世界が終わる、次の日に。

佳乃

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閑話

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 姉弟の年齢差が離れているせいか、紗凪の同級生と保護者として関わることがなかったのがせめてもの救いだろう。
 『そう言えば弟いたよね』と言う程度の会話はあったけれど、紗柚のことをそれほど詳しく知らないせいで似ているという言葉は出ない。

「紗羅のとこは弟何してるの?」

 園の行事で同級生にそう聞かれるたびに紗凪を下げ、「もう帰って来ないんじゃないかな」と笑顔を見せる紗羅ははっきり言って醜悪だった。
 似ていると言われると不機嫌になるくせに、話の流れで弟のことを聞いただけの相手に対しては自分の方が優秀だから汐勿の家を継いだのだとか、次の跡取りは紗柚だからとか、聞いてもいないことを得意そうに話し出すせいで【紗凪】の話題はタブーなのだと徐々に認識されていく。

 紗羅の拘る汐勿の跡取りという立ち位置は、正直なところ僕たち世代にはそこまで魅力的なものではない。

 両親の世代だって、僕の世代だって背負うものは少なければ少ない方が楽だと考える人の方が多いだろう。祖父母の世代はともかく、よほどの家柄でなければ跡継ぎとか跡取りとかはそこまで重要ではないのだから。
 僕の家だって代々の家業が続いているけれど、家業を継ぐことを親から強要されたことはない。たまたま兄が興味を持ち、身体を壊して地元に戻った僕が手伝いを始めただけで、紗羅のように早い段階で跡を取るなんて言う同級生はいなかった。

 それならば何故、紗羅と結婚したのかと言われれば…それが楽だったから。

 結局、代々の家業を手伝っているといっても成人した息子2人が同居するのも体裁が悪い。それならば家業を継いだ兄よりも自分が出ていくのが筋だろう。
 汐勿の家も婿養子に入ってもらうのなら次男の方が良いと話を持ってきたのはその辺も考慮してのこと。

 身体を壊して帰ってきたせいで再就職して頑張ろうなんて思えなかった。かと言ってずっと実家にいることもしたくない。
 条件さえ合えばと話をしてみれば紗羅が望むのは跡継ぎという立場と跡取りという存在で、それを叶えることができれば僕自身は好きにしていいと言われ、悪くない話だと受け入れることにする。
 条件として性液検査をして欲しいと言われた時にはもう少し違う言い方があるのではないかと呆れたけれど、それくらいドライの方がこの先の生活も楽だろうと考えそれも受け入れる。
 結果的に性液検査で異常は見つからず、それならばと僕の婿入りは決定した。

 紗羅の望むままに地元の知り合いが多く呼ばれた結婚式は盛大なものだったけど、紗羅の隣に座る僕に向けられるのは好奇の目。
 婚約者がいたはずだと口に出すような無粋な招待客はいなかったけれど、気の弱そうな紗凪はお酌に回っている時に困った顔を何度も見せていたことを知っている。

 式の前にお互いの家族だけが集まり顔合わせをした時に紗凪が見せた表情と今日の表情は同じで、あの時は何も聞けずに困惑し、今日は何を話せばいいのかが分からず困惑しているのだろう。

 可哀想に。

 これが紗凪に対する僕の気持ちの全て。昔から知っている存在だけど知っているだけで接点はなかったのだからそれ以上でもそれ以下でもない。
 式の後に疲れた顔をしていたけれど、「明日も仕事だから」と泊まることなく帰ってしまった紗凪とはそれ以降も特に接点を持つことは無かった。
 
 それからは無難に過ぎていく毎日。

 新婚旅行は紗羅の希望で国内旅行だった。お互いをよく知らないのだから下手に海外に行って揉めても困るからというのが紗羅の言い分。
 旅行に行っても観光には消極的で、楽しむのは食事とお土産選び。
 そんな様子を見ていると、想い合った相手と結婚できなかったのは僕のせいじゃないし、僕を選んだのは紗羅なのだからもう少し歩み寄ってもいいんじゃないかと思ってしまう。これから長い時間を一緒に過ごすのだからこの旅行は歩み寄るには良い時間だと思っている僕と違い、紗羅としては新婚旅行に行ったという実績だけが欲しかったのかもしれない。

 新婚らしさのない僕たちの毎日は淡々と過ぎていく。

「今日、お願いね」

 そう言われるのは排卵日を挟んだ前後2日で、その時だけ紗羅は僕に対して積極的になる。僕にだってその気になれない時はあるし、逆に妊娠しやすい日でなくてもしたい時だってある。

 だけど許されるのは毎月その時だけ。

 結局、紗羅にとって僕の存在は跡取りを産むための道具でしかなかったのだろう。紗羅のお腹に命が宿ると当然だけど夫婦の触れ合いは無くなった。元々甘い関係でもないから挨拶で唇を合わせることすらしない。
 これが恋焦がれて一緒になった相手なら耐えられなかったかもしれないけれど、お互いに利害が一致して一緒になっただけなのだから仕方ないとそんな風に思うようになっていく。

