世界が終わる、次の日に。

佳乃

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紗凪

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 貴哉が姉の元に向かったのは世界が終わると言われている日のちょうど1週間前だった。

 いつでも会えるように早めに向こうに行くと言っていたけれど、どこでどうやって過ごすのかなんて気にならないとは言えないけれど、ボクにできることは何もない。
 義兄と甥がいないと言っても両親も祖父母もいるのだから家に入ることはないだろう。そう思いながらも、あの姉のことだから平気で貴哉を家に入れるかもしれないと危惧する。
 貴哉だって、何度も行ったことのあるボクの実家だから入り込むのは難しくないだろう。

 そんな事を考えながら電車に乗り、事務所に着くと普段通りに大輝に声をかける。それまでも相談するタイミングはあったのに相談できなかったのは、口にしなければ無かったことになるかもなんて淡い期待があったから。
 口にしなければ現実にならないなんて、現実として受け止めなければ貴哉は出て行かないなんて、そんなことはあるはずがないのに僅かな望みをつなげたかったんだ。

『ねえ、僕とこういう関係になったって、姉さんは知ってるの?』

『僕は姉さんの代わりだったの?』

『僕よりも、姉さんが好きだったんだよね』

 聞きたいことも、言いたいこともたくさんあった。

『僕が仕事を辞めて、貴哉のことだけ考えてたら姉さんよりも僕を選んでくれたの?』

 姉との関係が切れていなかったと告げられても、姉の代わりだと気付かされても、それでもどこかで期待していた。
 僕と最後を迎えると言ってくれることを。

 貴哉が出て行って、その現実を突きつけられてやっとまとめた荷物とあの部屋に置いてきた荷物。少し大きめのスーツケースには本当に必要なものだけを詰めてきた。
 貴重品と身分を証明するもの、そして今の季節に必要な衣類。当然、仕事に必要なものを残しておくようなヘマはしない。
 逆に言えば、残してきたものは今の季節に必要のない衣類とボクにとっては価値の無い、価値の無くなったモノ、そして使うことのなくなった鍵。

 激情に駆られて部屋をめちゃくちゃにする事だってできた。

 食器を全て床に叩きつけて、寝室の寝具を切り裂き、貴哉が残した衣類を、クローゼットの中身を全て引き摺り出してメチャクチャにして。そうしたら少しは気が晴れたかもしれない。

 世界が終わらなかったとボクが待つ部屋に戻ったつもりが、部屋の惨状を見てボクがどれだけ傷付いたのか思いしればいい。そんなふうにも考えた。
 だけど、それをしてしまったら2度と元の関係には戻れないだろうと未練がましくも思ってしまい、そんな自分を嫌悪する。

 無理やり身体を暴かれた時に逃げる事だってできた。写真を撮ったとボクを脅すような事をした貴哉だったけど、それを人に見せるような事をするかと考えれば答えは【否】だ。それをした時にボクが泣き寝入りをしなければ自分がどうなるのかを考えれば、そんな馬鹿な事をする人じゃないだろう。
 だから、写真を理由にして貴哉から離れなかったのはボクの意思でしかない。
 優しくされ、離れがたくて。
 だから、写真や動画で脅されたのだから仕方ないと諦めた振りをして、貴哉の隣に居座ったんだ。

 ⌘⌘⌘

「大輝は会っておきたい人とか大丈夫なの?」

 言われるがままに揃えた生活用品を片付けながら聞いてみたのは大輝の都合を考えず、当たり前のようにこの家に来たことが後ろめたかったから。お金がないわけじゃないのに真っ先にここに来た理由は、心細かったからなのかもしれない。

「別にいないかな」

 ベッドの下に置くすのこを組み立てながらそう言った大輝は少し考えて「うん、いない。強いて言えば紗凪?」と言いながら止まってしまった手を動かすようにと注意される。

 スーツケースから衣類を取り出し衣裳ケースにスライドさせる。

 布団の梱包を取り去り、カバー類をかけていく。

 本当はカバーを1度洗いたかったけれど、今夜使うことを考えると我慢するしかない。洗い替えを買ってきたから明日の天気が良ければ洗うことができるだろう。

 ボクの部屋は以前使っていた部屋をそのまま使っていいと言われ、今夜から使えるようにと掃除も終わらせた。僕のかつての部屋は彼女が使っていたわけではなさそうで、掃除といっても空気を入れ替え、床の掃除をしただけ。カーテンが埃っぽいかもと言われてそのままにしてあったカーテンを交換したせいか、慣れたはずの部屋が少しだけよそよそしかった。

「部屋探ししようにもしばらくは落ち着かないだろうから、必要な物あったら買い物付き合うよ」

 車から下ろした布団や衣裳ケースを見ながら苦笑いを見せた大輝は「服とか、買ってくればよかったな」と呆れる。
 スーツケースから出した衣類は全てをケースに納めても余裕があって「オレの着てない服、着てもいいから」と言うけれど、体型の差を考えると好意を受け取っておくだけにしておいたほうがいいだろう。

「鍵、持ってきてたら荷物全部運べたのに」

 そんな言葉に「だって、この部屋使えるなんて思いもしなかったし」と答えれば「それもそっか、」と納得するけれど、それでも「事前に連絡くれてれば、」とお小言が止まらない。

