掛けました。
コンサートの前日の夜、店はいつもより少し早仕舞いをして明日の準備を始めました。
私はお菓子の準備。テーブルの移動や照明のセッティングはミドルにお任せしました。
その間に調律師さんが入り、まりぃさんもリハーサルをしています。
楽譜を広げたまりぃさんが
「ねえ、ミドル、これどんな意味かわかる?」
「ん?Allegro? なんだか音楽の授業で習ったような気がするな。急げとか速くみたいな感じだったかな?」
「惜しいな、ちょっとニュアンスが違うの。AllegroはHAPPYな感じ。楽しいことを目の前にしてウキウキして小走りで駆け寄っていくの。その時の息遣いのテンポがAllegroよ。息は自分の心って書くでしょ。楽しい時、悲しい時、緊張してる時、息は心を表すリズムなの」
「そうだな。その通りだ」
「ここ、音が出ないように静かに押さえて」
まりぃさんはミドルの手を取り、ピアノの真ん中のドの鍵盤に持っていきました。
「いい? そのまま押さえていて」
まりぃさんは1オクターブ低いドの鍵盤を短く弾いて音を出しました。
「なんだ? なんだか不思議な音が出た。俺の鍵盤からも音が鳴ってるみたいな感じだぞ」
次にまりぃさんは、レ、ミ、ファと次々に鍵盤を弾いていきます。先ほどとは違って自然な音しか聞こえません。
「今度は指を離して」
まりぃさんは再び1オクターブ下のドの鍵盤を短く弾きました。
「う~ん、なんとなくわかった。不思議な音の秘密もまりぃさんが言おうとしていることも」
「音の秘密はもちろんあるし、説明だってできるわよ。でも私が言いたいことってなあに?」
「不思議な音の秘密は周波数の何とかみたいなことだろ?同じ長さの弦が2本あると片方が揺れたら、もう片方は触れなくても自然に揺れる。まったく同じじゃなくても長さが半分だったり倍でも同じことは起こる。偶然じゃなく物理の問題だ」
「そうね。倍音って言うのよ」
「楽器だけの話しかい?人間の気持ちも同じって言いたいんだろ?同じ息遣いの同じハートの人がそばにいたら共感して共鳴し合ってまた新しい音を奏でる。それをな、波長が合うって言うよな」
ハンマーに弾かれた弦が震え、空気を振動させたのが音です。
心の震えも目に見えませんが何かを伝えるのかもしれません。
まりぃさんはもう一度ミドルの分厚い手を取り、真ん中のドの鍵盤の上に静かに置きました。
私はしまい忘れた看板を片付けに店の外に出ました。
明日のコンサート、私の心は今からAllegroです。
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本日もご来店ありがとうございました。
それではまた……、ごきげんよう
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