世界が終わる、次の日に。

佳乃

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閑話

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 実家に戻ってからも数時間おきにGPSを確認して、移動していないことを示すためにスクショを撮っておく。
 位置情報で確認したその場所を調べると如何にもといった感じの建物で、よく恥ずかしげもなくこの建物に入ったものだと呆れてしまった。自分ならいくら車であってもこの建物は遠慮したいと思うような外観の画像も保存して、GPSの示した場所と一致している事を示すために住所も保存しておく。

 もしも裁判になった時に勝手に転送したメッセージや、勝手にインストールした位置情報アプリは証拠にならないことは十分承知している。それどころか、僕自身が罪に問われる行動だとも理解している。だけど、紗羅本人と交渉するには有用だ。
 世間体を気にする紗羅は、僕がこの事実を友人に伝えた時にどうなるかが分からないほど馬鹿じゃない。

 代々続く汐勿の家だけど、僕の家を力でねじ伏せるほどの力は残っていないから醜聞が広がる事を避けることはできないだろう。過去の栄華を頼りに続いている家だから、醜聞によってただでさえ翳りの見える栄華を汚すことも嫌うだろう。土地は残っているけれど、うまく相続をしなければ危ういようなもので、醜聞が広がって貸している土地を返すなんて言われてしまえば色々と立ち行かなくなるような経済状況に紗羅は気付いているのか、いないのか。
 まあ本当のところ、紗羅の醜聞で土地を返す返さないなんて話になることはないのだろうけれど、可能性がないわけではない。最悪の状態をシュミレーションしてそれをチラつかせ、自分の優位に事を進めるだけのことだ。

 僕が紗柚を連れて実家に帰り、その理由を聞かれた時になんと答えるかは紗羅次第で、もしも僕が実家に帰る事を阻止しようとするのなら、同級生という名の友人たちにこの事を意図せず漏らせばいいだけのこと。
 同級生と同級生の配偶者、その両親。
 汐勿の名前はそれなりに知られているのだからどうなるかなんて明白だ。

 紗柚が可哀想だからそんなことはしたくないけれど、それでも紗羅が抵抗するのなら対抗するだけだ。

 相変わらず動かない位置情報を見ても感じるのは呆れだけで、自分の妻が過去の男と何をしているのか理解していても嫉妬を覚えることもない。家族としてそれなりの関係を築いてきたつもりだったけれど、紗羅は自分ほどその関係を大切にしていなかったのだと思い知らされるだけ。

 もしもあの時、紗柚以外の子どもは望んでいないと言った時に僕が処置する事を先に提案する事なく、話し合いの場を持っていたら。
 もしくは自分が服薬したり、処置する事を先に提案していたら結果は違ったのだろうか。
 互いを慈しみ合い、その上で出した結果なら不本意だったとしても受け入れ、紗羅の望みを叶えていた未来がなかったわけじゃない。だけど、結婚の条件は【男性不妊】ではないことで、結婚すれば孕むためのタイミングで抱く事を強要され、子どもを産めば孕まないための処置を提案される。

 そこに僕の意思は必要ないのだから、僕の扱いは種馬であり、バイブでしかないと思っても仕方がないだろう。
 そして、そんな紗羅との行為を望まないのも当然だと開き直る。
 紗羅に似た子どもと、僕に似た子どもを授かることができれば嬉しいのになんてお花畑な事を考えていた頃が懐かしい。
 
 そんなことも話さずに結婚したのかと責められるかもしれないけれど【男性不妊】ではない事が条件の結婚で、子供がひとり生まれてすぐに避妊のための処置を提案されるだなんて想像すらしなかったのだから仕方ない。そこは男性不妊にばかりこだわり、自分の望む家族生活を告げなかった紗羅にも非があると考えている。

 夕飯時になっても位置情報に変化は無く、時間だけが変化する似たようなスクショだけが増えていく。

 風呂に入った紗柚は今日は祖父母と寝ると言い出して二人を喜ばせ、解放された兄は少しだけ淋しそうな顔を見せる。両親に先に入浴してもらい紗柚を任せた後は僕も風呂を済ませ、変わり映えのしないGPSを確認する。
 今夜はここで過ごすのだろう。

