世界が終わる、次の日に。

佳乃

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貴哉

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 ブライダルチェックをしたいと言われた時には正直戸惑った。

 性病を疑われているのかと、浮気を疑われているのかと思いもしたけれど、「跡取りはどうしても必要だからそこだけは明確にしておきたい」と言われてしまえば断ることはできない。
 どうせ検査をしたところで異常なんて無いのだから無駄なことだと思いつつも受けたくないと言えなかったのは、紗羅の願いはどんなことでも受け入れたいと思っていたからで、紗羅がそれで満足するのならそれで良いと思っていた。

 正式な挨拶をするのは結果を見てからと言われ、検査を受け、紗羅の部屋に届いた検査結果は俺の部屋で見た。
 その頃はお互いの部屋を行き来していたけれど、どちらの部屋にもそれぞれの着替えや生活用品も置いてあり半同棲状態だったから、その日はたまたま俺の部屋に泊まりにくる予定になっていた日だった。

 それぞれお互いの結果を確認して何事もなかったと、挨拶の日取りを決めるはずだったのに俺の検査結果のせいでその予定が狂いだす。

「貴哉、どうだった?」

 悪い結果が出るなんて考えてもいないのだろう。自分は異常なかったと言いながら結果を見せた紗羅は様子のおかしい俺に気付かず「今週末は早いよね、流石に。来週にする?再来週?」とスマホのスケジュールを確認しだす。
 俺の結果に異常があるなんて思いもしていないのだろう。

「紗羅、ちょっと待って」

 自身の結果を見ながら紗羅の言葉を止め、その部分を確認する。
 並べられた自分の数値と基準値を比べ、その数値の意味を理解したせいで呼吸が浅くなる。

「何、どうしたの?」

 スマホから顔を上げた紗羅はやっと俺の変化に気付いたのだろう。俺の検査結果を手に取り、上から検査結果を追っていく。

「これって…」

 そして辿り着く性液検査の結果。
 標準値に満たない数字を見て顔色を変えた紗羅はスマホを取り出し何かを調べ始める。「まさか、」「でも、」そんなことを呟きながら何かを調べ、「そんなはずない」と頭を抱える。

「再検査、してみよ?」

 結果を受け入れたくないのか「結果が悪くても再検査で改善してることもあるみたいだし」と引き攣った笑顔を見せる。

「再検査って、」

「だって、この結果って」

 そう言って言葉を濁した紗羅の言いたいことは分かっていた。

 【男性不妊】
 
 そんな言葉が頭に浮かぶ。
 あまりにも低い数値に再検査しても無駄だと投げやりな気持ちになるけれど、それでも紗羅との未来を諦めたくなくて「予約しないとな」と再検査を受け入れる。この時はまだ何とかなるはずだと心のどこかで信じていたんだ。

 はじめに行ったクリニックで再検査を受け、望むような結果が出ずクリニックを変えて検査を受けることを数度繰り返すことは俺にとって屈辱でしかなかった。

 射精をしない期間を設けた上でクリニックを訪れ案内された部屋でマスターベーション行い精液を採取する。
 初めての検査の時は好奇心もありすぐに採取できた精液は、回数を重ねるごとに採取しにくくなっていく。

 精神的なものもあるのだろう。

 検査を重ねても思うような結果を得ることができず、それでも認めたくなくて更に検査を重ねるけれど結局は望むような結果が出ない。
 そんな状態だから当然紗羅と触れ合う時間は無くなるし、少しずつ2人の間に距離を感じるようにもなっていく。

 そして、告げられる決定的な言葉。

「ごめんなさい」

 何度目の検査結果を目にした時だろう。
 その時には自分が【男性不妊】であることを自覚していた。と言うか、自覚せざるを得なかった。
 何度検査を受けても、どこで検査を受けても出てくる結果は同じようなもので、数値を改善する方法は何かないかと調べてみても自分で出来ることはほとんどなかった。
 子供を望むのなら2人で不妊治療に臨むしかなく、その治療は自分よりも相手の身体に大きく負担をかけるのだと知る。
 そして、その治療をしたところで確実に妊娠できるわけでなく、何もしないよりは妊娠の可能性があるという低い確率であるという結果に絶望する。

 自分のせいで紗羅に辛い思いをさせたくない。

 だけど紗羅の手を離したくない。

 そんな葛藤の日々を送る俺に紗羅だって気付いていたのだろう。
 自分に負い目はあるけれど、それでも諦めきれない俺の手を離したのは紗羅だった。

「ごめんなさい、貴哉とは結婚できない」

 絞り出すようにそう言った紗羅は今までの検査結果に視線を落とし、ゆっくりと言葉を続ける。

「私、家を継がないといけないし、跡取りも必要なの」

 学生の頃から聞かされていた話を繰り返し、俺と結婚できない理由を並べていく紗羅は辛そうで、それでも手を離したくない俺は悪足掻きをしてしまう。

「紗凪君は?
 紗凪君が継げば跡取りだって」

「紗凪は継ぐ気は無いって。
 って言うか、継ぎたくないって」

「でもまだ学生だし、考えも変わるかもしれないし」

「それを期待して貴哉と結婚して、それなのにやっぱり継ぎたくないって言われたら…何とかなるの?」

 責められている気がした。
 そして、もしも俺たちの間に子供を望むことができれば紗凪が継がないと言われた時に自分達が継げばいいけれど、それができないのは俺のせいだと言われているのだと理解する。

「私だって、紗凪が継いでくれるなら貴哉と結婚したい」

 溢れた言葉はきっと、紗羅の本音なのだろう。溢れる本音と零れ落ちる涙。

「なんで?

