愛心

ヤキモチ妬きな女神様

胡桃 3

「【運命】だったって」

　疲れた声でそう言った光流の周りには賢志君もいるし、兄だって静流さんだっているのだから大丈夫だと分かっていても心配になるのは光流に幸せになって欲しいから。

　付き合いが深くなるにつれて色々と話をしてくれるようになった光流は話しにくいこと、婚約解消の話も私にしてくれた。

　彼のことが本当に好きだったこと。

　だけど、彼には光流以外に大切な人ができてしまったこと。

　少しの誤解と少しの悪意が2人が離れる原因になってしまったこと。

　ちゃんと話をしてくれたらもっと違う関係が築けていたのかもしれないのにと光流は言うけれど、そんな優しさに付け込まれたのだと言ったのは兄だった。
　周囲は光流が思うよりも以前から婚約者の不貞に顔を顰めていて、光流が助けを求めれば直ぐにでも動こうとしていたのは兄だけではなかったと教えらる。
　その頃には兄が私に話さなかったこと、挑発フェロモンのことも理解していたからきっとそういうことだったのだろう。光流自身、それを教えられた時には彼の心は完全に自分から離れていたと自重気味に言ったけれど、彼の心は離れていても光流の心はそんな時にも彼を気遣い、彼に寄り添っていたのだろう。

　そして、それが〈sleeping beauty project〉を公にするきっかけになったこと。

　睡眠欲が高まるだけのヒートなんて本当にあるのか、本当は自分とヒートを過ごすことを拒否するための妄言なのではないか。だって、光流の近くには常に極上のαがいるのだから。
　それが元婚約者の言い分。
　静流さんと同級生でもあった婚約者は、常に彼に対して劣等感を抱いていたせいで必要以上に拗れてしまったと言われてしまうと心苦しくもなるけれど、それでも光流を疑い、傷付けたことは容認できることではない。
　光流の彼に対する眼差しと、静流さんに対する眼差しの違いに気付けなかったのは………近すぎる故のことだったのだろうか。

　ただ、静流さんに嫉妬するその心情は分からないでもないとも思ってしまう。
　私だって、身近に極上のΩがいるのだ。アクティブでアグレッシブで、Ω性を理由に逃げることなく突き進む兄は憧れでもあるけれど、囲われることを甘んじて受け入れた時点で【自分とは違う】のだと自分に言い聞かせた。だって、私は兄にはなれないのだから。

　同じΩ性であっても性別が違ったし、年が離れているのも良かったのかもしれない。ただ、私の婚約者と兄は年が近く、公の場で接することも多いため私の知らない兄の様子を聞かされる度に言いようのない焦りを感じることはあった。

　本当は兄のようなΩが良かったのではないか。
　兄のようなΩを求めて私を選んだのに当てが外れたせいで、私を公の場に連れて行くことを厭って囲うことにしたのではないか。
　本当は私じゃなくて、兄が欲しかったのではないか。
　兄は、かなり早い段階で義兄と番ったため諦めきれずに私で妥協したのかもしれない。

　そんな私の気持ちは直ぐに気付かれてしまったのだろう。
　兄と義兄に連れられた情けない顔をした婚約者は、「誤解だからっ‼︎」と私の憂いを取り除いてくれた。

　囲うのは誰にも見せたくないから。
　兄のことはΩであっても友人としてしか見たことがないこと。
　何よりも、兄の側にいたいから私を選んだのではなくて、兄の側にいたから誰よりも早く私のことを囲うことができたと断言したことで、兄と義兄に生ぬるい目で見られてしまっていたことが私を喜ばせた。

「ごめんね、胡桃が楓みたいに外に出たいって言っても許してあげられない。
　番になってしまえばもう少し自由にしてあげられるのかもしれないけれど、それでも本当は外に出したくない」

　なんて殺し文句だろう。
　
　きっかけなんて、本当に些細なものなのだろう。

　私にとってのきっかけは、兄と義兄だった。
　光流にとってのきっかけは、まだ知り合っていない私の兄と安形さんだった。
　そして、光流の元婚約者のきっかけは光流じゃないΩだっただけのこと。

　疑心暗鬼になっていた時に「そんなヒート、聞いたことがない」と言われてしまったら。そして、それを言ったのが自分が大切に思う相手だったとしたら。
　きっと、元婚約者を動かすきっかけとしては十分過ぎるものだったのだろう。

　私は光流の姉であり、友達でもあるのだから元婚約者とそのお相手に対しては憤りしかない。ただ、人の心なんてそんなものなのかもしれないとも思ってしまう。

　私自身、パートナーが嫌がるため兄や光流のように他との交流があるわけじゃない。だからパートナーや兄の言うことを疑うことはないし、光流の言っていることも疑う余地はないと思っている。
　私の中で光流が1番善良、と言うか1番大切にされているΩだ。そんな光流だから人を疑うこともしないし、人を騙すなんて考えたことも無いだろう。

「僕だって、人を憎むことも、恨んだり羨ましいと思ったりもするよ」

　私の言葉にそう答えた光流だったけど、そんな光流だからこそ信じられるし、大切にしたいと思ってしまう。
　そんな人間臭さを時折見せるからこそ、自分のことを信じて受け入れてくれていると分かるからこそ築くことのできた関係でもあるのだから。

