世界が終わる、次の日に。

佳乃

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大輝

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 紗凪にダラダラして過ごせと言っておきながら手持ち無沙汰になってしまったオレは、寝室ではなくて自室に篭った。
 自室にあるPCでもデータの整理はできるからと紗凪が起きる前に運んでおいた過去の資料を広げる。

 削除するべき情報、加えておくべき情報。そのままにしておいてその都度確認したところでそれほど不便では無いのだけど、整理しておけば資料を開く手間は省くことができる。
 面倒だと伸ばしていたことのツケを清算するにはこの時間はちょうど良かった。

 黙々と作業をしている分には腹は空かない。二日酔いにはなっていないけれど、紗凪と一緒になって飲みすぎたせいで食欲がないからちょうど良い。

 彼女が出て行ってからは静かだったからか自分以外の生活音が聞こえるのは案外落ち着くモノだと実感し、そう言えば学生の頃のアパートは防音が甘かったと思い出す。この家に越してからは紗凪がいたせいで今まで経験したことの無かった無音の生活は、自分で気づいていなかっただけでそれなりにストレスになっていたのかもしれない。
 特にあの噂が出てからは一方的にメッセージを送ってくる取引先が多く、誰とも話さないまま数日を過ごすこともあった。

 浴室のドアを開閉する音。

 廊下を歩く足音。

 待っていれば彼女が顔を出した時と違い、誰とも話すことのない日々を送る毎日は思った以上にオレの心をすり減らしていたのかもしれない。

 取引の停止を通告するメッセージ。

 それでもその関係が切れないように取引の再開を匂わせるような身勝手なメッセージ。

 紗凪からは何か手伝うことがあればと連絡が来ていたけれど、貴哉との時間を邪魔したくなくて我慢していた。紗凪を帰したくなくなるのが怖くて我慢していた。
 だけど昨日の紗凪の話を思い出すと噂が現実的になってきた頃から貴哉との関係は良くなかったのだと聞かされて、我慢していた自分が馬鹿みたいだと嗤えてしまう。
 ふたりの関係にヒビを入れたくて紗凪の姉に何度も写真を送ったくせに、世界が終わるのなら大切な人と過ごして欲しいと願う矛盾した気持ちと行動はただの独りよがりだったのだろう。
 そんなことになっていると知っていれば理由をつけて事務所に顔を出してもらったのにと、紗凪の話をちゃんと聞かなかったことを悔やむ。

 何度も送られてきたメッセージは紗凪からのSOSだったのかもしれない。

 そんなことを考えながら作業するうちに気がつけば夕方で、時計を見て空腹の理由に気付く。
 紗凪の二日酔いは良くなったのかと心配しながら〈夕飯は?〉とメッセージを送ってみる。返信が来なければ寝ているのだろう。
 PCと資料を片付けている間に《お腹空いた》と返ってきたメッセージに〈昨日の残り、片付けちゃう?〉と送りキッチンに向かう。

《今日は飲まないよ》

 返ってきたメッセージに思わず吹き出す。流石に2日続けて二日酔いは辛いだろう。

 取り敢えずキッチンストッカーからパックのご飯を取り出し、ついでにインスタントの味噌汁をテーブルに置く。
 いつ買ったのかすら思い出せないため賞味期限を確認してどちらも期限内なことに安心する。ストッカーの中には他にも食品が入っているけれど、中には賞味期限の切れたものもあるだろう。

「パックのご飯温めるけどどれくらい食べる?」

「少しだけ」

「味噌汁、お湯沸かすからカップに入れておいて」

 キッチンに入ってきた紗凪にそう聞いてワンパックだけレンジで温め、味噌汁を作るようにお願いする。その間に昨日の残りを冷蔵庫から出して器に移していく。昨日は面倒でそのまま出してしまったけれど、いかにも残り物といった感じで並べてしまうのは忍びない。