「大切な物は全部持ってきたから大丈夫」

 そう答え「いらないもの残してきたんだから、ある意味嫌がらせだよね」と笑って見せる。あの部屋に残してきたモノは【鍵】も含めて、これからのボクには必要のないモノだと自分に言い聞かせる。
 姉を選んだ貴哉の元に戻る気は無いと彼に分からせるために必要だったのだと、ボク自身がケリをつけるために必要だったのだと。

「ん、何か言った?」

 ボクの言葉に大輝が何か言ったような気がしたけれど、「片付いたなら移動する?」と移動を促されて部屋を移動する。今日はもう仕事をする気にもなれないから時間はまだ少し早いけど、この数ヶ月の出来事を話すのも悪くないだろう。

「紗凪、あと1週間だけど何かやりたいことある?」

 生活用品を揃え、外食をするよりも家でダラダラと飲もうとカゴいっぱいに食べ物を買い込んだボクたちは、ダイニングテーブルに買ってきたものを並べて取り止めのない話を続ける。

「あと1週間でまとめてなかったデータ、片付けちゃう?」

 世界が終わるだなんて信じていないボクは忙しさを理由にそのままにしてあるデータを思い出してどのくらいかかるのかと頭の中で計算する。大輝が時間を見つけてやってくれてはいるけれど、現行の仕事を優先するとどうしても後回しになってしまうから丁度いい。

「大輝、仕事ないかって聞いても自宅待機って言うだけだったし」

「だって、こんなことになってるなんて思ってなかったし」

「ボクだって、大輝がこんなことになってるなんて知らなかったし」

 一緒に住んでいた頃だってお互いのことをあまり話さなかったせいか、今回も大輝に相談することすらしなかった。

「でもまあ、何も無かったら結婚してたはずの2人なんだから…仕方なかったんだよ」

「でもお姉さんだって結婚して子どももいるんじゃなかった?」

 呆れたようなその言葉に「だからなんじゃない?」と答えれば「何で?」と納得できない顔をされる。

 結婚して、子どもが産まれて、【家族】という関係ができればそれを守ろうとするのが普通だと大輝は思っているのだろう。ボクだってそう思っているけれど、全ての人が同じ考え中わけじゃない。
 
 別れたはずのふたりがずっと繋がっていたのは、どこかでまだ気持ちが残っていたからなのだろう、きっと。

 貴哉と暮らすようになってからいつも感じていた罪悪感は、きっとそれを無意識に感じていたからかもしれない。
 部屋が見つかるまでお世話になるからと実家に連絡していたら、貴哉だってボクとの距離を縮めようとは思わなかったかもしれない。
 もしも連絡をしていれば何がどうなっているのだと聞かれるだろうけれど、母は貴哉に挨拶をすると言い出しただろうし、姉と話すことだってあったかもしれない。互いの近況を話し、もしかしたらあの頃とは違う形での付き合いが始まっていたかもしれない。
 出向先で再会したのは偶然なんだからやましいことなんて何もなかった。
 貴哉からボクの実家に連絡することはできないだろうけれど、ボクから連絡することはできた。
 だけど、それをしなかったのは知られたくなかったからだと今更ながらに自覚する。

 別れたあとも連絡を取り合っていたのに貴哉がボクのことを告げなかった理由は分からないけれど、ボクはきっと、ふたりに腹を立てていたんだ。

 あんなに仲良く見えたのに別れたふたりに腹を立て、ボクにはさよならも言ってくれなかった貴哉に腹を立て、顔合わせの日まで何も教えてくれなかった姉に腹を立て。
 姉のことは少し苦手だったし、新婚家庭を見ながら生活する気はないからと家から通えない大学を選んだけれど、本当は貴哉が義兄になることを望んでいたんだ。
 優しいフリをしてどこかヨソヨソしい姉と違い、会うたびにボクを気にしてくれた貴哉が義兄となることを楽しみにしていたのに、それができなかったことをずっと不満に思っていた。

 だから、ボクだけを見て欲しくて貴哉との関係を隠すように住所変更もしなかったんだ。家族に、姉にバレないように。

「会って何するんだろうな」
 
「さあ、」

 短く答え、買ってきた食事に手を伸ばす。会って何をするかなんて、子どもじゃないんだからそういうことだろう。想い続けていた最愛と会ってしまえば、弟を身代わりに抱きたいほどに焦がれていた相手と会ってしまえばそれは必然。

 ボクの感じた憤りなんてふたりには関係ないのだから。

「黙って会わせちゃっていいのか?」

「ボクには関係無いよ」

 貴哉の元に戻る気は無いし、姉に対しては彼女が何も知らないとしても顔を合わせることなんてできない。それは罪悪感もあるけれど、それ以上に醜い気持ちのほうが大きいから。

 選ばなかったくせに。

 捨てたくせに。

 ボクのものだったのに。

「関係ないって顔じゃないよ、それ」

 呆れたようにそう言った大輝を無視してグラスを仰ぐ。注がれたワインは甘口のはずなのに、ちっとも甘くなかった。
 
 
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