 義母にはなんと告げて家を出たのか。
 帰らない理由をどう告げたのか。

 もしも今、紗柚が調子を崩したと言って家に帰った時に僕にどんな言い訳をするのか。

「紗凪君はどうしてるのかな、」

 ふと思いついた事が口から漏れる。
 紗羅が貴哉と過ごしているということは、紗凪はひとりで過ごしているのだろう。写真に映るふたりは仲睦まじく見えて、こんな時に紗羅と過ごす事を選んだ貴哉を不思議に思ってしまう。実際に二人を目にしたわけではないし、傷付けられた写真のせいで紗凪の表情は分からないけれど、紗羅が嫉妬する程の表情であったはずだ。

 貴哉が今どこに居るのか、誰と過ごしているのかを知っているのだろうかと考えて話を聞いてみたいと思い、その連絡先を探す。
 今まで連絡を取ったことはないけれど、連絡先は知っている。使うことはないだろうと言いながら連絡先を交換したのは顔合わせの時で、紗羅から僕のことを聞いていなかったのか、僕の顔を見て驚いた顔を見せた紗凪を今でも覚えている。きっとあの時、紗羅と貴哉が別れたことを知らなかったのだろう。
 挨拶を交わし、食事会に移る前に義母と話していたからその時に僕との結婚の経緯を聞いたのかもしれない。

 あの後、紗凪に僕のことを告げなかったのかと聞いた時に紗羅はなんと言ったのだったか。家にいないせいで伝える機会がなかったとか、紗凪が多忙なせいで連絡がつかなかったとか言っていたけれど、今覚えば意図的に告げなかったのだろう。紗羅にとって家族であって家族じゃない存在。
 そんな紗凪が自分のモノだったはずの相手と幸せに過ごしている事が許せなかったのだろうか。

 消極的な証拠しかないせいで決定的なモノが欲しくて紗凪に連絡を取ろうかと悩むけれど、紗凪が何も知らなければ無駄に傷付けることになってしまうと思うと指を動かす事ができない。

 悩んでいるうちに日付は変わってしまい、流石にこんな時間に連絡を取るのは非常識だろうと連絡先を閉じる。今日はもう寝ようかと寝る支度を始めた時にドアをノックする音と、「まだ起きてるだろう?」と言う兄の声が聞こえた。

「起きてるよ」

 僕の返事にドアを開けた兄は手に持ったビールを見せて「少し話すか」と部屋に入ってくる。結婚するまで使っていた自室は本棚とベッド、あとはローテーブルが置かれているだけでフローリングの床に直接座るしかないけれど、たまにはそれもいいだろう。

「今日はありがとな、」

 僕にビールを渡しながら「父さんも母さんも喜んでたよ」と笑うと「俺も楽しかったし」と紗柚と過ごした時間がどれだけ楽しかったのかを話し出す。紗柚と話を合わせるために始めたゲームだったけれど、仕事で行き詰まった時の良い気分転換にもなっていると笑った兄は一通り話した後に「で、なにがあった?」と問いかける。

「紗羅さんが今日来なかったことと関係あるんだろ」

 紗柚が泊まることを頑なに許さなかったのに、こんな時に泊まることを許したこと。そして、紗羅が顔すら出さないことで何か思うところがあるのだろう。そして、付け加えるように「最近のお前は表情が暗いぞ」と言われてしまった。

「そう?」

「そう。
 聞いて欲しい事があるなら聞くし、助けが必要なら協力する。
 どちらも必要ないなら飲んで寝て、紗柚が心配しないように笑え」

 僕の意思に任せると言った兄はそれ以上何も言わずビールを口にする。「つまみ持ってくれば良かった」なんて言っているけれど、何か腹に入れてから飲めと言われてもアルコールばかり摂取する飲み方をする兄はそんなことを言いながら僕の言葉を待っているのだろう。

「もし、紗柚を連れて帰って来たいって言ったら迷惑かな」

「別に大丈夫じゃないか?
 俺は嬉しいかな」

「騒がしくなるよ?」

「賑やかになって父さんも母さんも喜ぶんじゃない?」

 曖昧な言葉で何があったのかを伝える段階ではないと受け止めたのか、受け入れる姿勢はあると示して「もしそうなったら、俺の部屋は工房の方に移すこともできるぞ」と笑う。

「え、それは申し訳ないよ」

「何で?
 どうせ俺はあっちにいることの方が多いんだし、紗柚の生活リズム考えたらその方がいいんじゃないかな。
 紗柚がいるからって生活リズム変える気はないし」

 普段から睡眠時間の短い兄だから、夜更かしをする兄の気配で紗柚が落ち着かないかもしれない。

「それに、俺があっちに移れば何かあった時に紗柚を匿える」

 何か思うところがあるのかそんなことを言った兄だけど、「叱られた紗柚を匿って甘やかす特権は俺のモノだ」とニヤニヤしている。甘やかし過ぎは困るけれど拠り所があるのは紗柚のためにもなるだろう。