 昨日の残り物は器に移して並べるとそれなりの食卓ができてしまう。
 以前のオレならそんなこと気にせずに並べただろうけど、彼女と暮らした短い期間に色々と教えられた。

「大輝って、そんなことするタイプだったっけ?」

 紗凪がそう言って驚いた顔を見せたけど彼女の影響だとは言いたくなくて、「まあな、」と曖昧な返事で誤魔化してしまった。紗凪には酔いに任せて話すように仕向けたくせに自分のことは誤魔化すだなんて狡いと思わないでもないけれど、話さない方がいいことだってあるのだから。

 彼女の残した茶碗やカップを使わせたくなくて、オレの茶碗に米を取り分け紗凪の前に置き、自分の分はパックのまま置いて食事を始める。
 パックのままのご飯に何か言いたそうな顔を見せた紗凪だったけど、「食器も少し増やさないとな」と言えば戸惑いながらも「そうだね、」と答える。
 箸と茶碗、それとマグカップは必要だろう。いつまでも来客用のカップと割り箸で過ごすわけにはいかない。

「明日からはダラダラしてても時間の無駄だからデータの処理と、後ちょっと相談もあるから9時に事務所な。
 とりあえず午前中は仕事して、昼から買い物?
 いちいち買い物に行くのも面倒だから適当に食料品買いに行く予定だから。
 あの日は流石にコンビニも閉めるかもしれないし」

 口を挟む隙を見せず一方的に話し、勝手気予定を決めていく。
 買い物がてら食器も揃えてこよう。

「食料品って?」

「外に出なくても大丈夫なように適当に買って来とけばいいんじゃない?
 車で行けば大量に買っても運べるし」

「どんだけ食べるつもりなの?」

 オレの言葉に紗凪は苦笑いしたけれど、成人男性ふたりとなればそれなりの量が必要だろう。

「でも1週間3食ふたり分って結構な量になると思うよ」

「そっか、42食分ってことだよね…」

 改めて計算をした紗凪は「冷凍庫に入らないよね」と言い出すため「3食冷凍ミールは勘弁してくれ」と答えておく。
 いくら物の入っていない冷蔵庫でも42食分は入らないだろう。

 そんな会話をしながら食事を終え、さすがに今日は飲まないでおこうとそれぞれの部屋に戻る。
 片付けは紗凪がやると言ってくれたけど、ふたりでやれば早いからと分担して片付けを終えた。

「生活のルールは前と同じで。
 風呂入るならお先にどうぞ」

 紗凪が風呂に入っている間に資料を戻しておこうと考えそんなふうに声を掛ける。素直な紗凪は「じゃあ、先に入るね」と答えると「ジャージ、今日も借りるね。おやすみ」と笑顔を見せて支度をするために部屋に戻る。

「おやすみ」

 挨拶を交わして自室に戻り、紗凪が浴室に向かったのを見計らい資料を下に戻しておいた。
 リビングに向かい、紗凪を意識しすぎないようにテレビを付けるけれどバラエティを付けても報道番組を付けても【終わりの日】の話題ばかりで、目新しい情報は無いのに同じような内容に飽きて仕方なく消してしまう。
 いつもなら自分ひとりで静まり返った空間だったのに、同じ屋根の下に紗凪がいると思うだけで家の雰囲気が違うと思うのは気のせいでは無いだろう。

 浴室から出た紗凪がオレに気付き顔を出すことを期待したけれど、こちらに向かう足音はせず、部屋のドアを閉めた音が聞こえた。

 ひとりで考えたいこと、考えるべきことがきっと山積みなはずだ。

 少し時間を置いて浴室に向かうと洗面所に置かれた歯ブラシと歯磨き粉に気付き、紗凪が戻ってきたことを実感する。
 こうして少しずつ紗凪のものが増え、それが当たり前になっていくのだろう。

 ⌘⌘⌘

 前日と同じように紗凪より早く起き、顔を洗ってコンビニに向かう。
 朝食用に何も用意していなかったからパンやおにぎりを適当に選び、ペットポトルの飲み物も適当にカゴに入れる。
 ついでに入れておいた紗凪の好きそうなお菓子は休憩の時の糖分補給にちょうど良いだろう。
 甘やかしている自覚はあるけれど、甘やかされてオレから離れられなくなれば良いと意図してのことだ。