 なんでなの?

 どうして?」
 
 それは、独りの時に何度も自分に問いかけた言葉。

 何が悪かったのか考えたところでどうにもならないのだけど、自分を責め、自分を呪う。自分にできることはないのかと調べ、できることはないと悟り、更に自分を責める。
 自分が辛い治療を受ければ何とかなるのなら頑張れるのに、辛い治療を紗羅に課すことはできなかった。

「ごめん、俺のせいで」

 言えることはそれしかなかった。
 繋ぎ止めたいけれど、繋ぎ止めるための言葉を口にすることは許されなかった。

「貴哉は悪くない。
 紗凪さえ継いでくれれば」

 そう言いながらも継がないで済む方法を探すとは口にしないのは、紗羅だってその方法を模索して出した結果だと知っていたから。
 はじめから諦めていたわけじゃない。これまでにも2人で話し、2人でいられる方法を模索した。
 色々な方法を模索し、色々な未来を思い描き、そして出した結論。

「だって、姉さんが継ぐって言ったから自分が残るなんて考えてなかった。
 そんなこと言われても困るって。
 そんなふうに責められたらそれでも考えて欲しいなんて言えないし、母も紗凪が継ぐより私に継いで欲しいって」

「そうなの?」

「紗凪じゃあ無理だって。
 私じゃないと任せられないって。

 紗凪のこと、甘やかしてるから好きにさせたいのもあるんだろうけど甘やかしてるから、ね」

 その言葉から紗凪には後継としての資質が無いのだと理解するけれど、それでも足掻きたくて聞いてみる。

「でもまだ高校生だったよね?
 今から頑張れば」

「でも…母が望むなら私は後継として家に戻ることも、後継を産むことも諦めたくない」

 結局はこれも本音なのだろう。

 恋愛と結婚は違うのだと無理にでも納得するしかなかった。
 もしも自分と紗羅が逆の立場だったらと考えようとしても育ってきた環境が違いすぎて理解しきれないけれど、そういうものだと自分に言い聞かせる。

「俺と別れてどうするの?」

 ごめんと言った時点で結論は出ていたのだろう。少しの沈黙の後、紗羅が口を開く。

「地元でお見合いしたの」

 【する】ではなくて【した】と言ったことに衝撃を受けたけれど、それを隠して言葉の続きを待つ。「断りきれなくて、」と言い訳のように告げられた事実は紗羅にとっては都合の良いことばかりで、それはすでに決定事項なのだと気付かされる。

「でも、紗羅の家族だって俺のこと知ってたよね」

「田舎って、それでも断りきれないことがあって。日取りが決まってるわけじゃないから会うだけ会って、適当な理由をつけて断ればいいって言われてたんだけど、検査結果で思うような結果が出ないから…」

「保険だったんだ」

「そんな訳じゃ…。

 ごめんなさい」

 全ての凝縮された言葉に諦めるしかなかった。
 紗羅の中でも、紗羅の家族の中でも俺たちの関係解消は決定事項なのだろう。

「仕方ないね、」

「ごめんなさい」

 謝ることしかできない気持ちが理解できてしまい、責めるべきだと思いはしても責めることができなかった。

 嫌いになれたら。

 軽蔑できたら。

 そんな気持ちはもちろんあるけれど、そもそもの原因が自分にあるのだと思うと責めることもできない。

「それでも好きなの。

 本当は、貴哉と一緒にいたいのに」

 そう言って泣き続ける紗羅のことはやっぱり大切で、やっぱり愛おしくて。

「もう、会わない」

「紗羅?」

 突然告げられた言葉が信じられなくて縋ってしまう。

「好きだから、諦められないからもう会えない」

「なんで、」

「もう決めたの。
 会社も辞めて、地元に戻るから」

「いつ?」

「それは言えない。
 でも、もうこの部屋には来ない」

「嫌だ、」

「でも、決めたから」

 そう告げられた後のことは覚えてなかった。

 きっと衝動のままに紗羅を抱きしめ、その身体を蹂躙したのだろう。正気では無かったと言い訳しても許されることではないけれど、それでも紗羅は俺を受け入れ、俺を気遣ってくれた。

「ごめんね」

 俺に組み敷かれているのに謝り続け、俺の全てを受け入れた紗羅は「お願い、中に出して」と耳元で囁く。

「貴哉の全てを覚えておきたいの」
 
 避妊をせずに身体を重ねたことなんてなかったのに強請るように言われた言葉に逆らうことなんてできなかった。

 どうせ何も残らないのだから。

 そんな卑屈のことを考え、言われるがままに紗羅の中に精を放つ。何も生み出さない行為だと分かっていても止めることができなかった。

「貴哉、もっと、」

 お互いに想い合っているのに別れないといけない、その想いを断ち切るように身体を重ねた続け、何度も精を放つ。

「紗羅、愛してる」

 チープな言葉だけどそれしか言えず、体力が続く限り行為を続け、気絶するようにベッドに沈む。

「赤ちゃん、できてたらいいのに」

 眠りにつく前にそっとお腹に手を当てた紗羅が悲しかった。
 







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