世界が終わる、次の日に。

佳乃

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貴哉

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 誘惑に負けたふりをして紗羅を抱いたのは、これが最後だから。

 誘惑に負けたふりをして紗羅を抱いたのは、その境遇に同情したから。

 誘惑に負けたふりをして紗羅を抱いたのは、その姿に紗凪を重ねたから。

 誘惑に負けたふりをして紗羅を抱いたのは………、紗羅を傷付けたかったから。



 【男性不妊】と診断されはしたものの、相手を妊娠させる能力が全く無いわけではなかった。治療をすれば授かる可能性はあったし、自然妊娠も可能性は限りなく0に近いけれど、不可能ではないという結果。
 治療をしても100%授かるわけでもなく、自然妊娠に至っては不可能ではないけれど、それを期待できる様な確率ではない。
 【不可能ではない】という結果は【可能である】と同意語ではなく、紗羅の中では【不可能】だと結論付けたのだろう。

 だからもしこれで紗羅が授かる様なことがあれば、俺を傷付けた紗羅に傷を付けることができるのだろうか。

 俺に期待することなく、俺に寄り添うことなく他の男を選んだ紗羅を本当は恨んでいたのだと気付いたのは再会してからだった。
 あの頃とは違うのに、あの頃の残滓を求めてしまったせいで少しずつ気付いていく違和感。

 きっかけは、違和感は、些細な表情の変化。
 家族の話をすると少しだけ泳ぐ目。
 そして、【彼女】の話をすると少しだけ歪む口元。

 貪欲に俺を求めながら、俺ではなくて自分を埋めてくれるモノを欲しがるような、自分の欲を満たすためだけに思える行為。
 気持ちを確かめ合うのではなくて、ただただ求め合うだけの獣じみた交わり。

 はじめのうちは上手く装っていた紗羅だったけれど、一緒に過ごす時間が長くなるにつれて本音というか、本性が現れ始める。

「どうせできないんだから、もっとちょうだい」

「中に欲しいの」

「だって、無い方が気持ちいいし」

「貴哉相手なら要らないでしょ?」

「欲しかったのにできなかったね、貴哉の子」

 勝手なことばかり言う紗羅に腹を立て乱暴に抱くけれど、乱暴に抱けば抱くほど悦ぶ貪欲な身体。
 夫が寄り添ってくれないと言った言葉は疑わしいけれど、抱かれていないのは本当なのだろう。

 久しぶりに挿れた紗羅の中が以前より狭く感じたのはきっと勘違いじゃない。
 出産を経て、パートナーとの関係が良好なら抱いた時に【違い】が現れるはずなのに、あの頃と変わらないと言うよりも初めて抱いた頃の抱き心地と覚えのある反応。
 何度も何度も身体を重ねたのだから、その反応を思い出すのは容易だった。

 【紗羅】に見立てた紗凪を抱いている様な、【紗凪】に重ねて紗羅を抱いている様な奇妙な感覚。
 紗羅を抱くように、紗羅の良いところは紗凪も気持ち良いのだと教え込んだのだから紗羅と紗凪の反応が似ているのは当然のこと。執拗に紗羅が好きだった場所を紗凪も好きなのだと思い込ませるようにその身体に教え込んだのだから。
 だから、紗羅に見立てた紗凪を抱いているように思うのは、夫の色に染まるほど抱かれなかったからなのだろう。

 目の前にいるのは紗羅なのに紗凪を抱いている感覚。だけど、紗凪とは違う俺を思いやることのない言動に戸惑いばかりが増えていく。



 こんな時に、俺はどうしてここにいるのだろう。



 明日、もしも世界が終わってしまったら紗凪はあの部屋でひとり、最後の時を迎えるのだろうか。
 ひとりで最後を迎えるのならせめて、ふたりで身体を重ねたあのベッドで俺のことを思い出しながら最後の時を迎えて欲しいと願ってしまう。

 最後の瞬間まで俺を想い、俺を感じて逝ってほしい。
 その時は俺も離れたこの地で、紗羅の側にいても紗凪のことを想いながら逝くから。

 ただ俺は、世界が終わるだなんて信じていない。

 あの時、部屋を使っていいからと言ったのは、部屋で待って欲しいと遠回しの願いだった。
 終わりを迎えることなく帰った先で、紗凪を紗羅に見立てて喪失感を埋めるためにも必要な存在。
 紗凪ならどんな俺も受け入れてくれるはずだから、紗羅を失ってできた穴は紗凪が埋めてくれるはずだ。

 不安を口にする紗羅に寄り添い、紗羅の望みを叶え、紗羅への未練を断ち切り、代替品だった紗凪を本物にすればいい。

「流石にもう出ないと駄目なんじゃないか?」

 流されて身体を重ね続けたことに後悔は無い。だけど、紗羅と身体を重ねれば重ねるほどここに来たことを、紗羅を選んでしまったことを後悔する。
 会わなければ気付けなかった変化だからここに来ないという選択肢は無かったのだけれど、もっと紗凪に寄り添うことだって出来たのにと。

