世界が終わる、次の日に。

佳乃

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閑話

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「やっぱり僕は、紗凪君のせいだと思うんだ」

 兄に言われて考えたけれど、結局はそこに行きついてしまう。

 紗凪と貴哉が付き合わなければ。

 紗凪と貴哉が再会しなければ。

 紗凪が存在しなければ。

 やっぱり、紗凪は生まれてきてはいけなかった存在なのだ。

 それを兄に説明しようと思うものの、上手く伝えることができずもどかしく思う。自分の大切なモノを奪われた紗羅が紗凪を疎ましく思うのは仕方のないことだろう。

「だからって紗羅ちゃんを許すわけじゃないよ。こんな時に元婚約者に会いに行ったことは許せないし、相手がいくら不妊症だからって不貞を許す気はないし」

「許す気はないって、だから紗柚とこの家に戻ってくるつもりだったのか?」

「そう。
 正式な証拠にはならないけど紗羅ちゃんと話し合うための材料なら集めておいたし」

「材料って?」

「メッセージの履歴と、昨日からどこで過ごしてるのかの記録。
 今どこにいるかも、あ、今日も泊まるつもりなのかな」

 そう言ってGPSでふたりの居場所を確認する。昨夜もふたりで過ごしたホテルから移動している様子はない。

「泊まるつもりって、」

「僕たちがいつ帰るとは言ってないけど、いつ帰ってくるつもりだろう」

 スマホの画面を見せながらスクショした画面を見せる。昨日から場所が移動していないことと、メッセージの履歴から考えれば紗羅と元婚約者の不貞を示しているとしか思えない話し合うための材料。

「別れるつもりなら紗凪君を巻き込む必要無かったんじゃないのか?」

 僕の見せた材料を見た兄はそう言ってまた紗凪を庇おうとする。
 紗柚とこの家に戻るつもりなら兄と意見が違ったままなのは不味いと思い、仕方なくもう一度紗凪の罪を伝えることにした。

「生まれてこなかったらよかったって言っても生まれたのもは仕方ないし、それに地元から出ていったんだからそのまま大人しくしてたらよかったんだよ。
 帰省もほとんどしないし、紗凪君は紗凪君で幸せになれば良かったんだ。

 あの男と付き合わなければこんなことにならなかったんだろうし、付き合うなら付き合うで、紗羅ちゃんとは関わり合いにならなければよかったのに。
 紗凪君があの男と付き合おうが何しようが勝手だけど、紗羅ちゃんにバレないように配慮は必要だと思わない?」

「それは、紗凪君が自分で紗羅ちゃんに伝えたってことなのか?」

「違うよ。
 写真のことも知らなかったみたいだし」

「だったら、」

「そもそも写真を撮られるような迂闊なことしなければ紗羅ちゃんは知らないままだったのに」

 さっきの電話の様子では紗羅に写真が送られてきていたことも、紗羅がふたりの関係に気付いたことも知らなかったのだろう。だからと言って、紗凪の罪は無いことにはならない。

「だったら紗凪君は配慮してたってことじゃないのか?
 こんな噂があってもこっちに帰ってこないのは、紗羅ちゃんに気を遣ってのことだと思うけど」

「でもあの男を止められなかったんだから」

「でもそれは紗凪君のせいじゃ、」

「紗凪君のせいだよ。
 紗凪君があの男と付き合ったから」

 話がループしているようで苛立ちが募る。兄が理解してくれないのがもどかしい。

「別に、紗羅ちゃんと元婚約者はもう関係無いんだから紗凪君と付き合っても問題無いし、紗凪君が積極的にバラしたのなら問題だけど、そうじゃないだろう?
 話を聞いてる限りでは紗凪君は紗羅ちゃんだけでなく実家との関わりも最小限にしていたんじゃないのか?」

「だから、付き合う付き合わない以前の問題だってば」

 自分の主張がおかしいことになんて本当は気付いていた。紗凪の困惑した声を聞けば紗羅に対する当て付けではないことくらい理解できたし、僕の言葉に傷付いたであろうことだって分かっていた。
 ゆっくり腹を割って話したことはなかったけれど、紗凪は紗凪なりに僕のことを受け入れてくれていたと思う。紗柚が生まれた時だって、帰ってこれないけれど出産祝いの希望があれば教えて欲しいと言ってくれたし、節目節目のお祝い事を欠かしたこともない。

 紗凪が彼と付き合うまでにどんな経緯があったのかはわからないけれど、紗羅に対して含みがあってのことではないだろう。

 だけど、それを理解していることを認めてしまえば責めるべき相手は紗羅だけになってしまう。
 僕の感情の全てを紗羅にぶつけてしまえば冷静に話すことはできないし、紗柚にだって影響が出てしまう。
 僕が今、1番守りたいのは紗柚だから。

 だから、紗羅が疎ましく思っている紗凪に負の感情をぶつけることで自分を抑え、紗羅と向き合おうと思ったんだ。
 紗羅が疎ましく思っている相手で、今回の騒動の原因とも言えるのだから。