「まあ、話したくなったらいつでも聞くから」

 ビールを飲み終わったのか、そう言いながら立ち上がると「おやすみ」と自室に向かう。思うところはあるのだろうけれど、僕の気持ちを尊重してくれるところがありがたい。

「おやすみ」

 挨拶を交わし、寝る前にもう一度GPSを確認する。
 移動しているわけがないと思いつつも、同じ位置を示していることに落胆する。せめて紗柚の様子を気にする連絡があれば一方的にこちらの要求を突きつけるのではなくて、多少は話し合いの余地を持つことを考えたかもしれない。

 だけど家族を、僕を種馬扱いしてまで欲した紗柚を気遣うことなく、自分の欲を優先した紗羅に対して愛情どころか情すらも無くなってしまった。

「スクショ撮っとかないと」

 GPSのスクショは昼間から同じ位置のままで、そこで何をしているのかを想像して吐き気を催しそうになるけれど、変な時間に飲んだアルコールのせいにして目を瞑る。紗柚がお腹に宿るまでにした行為は数えられる程で、今更紗羅の痴態を思い出すこともなかったのに目を閉じると浮かび上がる紗羅の肢体。
 年齢のせいなのか、出産のせいなのか、出会った頃よりもふくよかになった最近の紗羅ではなくて、丸みの少ない出会った頃のそれを思い浮かべたのは【現在】の紗羅を知らないから。

 今この時も、貴哉と身体を重ねているのかと考えると今すぐにでもその場所に乗り込みたいと思ってしまう。

 紗羅は僕の妻だと、紗柚の母なのだと言って連れ帰る事ができたらこの気持ちは治るのだろうか。



 そうか。


 そうだったのか。


 汐勿の家に縛られ、弟に嫉妬して、過去の恋愛を忘れることのできない紗羅を憐れに思っていたけれど、1番憐れなのはきっと僕だったのだろう。

 避妊の処置を拒んだのも、身体を重ねることを拒んだのも、【種馬】としてではなくて僕を見て欲しかったから。
 汐勿の後継ではなくて、僕の子どもを産みたいと言って欲しかったから。

 叶うことのない願いだからと紗羅を蔑むことで気付かないふりをして来たけれど、今になって自覚してしまった。

 もう、どうすることもできないのに。

 貴哉とのことを無かったことにして今までのように過ごすことはできない。何度も抱かれたのだと思うと許せなくて、いつか紗羅を殺めてしまうだろう。

「馬鹿だな、」

 蔑む言葉は誰に対してのものだったのか。

 日付が変わった今日、紗羅は誰と過ごすのだろうか。
 このまま明日まで貴哉と過ごすのか。
 家に戻り、家族と過ごすのか。

 だけど、紗羅が一緒に過ごす家族の中に紗柚と僕は含まれないのだろう。
 そして、その家族の中には紗凪も含まれていないのだろう。

 結局、紗羅の欲しかったものは汐勿の家と貴哉との子どもで、貴哉がそばにいるのなら僕も、紗柚でさえも必要無いのかもしれない。
 
 あんな写真が送られてこなければ。

 紗凪があんな写真さえ撮られなければ。

 そもそも紗凪が姉の元婚約者である貴哉と付き合わなければこんなことにならなかったはずだ。

 家族として過ごすうちに紗羅との関係は変化して、いずれは僕の子どもを産みたいと思ってくれたかもしれないのに、その希望を断ち切った紗凪が許せなかった。

 紗凪は貴哉と紗羅が一緒に過ごしていることを知っているのだろうか。もしも知らないのなら、教えてやる必要があるかもしれない。

 お前のせいで僕の家族は壊されたのだと告げ、そもそも紗凪という存在がなければ紗羅はこんなにも歪まなかったのだと言えばどんな反応が返ってくるのだろうか。

 完全な八つ当たりだったのだと時間が経ってから自分のしたことの残酷さに居た堪れなくなるのだけど、この時は全て紗凪のせいだと思うことで自分の中での救いを見出そうとしていたのだろう。

 世界が終わるまであと2日。

 世界が終わる前に紗凪に現実を伝えることを決めた僕は、紗凪との会話をシュミレーションしながらそっと目を閉じた。
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