初恋の行方

佳乃

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case 2 貴之

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『ねぇ、どういうつもり?』

 健琥の第一声はそれだった。
 律希からの連絡が途絶え、正直なところこのまま縁が途絶えるのだろうと思った頃に入った電話は律希ではなく、健琥からだった。
『あ、先ずは結婚おめでとう。
 相手は安珠さんだっけ。
 良かったね、初恋の相手だよね』
 俺の返事を待たずに健琥が言葉を続ける。その声に温度は無い。
『で、ケジメをつけることもなく結婚するんだ。
 まぁ、2人のことだから僕が余計なこと言うのも違うけど…ケジメつける気ないなら僕たちに関わらないでくれない?』
 何を言われているのか分からなかった。
『そもそも、自分から連絡してくるでもなくて親経由でとか、舐めてる?』
 そして、そこまで言われてやっと気付く。結婚式の招待状のことを言っているのだろうと。
「親経由とか、何のことがわからない」
 それでもあえて反論する。結婚式の招待状は送っているけれど、健琥にも律希にも送った覚えはない。そもそも、出席してもらえるかどうかの打診もしていない。

 律希からの連絡がなくなった後も季節は当然進んでいく。春休みに安珠との事を聞いたであろう頃から律希からの連絡は途絶えたままだった。
 怒るでも泣くでもなく、俺に感情をぶつけることのないまま断たれた連絡が律希の出した答えなのだろう。
 律希にとって俺は、きっとその程度の存在。

 その間にも安珠との付き合いは続き、4月から仕事を始めてからも毎日のように会いにくるし、時間があれば2人で過ごした。ただ、それまでもアシスタントとして美容室で働いてはいたものの、実際に美容師として働き始めると理想と現実は違うもので…。
 肌が弱かったのか、アシスタントとして働き始めてから悩まされていた手荒れは日々酷くなっていく。慣れればきっと良くなる、なんて楽観視していたけれどシャンプーや染毛で使う薬剤で荒れた手は治る前に悪化してしまう。皮膚科に行って処方された薬を使っても、水や薬品を触ってしまえば意味がない。
「理想と現実は違うね」
 ポツリと言った安珠が自分と重なる。
 律希や健琥には自分をよく見せたくて、次期社長としてやりがいのある仕事を任されているなんて言っていたけれど、現実はまだまだ見習いで。去年よりは多少は技術も身についたものの、まだまだ〈時期社長〉だなんて胸を張って言えるレベルじゃない。
 思うようにいかない仕事、溜まるストレス。それを発散するように重ねる身体。
 美味しいものを食べて、美味しい酒を飲んで。そうやって発散するのも楽しいし、互いの友人を交えて集まったりもしている。
 だけど、2人で部屋にいれば自然とそんな雰囲気になるし、それを咎める人もいない。

 だから、その結果は必然。

「貴之、もしかしたら出来たかも」
 そんな風に言われたのは年が明けてすぐで、〈20歳の集い〉のための準備で疲れ切った安珠を迎えに行った時に言われた言葉だった。付き合って1年の記念に旅行でも、と誘おうとした矢先に告げられた言葉。
 身に覚えがないなんて無責任な事は言わないし、見に覚えならしっかりある。
「検査薬とかは?」
「まだ。
 でもいつもちゃんと来てたのにズレてる。ストレスで、なら良いけどでももしかして…」
 その足でドラッグストアに向かい、ホテルに入る。検査をするのにどちらかの家に行くのも躊躇われ、仕方なくだった。そして出た結果は〈陽性〉。
「ちゃんと責任取るよ」
 そう言った俺の言葉に安心して泣き出した安珠を一生守っていこうと誓った。

 それからは大忙しだった。
 まずは互いの両親に打ち明け、結婚の意思を伝える。あちらの両親には結婚自体は反対はしないけれど、できれば順番は守って欲しかったと言われてしまった。うちの親は反対するわけがなく、孫が生まれると大喜びし、親主導で話が進んでいく。
 どうせ不在がちだから同居すればいいと言われ、安珠もそれに賛成する。おまけに、それならば仕事を辞めて家のことは自分がやるとも言い出す始末だ。
 一向に良くならない手荒れに悩んでいた安珠にとって、結婚して仕事を辞める事は願ってもない事なのかもしれない。知り合いの店で働いている手前、手荒れを理由に止める事はできないけれど、結婚と出産が理由ならば苦笑いで許されるゆるさがありがたいと笑う。
 母と安珠主導で勧められていく結婚の話。
 もちろん責任を取って結婚する、と言うわけじゃなくて安珠が好きだから結婚するのだけど、俺を置いてきぼりにして進む話に正直戸惑う。

