世界が終わる、次の日に。

佳乃

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閑話

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「ねえ、紗凪って今何してるの?」

 夕食の席で突然出た名前に耳を疑った。紗羅がたぶん、この世界で1番嫌う人部の名前を自分から出すなんて珍しいと思い義母の返事を待つ。

「大輝くんと2人で起業したとか言ってたけど、パソコンがどうとか派遣がどうとか。まあ、大輝君と一緒だから大丈夫なんじゃない?」

 当たり前のように出てくる知らない名前と、知らなかった事実。
 紗羅からは大学を卒業してもこちらに戻ることなく就職して友人の家に居候していると聞かされていたけれど、義母の口振は自慢げで、持っていたイメージと一致しない。

「大輝君?」

「紗凪の大学のお友達で学生の頃から一緒に仕事してるのよね」

 紗羅が気にする理由も分からないし、紗凪の現在も気になるため聞き耳を立てながら食事を続ける。この家に同居するようになってから数年経つけれど、その間に彼が帰省したのはほんの数回。
 新婚家庭だからと気を使わせたのなら申し訳ないと思いつつ、きっと居心地が悪いだけなのだろうなとチラリと紗羅の顔を見る。

 聞かされた紗凪の様子が予想と違った事が気に入らないのか、その顔は少しだけ苛立ちを浮かべているように見える。

「どこに住んでるかとか分かる?」

「え、確か大輝君のお父さんが使ってた事務所が使えるから大輝君の地元に行くとは言ってたけど。
 え、大学の近くなんじゃないの?」

「何それ、そんなことで大丈夫なの?」

「だって、もう成人してるんだし、あちらのお父さんの伝手もあるから大丈夫って言うから。
 電話でご挨拶はさせてもらったけど、あちらはあちらで紗凪を巻き込んで申し訳ないって言われるし。
 学生の頃も卒業してからも仕事は順調だから心配しなくて良いって言われるから大丈夫なんじゃないの?」

 苛立つ紗羅とは対照的に穏やかな口調で言葉を続けた義母は「確か、紗凪に名刺もらってたはずよ?」と言いながら箸を置く。

「探しておこうか?」

 そう言いながら席を立とうとするため「別に知りたければ自分で聞くから良いよ」と紗羅が答えたところで口を挟んでみる。

「え、紗凪君凄くないですか?」

 そう言って話の主導権を紗羅から奪い、「起業してたんですか?」とか「紗凪君もお友達も優秀なんですね」と水を向ければ次から次へと出てくる紗凪の思い出話というなの自慢話。よく知らないと言いながらも仕事は順調なようで、学生の間も仕送りが足りないなんて一度も言わなかったと得意気に言われてしまった。仕送りが足りず、バイト代で賄うこともせず、ただただ親の脛を齧っていた僕には少しだけ耳が痛い。
 普段話すことのないことを話したせいか、「あ、そう言えば紗凪がいま住んでるのって、」とひとつの地名を口にする。きっと、紗凪の話をしているうちに色々と思い出したのだろう。

「え、紗羅ちゃんがいたのもその辺じゃなかった?」

「隣街だね」

「じゃあ、そのまま住んでたら紗羅ちゃんと同居とかもあったかもね」

 地名を聞いて少しだけ、ほんの少しだけ身じろぎした紗羅に気付かないふりをしたままそう聞いてみれば「そうね、」と短く答える。
 その事実に今初めて気がついたかのような義母は取り繕ったような笑顔を見せたけど、紗羅の過去を気にしてのことならお門違いだ。その街に住んでいた時には婚約者がいたから同居は無理だという思いが表情に出てしまっていたのだろうか。もしもそうならば、そんなふうに気を使う必要ないのにと思ってしまう。

 紗羅の過去は本人から聞いているし、婚約者のことも、破談の理由も聞いている。それはきっと紗凪だって同じはずだから友人の実家がその街だったというだけで、紗凪が意図的にそこの街を選んだわけではないだろう。

 偶然の出来事をいちいち気にしていたら何もできなくなってしまうのだから。

 ⌘⌘⌘

「そう言えば紗凪君、全然帰省しないよね。僕たちが結婚してからも数回じゃない、帰ってきたの」

 自室に戻ってからそう聞いたのは紗凪の動向を探った理由を知りたかったから。
 改めて紗凪の帰省した回数を数えてみると本当に少なくて、盆と正月両方帰ってきた年なんて無かったと気付いてしまう。年末年始に数日帰ってくることはあっても盆に合わせて帰省したことはなく、紗凪に聞いた時に「貧乏暇なしなんじゃない?」と言われたことを思い出す。その言葉を鵜呑みにしていたけれど、義母の話ぶりからしてそんな訳はないだろう。

「自由を満喫してるんじゃない?
 私たちだって、家から出たら開放感あったし。
 まあ、お互いに事情があってこっちに戻ってきたけどそうじゃなければこんなもんじゃない?」

 紗凪の話が出てから普段とは違う様子だった紗羅は、苛立ちを隠すことなく言い訳じみた言葉を並べる。
 紗羅が就職してからも頻繁に帰省していたことは同級生の間では知られていることだ。

 見せびらかすかのように婚約者を連れて帰省してその存在を周囲に知らせ、声をかけられれば「いずれこっちに戻ってくるから」と言いながら彼を紹介する。聞かれてもいないのに「彼、養子に入ってくれるんです」と得意気な顔を見せる紗羅は昔から少しだけ浮いた存在だった。中学生の頃から「私は汐勿の家を継ぐから」が口癖だったのだから変わり者認定されてもいた。

