初恋の行方

佳乃

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case 2 貴之

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〈今日はありがとう〉

 メッセージを送り、ついでにスタンプも送っておく。
 普段なら絶対にスタンプなんて使わないけれど、相手が律希だとスタンプを送りたくなってしまう。だけど、普段スタンプを使わないせいで選べたのは高校に入る前に買ったキャラクターもののスタンプだけだった。
 それでも文字だけよりは少しは良いだろうと迷わず送る。
《ゆっくりできなくてごめん》
 すぐに返ってくるメッセージが嬉しい。律希もゆっくり会いたいと思ってくれているのだろうか。
〈健琥、超怖ぇ〉
 茶化したメッセージにもすぐに返信が来るとついつい期待してしまう。律希もきっと一緒に過ごす時間を望んでくれていると。
《だって受験生だもん》
〈でも遊びたい〉
〈暇な日とか無いの?〉
《基本、毎日勉強》
〈健琥と?〉
《塾のある日はね》
 遊べるとは返ってこないけれど、遊べないとも返ってこない。メッセージから読み取れる事は〈塾のある日〉は健琥と一緒という事だろう。
 それならば聞き方を変えればいい。
〈塾って、毎日?〉
《毎日じゃ無いけど塾がない日は自習》
〈健琥も一緒?〉
《一緒だったり一緒じゃなかったり》
 これはもう、俺の勘違いじゃないはずだ。

〈じゃあさ、健琥いない時遊びに来てよ〉

 お願いする言葉で律希が心を動かされるように仕向ける。だって、律希は優しいから怪我をして退屈している俺を放っておく事なんでできないはずだ。
 
《え~、勉強しないと落ちたら困る》
 そんなメッセージを送ってきながらも《行かない》と答えないのは優しさなのか、同情なのか。
〈たまには息抜きも必要だって〉
《貴之、自分が暇なだけじゃん》
 憎まれ口のような返信をしてきても、もう俺に会わないという選択肢は無いはずだ。
〈そうだよ。
 だから律希が来てくれたら嬉しい〉
《じゃあ、健ちゃんも一緒に行ける日なら》
〈健琥、説教しそうじゃん?
 怪我した俺のこと、慰めてよ〉
 ずっと続いていた言葉遊びのような駆け引きをやめ、一気に核心に触れる。健琥と一緒に来て欲しいわけじゃない。律希に、律希だけに会いたいんだ。

《仕方ないなぁ。
 たまにしか行けないよ?》

 そのメッセージを見た途端に小さくガッツポーズをして律希の気が変わらないように約束を取り付けてしまおうと電話をかける。メッセージだとまたのらりくらりと誤魔化されるかもしれない。
 そして、電話がつながった途端に日にちを指定する。
「いつ来る?
 明日?明後日??」
『貴之、どれだけ暇なの?』
 呆れた口調で返す言葉にますます距離がなくなっていく。
「だってさ、動けないし」
『普通に生活できるって、』
「今まで常に身体動かしてたから部屋で独りでいると辛い…」
 正直な気持ちだった。
 今まで人並み以上に動いていた身体がなんとか人並みに動かせるようになっただけだし、行動にだってまだ制限はある。動けないわけじゃないけれど、俺の思っている〈動ける身体〉とは程遠い。
『それ、健ちゃんに言えば部屋でできる筋トレ教えてくれるよ?』
「それくらい自分でできるし…」
 せっかく2人で会えるかと思っていたのに健琥の名前を出されたせいで声のトーンが落ちてしまう。距離が縮んだと思ったのは俺の勘違いだったのか。
『じゃあ、塾の予定見てまたメッセージするよ』
「明日も塾なの?」
『今日会ったばっかだし』
「健琥とは塾で会うんだから塾のない時くらい俺と遊んでくれても良くない?」
 余裕が無い自分が嫌になるけれど、それでも今、約束を取り付けないとこのまま終わってしまうような焦りが襲ってくる。
 この気持ちが何なのか。
 健琥と律希が2人でいることを面白くないと思う気持ちは以前から持っていた。だけど、進路が分かれてしまった時から〈それ〉は仕方がないことなのだと諦めたはずだった。

 でも〈それ〉とはどんな気持ちのことを指しているのだろう?
 俺は、2人の関係を見て何を諦めたのだろう?
 
