初恋の行方

佳乃

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case 2 貴之

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 転機が訪れたのは高校2年から3年に進級する年の春休み。

 高校でも部活を続けていた俺は、練習中に怪我をするという、あまりにも呆気ない理由で他の部員よりも一足早く引退する事になった。
 正直凹んだ。
 スポーツ推薦で高校に入り、1年からレギュラー入りした俺はそれなりに結果を出し、それなりに頑張っていた自覚はある。3年生となる最後の年はもっと上の大会まで、と気合も入っていた。
 だけど、その気合いが悪かったのか、2年の秋の終わりにした怪我のせいで選手生命を絶たれたのだ。
 3年生が引退して気合いが入り過ぎて空回りしていたのか、それとも先輩がいなくなったことで自分でも気付かないうちに気が緩んでいたのか。いつもと同じように練習をしていただけなのに、それなのに〈それ〉は起こってしまった。

 ブツッ

 一瞬の出来事だった。
 嫌な音が耳に届いた気がしてそのまま倒れ込み、倒れた衝撃なんか比べ物にならないほどの痛みが俺を襲う。何が起こったのかなんて、瞬時に理解できてしまった。
 音と、痛みと、動かせない足。
 スポーツをやっている者として1番恐れている怪我のひとつだろう。
 チームメイトが集まってくる気配とコーチの話し声。
 何か聞かれているけれど痛みでうまく受け答えができていた自信はない。
 すぐに校医が呼ばれ、その指示で救急車を手配してもらう。校医が負傷箇所を冷やしたり、なんとか応急処置をしようとしてくれるものの痛さで指示に従うのが難しいことと、身体が大きいため移動も困難だったようだ。

 準備運動が足りなかったのか、足の踏み込みが甘かったのか。
 3年生がいなくなったせいで全てにおいて手を抜いていなかっただろうか。
 3年生がいなくなり、緊張が薄れてきていたのだろうか。
 それとも、上がいなくなったのだからしっかりしないとと気張り過ぎていたのだろうか。
 怪我をしてから自分を顧みても仕方がないのに、今さらそんなことを反省しても遅いのに、それなのに考えるのを止めることができない。怪我を認めたくなくて現実逃避していたのかもしれない。
 痛みを逃すことができないまま身体を横たえたまま過ごし、到着した救急車に乗せられてそのまま搬送される。
 結局、靭帯損傷と診断されて処置を受け、その後の説明を受け、翌日からの指示を受ける。その時に救急車を呼んでしまったことを詫びると、怪我の具合がわからないのにその大きな身体を無理に運ぼうとすれば余計に痛めていた恐れもあるのだから、これで正解だったと教えられる。
 将来的なことを考えると、競技を続けるにしても続けないにしても、日常生活を問題なく送るためにも手術はした方が良いのではないかと提案されそれを受けたものの、すぐに手術ができるわけではなくリハビリに通ったり、手術の日取りを決めたりと普段とは違う生活を送ることになる。部活に費やした時間をリハビリに使い、手術を受け、入院期間を過ごし、リハビリを続ける事しかできることは無かった。
 
 はじめは心配して何かと世話をしてくれていたチームメイトも、松葉杖を使わずに生活できるようになると少しずつ日常に戻っていく。2年生の終わり頃になると日常生活に困ることは無くなり、部活を辞めてしまった俺は暇になってしまった。
 部活に戻るためのリハビリをすれば部活に復帰できるとも言われたけれど、その頃には大会が始まる。いくら部活に復帰できたとしても試合に出れないのならば意味がない。
 何よりも〈怖くて動けない〉と自覚することが1番怖かった。怖くて逃げた訳じゃない、残された時間で試合までに万全にコンディションを整えることが難しいからチームメイトに迷惑をかけたくないだけだ。
 将来の夢として大学に行って、このスポーツを続け、できればスカウトを、なんて未来があればチャレンジするべきだけれど、俺の未来は決まっている。
 それに高校生の今は少しだけ強い選手かもしれないけれど、一生続けていきたいと思える程の技術も無く、思い入れも無い。第一、勉強が好きじゃないから大学に進んで競技を続けながら勉強も続けるなんて真っ平ごめんだ。
 実家の仕事を継いで、それなりの人生を送るのは俺にしてみれば決められた道だし、それなりの業績の実家だから将来だってきっと安泰だ。
 実家に就職することになるのだから就職試験だって受ける必要はない。

 そうなると暇になってしまった。

 そんなことを言いながらも部活は真剣に取り組んでいたから彼女の1人もいない。
 仲良くしていたチームメイトは俺に気を使うし、大体、大会に向けての練習で俺と遊んでくれるほどの時間はない。他の友人と言っても高校でできた友人は気軽に遊びに行けるほど近くに住んでもいない。
 そんな時に思い出した幼馴染の2人。
 健琥と律希は同じ高校だったはずだ。
 俺だけ1人違う高校で、あいつらが2人して同じ高校に決めたと知った時には仲間はずれにされたような淋しさがあった。実際は俺はスポーツ推薦でさっさと高校を決め、成績優秀な2人は同じ高校に進んだだけのことだけど、自分の勉強嫌いを棚に上げて一緒にいられる2人を羨んだのは事実だ。
 同じ学校に通っていれば俺の現状を知ることもあったかもしれないけれど、他校だとそんなこともないだろう。
 2人に連絡を取ろうか、どうしようか。進学校に進んだ2人だから受験の邪魔をするのも悪いだろう。
 そんなふうに悩みながら春休みになってしまう。
 友人からは遊びに誘われもするけれど、正直なところ外出先で何かあったらと思うと遊びたい気持ちよりも怖さが勝ってしまう。階段やエスカレーターも人が多ければ俺にしてみれば凶器と同じだし、身体を動かすような遊びはまだ無理だ。女子とカラオケでも、なんて話も出たけれど、何かの拍子に怪我の話になってしまったら居た堪れない雰囲気になるだろう。仕方なく「春休みはリハビリをちょっと頑張るつもりだから」と言い訳をして全ての予定を断った。

