愛心

佳乃

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運命の人

光流 2

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「ファブリックっていうと布だよね。
 やっぱり拘りとかあるの?」

 楓さんのことは警戒する必要はないと伝わったのか、それともその関係性を知るためなのか、そんな質問が返ってくる。

 〈ひよこが先か卵が先か〉ではないけれど、〈拘りがあるから好きになったのか、好きになったから拘るのか〉そんな言葉が頭に浮かぶ。
 
 ファブリックに興味があったから結斗さんの作品が気になったのか、結斗さんの作品が気になったせいでファブリックに興味を持ったのか。

 もともと嫌いではなかったけれど、自分で動いて手に入れようと思うほどの熱は無かった。与えられた物のデザインがしっくりこなくても、楓さんに相談すれば手に入る好みの品。
 それで満足していた。
 ファブリックだけじゃない。
 身につける衣類でさえ静流君任せで自分で選ぼうなんて思ったこともなかった。衣類に関しては静流君が〈好き〉な服を着せたがったせいもあるけれど、着飾るのが苦手な僕は与えられる物で満足していたせいで興味を持つことも無かった。
 静流君が僕の好みを知り尽くしているせいで〈嫌だ〉と思うような物を選ばれる事がなかったのも原因のひとつだろう。少し改まった席で着る服などは決まったところでオーダーしていたし、護君とはショッピングデートもした事はなかったし。学校帰りにカフェに、なんて事はあったけれど僕を〈外〉に連れ出すことを良しとしなかった護君との思い出は、大半が家で過ごした思い出ばかりだ。
 そう考えると今日のこれはショッピングデートになるのだろうかと嬉しくなるけれど、買ったのは…野菜だった。
 そんなことを考えてしまい、気を取り直して言葉を続ける。

「正直、結斗さんの染めたものを手にするまであまり気にしたことはなかったんです」

 意識しないと紬さんと言いそうになるせいか、結斗さんと呼ぶたびにまだ緊張してしまう。名前を呼ぶ時に確かめるように呼んでいることに気付かれていないかと隣を歩く結斗さんを見上げれば真剣に聞いてくれてはいるものの少し微笑んでいるように見えて、その柔らかな雰囲気に安心させられる。
 気恥ずかしくてすぐに視線を戻してしまったけれど、何を話しても受け止めるからと言われている気がして自然に言葉が溢れ出す。
 
「向井さん、家のことしてくれてる人なんですけど母とは違うけどいつも見守ってくれてる人で。僕のことは生まれた時から知ってくれてるから身の回りのものは何となく僕の好みで揃えてくれるんです」

 そう言って話し出した時に車に着いてしまった。

「乗って少し話す?」

 せっかく話す勇気を出したのに、と残念に思っているとそんな風に声をかけられて助手席のドアを開けられる。
 離された手が少し淋しかったけれど、それでもまだ話を続けたくて頷くことで意思表示をして先に車に乗り込む。

「忘れる前に、これ」

 運転席に座った結斗さんはそう言って紙袋を渡してくれる。袋の口から覗く桜色に自然に笑みが溢れる。母となった胡桃によく似合う優しい色合いが、赤ちゃんを抱いている時の表情と重なる。

「きっと胡桃も喜びます。
 あ、作品の代金」

 以前譲ってもらった時と同じ金額を用意したものの、永井さんからは学祭価格では安すぎると聞かされていたため〈適正価格〉を教えてもらってそちらも用意してある。
「自分の作品の価値はそれぞれなので、一般的にはこれくらいの金額を提示する人が多いって金額ですけど」と言っていたけれど、永井さんのアドバイスが無ければ見当もつかなかったし、そんな風に相談のできる相手が増えた事が単純に嬉しい。

「本当は要らないって言いたいけど、そうなると困るでしょ?だから前にも言ったけど、あの時と同じで良いよ」

 一応、金額の確認は取ってあったので〈いらない〉と言われた時には〈適正価格〉で準備した方を渡そうとも思っていた。だけど、改めてそう提示された金額ならばと先に用意しておいたポチ袋を取り出す。

「じゃあ、こっちで」

 あまり金銭的なことを言いたくないけれど、それでもどうしても言いたくて本当はもうひとつ代金を用意してあると告げてみる。金額を提示しておいて受け取ってもらえないようならば、適正価格で正式に買い取ろうと思ったのだと。

「永井さんに適正価格も聞いてみたんです。

 作品の価値は結斗さんの価値なんだから、本当はそれに見合った金額を払いたいけど…今日は甘えちゃいます」

 きっと結斗さんは結斗さんなりに自分の作品の価値を考え、大切に思い、それでも譲っても良いと思ってくれた気持ちが嬉しくて甘えてしまうことにする。
 自分から興味を持つ事はなかったものの、静流君のそばにいるせいで僕にだってそれなりに〈物を見る目〉は有るつもりだ。
 たとえ量販品を染めた物だとしても、結斗さんに付いてくる〈付加価値〉はなんとなく伝わってくる。
 明確に言葉で伝えることのできない作品の本質。学祭に出せばすぐに無くなるという結斗さんの作品は、それだけ〈何か〉を感じさせる魅了があるのだろう。