 帰ってすぐにキッチンに向かい、飲み物を冷蔵庫に入れてから部屋に戻る。普段は朝食を抜くことが多いため買ったものはそのまま置いておいた。

 ガタガタして紗凪を起こしたくなくて部屋で時間を潰し、ドアを開ける音を聞いてキッチンに向かう。
 
「何固まってるの?」

 朝食の用意をしていると思って入ったキッチンで立ち竦む紗凪に思わず声を掛ける。何をしているのか不審に思いながらも冷蔵庫からコーヒーを取り出すと「おはよう」と応えるけれど、そのまま動こうとしないため「その辺にあるの、適当に食べたら」とコンビニの袋を指差す。
 袋に入れたままのそれに気付いていなかったのかもしれない。

「ありがとう。
 何時に起きたの?」

「さあ。
 目が覚めて食べるモノなかったからコンビニに行って来ただけだし」

 時間を言って、自分の行動が紗凪のためのものだと気付かれたくなくてとぼけた返事をしておく。

「お金払うよ、」

「別にいいよ、これくらい。
 福利厚生だと思っとけ。
 でもしばらく外に出ないようにするなら自炊も有りなのか?」

 自分の料理スキルを棚に上げてそう言ってしまい、「紗凪って料理作れる?」と確認してしまう。学生の頃は自炊していたはずだ。

「簡単なモノなら。
 大輝は?」

「カップラとか、レトルトのカレーくらい?」

「それ、自炊って言わない」

 オレの答えに呆れた顔を見せたけれど、「炊飯器あるから米買ってくるか」と言うと今度は驚いた顔をされてしまった。

「彼女がいた時に炊飯器買ったんだよ」

 言い訳のようにそう言った時に淋しそうな顔をした理由が気になったけれど、その理由を聞くことはできなかった。

「レトルトと冷凍と、あとは麺類とか。
 簡単なモノなら作るから」

「良いのか?」

「………福利厚生?」

「じゃあ、お願いしようかな」

 お互いに言いたいけれど言えないこと、聞きたいのに聞けないことは沢山あるけれど、それを飲み込み何事もなかったかのようにやり過ごす。
 離れた時間にできた距離を急いで埋める必要もない。

「先に下行ってるから」

 話がひと段落したところでそう声をかけ、事務所に向かう。
 紗凪が降りてくる前に事務所のカーテンを開けておくために。

 ⌘⌘⌘

 食事を済ませた紗凪が降りてきたところでデータの整理を始め、作業をしながら出向することを最小限に抑え、可能なものはリモートに移行するようにしたいと相談してみる。

「出向の方が手っ取り早いのと面倒が少ないから続けてたけど、リモートならこんな時も対応できるし、効率も上がると思うんだ」

 聡い紗凪はそこに至った理由に気付くだろうけれど、それを口にすることはない。

「別に良いけど、対応できないところは?」

「調整が終わるまでは出向もやむを得ないけど、調整を拒否されるようなら他社に譲っても良いと思ってる。
 別に紗凪のことがあったからってだけじゃなくて、将来を見据えてだから」

「その辺は大輝に任せるよ」

 代表はオレの名前になっているせいか、基本的に紗凪が意見することがないことを知っての提案はその言葉で肯定された。

「じゃあ、そういうつもりで調整するから。でも紗凪、出向無くなると退屈?」

「え?
 通勤の時間が無くなればその分他のことできるし、ボクは賛成だよ」

「じゃあ、この話はこれでお終い。
 キリ付いたら買い出し行くか」

 囲うための準備が少しずつ整っていくことに気を良くして自然と笑顔になってしまう。

「なんか、ごめんね」

「何が?」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 短い言葉で通じる気持ち。

 紗凪が弱っている時に甘やかして依存させようとしている自分の狡さは自覚している。
 だけど、自分から手を離したせいで傷付けられた紗凪を癒したいと思うのは悪いことじゃないはずだ。

 世界が終わっても、一緒にいたいから。

 世界が終わらなくても、一緒にいたいから。

 
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