上 下
5 / 104
1章

5――黒田――

しおりを挟む
 簡易的な引越しが済んで、黒田は自身の持つ家に帰宅する。すると、「おかえり」の声が聞こえない。久しく返答のない家を感じながら、リビングに移動すると、パソコンを開いたままの田淵が鼻提灯を作っているかのような寝息を立てていた。

 柔らかな髪を黒田は堪能し、「商売道具をほったらかしにしちゃって」と八の字眉を作る。
 無防備であどけなさを感じさせる男が黒田より5個も年上で、しかもアラサーであるなどちょっとした詐欺だとさえ思うのだ。

「風邪、引くからあっちのベッド行こ?」

 一応の声かけは今から田淵を抱き上げる口実に過ぎない。脇に手を差し込んで突っ伏して寝てる田淵とテーブルを引き剥がす。
 
 「脱力した人間でもこんなに軽いなんて——女でもそうそうない軽さだよこれ」見た目通りの感想だが、彼の重さを体感する。近くにいながらできなかったので、密かに歓喜する。
 引きこもりをしていた彼の体に筋肉という類の装備はしていないらしく、抱き上げた時の骨張った節々が黒田に刺さる。配達ボックスまで設置していたのだから、たったの幾秒さえ外気に触れることを恐れたのだろう。

 だからこそ、黒田宅へ引き込む手段が限られていて、失敗はあまり芳しくない状況であった。彼にとっても、一度外へ出向かせてしまうので、彼を思えばこそ自重すべき方便だった。
 
 ——だが今更だ。

 ベッドの上に下ろすと、田淵は細い腰で描く曲線美を黒田に無意識に魅せつける。無論、下半身が疼きを通り越して痛みを与えてくる。
 
 「自制心、自制心、自制心……」と唱えて心頭滅却する。なんとか隣に寝転んで、手を出しそうな信頼のない自身の手は頭部の枕にしてしまう。
 だが、そのような苦肉の策は、欲の前にして無様であった。

 そっと、田淵の顔を抱き寄せる。

「んふふ! ありがとう——」

 喉を鳴らして時期尚早の欲も嚥下できたらどれほど良かっただろう。

「キス、だけなら……まだ許される、よね」

 どうしても我慢ならなかった。否、唇に触れるだけに留められたことに焦点を当ててみれば奇跡に近い。この場で起き抜けに襲うこともできたが、それをしなかった——したかった。
 社交性の低い田淵から、この短期間で勝ち取った信頼を手放すことは惜しいのだ。
 
 さながら奥手な恋愛初心者の若造のように、緊張で震える唇。黒田にとってその緊張がドギマギからくるモノではない、邪で濁った感情も入り混じっているモノを必死で抑えているのは言うまでもない。
 ——大丈夫、大事にできる。

 「このまま引きこもって、俺だけ見てればいいからね。——あんな気持ち悪い目にあいたくないなら、ね?」黒田はニヒルに笑って見せる。
 
 翌朝、田淵は間抜けな顔を晒して飛び上がる。その反動で黒田も微睡む眼擦り「おはよう」と目を覚ます。

「え、と。ごめん、寝落ちしてた」
「ううん大丈夫だよ。仕事してたんでしょ? お疲れ様」

 未だ寝転んだままの黒田は、にゅ、と腕を伸ばして田淵の髪を乱した。申し訳なさそうにさらに体を丸めているので、「いいのいいの!」井戸端会議を得意とする主婦がよくやる手つきで、「おいで」の合図を振る。
 そして、つけ込む隙間を見つけて「でも、部屋の鍵預かって俺が入ったんだけどさ……やっぱり田淵さんがいなくて良かったって、心底思っちゃった」と思惑と事実のパラドックスが田淵を簡単に不安へと誘う。

「隠していてもいずれ聞かれると思って……。オブラートに包んだつもりだったけど、まだ全然気持ち悪いよね」

 黒田も田淵と目線を合わせたくて、体勢を変えて自身の胸で隠しながら抱き寄せた。「不法侵入までされてて、服、ダメになってたから……俺が捨てといた。だから、心配する必要ないよ」。