「綺麗」

 紙袋の中の作品、茜で染めた桜色の作品はふんわりと優しげに胡桃のことを待っているようだ。

「このストールを初めて譲ってもらった時に手触りが優しくて、それで素材としてのガーゼが気になって調べたんです」

 そっとストールに触れ、だけどこれは胡桃のものだと思い出してそっと袋の口を閉じる。これ以上触れてしまったら手放したくなくなってしまうかもしれない。結斗さんに会う口実に、と言うわけでもないけれど、胡桃に自分の好きなものを同じように好きになって欲しいと思ったのも本心。
 だけど、芽生え始めた結斗さんの作品を独占したいと思ってしまう気持ち。

 独占欲が叶えられなかった時に僕がどうなるのか、それがこれからの課題なのかもしれない。

「結斗さんは兄から僕の話を知らされたんですよね。
 sleeping beautyについては知ってますか?」

 ファブリックに興味を持った理由を告げようと思った時に、隠していては進めることのできない僕の希少ヒート。自分のヒートについて口にするのは憚られるけれど、静流君が送った資料で全て〈知った〉と言っていた。
 〈知っている〉ことを前提に話を続ける事もできるけれど、資料だけでは〈僕の気持ち〉は伝わらないだろう。
 その時に何があったのか、その時に僕が何を思ったのか。
 告げなくても察してくれるかもしれない。告げる必要はないのかもしれない。
 だけど、言葉を交わすことを諦めて駄目になってしまった護君との関係をなぞるような事はしたくなった。

 もしも告げたことで結斗さんが離れてしまったら、そんな不安はある。だけど、自分の想いが伝わらないまま続ける関係が上手くいくとは思えない。
 そして、もっと好きになった後で〈告げなかった事〉が原因で離れるようなことになってしまったら…今度こそ僕は目覚めることができないかもしれない。

 【この人なら大丈夫】

 自分のその気持ちを信じて言葉を重ねる。

「僕はΩとしては不完全で、ヒートの時も睡眠欲が高まるんです。普段は数日、短い時は1日で治るのに感情に引きずられると長引くこともあって、その時に僕が快適に過ごせるように環境を整えるようになったのがファブリックに興味を持ったきっかけでした」

 ヒートの話はデリケートなことだから口に出したことで〈誘ってる〉と誤解される事もあるけれど、口にしない事で疑われた経験があるせいで正確に伝えるために口にすることに戸惑いはない。
 だから寝具の素材にこだわるようになったきっかけ、母と向井さんが僕が快適に過ごせるようにと考えてくれた事をひとつひとつ伝えていく。
 その時に誤解がないようにと母が男性Ωである事と、向井さんがβの女性である事も伝える。以前、先生に言われたαの独占欲の話を思い出したからだ。

 僕の好みを熟知した2人の用意してくれるものは快適で、だけど色々な経験を積み重ねた光流には甘すぎるデザインも有り、そんな時期に知り合った楓さんに相談して自分好みのものを少しずつ増やしていった経緯を伝え、楓さんとの関係に疑問を持たれないように言葉を選ぶ。

「楓さんに相談するとデザインとか、素材とか、僕の好みに合うものを探してきてくれるから嬉しくて。
 そんなことを繰り返してる時に楓さんから自分好みのファブリックをプロデュースするのも面白いって言われたんです」

「楓さんは、かなりアクティブな人?」

「ですね。
 その時も進路について悩んでた時期で、胡桃、楓さんの妹にどうせ海外に行くんだから英会話を勉強しておくように言いながら、僕の進路についてもアドバイスしてくれたんです。
 色々考え過ぎて余計に悩んじゃったんですけどね」

 その時に資格について調べた事と、胡桃は今は結婚して海外で暮らしている事も伝える。胡桃にも会ってもらいたいけれど、それはまだ先のことになってしまうだろう。

「別に今すぐに動く必要はないけれど、資格をとっておけば将来的に役に立つこともあるからって言われて色々と資料請求もしたけど、興味があってもなかなか動けなくて。
 正直、自分のこれからの人生に興味が持てなかったんです」

 これは書類を読んだだけでは伝わらない僕の気持ち。護君との未来がなくなってしまった時に捨てようと思った僕の人生。

「もともと母を見て育ったせいで卒業した後は結婚して、家で過ごすのが幸せだと思っていたんです。
 あ、母と言ってますがうちの母は男性Ωです」

 向井さんの話をした時に伝えたような気もするけれど、その生き方を伝える時に重要なことなので重複してしまったと思いながらもそのまま話を続ける。

「だけど、当時の婚約者が外部の大学を受験するって聞かされて怖くなって…。
 同じ系列の大学なら静流君もいるし、周りも僕の存在を知っているから安心できたんです。
 でも外部だと静流君はいないし、僕たちの関係を知っていても邪魔をしようとする人もいるかもしれない。
 僕よりも優秀で、護君のことを支えてくれる人が現れるかもしれない。
 そう思ったら怖くなって、」

 離れてしまってから短くない時間が過ぎたし、これから共に過ごす未来は無いと理解している。それなのに思い出すと苦しくなる護君の事を口にした時、結斗さんは何を思っているのだろう。
 このまま話し続ける事で結斗さんの気持ちが僕から離れていってしまうのではないだろうか。
 不安な気持ちが湧き上がるけれど、それでも避けることのできない気持ち。

 傷付くとしても、今ならまだ浅い傷で済むのかもしれない。
 僕に人を想う気持ちを思い出させてくれただけで充分じゃないか。

 もしもの時を考えて自分にそう言い聞かせた時にそっと伸ばされた手が僕の手を包み込む。

 〈大丈夫〉

 声にならない言葉が聞こえた気がした。
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