 やる事もなく、遊ぶ相手もいなくて腐っている時に思い浮かべるのはやっぱり律希と健琥で。だけど、自分から連絡するにはなんだか2人との距離が離れ過ぎてしまったように思い、メッセージを送ることができない。
 連絡をして返信がなければ、それ以前に既読がつかなかったら。電話をして繋がらなかったら。
 怪我をした時から引きずっていたネガティブな感情は普段の生活にも染み付いてしまい、少しのことで気持ちが落ち込んでしまう。

 なぜ怪我をしてしまったのか。
 防ぐ方法はなかったのか。
 あの時、自分はちゃんと準備運動をしていたのだろうか。
 あの時、あの時、あの時…。

 だから、今も考えてしまう。
 もしも今、連絡が取れなくなっていたら。
 あの時、進路が違うと知った時に、それでも友達関係は続けたいと素直に伝えていれば。
 疎外感を感じたのなんて自分の勘違いで、2人はなんとも思っていなかったのではないか。
 それが今の関係性なのではないか。
 それなら、どの段階で何をしていれば良かったのだろうか。
 何気ない事でも気軽にメッセージしていれば良かったのだろうか。

 身動きが取れなくなってしまう。

 それまで自分の人生は順風満帆だと思っていた。
 受験しなくても希望の高校に入り、好きなスポーツを続けることができた。
 勉強は少々苦手ではあるものの、将来的に継ぐ予定の仕事に必要な知識や資格は今の調子なら卒業までに取得できる予定だ。
 それなりに仲の良いチームメイトや友人も高校で手に入れた。
 彼女はいないけれど、モテないわけじゃない。だけど、引退するまでは部活に集中したいため作らなかっただけだ。
 部活を引退したら彼女を作って、仕事を始めるまでの間は彼女との時間を楽しむのも悪くないと思っていた。就職するまでに車の免許も取っておきたい。
 卒業してしまえば親の会社で働くことになるけれど、昔から親しんできた仕事だし、一緒に働く人達も知らない人じゃない。昔から自分を可愛がってくれる人たちの中に入るのはきっと楽しいだろう。

 そんなふうに思っていた未来が変わってきてしまったのだ。
 自分は本当にこのまま親の会社に入って大丈夫なのだろうか。
〈社会〉を経験せずに、将来的に家を継いで上手くいくのだろうか?
 今までは身体を動かす事に夢中で考えなかった事だったけれど、無駄に時間があるせいで今まで考えもしなかったことを考えてしまう。
 気ままに学生生活を過ごし、卒業してそのまま家に入った時に自分は〈使える〉のだろうか?今までは〈経営者の息子〉という立場であるから優しくしてくれていたけれど、その関係はそのまま継続されるのだろうか?
 こんな内容、チームメイトや友人に相談したら怪我のことを同情され、それでも恵まれていると言われるだろう。
 親に相談したところでそんなことを気にするなと笑われるだけだろう。

 考えれば考えるほどネガティブになってしまう。俺はこんなにも弱かったのか…。

 そんな時に来た健琥からのメッセージ は、俺にとっては救いのようなものだった。
《話聞いたけど何かできる事ある?》
 久しぶりという挨拶も、大丈夫かと気遣う言葉も何も無い素っ気ないメッセージ。中学の頃も、健琥から来るメッセージはこんな風に素っ気ないものだったなと思い出す。要件を的確に伝えるための、要件を的確に引き出すための必要最低限のメッセージ。
〈退屈で腐る〉
〈遊んで〉
《受験生を誘惑するな》
〈健琥が聞いたんじゃん?〉
《元気そうだね》
〈元気だよ〉
〈だけど怖くて人混み行けねぇ〉
 そんな風に返すとテンポの良かった返信が少し止まる。返し方を間違えたのだろうか?

《ゆっくりはできないけど話し相手くらいにはなれるよ》
〈遊びに来て〉
《宿題手伝おうか?》
〈うっざ〉
〈でも話し相手になって〉
《顔出すよ》
 ブランクを感じさせないやり取りに気を良くして会う約束を取り付ける。
《また行ける日、連絡する》
〈了解〉
 そんな風に終わったメッセージ。
 本当は健琥よりも律希に会いたいというのが本音だったけれど贅沢は言ってられない。それに、昔からやけに大人びた健琥になら今の悩みを素直に相談できそうな気がした。

 帰宅した母に「明日、健琥が来るって」と伝えると「今日、久しぶりに健ちゃんと律ちゃんのお母さんに会ったのよね」と何でもないことのように告げられる。どうやら情報源はここらしい。
 健ちゃんと律ちゃんと言う事は律希にも俺の情報は伝わっているのだろう。律希の母が俺の現状を知って伝えないはずはない。
 だけどメッセージが来たのは健琥からで、少し期待して待つものの律希からメッセージが来る事はなかった。
 健琥からのメッセージは嬉しかったけれど、あのメッセージが律希からだったらもっと嬉しかったのに、なんて健琥に申し訳なく思いつつもそんな風に考えてしまう。

 だけど、このメッセージがきっかけであんな事になるなんて、この時は考えてもいなかったんだ、多分。



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