　パートナーに守られ、兄に守られ、ぬるま湯に浸かったまま人生を終えることになるはずだった私にそれが絶対では無いと教えてくれたのも光流だった。
　それは光流にとって辛い出来事だったはずなのに、「胡桃とこんなふうになれたのはアレがあったからだし」と笑えるほど強くなった光流は、それでも恋愛に臆病になっていた。

「良かったの？
【運命】だったんでしょ？」

「良いも悪いも、パートナーがいるのに【運命】って言葉だけで相手を欲するのも、相手から求められるのも気持ち悪い」

「気持ち悪いって、【運命】ってでも、そんなもんなんじゃないの？」

「じゃあ、胡桃は【運命】が目の前に現れたら彼から離れて【運命】に乗り換えられるの？」

「………私は、そうね。
　ごめん、【運命】に会ったことないけど………相手がどんな人でも嫌かも。
　それに、彼に【運命】が現れたからって言われても………耐えられないし、諦められない」

「だよね。
　【運命】とか、盛り上がった本人同士は幸せかもしれないけど、残されたパートナーのことは考えないのかな？」

「【運命】だから仕方ないって許されると思うんだろうし、許すしかないのかもね、そうなっちゃうと」

「僕は気持ち悪いと思ったし、話してくれたあの娘を泣かしてまで会いたいとも思えなかったけどな」

「それはきっと、光流が人を思いやれる人だからなんじゃない？」

　そう言った私に「それを言うなら胡桃だって」と微笑んだけれど、私の場合は彼同伴じゃないと外出もままならないのだからそもそも【運命】と出会う機会もないし、出会ったとしても彼がなんとかしてくれるだろう。
　それに、彼と番った私が【運命】に気付くことはもうないのだから今更だ。

　【運命】と出会えばもしかしたら光流も自分の幸せをまた考えられるようになるかもしれない、そんなふうに思っていたけれど、なかなか上手くいかない。
　誰かを紹介したいと思っても、海外にいる私にはそれも難しいし、兄や静流さんも光流のパートナーとして良さそうな人は紹介しているけれど、本人に全くその気がないのだから仕方ないと呆れるほど。

　だから、光流から話を聞いた時には喜びと驚きと、よく分からない感情を抑えることができなくて。
　子どもが泣いたのはそんな私の感情を敏感に感じ取ったのかもしれない。

　そして送られてきた光流からの経緯を記したメッセージに小躍りしてしまったのはここだけの秘密。

〈光流、恋してる？〉

《わからない。
　けど、そうかもしれない》

〈かもしれない？〉

《かもしれない》

〈詳しく教えなさい〉

《会いたいと思う。
　メッセージが来ると嬉しい。
　メッセージが来ないと淋しい》

〈うん。他には？〉

《彼の作品が欲しくて仕方なかった。
　手に入れたら作った人に会いたくて仕方なかった》

　なんと答えればいいのか分からず、この甘酸っぱい気持ちを伝えたくて〈恥ずかしい〉と打って出てきたスタンプを取り敢えず送る。

〈それ、恋じゃなければ何だと思うの？〉

《…わかりません》

〈って事は？〉

《恋ですか？》

〈ですね〉

　これは、兄も知っているのかしらと疑問に思う。光流がひとりで交流を持つとは思えないし、恋だと自覚する程に思いを寄せるまで邪魔が入らないと言うことは、と顔がニヤけてしまう。

《胡桃、どうしよう》

〈何が？〉

《怖い》

〈どうして？〉

《また同じ事になったら…》

〈ならないよ〉

《何で？》

〈私がついてる！
　うちの兄さんだって。
　静流さんも安形さんも〉

　光流が自信を持てるように。
　今までずっも光流を見守って来た人たちの名前を羅列する。

〈賢志君も巻き込んじゃえ♪〉

　そして、今の光流に1番寄り添っている頼もしい番犬の名前。

〈その人のこと、誰が知ってるの？〉

《賢志と安形さんは一緒に会ってる。
　静流君は話はしてある。
　楓さんには次に会ったら話すつもりだった》

〈何で私に真っ先に教えてくれないの？！〉

　怒ったスタンプを送ったのは光流が話しやすいように。
　怒ってるわけじゃない。ただ、【恋】だと自覚する前に話してくれても良かったのにと少し拗ねただけ。

《ごめん。
　どう説明したらいいのかわからなくて…。
　メッセージだと伝えきれない》

《それに、口に出した言葉は目に見えないけど、メッセージだと残るから。
　残すのが怖かった》

　光流らしい言い訳に苦笑いが浮かぶ。
　だけど、こうしてメッセージとして残したということは覚悟ができたからだろう。

〈バンバン残して認めなさい！〉

　頑張れの意味を込めて、応援の意味を込めて、スタンプ付きでメッセージを続ける。

〈心配なことがあったら相談してほしい。
　友達でしょ？〉

　それに対して送られて来たのは《ありがとう》のスタンプだった。

〈本当は電話したかったけど、ごめんね。
　でも、教えてくれて嬉しかった〉

　そう送ってみるけれど、こうやって文字に残したことで光流の気持ちも固まったんじゃないのかしらとほくそ笑んでしまう。

《こちらこそ、聞いてくれてありがとう。
　…頑張ってみるね》

　その言葉に〈頑張って〉のスタンプを送ってメッセージを終える。

　そして新しく呼び出した相手に対してメッセージを送る。

〈光流の相手について詳細求む〉

　私は怒っているのだ。