『明日、時間作って顔出すよ』
 そんな事を考えていた時に告げられた言葉。その言葉の意味を考え、理解して。そして、その言葉が嬉しくて〈喜び〉よりも〈感謝〉の気持ちが溢れそうになる。
「…ありがとう」
 その言葉に小さく『うん』と答えた律希を〈意識〉するようになったのは、この時がきっかけだったのかもしれない。

 その翌日には約束通り律希が来てくれる。親には前日に健琥と律希が来た事、これからも顔を出しに来る事を伝えておいた。見栄っ張りな母はそう告げれば必要以上に〈おやつ〉の準備をしてくれるのは学習済みだ。中学の頃は部活の友達もそれを目当てによく遊びに来ていた。〈目当て〉だったと思うのは今現在、その中で連絡を取るような相手がいないから。
 そして何より母にしてみれば〈律希〉が遊びにくることが誇らしいようだ。
 律希の父の実家は代々の地主であり、実家との関係も悪くない。悪くないどころか仲が良い。律希の祖父母も当然地元の人間だからお祭りのような地元の行事では顔を合わせることも多いけれど、小さい頃は律希の友達というだけで可愛がってもらっていた。
 母の手厚いおもてなしには律希にいい顔をしておけば将来的に何かプラスになるかもという打算も含まれているだろう。だから律希が来ると言えば手放しに喜んで「律ちゃんは昔から優しかったもんね」と知ったような事を言う。
 逆に健琥の名前が出ないのは健琥の両親が優秀なのが面白くないからだろう。どこかおっとりとした人の良い律希の両親に比べ、なんでもはっきりとものを言う健琥の両親のことが苦手なのはなんとなく雰囲気でわかってしまう。
 だからと言って健琥の事を毛嫌いするわけでもないからやはりどこかで打算が働いていたのかもしれない。

 そんな調子で律希がいつ、どんな時間に来ても歓迎するから律希自身も顔が出しやすかったのかもしれない。顔を合わせなくてもお茶菓子が用意され、時には食事に誘うように言われ、顔を合わせれば「律ちゃん、ありがとうね」なんて満面の笑みでお礼を言う。
 大人しい律希は毎回お茶菓子を用意する必要はないと遠慮して、食事だなんて緊張するからと断り、母の言葉にはニコニコと可愛い笑顔を見せる。
「貴之が元気で安心しました」と言った後で失言だったかも、とオロオロして「律ちゃんが来てくれて一段と元気になったのよ」とフォローされてはにかんだ笑顔を見せる。
 律希が来たところでやることと言えば会うことのなかった2年間の話をしてその空白を埋めるだけで、時には宿題を見てもらう時もあった。専門的な教科の課題を見て目を丸くしていた姿は可愛かったけど、基本的な教科を余裕ぶって教える姿はちょっと憎たらしい。
 本棚を覗いて雑誌を取り出してどうでもいい話をする時もあったし、2人で黙って漫画を読んでいるだけの時もあった。
 変に気を遣われるよりも何もない日常のように過ごすこの時間が心地良かった。

 だけど、時間は有限だ。

 春休み中は時間を見つけては会いに来てくれ、会えない日にはメッセージや電話で連絡を取る。はじめはメッセージだけでも満足できたのに、会えない日に声が聞けないことが淋しくて「いちいちメッセージ送るのが面倒だ」と毎日の電話の時間を確保する。話した方が早いけれど、話してしまうと離れがたくて勉強の邪魔をしている自覚はあった。だけど、それを我慢する事はできなかった。

 今だけ。
 今だけなんだ。
 1年後には健琥と共にこの街を出て行ってしまうのだから。

 そう考えると余計に焦ってしまう。
 新学期が始まれば2人はまた一緒に登下校して、一緒に塾に通うのだろう。クラスが一緒になれば学校でだって常に一緒に行動するはずだ。
 そう思うと妙な焦燥感に駆られてしまう。
 春休みの退屈な時間に近所の幼馴染と再会した。春休み中にその交友を復活させて、この先も機会があれば、なんて思っていた。この先も途切れることなく、細く長く続けていければ満足な関係のはずだったんだ。
 それなのに、ぬるま湯のような心地よい関係を知ってしまった俺はどんどん欲張りになっていく。