 招待客だって、安珠とちゃんと話したんだ。俺が呼ぶと言ったのは高校の時の部活の仲間達で、律希と健琥の名前は出していない。安珠に呼ばないのかと聞かれたけれど、学生だし、就活で忙しいはずだから呼ばないとはっきり言ったはずだった。
「俺は、律希と健琥は呼ばないって言ったはずだけど…」
 正直、何がどうなっているのか1番わかっていないのは俺だったのかもしれない。
『そうだと思ったけどね』
 そして、大きなため息と共に健琥から教えられた事は、母の善意に見せかけた律希への牽制。
 母は律希と健琥に対して「貴之はこう言ってるんだけど、律っちゃん(健ちゃん)に話してみてくれないかしら?」とそれぞれの母親に打診したらしい。足を怪我した時に支えてくれた2人をサプライズで呼びたいと、幼馴染の2人に花を添えて欲しいと頼み込んだらしい。
『律希に断ってもいいよって言ったんだけど、断っても何度も言われたら断れないよね、あの性格だと』
 そう言って律希が何度も出席を断ったことを教えられる。当然そうなのだろうと思ったし、祝ってもらえるなんて思ってもいない。それだけのことをしてしまったのは自分だ。
「それじゃあ、来るの?」
『行きたくないけど外堀から埋められたら逃げられないよね。
 貴之には出席すること言うなって言われてるけど、動揺して馬鹿なこと言われても困るから』
 そう言って『貴之のためじゃなくて律希のためだから』と告げられる。そんな事、重々承知だ。そして、改めて健琥の気持ちが気になってしまう。
「健琥って、やっぱり」
『また、それ?』
 俺の言いたいことを察して健琥が呆れた声を出す。だけど、その後に続いた言葉に動揺するしかなかった。
『まあいいや、結婚する前にスッキリしたいでしょ?
 僕の初恋は律希だよ』

 健琥の言葉に動揺しないわけがなかった。律希の事は何とも思っていないと言いながら、このタイミング狙っていたのだろうか。もしかしたら、もう…そんなことを考えながら言葉を絞り出す。
「…何、それ?
 お前、やっぱり」
『ちゃんと最後まで聞きなよ。
 初恋って言っても初めは律希のこと女の子だと思ってたからだし。だけど律希が男の子だってわかった時から僕にとって弟みたいな存在でしかないよ。
 何度も言ったよね、僕の恋愛対象は異性だって』
「じゃあ、何で?」
『何が?』
「それなら、何で律希をそっちに連れて行った」
 八つ当たりというか、消化しきれない想いがこぼれ出す。
 健琥が律希を連れて行かなければ律希との仲が壊れる事はなかったのかもしれないのに、そんな思いを捨て切ることができない。
『そんなの、貴之のこと信頼できないからに決まってるでしょ?
 そもそも受験で大変な時期に自分の気持ちを押し付けるような人間、信頼できると思う?
 貴之だけが悪いわけじゃないけど、自分の進路が決まってるからって相手のこと気遣えないような奴に、大切な弟を任せることなんてできないよね』
 一方的に言われた言葉に反論する事はできなかった。健琥の言葉は何も間違っていない。気遣えないどころか、近くの大学に入るよう邪魔をしていた自覚だってある。
『せっかく高校の時に距離取ったのに、あのタイミングで再会するなんてね』
「だったら何であの時に律希、連れて来たんだよ」
『だって、連れて行かなかったら執着したでしょ?まぁ、連れて行っても執着したけど。僕がストッパーになればと思ったのに律希は暴走するし』
 健琥の言葉が耳に痛い。
 そして、もっと痛い言葉を告げられる。
『大体、律希の好きと貴之の好きは種類が違うでしょ?
 律希は本当に貴之の事好きだったけど、貴之は僕より優位に立ちたいから律希を独占したかっただけで、律希のこと好きだったわけじゃない』
 そんな事はないと言いたかったけれど、言うことができないのは図星だったからなのかもしれない。
『心変わりするにしても、好きだったらちゃんと終わらせてから次に行くよね。
 それに、そっちにいて周りに2人の関係がバレたら貴之逃げたんじゃない?
 律希のことを守るなんて、出来なさそうだし。
 僕はそっちで進学する気はなかったから、そうなった時に律希を守ることができないからこっちに連れてきたんだよ』
 何も言えなかった。
 何かを言おうとしても、健琥の言葉に反論の余地がなさ過ぎて、その言葉を受け止め、落ち込むことしかできなかった。
「それじゃあ初恋の相手追ってそっちに行くって、嘘だったのか?」
 反論の余地が無さ過ぎて、逃げるように話題を変える。律希が初恋だというのなら嘘をついていることになる。
『そうだね、初恋の相手がどうこうは口実なだけ。そう言っておけば煩わしくなかったし』
 中途半端に田舎で、中途半端に街である地元の事が嫌いだと言って健琥は笑う。地元から出るなんて考えたことのなかった俺には理解できないけれど、好きな人の話をするようになったあの頃から先のことを見据えていたということなのだろうか。
『貴之、何で高校生の時に彼女作っておかなかったの?
 何で、律希に手を出したの?
 律希のこと、最後まで守る気なんてなかったくせに』
 反論したくても反論できる要素なんてどこにも無かった。ただただ、言われた言葉に項垂れるしかない。
 健琥の言う通りだ。
 律希の事は好きだと言いながらも繋ぎ止める努力もせず、何もかも律希が悪いからと勝手な言い分で安珠と付き合い始め、母の言葉で現状が律希に伝わればそんな言葉だけでまた終わる関係だったのだろうと勝手に別れたつもりになっていた。