 紗羅には家族がいたし、こちらに来ても夫と子どもが実家に帰らないことには会うことはできないのに僅かな可能性を頼りに紗羅の近くでに陣取った自分を今になって愚かに思う。紗羅に会うにしても、こちらに来るまでに紗凪に対してできることがあったはずなのに。それを放棄して寄り添った相手に、そこまでの価値が無かっただなんて笑えないけれど嗤うしかない。

 日付が変わる前に帰りたいと言っていた紗羅は、身支度を整えると「これ、貴哉との最後の晩餐になるのかな」とルームサービスで頼んだ食事を前に嗤った。
 どこかで食事を、と誘った俺にルームサービスを頼むように言った紗羅は「知り合いに見られたら困るし」と目を伏せる。目を伏せて呆れた顔を隠したつもりだろうけれど、その表情は『馬鹿じゃない?』と言っているようだった。
 結局、俺は紗羅を抱くためだけに呼ばれたのかと虚しく感じたけれど、それを選んだのは俺なのだと自分に言い聞かせる。全てを受け止め、全てを消化したせいか、紗羅に対する想いの変化を確実に感じていた。

「そう言えば彼女さんは大丈夫?
 連絡、した?」
 
 適当に頼んだルームサービスを口にしながらそう言った時の優越感に満ちた表情は醜悪で、「してないよ」と答えれば満足そうな表情を見せる。
 選ばれた自分が誇らしいのかもしれない。

「貴哉はいつまでこっちにいられるの?」

「最後の日までこっちにいる予定だよ」
 
「彼女さんは、大丈夫?」

「うん」

「そっか、」

 今思い出すと白々しい会話。
 この時、紗羅を送ったら帰ると言ったらどんな反応を返したのだろう。

「そろそろ出る?」

 そう告げれば「そうね、」と答えて忘れ物がないか確認をする。小さなバッグとスマホしか持たず、昨日と同じ服装のままの紗羅は家に帰り、どんな言い訳をするのかと考えるけれど、夫と子どもがいなければ誰からも咎められないのだろうと思い直す。
 自分の思い通りにことを進めたい紗羅だから、自分の不都合にならないように考えての行動なはずだ。

「あ、この時間ならまだ大丈夫だから隣の駅で降ろしてね」

 それを裏付けるようにそう指示した紗羅は「迎えに行ったのと同じ場所?」と聞いた俺に「隣街じゃなくて、隣の駅」と駅名を告げる。
 
「誰かに見られたくないから。
 あそこの駅、こんな時間に使う人いないだろうし」

 当たり前のようにそう告げると電車の時間を調べ、迎えを頼むためにどこかに電話をかける。

「あ、お母さん?
 ごめん、最後になるかもしれないと思ったら話が止まらなくて。
 うん、彼女のこと見送って私も帰るから。
 申し訳ないんだけど駅まで迎えに来てもらっていい?
 時間、調べてメッセージで送るね」

 次から次へと出てくる偽りの言葉に呆れるけれど、これがきっと紗羅の本性なのだろう。
 電話を切ると電車の時間を調べてメッセージを送り、「貴哉、ありがとね」と微笑む。

「貴哉が側にいてくれるみたいで嬉しい」

 そう言って自分の下腹部に手を当てると「この子と一緒に終われるなら、それもいいのかな」と淋しげに笑った姿にまた絆されそうになるけれど、これが紗羅のやり方なのだと自分を戒める。
 孕むなんて、少しも思っていないくせにと鼻白らむ。
 以前のようにこの言葉を信じて囚われても、報われることなんてないのだと知ってしまった俺には通じない言葉だった。

 指定された駅まで送り届け、車から降りることなく駅舎に入るまで見届ける。
 駅舎に入る時に振り返った紗羅はお腹に手を当てて見せたけれど、その表情までは分からなかった。

《ありがとう》

《近くにいてくれると思うと心強い》

 電車に乗ったであろう紗羅からいくつかメッセージが届いていたけれど、運転中だと自分に言い訳して開くことはしなかった。

 紗羅と過ごした時間は濃密で、ひとりになり気が緩んだのか疲労感に襲われる。ゆっくりと眠りたくて近くのビジネスホテルを調べ、電話をかけて部屋を取るとそのままホテルに向かう。
 紗羅の近くで終わりを見届けると約束した手前帰るわけにもいかず、だからと言ってどこかに行くこともないだろうと思いチェックインの時に連泊したいと伝えておいた。
 こんな時でも稼働しているのは終わることを信じていないからなのか、終わることを信じたくないからなのか。

 部屋に入ったのは日付が変わる頃で、紗凪に電話をしてみようかと思ったけれど、紗羅との関係にちゃんと蹴りを付けてからにしようと思い留まる。
 それに、紗羅と別れたばかりの今、電話で話してしまうと紗羅と過ごした名残が伝わってしまうかもしれないと恐れたから。

 ベッドに横になり、紗羅からのメッセージに既読だけ付けてサイドテーブルにスマホを置く。
 そのまま眠りに落ちた俺が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。
 
 
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