「課題、俺の部屋でやれば毎日会えるんじゃない?」

 思わずそんな風に言ってしまったのは少しでも繋がりを残しておきたかったから。新学期が始まり日常が戻ってきた今、律希との関係はこれから少しずつ薄れていくだろう。
 登下校で会うこともなく、接点もない。もともと〈春休みが暇だから〉と言って始まった関係だ。これから本格的に受験に取り組む事になる律希には俺との時間は負担になるだけだろう。
 だけど、律希とまた疎遠になるのが我慢できなくて言葉に出してしまう。この頃には自分の気持ちが〈幼馴染〉に向けるものじゃないことにくらい気付いていた。気付いていて何とか繋ぎ止めようとして言ってしまった言葉だった。

『毎日は無理だよ。
 塾もあるし、健ちゃんとの約束もあるし』
 同じ高校に通い、同じ塾に通っているのだから健琥の名前が出るのは当然のことなのに、健琥を〈健ちゃん〉と読んだ律希に苛立ちを感じる。昔からそうだ、健琥の事は親しみを込めて〈健ちゃん〉と呼ぶのに俺のことはその他大勢と同じように呼び捨てで〈貴之〉と呼ぶ事をやめない。
「健ちゃん、健ちゃんって、仲良いよね」
 心の声が漏れてしまった。
 そして、一度漏れ出てしまったものを収めることはその時の俺には難しいことだった。
『…だって、勉強見てもらってるし』
 律希が戸惑っている事に気づいても止めることができない。
「付き合ってるの?」
『何でそうなるの?』
「だって、律希の口から出てくる名前、健琥の名前ばっかだし。
 電話してる間は俺のことだけ考えて」
『なにそれ、ヤキモチ?』
 俺の言葉に律希が息を呑んだような気がしたけれど、返ってきたのは揶揄うような言葉で思わずムッとしてしまう。
「悪いか?」
『健ちゃんにヤキモチ妬くとか、』
「だから健琥の話するなって」
 もう一度聞こえてきた健琥の名前に我慢できなくなってしまった。
「俺、律希に毎日会いたい。
 健琥よりもたくさん会いたいし、健琥よりも律希のこと知りたい」
『何言ってるの?』
 戸惑った声に自分がやらかした事に気づく。それに気付かずそのまま気持ちを告げればいいのに、気付いてしまうとトーンダウンしてしまう。
「久しぶりに会ってから、ずっと思ってた。律希の隣にいたいって…」
 はっきりと告げればこの関係は途切れてしまうかもしれない、そう思うと言葉が続かなくなってしまう。どうすればいいのか考え過ぎて沈黙が続いてしまう。

『何それ、告白みたい』
 沈黙を破ったのは律希だった。
 そして、俺にとって都合のいい言葉をくれる。
「告白だよって言ったら…困らせるよな」
 気持ちを、思いを絞り出す。
 自覚してしまった律希に対する〈好き〉という気持ちと、健琥よりも近くにいたいという〈独占欲〉、そして律希を離したくないという〈執着〉。
『貴之さぁ、ボクに甘え過ぎて勘違いしちゃってるんじゃない?少し冷静になったほうが良いよ?
 とりあえず、行けそうな日見つけてまた連絡するから。
 ごめん、今日は課題しないとだから切るね』
「律希っ」
 俺の言葉に焦ったように答え、『じゃあね』と電話は切れてしまう。
 これは、拒絶なのだろうか?

 切られてしまった電話をもう一度繋ぐ勇気は無く、仕方なくメッセージを送る。

〈律希、ごめん〉
〈焦りすぎた〉
〈毎日会ってたから淋しくて〉
 とにかく思いついた言葉を送り、律希の反応を待つ。既読がつくという事はメッセージはちゃんと見てくれているのだろう。
〈待ってるから〉
〈宿題の邪魔だよな〉
〈ごめん〉
〈会いたい〉
 そんな風にメッセージを送り続けたおかげかやっと律希からの返信が届く。
《予定がはっきりしたら連絡する》
 本当はいつ来るのかはっきりと約束をしたかったけれど、これ以上の言葉は逆効果だと思い〈ありがとう〉とも〈了解〉とも取れるよう、頭を下げるスタンプを送ってスマホを置く。
 今はまだ、これで我慢するしかなさそうだ。

 

















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