 欲を発散させるだけなら相手は紗羅じゃなくてもいい。

 だからと言って相手を探すのは面倒だし、そういう店に行くのは紗羅が許さないだろう。店に行くことくらいは許されるかもしれないけれど、特定の相手を作りでもしたら僕の有責で離婚する口実を与えるだけだ。だって、跡取りが生まれさえすれば生殖能力のない男とだって再婚できるのだから。

 紗羅と結婚するまでは自分で処理していたのだから元に戻っただけ。一定期間だけど中出しし放題だったのだからそれで良しとした。あのまま家業の手伝いだけしていたら結婚できなかった可能性だってあるのだから。

 浮気をしたいとは思わないし、想う相手がいるわけじゃない。紗羅に対して恋愛感情は無いけれどお腹の中の子に会うのは楽しみだと思っているし、自分の子を宿していると思えば紗羅のことを大切にしなくてはいけないと思う。

 見合い結婚なんてこんなものなのかもしれない。一緒に生活するうちに情が生まれ、家族を形作り、そこから家族愛が生まれるのだろう。

 少しずつ育っていくだろうその愛は、紗柚が生まれたことで確かに芽生えたとは思っている。少なくとも僕は紗柚が可愛くて仕方ないし、紗柚に会わせてくれた紗羅に感謝してふたりのことを慈しんでいこうと思っていた。
 
 ここから家族になっていくはずだった。

 跡取りを産みたいと言った紗羅だったけど、本当に【跡取り】が欲しかっただけで【子ども】が欲しかったわけではなかったと知ったのは紗柚が生まれて少ししてから。

「ふたり目なんだけど、」

 紗柚を寝かしつけていた時に話しかけてきた紗羅は「作る気ないから」と淡々と告げる。

「え、そうなの?」

 答えに困りそんな間抜けなリアクションしか取ることができない僕に、紗羅は淡々と言葉を続けた。

「うち、母がふたり目不妊で苦しんでたから私はそうなりたくないの。はじめから諦めておけば期待しないし。
 それに、下の子が生まれるたびに全てのことが半分になっていくだなんて、紗柚が可哀想すぎるし」

「半分って?」

「愛情も、時間も、かけられるお金も、紗柚が受け取るはずのものが目減りしてくなんておかしな話じゃない?」

 その言い分は理解はできるけれど受け入れることのできないことで、「え、そんな風に考えるの?」と思わず言ってしまう。そうなると自分は奪う立場になるのだけど、少なくとも兄にそんなことを言われたことはないし、自分の周りにいる長子である友人からも聞かされたことはない。
 兄は僕のことを可愛がってくれていたし、弟妹のいる友人は憎まれ口を叩きながらもそれが本心ではないことがその口調や表情から伝わってきた。

「だって、それまでは自分が1番だったのにある日突然2番になるんだよ?
 今まで一緒にいてくれのに1人で寝流練習をするように言われて、紗凪が泣けば私と何かしてても紗凪のところに行って。
 だから紗柚が嫌な思いをしないようにふたり目は諦めて」

「それは決定?」

「決定。
 だって、1人しかいなければ全て紗柚のモノだし、そのまま紗柚が跡取りになれるでしょ?」

「…それは紗柚が望めばだけど、紗凪君だっていずれ結婚するんじゃないの?」

「だからっ、その前に紗柚に跡を継がせるって決めればいいだけのことでしょ?」

「それは、紗羅がそう言われてきたから?」

 過剰に跡を継ぐことや跡取りを産むことに固執することが理解できなくて、そんなふうに聞いてみても「そんなこと言われたことないけど」と否定する。

「ただ私は自分の居場所を誰にも取られたくないだけ。
 もともと全て私のモノになるはずだったのに、紗凪が生まれたせいで…」

 そこまで言って自分の失言に気付いたのか言葉を止めたけど、撤回する気はないようで「とにかく、」と話を戻す。

「ふたり目は考えてないし、母が苦しんだことを知ってるから自分もそうだったらって考えると怖いの。
 きっと私が同じようにふたり目不妊だってなれば母だって気にするだろうし。
 だからセックスをしたくないとは言わないけど確実に避妊できる方法を2人で考えましょ」

 身勝手な紗羅の言葉に腹が立たなかったと言ったら嘘になるけれど、それならこちらとしても好きにしようと思ったのも本音。
 紗柚には十分に愛情を与えるけれど、紗羅に向けようと思っていた愛情は確実に紗柚に流れていくだろう。

 自分が全てを独占してその独占したものを紗柚に与えようとしているけれど、紗羅のその態度で失ったものはきっと手に入れたものよりも多いだろう。
 だって、紗凪からの肉親に対する愛情はきっと、紗羅には向けられていないのだろうから。

 それに気付かず思い込みだけで欲しいものを独占する紗羅は僕からの愛が、受けられるはずだった愛が目減りしているのにも気付かず自分の思いを遂げるつもりなのだろう。

 いずれ、全てを失うことになるなんてこの時は気づいていなかったけど、きっともうこの時には手遅れだったんだ。
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