 笑いがこみ上げて今にも高笑いしそうになる。
 そんな堪えている顔を見られるわけにはいかない。

 「乾いていたとは言え、洗ったところで嫌悪感増すだけでしょ? 大丈夫。俺が足りない服、揃えておくから」。背中をさすりながら、小刻みに揺れる指先を懸命に温める田淵を宥めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美形な幼馴染のヤンデレ過ぎる執着愛

月夜の晩に
BL
愛が過ぎてヤンデレになった攻めくんの話。 ※ホラーです

【完結・短編】もっとおれだけを見てほしい

七瀬おむ
BL
親友をとられたくないという独占欲から、高校生男子が催眠術に手を出す話。 美形×平凡、ヤンデレ感有りです。完結済みの短編となります。

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

平凡腐男子なのに美形幼馴染に告白された

うた
BL
平凡受けが地雷な平凡腐男子が美形幼馴染に告白され、地雷と解釈違いに苦悩する話。 ※作中で平凡受けが地雷だと散々書いていますが、作者本人は美形×平凡をこよなく愛しています。ご安心ください。 ※pixivにも投稿しています

【完結】私立秀麗学園高校ホスト科⭐︎

亜沙美多郎
BL
本編完結!番外編も無事完結しました♡ 「私立秀麗学園高校ホスト科」とは、通常の必須科目に加え、顔面偏差値やスタイルまでもが受験合格の要因となる。芸能界を目指す(もしくは既に芸能活動をしている)人が多く在籍している男子校。 そんな煌びやかな高校に、中学生まで虐められっ子だった僕が何故か合格! 更にいきなり生徒会に入るわ、両思いになるわ……一体何が起こってるんでしょう……。 これまでとは真逆の生活を送る事に戸惑いながらも、好きな人の為、自分の為に強くなろうと奮闘する毎日。 友達や恋人に守られながらも、無自覚に周りをキュンキュンさせる二階堂椿に周りもどんどん魅力されていき…… 椿の恋と友情の1年間を追ったストーリーです。 .₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇.ෆ˟̑*̑˚̑*̑˟̑ෆ.₊̣̇ ※R-18バージョンはムーンライトノベルズさんに投稿しています。アルファポリスは全年齢対象となっております。 ※お気に入り登録、しおり、ありがとうございます!投稿の励みになります。 楽しんで頂けると幸いです(^^) 今後ともどうぞ宜しくお願いします♪ ※誤字脱字、見つけ次第コッソリ直しております。すみません(T ^ T)

「アルファとは関わるな」

COCOmi
BL
ゲイのイケメン弟α×弟の好きな人と寝てしてしまった兄β(notクズ) ゲイである優秀なαの弟をもつ空は、流れで弟の好きな人と性行為をしてしまう。 あるとき、それがバレてしまった空は弟を裏切った償いとして、アルファとは関わるなという制約を立てられる。しかし、その決まりには弟の思惑と執着が隠れていた---。 半ば強引に完結させたので、どんなオチでもいいという方向け。どちらかというとメリバ。 小説ページの下部に拍手設置しました!匿名コメントも送れますので感想など良かったらよろしくお願いします! ムーンライトノベルにも掲載しています→ https://novel18.syosetu.com/n3361fx/

目を開けてこっちを向いて

COCOmi
BL
優秀で美しいヤンデレα×目を合わせるのが苦手な卑屈Ω。 目を合わせるのが苦手なΩの光は毎日やってくる優秀で美しいαの甲賀になぜか執着されている。自分には大した魅力もないのになぜ自分なのか?その理由もわからないまま、彼に誘われて断ることもできず家へ行ってしまう…。 ---目を合わせたら全ては終わり。そこは奈落の底。 過激な表現や嘔吐シーンありますのでご注意ください。

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

処理中です...