世界が終わる、次の日に。

佳乃

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紗羅

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 本当は家から通える大学を選んだことに後悔なんてなかった。

 私が大学に進学した時はまだ小学生だった紗凪。私が家を出てしまったらまだまだ手のかかる紗凪のことばかり気にして、きっと私の存在なんて無かったことにされてしまうだろう。

「紗羅はしっかりしてるから」

 何度もそう言われる内に感じたのは危機感。
 褒められているのに喜べないのはその言葉の後に続く言葉を想像するから。

『だからもう大丈夫よね』

 そう言われてしまったら「大丈夫」だと答えてしまうから、だから認めてもらえているのに素直に喜べなかった。
 だから自分の存在を無視されたくなくて家から出られなかったし、出るつもりもなかった。
 
 そもそも紗凪さえ産まれなければ時間も、愛情も、もっと言ってしまえばこの家も、使われるはずのお金も全てが私だけのものだったのに、それなのに紗凪が産まれたことにより半分…どころか大部分が紗凪に使われるようになってしまった。

 紗羅は自分でできるからと大人の手と時間は紗凪に向けられる。

「紗羅はもう大きいでしょ?」

 そう言った母は紗凪の手を繋ぎ、歩き疲れた紗凪を抱き上げ、私の手には紗凪のための荷物が握らされた。

 それまでは父や母のいる部屋で宿題をしていたのに紗凪が邪魔をするからと勉強部屋を与えられた時には追い出されたような気がした。それでも勉強部屋を与えることが私のためだと言われてしまえば喜んだふりをするしかない。
 そして、私の場所も、家族と過ごす時間も奪われていく。

 成長が止まれば毎年新調する衣類の数も少なくなり、増えていく紗凪の衣類に嫉妬する。紗凪が妹で私のお下がりばかり与えられていれば溜飲も下がったかもしれないけれど、私の着ていた服は処分され、できた穴は紗凪の衣類で埋められていく。

 私は欲深いのかもしれない。

 全ての感情も、物品も、自分のものであって欲しいと願ってしまうのは奪われることに慣れてなかったから。奪われることに恐怖を感じていたから。
 それまで全てが自分のものだったのに、いつのまにか奪われていたから。

 だから取り返そうとした。

 だから排除しようとした。

 だから、追い出した。

 家から通うことのできない大学を進めるのは簡単なことだった。学生の頃から貴哉を家に招き、家族にその存在を浸透させる。就職先を決め、貴哉と同じ街に暮らすと告げれば同棲かと聞かれたけれど、「将来的には、」と言葉を濁す。

「貴哉、将来はこっちに住みたいんだって」

 学生時代を過ごしたこの地で就職してもいいと言った貴哉を説き伏せたのは私。いつかこちらに戻る前提で、この街を出てみたいと願ったのはどうせ後継としてこの家に入るのだから一度は家を出てみたいと思ったこともあったし、紗凪の目を【外】に向けさせたかったから。
 いつかは実家に入るつもりだけど社会勉強をしたいと言えば「紗凪だっているんだから紗羅は好きにしていいのよ?」と言われたけれど、私の好きにするのならこの家は必須だった。

「紗凪は将来どうしたいかなんてまだ考えられないでしょ?
 就職先だって、自由に選びたいと思うし」

 そう言って紗凪を気遣うふりをして外堀を埋めていく。
 自分が残るから紗凪は自由にして欲しい、紗凪の将来の選択肢を狭めたくない、そんなふうに弟を気遣うふりをする。そして、紗凪に対しては実家で暮らすことの不自由さを伝え続け、ひとり暮らしの楽しさを教える。
 と言っても露骨にではなくて帰った時にさりげなくそんな話をして、紗凪が家を出たくなるように誘導していっただけ。

 貴哉と何度も顔を合わせる内に私と貴哉が将来を約束した仲だと理解して、こちらに住みたいと希望する貴哉の話をする。

「姉さん、結婚したらこっちに戻ってくるの?」

 そんな言葉を引き出して「そのつもりだけど。でも、紗凪が家を継ぐなら…」そう曖昧に笑う。

 具体的な将来のことなんてまだ考えられない紗凪に自分が家を継ぐ意思のあることを伝え、紗凪には自由に過ごして欲しいと告げる。そして外の世界の楽しさを伝え続ければ紗凪の気持ちが動かないわけがない。

「姉さん、ボクこの家出るから」

 高校生になり進路を決めた紗凪は、帰省した私にこっそりとそう告げる。貴哉と共に帰省していたため私が1人になるタイミングを見計らっていたのだろう。

「大学は県外に行くし、多分こっちには戻らない」

「何で?
 紗凪はこの家を継ぎたくないの?」

「別にどっちでも良いんだけど、貴哉さん、うちの家族とも仲良いし。
 それに、祖父ちゃんや祖母ちゃんも孫の顔、早く見たいんじゃない?」

 そう言って「ボクのこと待ってたらいつになるか分かんないし」と笑う。

「姉さんたちがこっち戻ってくるならここに住むでしょ?
 新婚さんの邪魔するのも申し訳ないし、貴哉さんもこっちに住みたいって言うならいいんじゃないかな」

 純粋に家族のことを想って出てくる言葉に苛ついた。何もかも自分の思い通りになるとでも言いたげな言葉に怒りを覚えた。
 こうなるように自分が誘導したはずなのに全ての主導権が自分にあるような物言いが気に入らないけれど、その気持ちを押し殺して話を続ける。

「そうだよね、私たちがここに住んだら紗凪、嫌だよね」

「え、待って、そうじゃなくて。
 正直、家から出たいって気持ちも本音なんだって。だから姉さんの結婚は口実?
 行きたい学部のある大学も、第一希望は通えないとこだし」

「それなら良いけど、」

 弟を思いやる姉のふりをして心の中で舌を出す。
 私の言葉で外に出ることを選んだことに気を良くして、それでも弟を心配する言葉を続ける。だって、確実にこの家から出ていくまでは油断できないから。

「もしも私に手伝えることがあったら言ってね。父さんや母さんには言えなくても私には言えることもあるでしょ?」

 私と紗凪の距離を考えれば言えることなんて上辺の話しかないのだけれど、それでも心配するふりをして弟の応援をする姉を演じ続けた私は《第一希望の大学に合格しました》というメッセージを受け取り、北叟笑む。
 だから貴哉との結婚の話を具体的に進めることにした。

 万が一にも紗凪が家を継ぐことにならないように。

 ひとり暮らしの紗凪が羽目を外して【授かり婚】なんてことになったら確実に家に連れ戻されるだろう。そうなったらあの家は紗凪のものになってしまうし、父も母も祖父母も、生まれてくる新しい命に夢中になることだろう。

 それを防ぐためにもさっさと自分の立ち位置を確立させなければいけない。

 そんな時に思い出したのが母の不育症で、もしも自分の身体に異常があったらと不安になりブライダルチェックを受けることを考え、情報を集めることにした。
 どんなことを調べるのか、どんな検査をするのか。どこの病院が良いのか、費用はどれくらいかかるのか。
 想った以上に高額な検査費に躊躇いながら、それでも大切なことだと自分に言い聞かせる。そして、パートナーと共に受けることができると知り貴哉にも相談してみた。

「ねえ、ブライダルチェック受けようと思うんだけど、一緒に受けない?」

 軽い気持ちで、と言うわけではないけれど、異常がないことを確認したくて持ちかけた事で貴哉と別れることになるなんてこの時は想像すらしていなかった。

「………何で?」

 貴哉の見せてくれた結果を見て、絞り出すことのできた言葉はそれだけだった。







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