「ごめん」
『僕に謝られてもね』
「でも…ごめん」
『…とりあえず、式には2人で出るけど動揺して馬鹿なこと言わないようにね。 
 これ以上、律希を傷つけるなよ』
 あまりの声の冷たさに、せめて返事くらい返すべきだと思ったけれどそれすらも出来ない。健琥も俺の返事なんて期待していないのだろう。
『じゃ、安珠さんとおばさんによろしくね』
 思ってもいないことを言って健琥が電話を切った後、しばらくは何もしたくなかった。

 律希は…やっぱり泣いたのだろうか。
 母は俺の結婚を勝手に告げ、それで満足なのだろうか。
 安珠は、律希と健琥は呼ばないと言った言葉を理解できていなかったのだろうか。

 律希の番号を呼び出すけれど、通話ボタンを押す事はできない。
 押したところで言える言葉はないし、安珠の事を告げても、謝っても、何をしても今更だろう。

 お腹が目立つ前にと急いで結婚の日取りを決めたせいで慌ただしい毎日の中、安珠に対しても母に対しても不信感はあるものの、それでも準備は進んでいく。
 お腹の中の子は日々成長している。

「なぁ、貴之。
 安珠ちゃんって、お前の初恋の相手なんだって?」
 結婚式の前夜、独身最後の夜だと友人に連れられて飲みに行った席で言われた言葉。20歳の集いのあとで集まった時にいた友人はあの時一緒にいた安珠の友人と付き合っている。
 きっと、情報源はそこなのだろう。
「そうだよ」と答えれば場は盛り上がり、羨ましいだとか、一途だとか、そんな風に言われれば悪い気はしない。だけど、友人の1人が言った言葉に動きが止まってしまった。
「でもさ、結婚って1番好きな相手より2番目の方が上手く行くって言うよな。
 貴之、頑張らないとな。
 お前、安珠ちゃんにベタ惚れだもんな」
 それを言われて何かが引っかかったけれど、それが何だったのかが思い出せない。
 1番目とか、2番目とか、誰かと何かを話した事があったような気がするものの、いつ、何処で、誰と話したのだったか。
 そして、そんな呑気な言葉で思い浮かべたのは律希だった。
 初恋の相手は安珠だけど、正確には律希が見ていた安珠だ。
 そして、安珠と付き合ったのは…勘違いの初恋を律希に見せつけるため。
 それならば俺の1番好きな人は律希で、2番目は安珠なのだろうか。