 ここから出て別の街に進学なり就職をしたいと考える同級生は多く、自分もその中のひとりだったから、兄が家業に興味を持ち、家業を継ぎたいと言った時には密かに喜んだりもした。
 家業に全く興味がなかったわけではないけれど、それ以上にここ以外の街に興味があったから。

 だから、紗羅の言葉には違和感しか感じなかった。

「僕はそうだけど、紗羅ちゃんは戻ってくる気だったんでしょ?」

「だからこそ開放感を楽しんでたし。
 紗凪だって楽しんでるんでしょ、きっと」

「の割には紗羅ちゃんはマメに帰ってきてたみたいだよね」

「私は…紗凪もまだ小さかったし」

 取り繕った会話に自分でもおかしさは感じているのだろう。そもそも僕たちが就職した頃には8つ離れていた紗凪だってもう中学生だ。【小さい】と表現するような年ではない。
 言い訳じみた言葉を並べ立てる紗羅を無視して言葉を続ける。
 正直、紗羅の言い訳に興味はないし、突然紗凪を気にし出した理由を知りたいだけだった。

「8つ違うってどんな感じ?
 お世話とかしたの、やっぱり」

「うちは紗凪が生まれた時は祖父母もまだ若かったから、私はあまり役に立てなかったかな。手伝いくらいはしたし、紗凪に宿題教えて欲しいとか、本読んで欲しいって言われればそれくらいはしたけどね」

「一緒に遊んだりとかは?」

「無いかな、あまり。
 年が近過ぎると喧嘩ばかりだって聞くけど、年が離れると喧嘩にもならないし、性別も違ったからひとりっ子が2人いるみたいなものって言うか、」

 今現在の紗凪の話をしたくないのならと過去の話をしてみるけれど【紗凪】の話自体したくないのか、2人の思い出話すら出てこないことに呆れて、「そういうモノなんだね」とだけ答えて話を締める。
 これ以上話を続けて不機嫌になられても面倒なだけだから、この辺が潮時だろう。

 8つ離れた弟妹が可愛くないのかと疑問に思うけれど、きっとそれは紗羅にとってタブーだから。

 きっと、その時が始まり。

 紗羅の変化に気がついていたけれど、何かしようとは思わなかった。彼女が僕に対して何かしらのアプローチをすれば話を聞くなり、手助けをするなり、何かしらの方法はあったのだろうけれど、プライドの高い彼女は僕に相談することなんて考えもしないだろう。

 だから放っておいた。

 僕たちの夫婦仲は良いわけではないけれど、悪いわけでもない。
 その関係はお互いに恋愛感情があるわけではなくて【家族】を成立させるための契約関係で、契約を維持するための努力はしているつもりだ。それはきっと紗羅も同じ。

 ただ愛は無いのかと言われれば家族としての愛はある。だけど息子の紗柚を愛おしいと思う感情はあるけれど、紗柚を産んだ紗羅に愛おしいと思う感情があるかと聞かれれば…無い。
 それはきっと紗羅も同じだと思うけれど、もしかしたら紗羅は紗柚に対してもそんな感情を持っていないのかもしれない。

 それに気付いたのは成長と共に紗柚が紗凪に似てきた時だった。
 産まれてすぐは僕とよく似た顔をしていた紗柚だったけれど、乳児期を終え、幼児期になると少しずつ紗羅に似てきた。男の子は女親に似るという人がいるけれど、我が家はその典型的な例かもしれない。
 早いうちから化粧をしていたせいで紗羅の素顔を知らない人の方が多いけれど、普段から素顔を見慣れている僕にしてみれば2人は本当にそっくりだった。
 2人が似ているということは、紗羅とよく似た紗凪とも似ていることになる。

「紗柚ちゃんは紗凪君と本当によく似てるわね」

 それを言われたのは紗凪の入園式だった。僕と紗羅と、そして紗凪の出身園でもあるその園はお寺の運営している園だった。園長は住職夫人で理事長は住職。僕たちが通っていた時に在任していた先生はいなくなってはいたけれど、園長と理事長は変わらずで、当然だけど「大きくなって、」と当時の話を交えながら昔話をされてしまう。

「きっと紗羅ちゃんともそっくりなんだけど、紗羅ちゃん綺麗になったから紗凪君の方が似てるように見えちゃうのね。
 あ、もう紗羅ちゃんじゃなくて汐勿さんって呼ばないとダメね」

 今までだって似たことは何度も言われていたし、園長の言葉にだって悪気はなかったのだろう。昔話に花を咲かせ、弟がいたことも覚えているというアピールだったのかもしれない。同じように僕だって「お兄さんはお元気?」と聞かれたりもした。

 良くも悪くも地元で生活するということはそういうことでもある。

 自分を知っている自分の知らない人の方が多いのだから、何かを言われるたびに気にしていたら疲れるだけ。

 適当に話を合わせ、適当に話を切り上げた紗羅は「こんな園、選ぶんじゃなかった」とポツリと呟く。

「どうしたの、紗羅ちゃん」

 不機嫌になった紗羅に気を使い仕方なく声をかけるけれど、正直面倒だとしか思わなかった。

 だけど、紗羅は違ったのだろう。

 息子の晴れの日に【紗凪】という名前を出されたことが気に入らず、「紗凪に似ている」と言われるたびに紗柚への愛情が変化していったのかもしれない。

 







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