「紗凪君は何も悪くないよ。
 悪くないどころか…今回のことで1番傷付いているんじゃないのか?」

 知った顔をした兄が僕が反論をする前に言葉を続ける。

「お姉さんの元婚約者とどんな経緯で付き合うことになったのかなんて知らないけど、少なくとも今現在の紗凪君の彼氏、って言うのか恋人っていうのか、とにかく付き合っている相手は紗凪君なのに、世界が終わるって言ってる時に自分を置いて別の相手のところに行くとか。その気持ちはお前だって理解できるんじゃないのか?」

「だから、紗凪君があの男を引き留めておけば」

「紗凪君は引き止めなかったのか?」

 兄に言われて考えるけれど、僕はその辺の経緯は分からない。ただ、自分の中にあるイメージで考えるとそうなった時には諦めるのだろうと想像がついてしまう。

「どうなんだろうね、性格的に諦めそうだから何してでも引き止めてくれてたら「それは違うだろう?」」

 電話の時のように言葉を重ねた兄は怒った顔で続ける。

「そもそも、こんなことになったのはお前たち夫婦がちゃんと関係を築けていなかったせいなんじゃないのか?」

「だから、僕は紗羅ちゃんを尊重して今回だって見逃したんじゃないか」

「だったら紗凪君を責めるなよ、」

「だって、紗凪君があの男を引き留めておけば」

「違うだろう?
 お前たちの関係が上手くいっていたら元婚約者がこっちに来ることもなかったはずだ」

 兄の言葉は僕を傷付ける。
 そんな事、本当はとっくに気付いていた。僕と紗羅の関係が夫婦として、家族として機能していればあの写真を見付けた時にもっと違う対処の仕方があっただろう。
 写真を見付けだ事を告げ、その写真は何かと問い、紗羅の想いを引き出し、その上でどうしたいのかを話し合うことができたかもしれない。

 だけど僕は諦めていたから。

 僕だってはじめから諦めていたわけじゃない。紗柚が生まれたことで家族になれたのだから紗柚を慈しみ、紗羅に愛情を伝え、それを続けていけば孕むための道具であった僕に対しての感情が変化するのではないかと期待していた。
 だけど、バイブになる事を拒否した僕には紗柚の父としての役割は与えられたけど、紗羅の夫としての役割は与えられなかった。

 燻った想いを発散させるために外に出た紗羅だったけど、【汐勿】の名前があるせいか彼女のことを【女】と見てくれる相手に対して一線を越えることはなかった。

 僕が施して欲しいと言われた避妊処置は再建できないわけではないけれど、処置する時に比べて高額でもあるし、確実に再建できるわけでもない。そう考えるとあの時に紗羅が処置することを受け入れていれば…。
 そうしていれば、いつか彼女の気持ちが変わることがあった時に対処できたのではないかと気付いた時にはもう、そんなことを言い出せるような関係ではなくなっていた。

 いっそのこと寝ている彼女と無理やり行為に及び、僕との子どもをと思ったこともあったけれど、紗柚の眠る同じ部屋でできる自信はなかったし、それで孕んだとしても紗羅は平気で無かったことにするだろう。
 そして、僕たちの関係は修復できないほどに拗れるだけだ。

 だから、【女】であることを諦めることのできない紗羅を煽ったのは、確実にあの写真だったはずだ。

 求められない自分と【男】であるのに求められる紗凪。
 紗羅が感じたのは嫉妬だったのか、屈辱だったのか。

「家族としては上手くいっていたんだ」

「紗柚の両親としてはそれなりの体裁は保ってたかもな」

「あの写真がなければ、」

「その写真見付けたのって、紗柚が生まれてすぐとか?」

「違う。
 あの噂が流れ始めるよりはだいぶ前だけど、紗柚はもう小学生だった」

「………じゃあ、紗凪君は全く関係ないんじゃないか。
 紗凪君はむしろ、巻き込まれた方だと思うよ、俺は」

 兄の言葉に反論したかったけれど、本当は自分でも分かっていたことだった。
 あの写真が送られてくるまでの僕たちは一応家族の体裁を保っていたけれど、僕にしてみればそれは紗柚のため。
 紗羅にとっては汐勿の家のためだったのだと。

 あの写真はただのきっかけ。

 そして、多分、きっと、あの噂が無ければ紗羅とあの男がこんなふうに再会することも無かったのだろう。

 どこかでどちらかが気持ちを整理して終わるはずの関係。
 それはきっと、紗羅ではなくてあの男も同じだったはずだ。

 だって、紗凪を見ている彼の顔は本当に愛おし気だったから。
 それを許すことができなくて邪魔をしたのは紗羅で、そのせいで傷付いたのは紗凪。だけど、紗柚や僕がいるのに紗羅のとった行動が悲しくて、許せなくて、その気持ちをどこに向ければ良いのかが分からなくて紗凪に刄を向けてしまった。

 こちらに帰ってくることのないであろう弱い存在。
 蔑ろにされても声をあげないであろう存在。

 紗羅によく似た彼を傷付けることで、自分に自信をつけて紗羅本人に向き合おうと思ったんだ。

 最低だ。
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