「貴之、安珠ちゃん、おめでとう」
 その言葉に俺の隣で笑顔を見せる安珠はとても幸せそうだった。
 その笑顔を守りたいとは、守っていこうとは思っている。ただ、今この場所に安珠よりも気になる相手がいて落ち着かないだけ。
「ねぇ、健琥君と律希君は写真撮りに来ないのかなぁ?」
 健琥に言われた通り、知らないふりをして過ごすのは思った以上に苦痛な毎日だった。母はともかく、安珠は母の言葉に乗せられて2人に出席の打診をすることを受け入れたのだから八つ当たりする事はできない。そして、下手に母を問い詰めればサプライズが失敗したと悲しませるかもと思うと母と話をすることもできなかった。
「あの2人は写真嫌いだし、集合写真撮ったから満足なんだと思うよ?」
 そんな風に言いながら「体調大丈夫?」と気遣う。
 あまり気にしてはいけないと、意識して見ないようにしていた2人に視線を向ければ少しだけ不機嫌そうな律希が目に入る。不機嫌というよりは、拗ねている感じだ。
 それがわかってしまう自分と、その顔を向けている相手が健琥だという事に少しだけ苛つく。あの顔を向ける先には俺がいたはずなのに。

 誰が悪いと言われれば、悪いのは俺だけだ。自分の都合で律希を振り回し、自分の都合で律希から離れた。それなのに、視線を向けることすら許されないのに少しでも律希の気配を探ろうとしてしまう。

 もう一度話したい、もう一度触れたい、もう一度愛し合いたい。

 自分の想いがどれだけ身勝手かなんて、理解しているつもりだけどそれでも消化しきれない想い。
 自分に向けられた想いは案外気づくものなのか、少しならと思い律希を覗き見るとあちらも俺に視線を向けたため慌てて目を逸らす。
 ここで視線を合わせることができたなら、俺の後悔を見せることができたなら未来は何か変わっていただろうか。

 律希と関係を持たず、健琥の気遣いに気付き、〈幼馴染〉としての一線を越えなければ続いていたはずの未来を壊したのは自分なのに、もう一度やり直しても〈幼馴染〉でなんていられないと自覚しているのに、それでも〈幼馴染〉でいいから戻りたいと思ってしまうのはただの我儘なのだけど、どこまでも甘い俺はそんな未来を夢見てしまう。

「ねぇ、律希君も健琥君も呼んでみようよ?」
 人気者の2人とどうしても写真を撮りたいのか隣で安珠が面白くなさそうに言うけれど、2人がこちらに来る事はないだろう。そして、俺から声をかけることもないだろう。
「今、母さんと話してるみたいだし。
 きっと、サプライズのお礼言ってるんだろうし、呼ぶなら今じゃないほうがいいと思うよ」
 母が話しかけたのを視界の隅に捉え、そんな風に安珠を宥める。母が余計なことを言わないかと不安になるものの、あの人のことだからそんなヘマはしないだろう。
 俺がどれだけ幸せかを悟らせ、2人の間に入る隙はないと牽制をして、律希にその幸せを見せ付けるのだろう。そして、その牽制は律希を傷付け、健琥を呆れさせるのだろう。

 もう戻れない関係。

 側から見れば初恋を成就させた幸せものだけど、実際は…。

「貴之、安珠ちゃん、おめでとう」
「貴之も安珠さんもおめでとう」
 それでも帰り際、見送りの時に律希からも健琥からも祝いの言葉を送られた。
 俺を見る律希の目には俺に対する〈好き〉の気持ちは無かったし、〈好き〉以外の淋しさや嫉妬、それどころか嫌悪の気持ちさえ見られなかった。
 もう、俺に対してどんな気持ちも向ける事はないのだろう。
「じゃ、2次会は出れなくて申し訳ないけどお幸せに」
 そう言って背中を向けた2人に「ありがとう」としか言えなかった。

「でもさ、結婚って1番好きな相手より2番目の方が上手く行くって言うよな」
 誰かに言われた言葉を思い出し、律希の後ろ姿を見て晴れの日だというのにため息を吐きたくなる。
 誰かの言葉通りなら、俺と安珠はきっとうまく行くだろう。
 違う、罪悪感を抱いたままその気持ちに蓋をして、これからの人生を歩んでいくしかないのだからうまく行かせるしかないんだ。

 俺の初恋は成就したのだから。

 
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